十月最後の週。開店準備で珈琲エメラルドの客席に入った小野寺美久は店内を見て頬を緩めた。

 束ねたハーブに、火をつけると魔女やコウモリの影が躍るガラスのロウソク入れ。カウンターに小さな飾りカボチャが積まれ、窓辺のカーテンの陰には黒猫のシルエットがちらりと覗く。古い調度品の多いエメラルドの店内にはまるでかくれんぼするかのようにハロウィンアイテムがちりばめられている。

 ハロウィンまであと数日。十月から毎日飾り付けを足してきたおかげで店内は今が最も賑やかだ。ちょっと怪しくて可愛らしい、期間限定の内装だ。

「おはようございます、小野寺さん」

 裏口の開く音がして店長の上倉真紘が客席に顔を覗かせた。

 今日も清潔感のある糊のきいたシャツに黒のパンツを穿いている。真紘は百八十センチほどの長身だが、威圧感はなく、大きな木を連想させる。

「おはようございます」

 美久は挨拶してから真紘の後ろから入ってきた制服の高校生に気づいた。

 柔らかな黒髪にすらりとした伸びやかな手足。顔立ちははっとするほど整っていて王子様という言葉がよく似合う。しかし華奢な眼鏡の奥の目は理知的で鋭く、一筋縄ではいかない性格を窺わせる。

 上倉悠貴。慧星学園に通う高校二年生だ。この喫茶店のオーナーであり、そして、まことしやかに語られる凄腕の探偵――エメラルドの探偵でもある。

「おはよう悠貴君、学校の前にお店に来るなんて珍しいね」

 美久が声をかけると、悠貴は肩を竦めた。

「お前もな。開店までずいぶん時間があるぞ」

 時刻は朝の八時を過ぎたばかりだ。平日の営業は十一時からなので、開店準備をするにも時間はたっぷりある。

「新メニューの準備をしにきたの。昨日、真紘さんがバックヤードからカフェボードを出してくれたから、絵を描いて表に飾ろうと思って」

「ああ、昔使ってたやつか」

 悠貴が思い出した様子で呟くと真紘がにこりとした。

「先月たまたま使ったら、見やすいってお客さんの評判が良かったんだ」

「そうなのか」

 並んで話す悠貴と真紘の姿に美久は目を奪われた。こうして見ると、悠貴の背が伸びたのがよくわかる。以前は真紘とずいぶん身長差があったのに今は五センチと違わない。

 改めて気づく変化に少し落ち着かない気持ちになった。

 高校生だから身長が伸びるのは普通だし、いいことだ。けれど毎日のように顔を合わせている悠貴が変わっていくことに戸惑う自分がいる。

 なんでだろう……?

 自分にもわからない気持ちの所在に美久は首を傾げた。

「これがメニュー表に挟む新商品の情報だよ。いくつかは定番メニューに加えようと思うから、しっかりお客さんの声を聞いていこう」

 真紘が新しいメニュー表を差し出した。美久は受け取って感嘆の声を上げた。

「真紘さんが作ったんですか? きれいですね」

 A四サイズのフィルム加工されたメニューにはスイーツの写真を中心に価格と簡単な説明がついている。字は大きく見やすいフォントで配色も工夫が凝らされていて、とてもきれいだ。

 そのトップに『レモンフェア』と書かれているのを見て、美久は息を呑んだ。

 脳裏にある青年の姿が浮かぶ。

 レモンフェアができるのはその青年のおかげだ。ほんの少し前までエメラルドで働いていた、天使のような男の子。

 ダニエルと名乗ったイギリスからの留学生が巻き起こした騒々しく楽しい日々と驚くべき事件は忘れようにも忘れられるものではない。

「ちょうどいい、お前に話しておくことがある」

 ふと悠貴が言った。

 美久が顔を上げると、悠貴はその名を口にした。

「ウィリアム・グッドフェローについてわかったことがある」

「えっ」

 心臓が小さく跳ねた。

 ウィリアム・グッドフェロー――ダニエルと名乗った青年の本当の名前だ。

「あいつが身分詐称した件を生徒会に上げた。城崎先輩がすぐに確認に動いて、昨晩姉妹校から正式な回答があった。結論から言うと、姉妹校はこの事実を把握していた。向こうはダニエルの正体を知っていたんだ」

