「あかりちゃん、どう思う?」

「うーん」とあたしは腕を組む。「睦美(むつみ)先輩、やっぱり女のあたしには難しい質問ですよー。男子の気持ちなんてわかんないですってー」

「そっか……」

「でも大丈夫! こんなこともあろうかと今日は強力な助っ人を呼んでますから!」

「助っ人?」と睦美先輩がテーブルの上で頬杖(ほおづえ)をつく。

「はい!」

 ――四月八日。

 その日の午後、あたしは中学の部活の先輩で、高校でもお世話になっている(といっても今日が清和台(せいわいだい)高校の入学式だったんだけど)二年生の白砂(しらす)睦美さんとファミレスで恋愛談義をしていた。相談に乗ってほしい、と言われたのは入学式が始まる直前、スマホでやり取りしていたときのことだった。なんでも睦美先輩は明日、サッカー部のエース、岩崎裕史(いわさきゆうじ)さんに告白するつもりらしい。

『岩崎君、去年同じクラスだったの。えっと、実は何日か前にデートして……といっても二人っきりじゃなくて、他にも何人かいたから正確にはデートじゃないけど……。でもでも、いつもよりいい感じに話せたの! あと一個のクレープを二人で分け合ったりとか!』

 といった感じに、ファミレスで落ち合うなり、睦美先輩は勢いよく岩崎さんのことを語り始めた。席につく前から、それはもう嬉(うれ)しそうに。店員さんに「二名様ですか?」と訊かれて「はい! 岩崎君とクレープを!」と妙な返答をしてしまうほどのテンションの高さだった(そのあと赤面していた)。

「あかりちゃんの言う、助っ人って誰のこと?」

 睦美さんがメロンソーダをストローで吸い上げつつ、大きな瞳をこちらに向ける。

「ふっふっふ、実はですね――」

「――西沢(にしざわ)さん」

 そのとき、まるでタイミングでも計ったかのようにあたしが言うところの助っ人が現れた。中学時代、学年主席を誇っていた、黒縁メガネが特徴的なクールな男子。

「睦美先輩、この人です!」

「へ?」「ん?」

 あたしが助っ人を指差すと、二人が同時に首を傾(かし)げ、直後、お互いの顔を見合わせた。そして、「は、はじめまして」「どうも」と二人が頭を下げ合う。

「岡野(おかの)君、この人は白砂睦美さん。中学のとき、部活が一緒で仲良かったの」と言ってあたしは話し相手を瞬時に切り替え、「睦美先輩。この人が噂(うわさ)の助っ人、岡野優(ゆう)君。赤沢(あかざわ)駅の近くに岡野医院ってあるじゃないですか? あそこ岡野君のお父さんがやってるんですよー」と素早く説明を加えた。

