探し物探偵事務所のリビングでは、百代灯衣と亀吉が二人きりで留守番をしていた。今夜のクリスマスパーティー用の飾り付けも任されているのだが、動いているのは亀吉だけ。忙しなく動くスキンヘッドの巨体を、灯衣はソファにふんぞり返りながら顰めっ面で眺めていた。亀吉に何度「一緒に準備しましょう」と言われても頑として首を縦に振らなかった。意固地になった灯衣は梃子でも動かせない。

 不機嫌の理由はもちろん里親である日暮旅人と、通っている保育園の先生・山川陽子が二人きりでお出掛けしていることにある。正午過ぎまで──つまり、つい先ほどまで保育園で働いていた陽子が、今頃は滅多にしないおめかしをして旅人と腕を組んで歩いているのだ、そのように想像すると自然と頰も膨らんだ。

 大人の男女がお出掛けすることをデートと呼ぶ。しかも、クリスマスデート。いくら園児でもそのシチュエーションが意味するところの重大さには気づいている。こちとら女、色恋沙汰には敏感なのだった。

 旅人は普段どおりで変わりなかったのだが、陽子は平静を装っているものの朝からずっとそわそわしていた。見ているこちらが恥ずかしくなるくらいの浮かれっぷりだった。その姿が灯衣には面白くなかった。パパを取られてしまうようで、陽子に嫉妬した。

 いや、違う。語彙が少ないために形容し難いだけで、本質は異なる。

 別に陽子が憎いわけではないのだ。旅人もまた陽子を特別視しているのを灯衣は知っており、そのことを心底嫌とは思っていない。むしろ応援したい気持ちもあった。本当の親子でないのだから旅人の人生にまで迷惑は掛けられない。灯衣のことなど気にせずにお互い好き合っているのなら結婚でも何でもすればよいのだ、理性的にはそう思う。

 けれど、灯衣は反発してしまう。陽子が事務所に来るようになり、それを受け入れてしまってからもずっと、得も言われぬ恐怖が灯衣の心に巣食っていた。もしも旅人と陽子が結婚し、赤ちゃんが産まれ、そうやって家族が出来たとき、はたして自分に居場所はあるのだろうか、と。旅人を取られることが怖いんじゃない。自分の方が異分子なのだと気づかされることに本能的な恐怖を覚えるのだ。

 今の日常はそう遠くない未来に瓦解するだろう。そこから先を想像することが幼い灯衣には限界があった。想像の及ばない世界はただただ不安で、崖から突き落とされるみたいで足が竦む。この世の終わりにも等しかった。

 陽子を旅人から遠ざけようとするのは自己防衛の一環だった。嫉妬では生温い、生存本能に則した防衛手段なのである。もちろん今の灯衣にそんな感情まで自覚できるはずもなく、理性とせめぎ合う心はふて腐れるという行動様式に落ち着く他なかったのである。

「パーティーが楽しみっすねえ、テイちゃん」

 しかし、空気をまったく読まない亀吉の前ではおちおち拗ねてもいられない。口元をへの字に曲げたまま横目で睨みつけるも、亀吉は何を察するでもなく阿呆みたく笑っている。

「はいこれ」

 灯衣の眼前に黒いビニール袋が突き出された。今日のために作ったクリスマス飾りが入った袋だ。リビングの壁や天井の飾り付けは亀吉が一人で終わらせた、残るはツリーの飾り付けのみで、これまでずっとサボってきた灯衣に少しでも手伝わせようとしているのだ。気分転換に気を遣ったという面もある。

「タビさんたちももうすぐしたら帰ってくるっすよお。おっきなケーキ買ってくるって言ってたっす。だから頑張りましょう」

 宥めすかすように言うが、ケーキという単語を出せば機嫌が直ると思われていることになお腹が立った。それに、言うとおり旅人たちは注文していたクリスマスケーキを受け取りに街中まで繰り出しているけれど、そんなのはデートのおまけで、もっと言えばデート中の話題を一つ提供したようなものだから、まるで自分が出しに使われているみたいでますます苛立った。

 なーにがクリスマスか!