「ダニエル君の入れ替わりを学校が許可してたってこと?」

 美久がびっくりして訊くと、悠貴は頭を振った。

「向こうの学校が許可したのは、怪我で留学をキャンセルしたダニエル・キャンティの枠をグッドフェローにまわすことだ。グッドフェローが必要書類を慧星学園に提出しなかったせいで慧星は変更を知らずに手続きを進めた、というのが真相だな」

「じゃあ手違いだったんだ」

「馬鹿言うな、グッドフェローは〈ダニエル〉と名乗っていただろ。あいつは初めから他人の身分を利用するつもりで意図的に書類を出さなかったんだ。本人もそのことを認め、ロンドンの学校にそう報告している」

「えっ、自分で報告したの?」

 またも驚かされ、美久は困惑した。

 手違いだ、うっかりしたと報告するならまだしも、他人の身分を騙るために意図的に書類を出さなかったと告白するなんてあまりに心証が悪い。素直に打ち明ければ罰が軽くなると考えたのだろうか。

「今頃大問題になってるんだろうね……」

 一月近くも他人の名前を勝手に使って生活していたのだ。未成年のしたこととはいえ、冗談では済まされない。

 美久はそう思ったが、悠貴は神妙な顔つきで呟いた。

「処罰はない。事情が事情だけにな」

「事情?」

「今スマートフォンを持ってるか? ウィリアム・グッドフェローをネットで検索してみろ。スペルは――」

 美久はスマートフォンをポケットから出して、スペルを聞きながら入力した。まもなく表示された検索結果に美久は愕然とした。

「なにこれ……ど、どういうこと!?」

 画面には、ほんの二日前まで共に働いていた青年の写真が映し出されていた。

 それも一枚や二枚ではない。爽やかな笑みを浮かべたもの、シックなスーツに身を包み挑むようにこちらを睨むもの、中世のような鎧を着て剣を構えたもの――雰囲気や時代の違う服装をした画像が無数に表示されている。

 その顔立ちは間違いなくあの青年だが、髪は短く、前髪を手櫛で流しオールバックにした写真が圧倒的に多かった。天真爛漫な笑顔とは無縁の凜々しい顔立ちだ。日本にいた時とまったく雰囲気が違う。

「ウィリアム・グッドフェロー。イギリスの若手俳優だ」

 美久は唖然として悠貴を見つめた。にわかに信じられず言葉が出ない。

「グッドフェローは舞台を中心に活動し、去年BBCの有名ドラマでブレイクしたそうだ。日本でも特集が組まれて人気が出始めているらしい。イギリスの雑誌のネット版をいくつか読んだが、どこへ行ってもファンやパパラッチがついてくるほどの人気ぶりだそうだ」

 言われてみれば、表示された写真はスタジオで撮影したような単色背景や映画のワンシーンらしきものばかりだ。

 美久はスマートフォンに目を戻した。

「だから……ダニエル君の名前で留学したの?」

「そうみたいだね。留学を知られると一般生活が送れないという言い分かな」

 真紘が答えた。その答えで真紘も悠貴から事情を聞いていたとわかる。

 悠貴は頷いた。

「しかもウィリアム・グッドフェローの父親は外交官で、過去に駐日英国大使を務めた大物だ。身分詐称については、留学前にダニエル・キャンティに事情を説明して名義を借り、同時期に慧星学園に留学する生徒たちにも協力を仰いでいた。だから日本にいる間、ウィリアムが違う名前で生活しても誰も騒がなかったんだ」