「へー」と睦美先輩が目を輝かせる。「なんかもう、見るからに頭よさそう」

「ハイスペックです! ね? 岡野君?」

「……まあ」

 岡野君は頷(うなず)いたあと、「いや、それほどでも」と慌てて謙遜した。

「ところで西沢さん、おれはどういう理由で呼ばれたんだ?」

「助っ人だよ。いや、アドバイザー?」

 あたしがそう言うと、睦美さんがテーブルから身を乗りだし、「(理由も言わずに呼びだしちゃったの?)」と少し不安そうにささやいた。

「(だ、大丈夫ですって。岡野君は天才だから、なんでも答えてくれますって)」

「(そういうことを訊(き)いてるんじゃないんだけど。でも、仲いいんだね、岡野君と)」

「(んー? 普通だと思いますけど?)」

 あたしたちがひそひそやっていると、岡野君が呼びだしボタンを押し、

「ヨーグルトジャーマニーを一つ。あとドリンクバーを」

 と店員さんを呼んで、マイペースに注文していた。


「どんなシチュエーションで告白されると嬉しいか……ですか」

「うん。睦美先輩、告白間近なの。だから男子目線で意見がほしいんだって」

「ごめんね……。変な質問しちゃって」

「なんの問題もありません。むしろ興味深い問いかけです」と岡野君がスマホを素早く操作する。「やはり、その手の疑問となると……」

 何してるんだろう? と思って隣に座る岡野君のスマホを覗(のぞ)き見ると「恋愛科学メモ」という謎の文字列がチラッと目に入った。……なんだろう、今の。

「お答えしましょう」

 岡野君がスマホから目を離し、睦美先輩の顔をじっと見据えた。先輩は「お、お願いします」と緊張した面持ちで岡野君の言葉を待つ。

「場所は教室。放課後、他の生徒が誰も残っていない無人の空間。夕日が差し込んでいるとベストです」

「うんうん。それで?」とあたしは続きを促す。いい感じだなと思いながら。

「おれはそんな静けさに満ちた教室の黒板の前にいます。黒板には数学の証明問題がびっしり。数式で埋め尽くされています。それを見て、相手の女子が『あたしがその証明問題を解いてあげようか?』と言うわけです。おれはすかさず『いや、キミには無理だ。なぜならこの証明問題は二人でなければ解けないから』と返し……さらに」

 ……お、岡野君?

「いや、それより恋愛を物理現象にたとえたほうがドラマチックかもしれません。ローレンツ力、もしくはマクスウェルの方程式などはどうでしょう? 恋愛感情を電磁場の振る舞いに見立てるわけです。ああ、いいな、これは。素晴らしくいいぞ……」

 ……うーん、うーん。

「(ね、ねえあかりちゃん)」

 睦美さんが真顔で話しかけてきた。またしても小声で。

「(できれば、その、もうちょっと普通の人の意見が聞きたいんだけど……)」

「(す、すみません、睦美先輩! あたしの人選ミスかも!)」

「(あ、でもでも? 個性的で面白い人だなーって思うよ。岡野君)」

「(ですよね! 個性ありますよね!)」

 ああ、睦美先輩のフォローが身に染みる。やっぱり優しいなぁ、先輩は。


 一時間後、あたしたちはファミレスをあとにした。

 お店を出て「ありがとう、参考になったよ」と言う睦美先輩の言葉を真に受けた岡野君は「こちらも勉強になりました」と軽く頭を下げ、スマホで何やらメモを取り始めた。

「もう夕方ですね」

「……うん」

 睦美先輩が国道を行き交う人や車を眺めながら不安そうに頷く。今の先輩の気持ちは痛いほどにわかる。あたしも中学のとき、憧れの先輩に告白したことがあるから。でも、きっと睦美先輩の不安はそれだけじゃない。だってあたしたちは……あたしたちが置かれた状況っていうのは――

「――白砂」

 声がした。低く、少しかすれたような、変わった声だった。

「あ、青島(あおしま)君だ。今帰り?」

 睦美先輩がいち早く反応する。知り合いみたいだけど、同じクラスとかかな?

 先輩が青島君と呼んだ人は男子にしては小柄で、下手したら睦美さんよりも背が低いんじゃないかってくらいだったけど、顔立ちは整っていて、かなりカッコよかった。あー、このツンツンした髪型、セットするのにメッチャ時間かかりそー。

「ああ……。部室に寄ってきたんだ」

「部室どうだった? 今日は何人くらい来てた?」

「四人くらいかな。俺含めて」

 話しながら青島さんはあたしたちの存在を気にするような素振りを見せた。

「青島さん、お久しぶりです」とここで岡野君が二人の間に。

「ん……ああ。誰かと思えば岡野じゃないか」

 あれ? 岡野君もこの人と知り合いなの?