「そんなのカメが全部やって」

 もうクリスマスをお祝いする気分にもなれない。完全にやる気を無くした灯衣の正面で、亀吉は袋に手を突っ込んでがさごそと物色し、とある装飾品を取り出した。

「じゃあこれ、自分が付けてもいいんすね?」

「あっ!」

 思わず反応してしまった。子供ならば目を輝かさずにはいられない、クリスマスツリーには欠かせない物、天辺に煌く星型の飾り──トップスターである。

 主役級の登場に灯衣のテンションが一気に上昇した。

「わたしが付ける! 付けさせて!」

 ソファから飛び降りトップスターを引ったくるとツリーに一目散に駆けて行く。大人びていてもやはり子供。亀吉はにこやかに、見様によっては不気味な笑みを浮かべながら、灯衣の後を追った。

 雪路が用意したツリーは二メートル近くもある立派な物だった。灯衣は天辺を見上げて「んー」唸り、亀吉にしゃがむようにと指を差す。言われずとも腰を屈めて灯衣を肩車する亀吉はまるで従者のようだ。

「届くっすか?」

「届いた! わあ!」

 天辺に一番星が輝いた。ようやくクリスマスツリーという感じがして感慨深い。

 灯衣と亀吉は並んで眺めた。

「自分、てっぺんのお星様が好きだったんすよ。小せえときからずっとクリスマスなんて縁無かったっすから、アレがある家がすっげえ羨ましかったんす」

 普段からへらへらと笑っているだけの亀吉が、珍しく神妙そうな顔をしていた。昔話をすることも初めてだ。驚いた灯衣は思わず亀吉を見上げていた。

 思い返してみれば、亀吉のことをあまりよく知らない。

「……どうしてヤクザになったの?」

 子供らしく恐れを知らない直球の質問だったが、亀吉は笑って答えた。

「えへへへぇ、自分ヤクザじゃねえっすよ。なろうとしてなれなかった落ちこぼれっすからねえ。頭ぁわりぃし、女にもモテねえし、みんなに怖がられるからどんな仕事にもありつけねえ。居るだけで迷惑なただの役立たずなんすよ」

 灯衣や雪路たちが知る由もないことだが、亀吉には家族と呼べる人がいなかった。

 幼かった頃、亀吉は名前と生年月日が書かれた札を手にして、道端にひとり放置されていた。警察に保護され、その後は施設で育てられた。大舎制の児童養護施設では集団生活を余儀なくされ、まるで監視されたような生活が中学卒業まで続いた。

 十代の半ば頃には何度と無く傷害事件を起こしては少年院を出入りした。元々内向的な性格であったため自分から喧嘩を売るような真似は一度としてしたことはなかったが、生まれつきの強面と頭の悪さをからかわれるとつい短気を起こしてしまうのだ。整形を余儀なくされた喧嘩相手は無数にいた。思わずやり過ぎてあわや殺人を犯しそうになったこともある。

 そんな亀吉が最後に縋りつける場所は極道の世界にしかなかった。暴力を肯定してくれる唯一の掃き溜めである。世間からの風当たりは厳しいが、欠点が許されるだけで存外救いとなるものだ。

 けれど、いくら腕っ節が強くても頭が悪くてはのし上がれないのもまた極道である。亀吉は落ちこぼれた。時代が違っていれば腕っ節だけでも評価されただろうが、暴力団排除条例が施行され暴力団対策法の締め付けが厳しくなった昨今では、暴力は諸刃でしかなく、頭が回らない分亀吉にとっては無用の長物でしかなくなった。

 無駄飯ぐらいの役立たず──そのように謗られてももう短気は起こさない。自覚しているので指摘されるたびに我が身を恥じた。それでも組から抜け出さなかったのは古き良き極道の規律に憧れていたからだ。

「ヤクザは怖いっすけどね、あったかいとこでもあるんすよ。盃を交わせば一家の一員になれるんす。組長さんのことオヤジって呼べるし、兄さん方からも弟分として大事にされるっす。みんなと家族になれるっす。……自分は無理だったすけど」

「……」

「自分には家族はいないっすから、クリスマスとか誕生日とかそういうの羨ましいんすよ。ずっと縁無かったっすから。あの星も人ン家の中にあるもんで自分には全然関係無いものなんす」

 窓ガラス一枚隔てた向こう側に憧れた。

 目に見えるのは幸せな家族の在り方だ。

 その感傷に灯衣は不覚にも共感してしまう。たとえ仮初めであろうとも、一度は無くした家族の形を再び手に入れたいと思うのは自然な欲求であろう。それは老若男女で変わらない。

 人である限り寄り添わずにはいられないのだから。

 灯衣の母──百代灯果は、元は暴力団お抱えのドラッグデザイナーで、現在は刑務所に服役中である。灯衣も亀吉と同じだった、家族と過ごせない寂しさを紛らわすには自ら憧れを引き寄せる必要があった。

