「で、何があったのさ」

「……」

 朝っぱらから校門の前で千尋(ちひろ)に問い詰められた私は、昨日起きた出来事を嫌々説明した。


 それは昨日の放課後のことだ。

 帰りのホームルームが終わって、私は春一(はるいち)くんと一緒に昇降口まで歩いていた。

 3階にある教室から1階の昇降口まで他愛もない話をしながらのんびりと歩いていたのに、春一くんが急に“ある提案”をしてきたことで、私たちの間に穏やかではない空気が流れ始めた。

「いいだろ別に」

「よくない。全然」

「なんでだよ。普通のことだろ」

「私には普通のことじゃないよ。とにかく学校では無理」

「じゃあどこならいいんだよ」

「学校の外。知ってる人がいないところ」

「…………なんだよそれ」

 ついさっきまで勢いよく反論していた春一くんだったけど、長い沈黙の後に返ってきた言葉には覇気がなく、ついにはその場で立ち止まってしまった。

 言い過ぎただろうかと不安になったけど、それでもやっぱり私には無理だ。

 学校で、自分が相手を知っていて相手が自分を知っている人間が大勢いる場所で、そんなことは出来ない。

「……そんなに嫌か」

 そんな、あからさまに悲しそうな顔をしなくても……。

 捨て犬のような眼差しで見下ろされても、困る。

「嫌っていうか……」

「うん」

「嫌なわけじゃないけど……」

 そう。嫌なわけじゃない。嫌なはずがない。

 こんなこと本人には絶対に言えないけど、私だって、春一くんと同じ気持ち。

 ただ、人前でそういう気持ちを表現したり、体現することに慣れていないから、春一くんのように人目を気にせずに堂々とはできない。

「…………恥ずかしいから」

 そういう自分を見られることも、そういう自分自身も恥ずかしい。

 だから決して嫌なのではないということを春一くんにわかってほしくて、そう伝えたのに。彼は何を思ったのか、私の今の言葉を完全に無視して、まだ生徒たちが大勢いる昇降口の前で私を抱きしめた。

「ちょっ! 春一くんっ」

 私は春一くんを突き飛ばす勢いで彼の胸に両手を押し付けたけど、彼の体はびくともしせず、むしろさっきよりも強く抱きしめられてしまった。

 周りからは冷やかすような男子生徒の声や女子生徒の小さな叫び声が聞こえてくる。

 春一くんの胸の中でひたすらあたふたする私をよそに、春一くんは黙ったまま私の背中に添える手に力を込める。

「……彩楓(さやか)」

「…………なに」

 そしてやっと声を出したかと思えば、呆れるような言葉が返ってきた。

「可愛い」

「…………」

 優しい声で何を囁くのかと思ったら、呆れるほどの甘い言葉だった。

 本当に、呆れてしまう。この天然王子には、いつもいつも。いつもいつも……。

 でも、もう少しこのままにしてもらえると都合が良い。

 顔の熱が引くまで隠してもらわないと、それこそ明日から私が登校拒否になってしまうだろうから。

 私は顔の熱が引くまで、春一くんの制服の袖をぎゅっと握っていた――


 昨日起きた出来事を千尋に説明し終えると、千尋はちょっと下品な笑みをわざとらしく携えて私の肩を肘で突いてきた。

「なーるほどね。だからみんな俺たちっていうか彩楓見てコソコソ笑ってんのね。これで納得したわ」

 いつものように校門の前で春一くんを待っている私を見てコソコソ笑って見ていく生徒たちを目ざとく目撃した千尋に、どういうことなのかを問い詰められた私は、嫌々昨日のことを説明することとなった。

「本っ当、目立つの好きだなー王子は。あーいや違うか。王子は彩楓が好きなのか。アホみたいに」

「……その言い方」

「まぁまぁ本当のことだし。で?」

「うん?」

「そもそもなんでそんなことになったわけ?」

「あー……それは」

「それは?」

 春一くんが急に私にしてきた“ある提案”。

 それは……。

「……手」

「手?」

「手、繋いで帰りたいって言うから……」

 恋人なら普通だと言う春一くんと、そんなこと人前で恥ずかしくて出来ないという私の攻防戦が全ての始まりだった。

「……いや、ごめん。あのさ」

「うん?」

 事の始まりを聞いた千尋の顔からはさっきまでの下品な笑みが消えていた。そして今度は真顔になったかと思えば、呆れたような声でこう言った。

「一言だけいい?」

「え、うん」

「お前ら、ラブラブかっ!」

「………はぁっ!?」

 何を言うかと思ったら、なにそれ。

 ちっとも面白くなさそうな千尋の表情と突っ込みが理解できなくて、私の口からは久しぶりに大きな声が出た。

 ラブラブなわけ、な……くもない。の、かな?