 あたしが疑問に思っていると「近所ってほどでもないが、同じ地区に住んでるから顔見知りなんだ」と岡野君が教えてくれた。睦美先輩も二人に接点があることは知らなかったみたいで、「へー」と驚いていた。

 その後、あたしは青島さんに自己紹介した。いつもの癖でペラペラと言わないでいいことまで喋(しゃべ)ってしまった。対する青島さんの自己紹介はすごく短くて、無口な人っぽいなー、と思った。

「そだそだ。青島君はどういうシチュエーションで告白されたい?」

「……な、なんだその質問」

 睦美先輩の突然の問いかけに青島さんは戸惑っているようだった。

 岡野君は平然と答えていたけど、まあこういう反応のほうが普通だよね。

「あはは……いきなりすぎたね。ごめん。えっと、あのね、実は私――」

 睦美先輩が簡単に事情を説明する。さすがに岩崎さんへの想いを長々と語ることはなかったけど、告白の参考にしたい、という点だけはしっかり伝えていた。

 話を聞き、青島さんはしばらく呆(ほう)けていたが――

「……あいにくだけど」と急に口調が刺々(とげとげ)しくなり、「俺には答えられない質問だ。他を当たってくれ」と少し恐い顔をした。

「え、えっと……?」

「他に用がないなら俺は行くから」

 青島さんが歩きだす。

 えー? 何それ? 酷(ひど)くない? というか、先に睦美先輩を呼び止めたの青島さんじゃん。なのにあの態度はなんなのよ?

 あたしは文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、

「き、きっと部室で何か嫌なことがあったんだよ! だって青島君、いつもはもっといい人だもん!」

 と睦美先輩のフォローが入った。本当ですかー? とあたしが訊くと、「去年も今年も同じクラスだけど、あんな青島君見るの初めて」という言葉が返ってきた。

「あー。もしかして青島さん、誰かにフラれたんじゃないですか? だから睦美先輩の質問が気に障ったとか」

「その可能性はありそうだ」と岡野君も同調する。

「……うーん、どうだろう。そんなふうには見えなかったけどなぁ」

 三人で駅に向かって歩きだす。

 道中、睦美先輩は話題を岩崎さんに戻し、明日の告白に向けての心構えや、どこに呼びだすのか、といったようなことを一人で早口にまくし立て、そうやって口にすることで不安を紛らわしているかのようだった。駅で別れるとき、「ありがとう、二人とも。明日は頑張るね!」と空元気っぽかったけど、笑顔は笑顔だった。


 ――四月十一日の放課後。

 あたしは「どうしたんだろう……」とつぶやきながら歴史研究部の部室を目指していた。歩きスマホは危ないけど、ついつい画面を見てしまう。四月八日以降、睦美先輩からのメッセージはなく、逆にあたしの「告白どうでした? 上手くいきました?」「せんぱーい?」「寝てるのかな」「先輩、学校休みました?」「何か……返事くださいよぉ」という一方的なメッセージで画面が埋め尽くされている。一応、全部既読になってはいるけど、未だにリアクションはない。

 睦美先輩が告白に臨んだのは四月九日の放課後のこと。そして、その翌日、翌々日と二日連続で先輩は学校を休んでいた。

 ……ん? あの人はたしか……青島さん?

 部室に続く長い廊下を歩いていると、向かい側からツンツンヘアーの上級生が歩いてきた。あたしは、「青島さん」と声をかけ、小走りで駆け寄った。

「きみはたしか……」

「この間はどうも。睦美先輩の後輩の西沢あかりです。あのー、睦美先輩が学校を休んでいるの……知ってますよね?」

「あ、ああ」と青島さんが焦ったように視線をそらす。

「この前、聞いたと思うんですけど……。睦美さんがサッカー部の岩崎さんに告白すること。えっと、その、でも残念な結果に終わって……だから睦美さん、学校休んでるのかなって……」

「……一昨日(おととい)の放課後、白砂に会ったよ」

「一昨日?」

「たぶん岩崎にフラれた直後だったんだと思う。白砂、泣いてたから」

「そうですか……。あの、ちゃんと慰めてあげました?」

「別に……」

「えー? ちょっと冷たくないですか?」

 ファミレスの前で会ったときも、この人、こんなだったよね。睦美先輩は「いつもはもっといい人だもん!」って言ってたけど、あれは人のいい先輩だからこそのフォローであって、この人の本質はそんなんじゃない気がする。