 灯衣は黒いビニール袋からツリー用の飾り──赤色の小さなベルを取り出して枝の先端に結び付ける。それから亀吉を見上げ、袋を押し付けた。

「さっさと終わらせましょう。ぐずぐずしてたらパパが帰ってきちゃう。綺麗に飾って驚かせてやるんだから」

 あんまり亀吉が嬉しそうだから、自分のワガママでせっかくのクリスマスを台無しにしてはいけない。仕方ないわね、と少々お姉さん風を吹かす灯衣であった。

「うっす」

 亀吉は笑って承諾した。

 密生する葉の部分に大量の雪綿を敷き詰め、金と銀のモールを左右から斜めに掛けていく。松ぼっくりや靴下のリースをぶら下げる。オーナメントには雪の結晶やリンゴや縞模様の杖など盛りだくさんで、飾り付けているだけでも楽しくなってくる。

 灯衣と亀吉のはしゃいだ声がリビングいっぱいに響き渡った。

 クリスマスは外から眺めるだけのものだった。

 ほんのひとときであろうと内側にいられる幸福に、亀吉は感動を覚えずにはいられなかった。


    *


 珠理と麗羅のケーキ作りが成功に終わり、灯衣と亀吉がツリーの飾り付けをし始めたちょうどその頃、山川陽子は待ち合わせ場所で旅人と落ち合った。

 そこは市の中心地。デパートやオフィスビルが立ち並ぶ繁華街はクリスマスムード一色に染まっており、どこの商店でもジングルベルをBGMにサンタの衣装を着たアルバイトが客寄せに精を出していた。

 一人のサンタクロースにティッシュを差し出されたが、生憎陽子の両手は塞がっていた。歩道は列を為すかのように大勢の人でごった返しているから、わざわざ手が空いている通行人を選んでティッシュを配っているわけではないのだろうけど、しかし無造作だったにしても今の陽子を選んだこのサンタクロースは本当に間が悪い。あと一分、あと十メートル、時と場所が違っていればきっと受け取っていただろうに。

 横断歩道を渡った先でもチラシ配りのサンタクロースが現れた。キリストの誕生日と一切関係しないコンタクトレンズの広告が差し出される。両目ともに視力の良い陽子だが、普段なら反射的に受け取ってしまうそれさえもあっさり無視して通過する。

 無視して、というか、そもそも見えてすらいなかった。

 視線はずっと斜め前の背中に、意識はずっと埋まった掌の中に釘付けだった。

「足許気をつけて。僕から離れないでください」

 陽子を気に掛けて振り返るその横顔に胸はどきりと高鳴った。

 さっきから顔は火照りっぱなし。恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちがごちゃ混ぜになって、思わずバッグを摑んだ右手に力を込めた。

 けれど左手は、力加減が難しくて、わずかに握り込んだだけでされるがままだ。

 旅人の掌に包まれていた。

 大きくて、表面は意外にも硬くて、男性らしい力強さがあった。これまでに何度となく握ったことはあったけれど、こうして異性として意識したのは初めてだった。

 ──やだ。どうしよう。いつもと感じが違うよう……。

 考えまいとしていたけれど、今日のコレは『デート』なのである。手を繫ぐ行為一つとっても意味合いはがらりと変わってくる。意識するなという方が無理だった。


 デートに誘われたあの日から、陽子はずっと心ここにあらずだった。

 時期も時期なので『クリスマス』という単語が至るところに溢れかえり、目にするたびに体は熱くなって固まった。勤務しているのぞみ保育園でもクリスマス会が先日催されたばかりで、その準備期間からデートのことが頭から離れなくなり仕事に集中できずにいた。同僚の小野智子先輩に何度注意されたことか。

 あまりにも酷かったらしく、結局最後には問い詰められた。

「悩みごとがあるなら聞くけど……」

 神妙な顔でそう言われたらもう全部吐き出すしかなかった。変な方向に誤解されてしまっては、意外と面倒見の良い智子先輩の方がかえって仕事に集中できなくなりそうだし。

 閉園後、久しぶりに智子先輩と一緒に夕食を食べに行った。食事を終えて落ち着いた頃を見計らって口を開いた。

「実は……」

 旅人にデートを申し込まれ勢いでオーケーしたものの、それが何を意味するのか、どう受け取ってよいものか、わからなくて混乱した。というかこれって現実? 夢なんじゃないの? って、そんなことまで疑い始めてしまい何も手に付かなくなって。

「デートに誘われたのが何だか信じられなくて……」

 などと訥々と説明していると、初めこそ鳩が豆鉄砲食らったような顔で聞き入っていた智子先輩も、次第に落ち着きを取り戻していき、「ふんふん」と相槌を打った。

「旅人さん、どうして私なんかを誘ったのかなあ」

 何気なく吐いた呟きにすかさず智子先輩は反応して、

「そんなの100パー山川のことが好きだからでしょうよ」

 何を今さらといった感じで、そんなことを言ってのけた。

 今度は陽子が鳩になる。瞬間的に顔を真っ赤にさせると思わず叫んだ。

「え? ええええええ!? な、何でそうなるんですか!?

