「あーやっぱり唐揚げ定食にしたらよかったかなー」
明希(あき)が僕の目の前で湯気を立てている唐揚げを羨ましそうに眺めながら言った。
その明希の前には魚の煮つけを載せた定食のトレーが、まさに今ゴトンと鈍い音を立てて置かれた。
「ごゆっくりねー」
昼時を少し過ぎたこともあって店内には人が少ない。店のおばちゃんはのんびりとした口調でそういうと、カウンターの内側にある椅子にどっしり腰かけた。そのカウンターでは常連の親父(おやじ)が、昼間から酒をちびちびやっている。
「だから唐揚げにすればって言ったじゃないか」
苦笑いする僕に、明希は「だって今週からダイエット始めたばっかりなんだもん」と口を尖(とが)らせた。
「ひとつあげようか?」
拳の半分ほどの大きさもある唐揚げを箸でつまみ、明希の目の高さに持ち上げると、明希はエサを取り上げられた犬のような恨みがましい目で、唐揚げ越しに僕を睨(にら)みつけた。
「誘惑しないで! いい、食べない」
膨れ面で、目の前にある魚の腹を器用に箸で切り開いていく。この店は魚の煮つけだって充分に美味(おい)しいのだが、『食べたらダメ』と思うと人はよりそれを食べたくなってしまうのだろう。
そもそもダイエットなんてしなくてもいいのに。でもそれを口に出したら「やる気を削(そ)ぐようなことを言わないで」と余計に怒らせるだろうから口には出さない。何を言えば機嫌を損ねるのか、三年も付き合えばその辺りのことは大体わかるようになった。それに、自分の婚約者がより美しくなるのは困ることではない。それが例え自分の為ではなく、彼女が着たい細身のウエディングドレスの為だったとしてもだ。
「あっそう言えば今日やないか? 役場がテレビに出るのは」
カウンターの親父がおばちゃんに話かける声が耳に入った。なんとなくその会話に耳を集中させる。ふと見ると明希もその会話を気にしているようだった。
「そうそう。『昼になるんデス』で特集やって。凄(すご)いねえ、全国放送よ」
僕たちの勤める役場には最近テレビ取材が多く訪れる。変わった方法で町おこしをしているとネットで話題になった為だ。
〝彼〟がこの片田舎の役場に現れたのは、突然のことだった。
「どうも、ヒーローズから参りました田中修司(たなか しゅうじ)と申します」
彼は一枚の名刺を課長に差し出しながら言った。
課長は面食らった様子で「あ、ああ……どうも」と、とても役人とは思えない対応で名刺を受け取った。
「本日は市長から依頼を受け、こちらに参りました」
市長という言葉を聞いて、途端に課長の背筋が伸びた。
「ああっ、それはそれは。お暑い中このような辺鄙(へんぴ)なところまでご苦労様でございます。さぞお疲れになりましたでしょう。ささ、こちらに。どうぞどうぞ」
あたふたしながら田中さんとやらを半ば強引にソファに座らせると、明希に向かって「お茶! 冷たいの、早くね!」と叫んだ。
明希が急いで冷たい麦茶をお盆に載せて田中さんの前に運ぶと、課長が横から「なんの変哲もない麦茶しかございませんが、どうぞどうぞ。なんせ田舎なもので洒落(しゃれ)たものが何もございませんで、どうも」と、米つきバッタのようにペコペコ頭を下げた。麦茶を出したくらいで何もそこまで卑下する必要はないと思うが、「市長が呼んだお客様」に万一粗相でもあっては自分の首が飛ぶとでもと思っているのだろう。そもそもこの田舎の役場に「市長が呼んだお客様」が尋ねてくること自体が、課長にとっては驚天動地の大事件であることに違いない。
田中さんは「これはありがたい。喉がカラカラだったんです。いただきます」と麦茶をごくごくと飲みほした。
それを見た明希は慌ててお代わりを用意しに給湯室へ入った。
課長は額から汗を滲(にじ)ませ、見たことないほど完璧な揉(も)み手をしながら「そうしまして、その、本日はどういったご用件で……」と恐る恐る田中さんに尋ねた。
田中さんは暑苦しい課長とは対照的な涼し気な笑顔で、「実は……」とここへ来た理由を話しはじめた。周囲の人間はみな仕事をするフリをしながら、田中さんの話に聞き耳を立てていた。
田中さんの話を要約するとこうだ。
ある日、市長から田中さんの会社へ依頼があった。