「そう言われても……俺には関係のない話だし」

「酷い。なんなんですか、それ?」

「白砂とはそんなに仲がいいわけじゃないから。顔見知りではあるけど」

「だからって……そんな冷たい態度」

「人の心配をしている余裕なんて俺にはないんだ。だってそうだろ?」と青島さんが少し強い口調で言う。「この間、白砂と一緒にいたってことはきみもループの関係者なんだろう? そもそも、この先には歴史研究部の部室しかない」

 ――ループの関係者。歴史研究部。

 その二つのキーワードがあたしに現状を思い起こさせる。

「相手を見つけないとここからは出られないんだ。何度も同じ時を繰り返す。不毛な時間をすごすことに……。俺も、きみも、そして白砂も」

 そう――

 あたしたちはそういう状況に置かれている。難しいことはわからないけど、清和台高校の一部の生徒の身に不可思議な現象が起こっているのだ。それはループ。あたしや睦美さん、目の前の青島さん、さらには岡野君もそう。あたしたちは清和台高校の入学式がある四月八日から四月十八日までの十一日間を何度も繰り返しすごしているのだ。

 時のループから抜けだす方法はただ一つ。ループという輪の中にいる同類の人たち、その誰かと恋愛関係を築くこと。恋人を作らないといつまで経ってもここから出ることはできないのだ。そして、あたしが向かっていた歴史研究部の部室は、ループの関係者が集まるコミュニティ。それほど集まりがいいわけではないみたいだけど、まだ二回しかループしていないあたしみたいな新入りにとっては救いの場所。歴史研究部がなければ今でも「わけわかんない……」と一人で泣きわめいていたはずだ。

「でも、青島さん、睦美先輩と同じクラスなんでしょう? 今はループ仲間でもあるわけじゃないですか。だったらそんな冷たいこと言わないで、慰めてあげてくださいよ。……自分には関係ないなんて、そんな悲しいこと言わないでください」

「きみくらい可愛(かわい)ければ人の心配をしている余裕もあるんだろう。けどな、俺にはそんな余裕――微塵(みじん)もないんだよ」

「ちょっと……ホントなんなんです?」とあたしはキレ気味に叫ぶ。「言っとくけど、あたし全然モテませんからね? あと青島さんにはまったく同情できません。ループの中だから? 余裕がない? そんなの……睦美先輩だって同じじゃないですか。むしろフラれたばかりの睦美先輩のほうがよほど深刻です! メッチャ心配!」

「……それは」

「ああ、もう! 話になんない!」

 あたしは青島先輩に背を向け、「さよなら! 睦美先輩のことはあたしがどうにかしますから!」と言って廊下を駆けだした。学校を出るころになって、久しぶりに小学生みたいなキレ方しちゃったなぁ、と我に返ったけど、反省はしなかった。


 睦美先輩とは中学のときからの仲だ。先輩後輩の関係というよりは普通の友達に近い感覚で。だから先輩が中学を卒業し、清和台高校に進学したとき「あたしも来年は……」と同じ進学先を目標に定めた。あたしはかなりのバカだから先生にはランクを落とせと言われたけど、睦美先輩と同じ制服を着るため、塾に通い、成績のいい友だちに頭を下げて勉強を教わり、そうしてどうにか清和台に合格することができた。十数年の人生の中であれだけ勉強したのは生まれて初めてのことだったから、あたしは合格発表の日、みっともなくわんわん泣いてしまった。

 そして――

 同じようにループの中でもあたしは号泣することになった。

 入学早々、時のループに巻き込まれたからだ。これどういう状況なの? なんでまた入学式の日に戻ってるの? わけがわからなくなったあたしは学校の廊下で泣きだしてしまい……。そんなとき騒ぎに気づいたループの関係者、数名があたしに駆け寄ってくれて、その中には睦美先輩の姿もあった。