「いや、そうとしか考えられないでしょ。山川に気があるのなんてバレバレだし」

「バ、バレバレ!?

 旅人のこれまでの言動にそんな思わせぶりがあっただろうか、振り返って思い出してみてもわからない。わからないから信じられない。

「山川を見るときだけ目が違ったものねー。なんとなく声とか態度とかも他の人に比べて優しかった感じするし」

 それは旅人の元来の性格からでは? 誰にでも優しいのが彼の魅力であろう、自分だけが特別だったとは思えない。

「つーかね、私が最初驚いたのは山川が日暮さんとまだデートすらしていなかったってことになんだけど。何をちんたらしてたのよ?」

「ち、ちんたらしてましたか……」

「勇猛果敢に攻めてたくせに何言ってんの」

 料理を作りに行ったり掃除をしに行ったりと、確かに気のある素振りは陽子の方が断然多かったわけで。端から見ていた智子先輩はもうすでにそういう関係になっているものと思っていたようである。

 けれど、そういった世話は恋愛感情とは切り離してやっていたことだから、指摘されない限り陽子も自覚できなかった。……いや、あえて意識しないよう努めていたと言った方が正しい。他人と深く関わることに消極的な旅人に合わせて、決定的な関係性を生み出すことを避けていたから。

「あ、でも、この場合は山川にじゃなく日暮さんに物申したいところだわね。山川のこと何だと思ってんのかしら」

「……あ」

 やばい。旅人の株が暴落している。見ようによっては、旅人は煮え切らない男で、陽子は都合の良い女みたいに見えなくもないのだ。というか、旅人の事情を知らない人からすればそうとしか見えない。

 旅人の事情とは、彼の両目のことである。彼の視覚は本来目に見えないモノを可視化する。それは音であったり匂いであったり──、視覚以外の五感で得られうる感覚を旅人の目は映し出すのだ。

 代わりに、彼は視覚以外の感覚を失っていた。感覚が無いというのは実生活の中で危機感を鈍らせてしまうものである。例えば、感触や重さや痛みがわからなければ道具を扱うときの慎重さも薄くなるだろう。異臭や騒音に気づけなければ危険を察知することもできない。目を閉じるだけで旅人は無防備になってしまう。故に、彼はいつも危うい状態にあるのだ。

 初めは陽子の失くし物を見つけてくれたお礼のつもりだったが、事情を知ってからは放っておけなくなり、今では週三くらいのペースで旅人が経営している『探し物探偵事務所』を訪れて家事を手伝っている。……なるほど。便利な女に思われても仕方ないような気がしてきた。

「あの、旅人さんは別に私を便利に使っていたとかそういうことは全然なくて」

「わかっているわよ、そんなこと。日暮さんだって辛い立場だったろうしね。そう簡単には決断できないわよね」

 軽率なこと言ったわ、と智子先輩は勝手に反省する。──おや? 今の台詞は明らかに旅人の事情を知った風な言い草だった。旅人は自身の体質が周囲の人間の負担になると考えて極力他人と関わらないようにしてきた。辛い立場とは、きっとそのことを言っているのだろう。

 陽子は一度として智子先輩に旅人の目のことを話したことはない。別に隠していたわけじゃないけれど(旅人本人もいろんなところで誰彼構わず話しているし)、かといって面白がって広める話題でもないので自粛していたのだ。智子先輩は旅人の目についてどこかから聞いて知っていたのだろうか。

 などと考えていると、智子先輩はまったく別の視点から切り込んできた。

「いざ恋人を作ろうものなら里子であるテイちゃんにも配慮しなくちゃだものね。あんなにパパ大好きっ娘なんだもん、日暮さんも慎重にならざるを得ないか」

「あ、……あー」

 智子先輩が懸念したのは血の繫がらない親子関係の方であった。

 確かにそちらも無視できない問題だ。陽子とて忘れていたわけではないが、旅人と灯衣の仲良しっぷりならいつも間近で見ていてもはや本当の親子のように感じていたのである。智子先輩の言うとおり、旅人が恋愛に偏らない一つの要因に違いない。

 やっぱり智子先輩は目のことについては何も知らないようだ。

「でも、デートまで漕ぎ着けたってことはようやくテイちゃんという牙城を崩すことに成功したのよね? 通い妻・山川の執念が勝ったわけだ。感慨深いわ~」

「今日一番の人聞きの悪さですよそれ!?