『この田舎町には特にこれといった特産品がない。人口も少なく、若者はどんどん外へ出て行ってしまう。合併の話も出ているが、できれば私の故郷であるこの町の名を残したい。なんとかこの田舎町を盛り上げてくれないだろうか』
要するに「町おこしのアイディアを考えてほしい」ということらしい。それでわざわざ東京から来てくれたというわけだ。
それにしても都会には様々な仕事があるもんだなあ、とパソコンを触るフリをしながら田中さんの話に耳を傾けていたが、話が一通り終わると田中さんは課長を連れてどこかへ出かけてしまった。
夕方五時きっかりに、課長は一人で役場に戻ってきた。
いかにも「重大な任務を終えた」とばかりに大きなため息をつくと、来客用のソファにどっかと腰を下ろした。
そして何かの紙をポケットから出して眺め、ニヤッと笑った。
僕が「なんですか?」と尋ねると、課長はそれをくるりと僕のほうへ返した。田中さんの名刺だ。それを見て思わずフッと息が漏れた。
そこには一目で田中さんだとわかる似顔絵と、『特徴のない顔と名前ですみません』という吹き出しが書かれていた。
「さすが都会の人は名刺まで洒落とるなあ」
課長はさも感心した様子で名刺をニヤニヤと眺めた。
最初はいぶかしんでいたくせに、これからきっと会う人会う人にこの名刺を見せて自慢するに違いない。
翌日、役場で働く全員が小さな会議室に集められた。
コの字型に並べた机の前にぎゅうぎゅう詰めに座り、その前で田中さんはプレゼンを始めた。
「何も、有名になるのは特別なものじゃなくたっていいと僕は思うんです」
田中さんは、全国の名産物を書いた表が張り付けられたホワイトボードを棒で指しながら言った。
「そもそも抜きんでたような特別な生産物を作ろうと思ったら、途方もない時間とお金がかかりますよ。逆に誰にでも好かれて親しみのあるものでアピールしましょう」
誰にでも好かれて親しみのあるもの……。僕は頭の中で田中さんの言葉を繰り返した。田中さんはにっこり笑って言った。
「それは、おにぎりです」
「おにぎりを作るのですか?」
主任がまるで学校の授業のように手を挙げて発言した。
「はい。大規模なおにぎりのコンテストを開催するのです。具材はなんでもオッケー。葱味噌(ねぎみそ)でもおかかでもハンバーグでもチョコでもイチゴでも好きなものを何でも入れて、美味しいと思うおにぎりを作ります。参加権はこの町に暮らす全員にあります。誰の考案したおにぎりが一番美味しいのか、住人とこの町を訪れた方に投票してもらい、優勝・準優勝したおにぎりはこの町の食堂で一年限定の『優勝おにぎり定食』として食べることが出来ます。二個セットで道の駅で売ってもよいでしょう。この町でしか食べられないおにぎりです。そして翌年の優勝おにぎりが決まったら、去年のおにぎりのレシピは町のホームページ上で公開する。もしかしたら連覇、なんてこともあるかもしれないし、コンテストの知名度があがれば、よその市町村からの参加者を募ってもいい」
みんなまるで、日本の行く末を占う会議に出席しているかのような神妙な面持ちで、田中さんの話に耳を傾けていた。
「そしてその普及業務としておにぎりで戦隊ヒーローを作ります。そのヒーローたちが各地を周り、優勝おにぎりを振る舞うイベントを行います。その名も……」
田中さんが両手を広げ、ぐるりとまわしてポーズをとった。
「おにぎり戦隊、具(ぐ)レンジャー!」
僕たちがポカーンとしていると、その反応の悪さに田中さんが「あれ?」と苦笑いを浮かべた。その瞬間、課長が慌てて「そっ、それはいい!」と引きつった笑顔(えがお)で叫び、隣に座っていた主任の背中を「なっ!」と言いながらバンバン叩いた。周囲を見渡し必死で「な! な!」と同意を求める課長から、誰もが目を反らしていた。
それからはまるで嵐のようだった。
まず、戦隊ヒーローであるなら制服を作らなければならない。制服は田中さんが発注してくれるという。自社で作れるのでコストが低くすむらしい。しかしその前に戦隊ヒーローには欠かせない『色決め』をしなくてはならない。大きな旅行鞄(かばん)から田中さんが引っ張り出したのは全身タイツのような色見本だった。