 ループの中には常時二十名の生徒がいる。一組のカップルが出ていくと、同じタイミングで新たな迷い人がループの中に放り込まれる(二人出ていけば二人、四人なら四人補充される)。そんなふうにして人が循環しているのだ、ここでは。あたしは岡野君と同時期にループの中に。睦美先輩はあたしよりも先にここに。現実でも、ループの中でも、睦美先輩は先輩。先輩な上に先輩ってなんだかおかしいけど……とにかくあたしにとってはかけがえのない先輩であり、大切な友達でもあるのだ、白砂睦美さんという人は。

 ――ピンポーン。

 二度、三度、四度とチャイムを鳴らすが白砂家はしーんと静まり返っており、家の人が出てくる様子はなかった。ご両親が共働きなのは知っている。だとすれば家にいるのは睦美先輩だけということになる。……まあ先輩自身が外に出ている可能性はあるんだけど。

「先輩! あたしです! あかり!」

 チャイムと呼びかけを交互に行い、家の中にいるはずの睦美先輩が出てくるのを辛抱強く待った。

 だけど、どれだけ待っても玄関の扉が開くことはなくて――

 諦めかけたそのとき、あたしの携帯が震えた。もちろん相手は睦美先輩からで。

「もしもし!? 睦美先輩!?」

『……うん』

 小さな声。だけど間違いなくあたしの知っている先輩だった。

『ごめんね、あかりちゃん……。今、家の前に来てるよね?』

「はい! スタンバってます!」

『……このまま電話でいい? 酷い顔してるから……出たくないの』

「それはかまわないですけど……。あの、先輩……」

『私、フラれちゃった』

 軽い口調だけど、深刻なセリフだった。電話の向こう側からため息が聞こえる。

「だから……ショックで寝込んじゃったんですか?」

『もういいの』

「え?」

『私、もう恋なんてしない』

 どこかで聞き覚えのあるフレーズ。たぶんお母さんが以前聴いていた九十年代のJポップだ。でも歌詞の本当の意味は真逆だった気がする。

「先輩、諦めないでくださいよ」

『だって……』

「たった一度フラれただけじゃないですか。まだこの先、チャンスはいくらでも」

『一度じゃないの』と睦美先輩があたしの声を遮った。『……もう三度目なの』

「え? さ、三度目? それって岩崎さん一人に……ってことじゃなくて」

『全員、別の人』

 びっくりだった。ループの中では初めての告白だと思っていたから。

「あの……睦美先輩っていつからループの中にいるんですか?」

 あたしは素朴な疑問を投げかけた。

 たしか前、聞いたときは「何度目だっけ? 四回か五回くらいだと思うけど」と言っていたように思う。だけど今の話を聞いていると……。

『もう何度ループしたのか……数えてない。でも、たぶん半年以上はいると思う』

「そ、そんなに」

『半年以上もいて、三度もフラれて……誰にも相手にされなくて。当然だよね。私って可愛くないもん。身長だけは無駄に高いけど、妙に肩幅あるし、おデブだし、顔も普通以下だし……』

「先輩、自分を悪く言うの止(や)めてください! 身長が高いの、カッコいいじゃないですか! あと全然、太ってないですから! 顔だって普通以下なんてことはないです! もっと自信を持ってくださいよぉ!」