 人気若手俳優で、父親は元大使。留学生たちは青年が何者か知っていたからこそ、守るつもりで口をつぐんでいたということか。

 話が大きすぎて何に驚いていいのかわからない。

 美久はこめかみをさすりながら話をまとめた。

「ええっと……つまり、今回のことが公になると大騒ぎになっちゃうから、ダニ……ウィリアム君の処分はなし、ということ?」

「そういうことだ。本物のダニエルは承諾しているし、慧星側も問題にするつもりはない。せいぜい、父親とイギリスの教師連中から怒られて終わりだな」

 あれだけのことをしてお咎めなしとは恐れ入る。

 とにかく、と悠貴が声を低くした。

「どこから情報が漏れるかわからない。うちの店もとばっちりで取材が来る可能性があるから『話せない』で通せ。話が聞きたいならグッドフェローかイギリスの学校に問い合わせさせろ。いいな」

「う、うん」

 美久が気を引き締めて頷くと、真紘は朗らかに言った。

「いろんな意味でしばらく悩まされそうだね。うちに来た時から問題児だなと思ったけど、さすがダニエルだね」

「褒めるところじゃないだろ」

 すかさず悠貴が言ったが、真紘は鷹揚に笑った。

「そうは言うけど、ダニエル効果は絶大だったんだよ。来月は売上が落ちそうで心配だなあ。いっそイギリスから戻って来てくれると助かるんだけど」

「恐ろしいことを言うな!」

「そうかな? 俺は本人の口からいろいろ聞きたいよ」

 おっとりとしていながら真紘は物事の核心を突く。

 なぜ他人の身分を借りてまで日本に来たのか。何が狙いだったのか――この疑問に答えられるのはあの青年しかいない。

 難しい顔になる悠貴に真紘はにっこりした。

「悠貴が接客に立ってくれたら売上は変わらないと思うんだけど、どうかな? しばらく客席に出てみない?」

 緊張感のない兄に悠貴は溜息まじりに答えた。

「却下だ。それに、いずれまた会うことになる」

 ――初めまして、僕はウィリアム・グッドフェロー。

 空港で別れる時、天使のような容姿の青年は微笑み、こう言葉を続けた。

 ――君のライバルだよ。

 悠貴に向けられた、謎の留学生からの宣言。

「次会う時は何か仕掛けてくるはずだ。二人とも油断するなよ」

 悠貴の言葉に美久と真紘は頷いた。

 どんな意味があるにせよ、あの青年は必ずまた現れる。

 彼は悠貴に会いに来たのだから。




 最後の客が通りの角に消えるのを見届けて、美久は看板の明かりを落とした。

 午後七時になるとあたりは真っ暗だ。冷たい夜風に身を縮めて珈琲エメラルドの扉をくぐると、暖かな空気にほっとする。

「外、ずいぶん寒くなってきたね」

 テーブル席の食器を片付けていた真紘が美久に微笑んだ。

「本当ですね、そろそろ厚手の上着がほしいです」

 美久は『閉店』の札を扉にかけて、鍵をしめた。真紘を手伝って客席の食器を厨房のシンクへ運ぶ。

 美久が食器を洗い、真紘が布巾で拭いた皿を戸棚に戻していく。長く働いているとあうんの呼吸で作業が進む。食器を洗い終わったところで美久はタオルで手を拭きながら真紘に言った。

「客席の清掃始めますね」

「はい、よろしくお願いします」

 真紘の声を背中に美久は客席へ戻った。

 無人の店内は、暖色の柔らかな照明に照らされていた。ぬくもりのある内装に飾られたカボチャのランタンや魔女や黒猫のウォールステッカーに顔が綻ぶ。

 明後日はいよいよハロウィンだ。

 ちょっと不気味で可愛らしいハロウィンの装飾のせいか、見慣れたアンティークの調度品も少し怪しげに目に映った。窓辺に飾られたブリキのかかしの人形、古い革表紙の本。棚ではマグカップ大、ペットボトル大、雑誌大、等身大と並んだマトリョーシカが意味深な笑みを浮かべている。

 もうすぐ見納めだなあ、と名残惜しく思いながら棚の前を横切った時、マトリョーシカが不平を鳴らした。

「ちょっと、無視ってどういうこと?」

「わああっ!?」

 マトリョーシカがしゃべった――!