「思えば長かったもんね。アンタが日暮さんちに通い出してから、半年? それ以上は経っているか。コツコツ信頼築いた甲斐があったんじゃない?」

「そういうつもりはなかったんですけど……」

 けれど、そうなれたらいいなと夢想したことならある。灯衣と一緒に料理を作って、三人で食卓を囲んで、それがまるで家庭を築いたみたいで楽しかったから。

 ……デートに誘ってくれたってことは、やっぱり異性として見てくれているってことなのかな? じゃあ、つまり、そういう風に期待してもいいのかな?

 徐々に顔が赤くなっていく。人に話したことでにわかに現実味が増した気がした。智子先輩はニヤニヤと陽子を眺めながら焼酎グラスを傾けた。

「クリスマスが勝負よ。もうここらではっきりさせなさいよ」

「そ、それって、告白しろってことですか!?

「うん。まあ、空気読んで行けると思ったら行けばいいんじゃない。脈はあるんだし、あとは雰囲気作って押していけばなんとかなるかもねー」

 完全に楽しんでいる態である。良い報せを期待してるわ、などと煽られてすっかり気分はおかしな方向へと振り切れた。

「……告白かあ」

 けれど、再度呟いてみたその単語はどこか現実離れしたもののように思えてならなかった。


 前日にプレゼント用のクッキーを焼いた。何か記念になるような品物を上げようかと考えたけれど、智子先輩が執拗に告白を意識させるものだから、もしも振られてしまったとき後に残る物を渡すことに気が引けたのだ。……すでに振られるものと仮定している自分に果たして告白なんかできるのか疑問であるが。

 いっそハート型のクッキーだけでまとめてやろうかとも思ったが、やはりそんな度胸もなく、灯衣と一緒に食べてもらえるように動物や花をモチーフにしたクッキーの中にさりげなくハート型を混ぜるに留めた。

 型が崩れた物を試食してみると、思ったよりも香ばしくて美味しい。初めて挑戦してみたチョコミントのクッキーだったが、どうやら成功した模様。灯衣が以前チョコミントアイスを美味しそうに頰張っているのを見たときにいつか挑戦したいと思っていたのだ。

 クッキーを入れたビニール袋をクリスマス仕様の紙袋に納めて、旅人さんにも気に入ってもらえるかな、なんて鼻歌混じりにリボンを結んでいるとき、ふと気づいた。

 ──旅人さん、味も匂いもわからないんじゃ……。

 なぜ目で見て楽しめる物にしなかったのか、心底後悔した。旅人は味も匂いも視覚で楽しめると言っていたけれど、それは本物ではない。いくら不味くったって嫌な顔一つできない旅人に食べ物を上げることは嫌味にしかならないのではないか。もちろんそんなこと気にするような人じゃないとわかっているけれど、そこまで思い至らなかった自分に嫌気が差す。かといって、今から別の物を用意している時間はない。明日は朝から仕事で、終わったらすぐに旅人と待ち合わせしている。クリスマスプレゼントはクッキーで行くしかない。

 キッチンの作業台に突っ伏して溜め息を吐いた。

「ああああ、もう。……なんか浮ついてるな、私」

 決定的な何かが変わりそうな予感がある。クリスマスにデートに誘われて、それまでの旅人とはどこか違っていて、それが変化の予兆であることはすぐに察せられた。

 嬉しくもあり、怖くもあった。

 どこか遠くに行ってしまいそうな儚げな旅人はもういない。それは喜ばしいことだけど、今の旅人には以前よりも前向きな潔さがある気がする。引越しを決めた人が要る物と要らない物を大胆に選り分けているような感覚、とでも言えばよいのか。