『ふふ、あかりちゃんは優しいね。いつだってそう、こんな私を励ましてくれる』

 でも――

 睦美先輩の声が急に遠のき、低くなった。

『……ごめん。私はもう無理。頑張れない。きっと……きっと私は一生ここから出られないんだ……っ』

 ――プツ。

 電話が切れた。睦美先輩が意図的に切ったのだ。

「先輩……」

 なんて残酷な場所なんだろう、ここは。

 ――私は一生ここから出られないんだ……っ。

 睦美さんの最後の言葉が胸の奥で波紋のように広がる。

 悲しい叫びだ、と思うとともに、他人事(ひとごと)ではない、とも感じる。

 あたしはまだ誰にも告白していないし、誰からも告白されていない。このループの中では。正直、自分だって出ていける気がしないのだ。先なんてまったく見えない。

 でも、ループの中に半年以上もいるという睦美先輩に比べたら、あたしの焦りなんてちっぽけなものだ。三度もフラれたら……そんなの誰だって。

「……睦美先輩」

 再びチャイムを鳴らしてみたが無反応だった。それは携帯も同じで。そのうち近所の人が出てきて、うるさい、と注意されてしまった。

 仕方なくあたしは白砂家を離れた。とぼとぼと来た道を引き返す。しばらく歩くと川が見えてきた。川沿いの散歩コースには桜の木が等間隔で植えられていた。綺麗(きれい)だな、と遠目に眺めながらつぶやく。ループの中ではいつもピンク色の花びらが世界を舞っている。何度見ても飽きることのない光景だ。

「――西沢」

 そのとき聞き覚えのある声が耳に入った。

 遠くに見える川沿いの桜を眺めていたあたしは声につられて正面を向いた。

「青島さん?」

 そこに立っていたのはツンツンヘアーの先輩だった。ここまで走ってきたのだろうか、額に汗を掻(か)いていた。呼吸も乱れている。

「その、さっきは……悪かった」と青島さんが頭を掻きながら言う。「今回のことは全面的に俺が悪い。西沢に対しても……それに白砂に対しても」

「あー、反省してくれたんですね。それは何よりです」

 適当に言葉を返す。正直、あたしはこの人を信用していない。反省しているような素振りを見せているが、果たしてどこまでが本心なのやら。

「白砂の家に行ってきたんだろう? どうだった?」

「もう恋なんてしない、って言ってました」

「……そうか」

 青島さんがあたしの側を横切る。睦美先輩の家に行くつもりなのだろうか?

「さっきはたいして仲なんてよくないって言っていたのに、どういう風の吹き回しですか? もしあたしに言われて、渋々、励ましに行っているのなら……」

「違うんだ」

 青島さんが立ち止まり、真剣な眼差しであたしを見つめる。

「うん? 違う?」

「俺は……その、白砂が……」

 視線を落とし、言葉を濁す青島さん。なんだかはっきりしないなぁ、とイライラしながら次なる言葉を待っていると、

「……俺は、あいつが……白砂のことが好きなんだ」

「え? ……ええええええええ!?」

 嘘じゃん? 全然そんなふうには見えませんでしたけど?

「あの、それってループに巻き込まれる以前からのこと……ですか?」

「ああ」と青島さんが頷く。「俺、昔から人と話すのが苦手で……。でも、白砂とだけは一年のときからよく話していて。女子で仲がいいのはあいつだけだったんだ」

「へー、はー。それでそれで?」

「……急に目つきが変わったな」

「今までの青島さんがクールすぎたからそのギャップでつい」とあたしは笑う。「あ、でも、だったらどうして睦美先輩に冷たかったんですか?」

「それは……」と青島さんが再び視線を足元に。「八つ当たり……だと思う」

「え? 八つ当たり?」

「その……なんていうか、白砂は……俺と同じで、クラスの中では比較的地味な存在だったんだ。恋愛とは無縁そうな女子で、友達とは趣味の話ばかりしてて……」

 急に話が飛んだような気がしたけど、あたしは黙って青島さんの話に耳を傾けた。

「だけど白砂は……ループの中で、自分を変えようとした。変わろうとした。積極的に部室に足を運んで男子に自分をアピールしたり、時にはデートに誘って。一方の俺は……ループの中で恋愛に励む白砂を遠巻きに眺めているだけ。何もしなかったんだ。しかも、白砂がフラれるたびに安堵(あんど)する自分がいてさ……。最低だろ?」