 美久が叫びそうになった瞬間、冷ややかな声がさらに言った。

「はいはい、マトリョーシカはしゃべらないから。二回目なんだからもっとマシなリアクションしなさいよ」

 的確なダメ出しをするその顔に目が釘付けになった。

 フェミニンなカジュアルスーツに、緩く巻いた髪。マトリョーシカとそっくりの斜めに流した前髪とつぶらな瞳には見覚えがありすぎる。

 美久は驚いてその顔を見つめた。

「翠子ちゃん!」

 大原翠子。彼女がエメラルドにやってきたのは雨に煙る新緑の五月のことだ。二度目は悠貴の学校で起きた怪談事件を調べていた時。その際、翠子の連絡先をもらったのだが、何度連絡しても返事が来ることはなかった。もう会えないかもしれないと諦めかけていた矢先の翠子の訪問に美久は笑顔になった。

 しかし、ふと疑問が過ぎる。

「あれ? さっき入り口に鍵をかけたような……」

「鍵なんて私には無意味よ」

 翠子が猫のように目を細くするのを見て、美久ははっとした。

 そ、そうだった、翠子ちゃんってこういう人だった……!

 子どもの頃に見た不思議な光景の謎を解いてほしい――初めて来店した時、翠子は神妙な面持ちでそう語った。だがその正体は空き巣泥棒で、店員の美久と出くわしたがために依頼人を装ってその場を切り抜けようとしたのだ。

 心根は優しく、おとぎ話や可愛いものが大好きな翠子だが、腹黒く狡猾でもある。そもそも『大原翠子』というのは偽名で、本名すら定かではない。

「ねえ、あいついるでしょ。呼んできて」

 唐突に言われ、美久は目を瞬いた。

「あいつって……あっ、悠貴君?」

「そうよ、さっさと連れてきて」

 今はそれ以上話すことはない、と言うように翠子はカウンターに腰を下ろした。

 そこへ厨房から真紘が顔を覗かせた。客のいない店内から話し声がして不審に思ったのだろう。真紘は翠子に気づくと目を丸くして、次に微笑んだ。

「いらっしゃいませ。また入られちゃったみたいだね」

 うちの防犯はまだまだかあ、と朗らかに言って真紘は言葉を続けた。

「大原さんは紅茶が好きだったね。申し訳ないけど、今店を閉めたところで出せるものが少ないんだ。レモンティーで構わないかな」

 不法侵入を咎めるどころかお茶を出すところが真紘らしい。

 翠子は少し驚いたようだが、遠慮する性分ではなかった。

「あったかいので」

 しっかりつけ加えられた注文に真紘は「かしこまりました」と微笑んだ。それから視線を美久に向けた。

「悠貴を呼んでくれるかな。もう家に帰っている時間だから」

「はい」

 美久はカウンターをくぐって裏口に向かった。

 今日の店じまいは少し遅くなりそうだ。


 数分後。二階の自宅から悠貴が下りてきた。悠貴は席に着こうとせず、翠子のいるカウンター席から少し離れたところで腕組みした。

「わざわざ不法侵入して何の用だ」

 平板な調子の声に翠子は髪の先を指でいじりながら答えた。

「ただ店に来たって私のことまともに相手しないでしょ? だからお邪魔させてもらったの。人のいない時の方がそっちも話しやすいだろうし」

 外面の良い悠貴は第三者のいるところでは本性を隠す。暗にそう指摘しながら翠子はそれ以上憎まれ口を叩くことはなかった。

「お願いがあるの」

 神妙な顔で呟いて、カウンターテーブルに小さな紙を滑らせた。

 手のひらサイズの紙にはおとぎ話に出てくるような城と、いかにもアメリカのカートゥーンらしい弾ける笑顔のウサギがプリントされていた。

 世界一有名なキャラクター、ウェルシュ・ラビットを見て美久はぴんと来た。

「これ、ドリームキングダムのチケットだよね?」

 トレジャースタジオというアメリカの映画会社が興した一大アミューズメントパークだ。ホテルやショッピングモールが併設された国内有数のレジャー施設で、美久も数回行ったことがある。問題はなぜ翠子がこのチケットを差し出したかだ。

 美久は翠子を見た。

「お願いっていうことは、ドリームキングダムで何かあったの?」

「そうよ。知らない?」

 翠子は美久たちの顔を順に見た。口ぶりからして大きな事件でもあったようだ。

 そんな事件あったかな?