 急いているようにも見える。それが何を意味するのかまでは陽子にはもちろんわからないけれど。

「……やっぱりクッキーで良かったかも」

 後に残る物がいつか旅人の決断を鈍らせてしまったらいけない。そして、選り分けられた末に自分の贈った物が要らない物に分類されてしまうのは耐え難い。

 告白云々はさて置いても。

 陽子は自分の存在が旅人の心の負担になることをひどく恐れた。


 そうしてクリスマス当日を迎えた。

 保育園ではジト目を向けてくる灯衣の威圧に耐え、早番勤務で準備に余裕があったはずなのに時間いっぱいまで着ていく服のコーディネイトに悩み抜き、なんとか家から飛び出したもののプレゼントのクッキーを忘れて慌てて取りに戻ったり……等々、待ち合わせ場所に行くまでに身も心もクタクタになった。

 緊張していた。旅人と面と向かって会うのはデートに誘われた日以来初めてだった。当日の予定とか諸々の相談は全部メールでのやり取りだったし。まずどんな顔をして会うのが正解なのか、迷う。

 待ち合わせ場所は駅から少し歩いた場所にある噴水公園だ。大きなツリーが飾られており、この時期には待ち合わせスポットとして多くの恋人たちに活用される。入り口付近からすでに若者でごった返していた。

 ──ここにいる人たち、みんなデートの待ち合わせなのかしら。

 そして、それは自分もなのだ。皆と同じはずなのに、何だか気後れしてしまう。

 噴水広場へと続く通路の途中、柱時計の下で佇む旅人を見つけた。

 すらっとした姿は遠目からでもよく目立つ。ボトムにチノパンと茶系統の革靴、ジャケットを羽織りインナーには白シャツにカーディガンを合わせている。長めのマフラーを緩めに巻いていても背が高いから違和感なく馴染んでいた。もうどこのモデルかという塩梅である。道行く女性たちを立ち止まらせては視線を釘付けにしていた。……声、掛けづらい!

 まだ約束の時間まで一〇分もある。いつから待たせているのか気が気でなく、これ以上寒い中放置させるわけにもいかないが、さて、何と声を掛ければよいのか。

 一瞬だけ立ち止まったその隙に、旅人もまたこちらに気づいた。周囲の視線を引き連れて、真っ直ぐ陽子の元へと近づくと、嬉しそうに顔を綻ばせた。

「メリークリスマス、陽子さん」

「──」

 その瞬間、迷いを忘れた。旅人の笑顔に見惚れてしまい頭の中は真っ白で、つられるようにして「メリークリスマス」と唱えてから、慌てて頭を下げた。

「お、お待たせしましたっ。ごめんなさい、遅くなっちゃって!」

「いえ、まだ時間には大分ありますし、僕もついさっき来たばかりですから」

 旅人は陽子をじっと見つめた。何かおかしいところでもあるのかと身構えていると、

「今日は一段と可愛らしいですね。とてもお似合いです、その服」

「にあ……っ!?

 褒められ慣れていない陽子はしばし固まり、思い出したように咄嗟にバッグを顔の前に持ち上げて隠れた。やばい、やばい、やばい──! どんな顔をしていいかわからない!

 陽子の今日のファッションは、下ろし立てのAラインコートに合わせたコーディネイトである。ファーが付いた白のコートは前ボタンを留めてワンピース風に、裾からクリーム色のスカートを微かに覗かせて、ブーツは高めのヒールで足許をすっきりと見せている。テーマは『女の子らしく可愛らしく』だ。

 智子先輩指導の下、今日までファッションセンスを磨いてきたつもりだった。仕事柄、トレーナーにジャージが主流の陽子は、一応お出掛け用の無難に見られるコーディネイトくらいなら多少は揃えているものの、自分を魅せる目的で洋服を着飾ったことがない。要するに無頓着なのである。

 そんな陽子がこの日のために、つまりは旅人に見せるためだけに頑張ってきたわけで。

 背伸びしているのを見透かされたみたいで恥ずかしい。でもそれ以上に、旅人に褒めてもらえてすごく嬉しい……!

 頑張って良かったあ、──知らず声に出して呟いていた。

「あ、ありがとうございます!」

 お礼をなんとか振り絞って口に出し、恐る恐る旅人を見上げた。

「…………」

 旅人は困ったようにわずかに視線を逸らして、体の向きを変えた。

「じゃあ、行きましょうか。良いお店を見つけてあるんですよ。こちらです」

 公園を出るまでなぜか視線を合わせてくれなかった。歩幅は陽子に合わせてくれているから機嫌を損ねて逃げようとしているわけではなさそうだけれども。旅人には不自然すぎる行動である。

 ひょっとして旅人も緊張しているのだろうか、そんなことを思った。