「かもですが……。その気持ち、わからなくもないです」

「そうか」と青島さんが目を閉じる。「ありがとう」

「え? なんであたしに、ありがとう、なんです?」

「西沢のおかげで大切なことに気づけたからだよ。きみに怒鳴られなければきっと今でもうじうじ悩んでいたと思う」

 青島さんは改めてあたしに頭を下げると、

「……俺が励まさなきゃ誰が励ますんだって話だよな」

 と言って、そのまま睦美先輩の家に駆けていった。

 桜の花びらが、ひらひら、と青島さんの進む道に舞い落ちる。

 うわー、うわー、何あれ。青島さん、カッコよすぎない? 冷たい人だとばかり思い込んでいたけど、全然そんなことなかったし。むしろ熱い人だった。

 ……いいなー。あたしもあんなふうに誰かに想われたいなぁ。

「ん?」

 そのとき人の気配を感じた。今度は誰だぁ? と思って身体(からだ)ごと振り返ると、

「そこで何してるの? 探偵ごっこ?」

 電柱の陰に岡野君の姿が。

「……いや、まあ」

 岡野君はミネラルウォーターの入ったペットボトルのキャップを開け、ごくごく、と一気に三分の二ほど飲み干した。

「飲むねー。そんなに喉乾いてたの?」

「……まあ」

 またしても、まあ、である。

「それで? どうして岡野君がここに?」

「ああ、実は――」

 話は簡単だった。要約すると、青島さんの背中を押したのは岡野君ってこと。あたしが去ったあと、偶然、青島さんの姿を見かけ、様子がおかしかったから話しかけたらしい。

「おれは何もしていない。ただ話を聞いただけだから。あの人の心を動かしたのは西沢さんだ」

「いやいやー。きっと岡野君の沈黙の圧力が効いたんだよー」

「無言の圧力?」

「あ、それそれ」

 また変な日本語を使ってしまった。たまにやっちゃうんだよなー。近所に住む幼馴染(おさななじみ)に「お前、よくそんなんで清和台に受かったな?」と嫌味を言われるほどだから相当なのだと思う。

「じゃ、帰ろっか」

「そうしよう」

 隣に並ぶと、岡野君がゆっくりと歩きだした。歩くテンポを合わせてくれているのがわかる。

「桜、綺麗だねー」

 せっかくなので川沿いの道を歩いて帰ることにした。少し遠回りになるけど、今は気分がいいし、のんびりと歩きたい。

「上手くいくといいんだが」

「ん? 睦美先輩たちのこと?」

「ああ」

 一度、喋りだすと止まらなくなる岡野君だけど普段はこの通り。口数が少ない。

「大丈夫。きっと青島さんが睦美先輩の心をつかまえてくれるって」

「心を……か」

 岡野君が桜を見上げながらつぶやいた。相変わらず無表情で。

「あたしたちも、いつかここを出ていくことになるのかなー?」

「だと思う」

 そう言って岡野君が再びペットボトルを口元で傾ける。

「ねえ、岡野君は? 誰かに告白する予定とかないの?」

「――ぶーっ!?」

 噴水みたいに岡野君が水を上空に向かって噴きだした。

 えー。どうしちゃったの急に? ただなんとなく訊いてみただけなんだけどー。

「だいじょーぶ?」

「……まあ」

 ポケットからハンカチを取りだし、顔やネガネにかかった水を拭き取る岡野君。

 風邪でも引かなきゃいいんだけど。あ、でも、ループしちゃえば治るのか。

「いつか」

「うん?」

「西沢さんには、いつか話すかもしれない」

「えっと……なんの話?」

「なんでもない」と岡野君が歩調を速め、あたしの前に出る。「単なる独り言だ」

「えー? 何それ。超気になるんだけどー」

 あたしは逆光の中、前に進んでいく岡野君の眩(まぶ)しい背中を追いかける。

 ――このときはまだ何も知らなかった。

 自分が誰とここを出ていくことになるのか。

 そして、今現在、誰に想われているのか……。

 季節は春。

 桜舞う世界の中で、あたしたち時の迷い人は、誰かと出会い、別れ、そしてまた出会う。

 驚きと、悲しみと、涙と――

 でも最後には喜びを。

 きっと誰もがそう願っている。

                                  〈了〉