 美久が考えていると真紘が口を開いた。

「ドリームキングダムの事件といえば、強盗くらいかな」

「えっ、ドリームキングダムに強盗ですか?」

 びっくりして美久が聞き返すと、真紘は鷹揚に答えた。

「ずっと昔にね。二人組の強盗が閉園間際にドリームキングダムの宝飾店に押し入って、店員に怪我をさせたんだ。ゲートを出る前に逮捕されたけど。結構ニュースになったから、小野寺さんも覚えていないかな」

「そういえば子どもの頃にそんなニュースを見たような……」

 うっすらと記憶に残るイメージを辿りながら呟くと、真紘が微笑んだ。

「もう十年くらい前の事件だから最近とは言えないね。他にドリームキングダムであったことといえば……事件というほどじゃないけど、オバケ騒動かな」

「オバケですか?」

「うん。一ヶ月くらい前から、あるアトラクションでだけ体調不良を訴える来場者が急増してるらしいんだ。それもホラーハウスや絶叫系の乗り物じゃなくて、のんびりしたアトラクションでね」

 話を聞きながら、美久は感じ入った。

 真紘さん、何でも知ってるなあ。

 喫茶店に来る客は年齢も趣味も様々だ。そうした一人ひとりを飽きさせない会話をするには幅広い知識がいる。時事から噂話まで真紘はよく押さえている。

「アトラクションの名前は確か――」

「メルヘンビレッジよ」

 真紘の言葉を翠子が引き取った。

「アニメキャラのかわいい家があるアトラクションで、おとぎ話の中にいるみたいな感覚になるの。小さい子も安心して遊べる場所だよ。でも最近、そこに入ると子どもが急に泣き出したり、具合が悪くなる人が続出してるの。人が立てないところに誰かいたとか、何かに足首を掴まれただの、気持ち悪い噂ばっかり」

「じゃあ翠子ちゃんのお願いっていうのはその事件?」

 美久が訊くと、翠子は頷いた。

「私、ドリームキングダムが大好きで子どもの頃から何度も行ってるの。メルヘンビレッジがおかしくなったのは今月の初め、ちょうどハロウィン期間が始まった頃だよ。じつは同じ時期にもうひとつ事件があったの」

 言いながらバッグからスマートフォンを取って操作し、美久に差し出した。画面には動画の再生ボタンが表示されている。

 美久はスマートフォンを受け取ると、悠貴の隣に移動して動画を再生した。

 映像はパソコンのモニターを撮ったもので、ドリームキングダムの公式サイトが映っていた。ポップな色合いのサイトで、イベント情報やアトラクションの紹介ページなどのアイコンが並んでいる。見やすくて可愛らしいデザインだ。

 と、一瞬、画面が真っ暗になった。

 不規則な暗転が続いたかと思うと、ピシッ、と音を立ててサイトに亀裂が走り、放射線状にひび割れた。その形は蜘蛛の巣そのものだ。そこに画面上方から落ちてきたカボチャのランタンが引っかかる。顔の彫られたオレンジ色のカボチャは苦しそうにもがいていたが、やがて力尽きて動かなくなった。

 そして、奇妙な文章が浮き上がった。

『悪魔を騙したジャックランタンは地獄に落ちない。

 だが、裁かれずにすむと誰が言った?