「まず、おにぎりに欠かせないのがこれ!」
そう言って田中さんは黒い全身タイツを掲げた。
「これがなくては始まらない! 海苔(のり)ブラック!」
時が止まったように、部屋中がシーンと静まった。
「あの……戦隊ヒーローって普通は青とか赤とか……子供が好きそうな色のほうが良いのでは……」
主任が恐る恐る口を開くと、課長が凄(すご)い形相で主任のほうを振り返ったが、田中さんは笑顔を崩さぬままだった。
「それではありきたりじゃないですか。おにぎりにまつわる色がいいんです。でも赤は……そうだなあ……。『大人の酸味、梅レッド!』とか。いいんじゃないでしょうか。他に、おにぎりの具材って何があると思いますか?」
誰もがちらちらと周囲の様子を窺(うかが)いながら言葉を探していると、今年役所に入ったばかりの新人がぼそっと「鮭(さけ)……」と呟(つぶや)いた。
全員が一斉に彼に注目し、新人はビクッと身を竦(すく)めた。
「鮭のおにぎり! いいですよねえ。磯(いそ)の香り、鮭オレンジ!」
田中さんが笑顔で親指を上げて見せた。
すると、みんな少しずつざわざわと話しはじめた。
「赤とオレンジがあったら戦隊ヒーローっぽいな」
「でもなんか似たような色やね」
「他には何があるっけ?」
「黄色とか青とか派手な色も欲しいね」
「緑は? 野沢菜とか」
「野沢菜はちょっと語呂が悪くないか?」
「じゃあ、黄色でたまご。うちでよくやるんよ。薄焼きたまごを海苔代わりに巻いて」
「うちじゃあ、中に甘いたまご焼きを入れるよ。子供が好きよね」
田中さんが「それじゃあ……」と人さし指を立てた。
「子供が大好き、たまごイエロー! いいんじゃないでしょうか」
みんながうんうんと頷(うなず)いた。みんなだんだんとワクワクしたような、楽しそうな表情になっていた。
「他にはどうですか?」
「青が……難しいなあ」
「確かに……」
「ちなみに」と、田中さんが大きな声を上げた。「僕の構想ではリーダーは黒ですよ。『パリッと美味しい、海苔ブラック!』どうですか?」
「リーダーは具材じゃないんですね」
主任が笑いながら言った。
「これで四人か……」
「どうせなら、あと一人。五人欲しいですね。あとは何色があるでしょう……」
田中さんの言葉にみんな頭を悩ませはじめた。
「茶色、赤、オレンジ、黄色……」
「たらこでピンクはどうよ」
「やっぱり女子もいるか」
「それより青かグリーンがいるんじゃない?」
「やっぱ赤とオレンジが似てるんだな」
「せめて野沢菜の緑を入れるか……」
「野沢菜グリーン……なんだかなあ」
みんなの考えが詰まりはじめたとき、突然、田中さんが主任に尋ねた。
「ちなみに、主任さんの一番好きなおにぎりは何ですか?」
主任は急に指名され驚きながらも、相変わらず真面目(まじめ)な顔でこう言った。
「わたしは……やっぱりなんだかんだ言って、素朴な塩にぎりが……」
「塩!?」
みんなが声を揃えた。
「そうか!」
一人違う反応をしたのは田中さんだった。
「白だ! 塩はもちろん、米がないとおにぎりは始まりませんよね。輝く米は希望の光、素朴が一番! 塩ホワイト! どうです? これで五色揃(そろ)いましたよ」
「でも、さすがに白っていうのは……」
「全身タイツ感が凄く出そう」
誰かの言葉にみんながどっと笑った。
「これはあくまでカラーサンプルなので」
田中さんも笑いながらタイツを持ち上げた。
「そこはうまくデザインしてもらいますよ。社にはデザイナーもいるので大丈夫です。海苔ブラックだっているんだから、塩ホワイトがいたってちっともおかしくないですよ」
「まあ、そう言われると……」
「なんか、田中さんに言われるとそうかもって思っちゃうね」
誰かが言った言葉にみんなが深く頷いた。
なんとか色が決まって、後日、田中さんが制服を発注してくれたのだが、ここで問題が発生した。ヘルメットがコストオーバーしたのだ。
「服のほうは予算内に収められるのですが、ヘルメットはどうしても原価が高くて……」
田中さんが申し訳なさそうな声で言った。
「ヘルメットなしじゃ流石(さすが)に戦隊ヒーローにはなれないですよねえ……」
「仕方がないですよ。ない袖は振れないんだ。諦めましょう」