 もうすぐ時間切れ。ハロウィンで罪が暴かれる。

 十月三十一日、パーティーが始まる。

                  ――SAIDER』

 動かなくなったカボチャのランタンのまわりをコウモリが「キキキキッ」と嘲り笑うように鳴いて飛び回った。

 蜘蛛の巣に磔にされたジャックランタンと脅しめいた文章は見ていて気持ちの良いものではない。

 翠子が呟いた。

「サイトはそれ以上操作できなかった。次の日はアクセス自体できなかったけど、こっちは運営会社の処置ね。運営会社の公式サイトで『ドリームキングダムのサイトが不正アクセスされたので一時的に閉鎖します』って発表があったから。今はドリームキングダムのサイトをふつうに見られるよ。けどその文章、犯行予告に見えない?」

「……そうだね」

 ハロウィンで罪が暴かれる。

 まるで十月三十一日に誰かの罪が明らかになり、騒ぎが起こる、と言わんばかりの文言だ。

 美久はスマートフォンから顔を上げて翠子を見た。

「SAIDER……スパイダーって読むのかな?」

「ネットじゃその呼び方で定着してるよ」

「『罪』とか『裁かれる』ことについては、どんなことが言われてるの?」

 翠子は唇を尖らせた。

「ドリームキングダムが暴利をむさぼってるとか社員が不正してるとか、いろんな噂が立ってるわよ。メルヘンビレッジのオバケ騒動にしても〈スパイダー〉の仕業じゃないかってね。無責任な連中がハロウィンに事件が起こることを期待して毎日バカみたいな書き込みして……! ドリームキングダムは人を幸せにする夢の国だよ、それなのに呪いやオバケなんてばっかみたい。そんなのがデジタルツールを使いこなして公式サイトを乗っ取るわけないじゃない。ドリームキングダムは嫌がらせを受けた被害者だよ!」

 言い募るその顔はとても悔しそうだった。

 翠子は一呼吸置くと、真剣な眼差しを悠貴に向けた。

「今日は十月二十九日、ハロウィンまであと二日しかない。何も起こらないならいいよ。だけどもし大きな事件になるようなことがあったら…………私は、ドリームキングダムを守りたい。力を貸して」

「断る」

 間髪入れずに悠貴が答えた。

 にべもなく放たれた言葉に翠子は気色ばんだ。

「どうして!」

「オバケ騒動も公式サイトの乗っ取りもそれだけ大きな問題ならドリームキングダムがすでに調査したはずだ。個人の出る幕じゃない」

「調査しても何も出なかったの、だから変な噂が立ってて困ってるんじゃない!」

「騒がれているだけで物理的な被害はないだろ。そもそも調査しろと言うが、何をどう調べる? ドリームキングダムからすればお前は部外者だ。部外者が誰かに調査を頼むこと自体筋違いだ。それに」

 悠貴は言葉を切ると、鋭い目を翠子に向けた。

「なぜ嘘を吐く?」

 びくっと翠子の肩が震えた。

「嘘なんか……!」

 噛みつくように言い返したが、悠貴は追及の手を緩めなかった。

「俺はお前の素性を知っている。お前からすれば弱みを握られている状態だろう。避けることはあっても率先して関わりたいと思わないはずだ。事実、今までそうしていた。それがわざわざ店に足を運んで依頼を持ちかけ、その内容が『大好きな遊園地の評判を守りたい』? こんなふざけた話があるか」

「私にとってはそれだけのことをする価値があるの!」

「ドリームキングダムは国内有数のアミューズメントパークだ。一時的に来場者数が減ったところで簡単に潰れない。放っておけば噂も風化する。計算高いお前がそんな勘定もできないとでも?」

 ぐっ、と翠子が言葉に詰まった。

 悠貴の言う通りだ。翠子は悠貴に苦手意識を持っている。以前の事件協力も強制されてのことで、それ以降一度としてエメラルドに姿を見せていなかった。そんな翠子がひょっこり現れて依頼があると言うこと自体不自然なのだ。

「そもそも俺はああいうチャラチャラしたところが嫌いだ。他を当たるんだな」

 悠貴がそう結ぶと、翠子はキッと悠貴を睨みつけた。

 もういい、あんたに頼んだ私がばかだった。そんな捨て台詞が今にも飛び出しそうな顔をしている。しかし、その言葉が放たれることはなかった。

 翠子は椅子から立ち上がり、深々と悠貴に頭を下げた。

「お願いします。力を貸してください」

 ここまでするとは誰も予想だにしていなかった。美久は翠子の行動に驚いた。そして、見てしまった。

 翠子が頭を下げる直前、その瞳が泣きそうに揺れたのを。