みんなあっさりとそう言ったが、内心では相当ガッカリしていた。田中さんが来てからというもの役所はおにぎり戦隊の話題で持ち切りだった。誰が何色をやるだとか、やっぱりピンクがいるのではないか、とか。ピンクの話題が出るたび、万が一にも自分にお鉢がまわってくるのでは、と必死に否定している明希の姿が面白かった。
しかし、田中さんは諦めなかった。とんでもない案を出したのだ。
「ヘルメットが駄目なら、みなさんの髪をその色に染めてしまえばいいのですよ」
それにはさすがに課長も難色を示した。
「いくら田舎とはいえ、一応役所なものですから……。町の人の目もありますし……。公務員が奇抜な色に髪を染めるのはちょっと……。市長の許可をもらわないことには何とも……」
「そうですよね。それはさすがにそうか」
田中さんがあっさりと引いたのでみんなはホッとしたのと同時に、戦隊ヒーローが中止になったことに残念な気持ちを抱いていた。
ところが一週間後、田中さんは再びこの役所に現れた。
しかも、市長の判が捺(お)された『具レンジャー許可証』を持って。
「これで、何の問題もありません」
そう言ってニッコリ笑った田中さんを、僕たちは信じられない気持ちで見ていた。
* * *
ガラガラと引き戸が開く音がした。
「いらっしゃーい。あら、珍しい時間に来たね」
小学生くらいの男の子の手を引いた母親らしき女性は、おばちゃんに向かって「薬をもらうだけだったのに病院が凄く混んでて、こんな時間のお昼になっちゃった」と、いくらか疲れたような笑顔を見せた。
「そりゃあ、ご苦労様やったね。ゆっくりしていきんさい」
席につくなり、男の子が大声でおばちゃんに言った。
「ぼく、優勝おにぎり定食ね! 豚汁大盛にしてね!」
「はいよ、いつものね」
TVからは「この白い色は地毛なんですよね?」という若いリポーターの声が聞こえた。「あっはい。まさか白髪が役に立つとは。この年でこんな格好をする羽目になるとは思いもしませんでした」照れくさそうにそう答えていたのは、あと二年で定年を迎える〝塩ホワイト〟こと、主任だった。
「あっ!」
席についていた男の子が急に声を上げると、僕に向かって駆け寄ってきた。
「サインください!」
その後を母親が慌てて追ってくる。
「すみません、お食事中に。お兄ちゃん、いまごはん中だから……」
「大丈夫ですよ。もう食べ終わりましたし。何にサインしようか?」
「シャツ!」
男の子は嬉(うれ)しそうに来ていたTシャツを引っ張った。
「えっ! でもそれは……」
さすがになあ、と躊躇(ちゅうちょ)すると、彼はさらにグイッとTシャツを引っ張った。日曜の朝にテレビでやっている、いま子供に大人気の戦隊ヒーローの絵が描かれていた。
「ここがいい! 友達に自慢できるで!」
母親のほうを窺うと、お願いします、というように頭を下げた。
「じゃあ、この下の方に書くね」
店のおばちゃんがニコニコしながら差し出してくれたサインペンを受け取り、戦隊ヒーローの顔にかからないよう、白いTシャツの裾のほうに少々緊張しながらペンを走らせた。
「……これでいいかな?」
男の子は俯(うつむ)いてサインを確認すると、満面の笑みで「うん!」と勢いよく頷いた。
「うん、じゃないでしょ。何て言うの?」
母親に促されて、今度は元気よく頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「どうもありがとうございます」
「どういたしまして」
スキップして席に戻りながら男の子は『おにぎり戦隊具レンジャー♪』とテーマソングを歌っていた。
「目立つよね、この頭。やっぱり結婚式には髪染めたほうがいいんじゃない?」
僕は自分の真っ赤に染まった髪の毛を触りながら言った。
「いいよ、そのままで。私のお父さんもそれでいいって言ってるんだし」
「そうかなあ……」
不安げな僕に対し、明希が「それに……」と、いたずらを思いついた子供のような顔でニヤリと笑った。
「その目立つ髪の色でいたほうが、浮気なんてできないでしょ? ヒーローさん」
無邪気な笑顔でそう話す明希を見て、密かに心の中で誓ったことは、僕だけの秘密にしておこう。