濃い緑の葉を茂らせた桜並木の向こうに、慧星学園の校舎が見える。煉瓦道を歩きながら小野寺美久は顔を綻ばせた。
 学校とは不思議な場所だ。自分と縁のない学校でも懐かしさを覚える。明るい黄金色の光に彩られた校舎。グラウンドから響く賑やかな声やホイッスルの音。柔らかな風の中を女子生徒たちがじゃれながら駆けていく。
「ごめん、ちょっといいかな!」
 後ろからの声に振り向くと、数人の生徒がいた。
「放送部だけど、校内アンケート取ってるんだ。今いい?」
「えっ!? う、うん……」
 美久は目を泳がせたが、生徒は気づかずてきぱきと質問を始めた。別の生徒が回答を書き留めていく。質問が終わると生徒たちは礼を言い、「慧祭での結果を楽しみにしててね!」と駆けていった。美久は手を振って見送り、安堵の息を漏らした。
 あぶなかった、どうにかごまかせた――……ていうか。
 美久は罪悪感と恥ずかしさに両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。
 私、高校生じゃないのに……!
 誤解された原因ははっきりしている。ワイシャツにネクタイを締めてチェックのプリーツスカートを穿いていれば、誰だって同じ学園の生徒だと思うだろう。
 本当にもう、何なの悠貴君!
 怒りの矛先はこの状況を作った張本人に向いた。
 話があるから出てこい。そう悠貴から電話があったのは三十分ほど前だ。いきなり店に電話してきたかと思えば、用件も言わずに服装と場所を指定して通話が切れた。状況はわからないが、営業中に連絡してくるなんて異常事態だ。
 店長の真紘に相談すると、すぐに向かうよう促された。今日が平日で助かった、休日なら店が混雑してとても抜けられなかっただろう。
 それにしても、と美久は首をひねった。
 学校に呼び出すなんて、何があったんだろう?
 呼び出される理由はひとつしか思い浮かばない。夏休み前に七不思議を解いてほしい、と悠貴の同級生から依頼があったのだ。陸上部と部員を巡るその事件はすでに解決したが、また問題が起きたのかもしれない。しかし、待ち合わせに指定されたのは校舎の三階で、制服で来いという指示もよくわからない。
 何があったのかな……というか、この格好本当に恥ずかしいんだけど!
 自分の状況を思うだけで頬が熱くなった。やっぱり着替えに戻ろうかと考えた時、澄んだ声が響いた。
「小野寺さん?」
「えっ、あ、はい?」
 声の主を探すと、煉瓦道に中学生くらいの女子生徒がいた。百五十センチほどの小柄な少女だ。胸にかかる真っ直ぐな黒髪と黒目がちのぱっちりした目が印象的だ。
 目が合うと少女はにっこりと微笑んだ。
「上倉君から聞いてるよ。校舎に案内するね」
 こっちだよ、と彼女は踵を返して歩き出した。
「道、わかりにくかったでしょ。他校の生徒さんにもよく言われるんだ。しかも正門から高等部の校舎まで遠いし、私も毎朝遅刻しそうになって大変」
 あっ、高校生なんだ。ぴょんぴょんと弾むように歩く姿は中学生にしか見えない。
 美久はあとについて歩きながら、少女の年齢を高校一年生に上方修正した。
「そうだ、名前がまだだったね。私は城崎百々花。モモちゃんでいいよ。皆でお出迎えしなくてごめんね、会議が長引いて皆抜けられなくて」
「会議?」
「総会だよ。まだやってるんじゃないかな。とりあえず生徒会室を開けてきたから、お茶でもしながら待とうね」
 そういえば悠貴君って、生徒会の副会長だっけ。
 意地悪でひねくれた悠貴だが、外では品行方正な優等生を装っている。学校でもそのキャラで通し、女子生徒からは憧れの王子様のように扱われていた。
 だけど、どうして生徒会が私を……?
 百々花の口ぶりからして悠貴ではなく生徒会に呼び出されたようだ。しかし生徒会に知り合いはいないし、自分の名が知られていること自体意外だ。美久は用件を訊こうとして、ふと校舎の入り口に立つ人に気づいた。
 すらりと背の高い男子生徒で、ワイシャツに細いストライプのネクタイを締め、濃紺のチェックのズボンを穿いている。ただ立っているだけなのに、佇まいに気品が漂う。柔らかな黒髪に、繊細なフレームの眼鏡。均整の取れた顔立ちは柔和で、王子様という言葉がぴたりとはまるようだ。
 上倉悠貴だ。慧星学園の二年生で、美久を呼び出した張本人でもある。
 悠貴君、と美久が声をかけると、悠貴の端整な顔に輝くばかりの笑みが広がった。
「お待ちしていました小野寺さん! ようこそ慧星学園へ、小野寺さんみたいな探偵にいらしていただけるなんて光栄です」
 美久はあんぐり口を開けた。
「どっ、どうしたの悠貴君!? 何言ってるの、それに探偵は」
 言いかけた瞬間、悠貴の目が鋭く光った。いいから黙ってろ――笑顔と裏腹に眼鏡の奥の目がそう言っている。そんなやり取りに気づかず百々花が悠貴に訊いた。
「上倉君がここにいるってことは、会議終わり?」
「ええ、先ほど。ところで上履きの手配が間に合わなかったのですが、生徒会室に予備はありますか?」
「あー、ないかも。来賓用のスリッパ借りてくる、ちょっと待ってて」
 百々花が背を向けたとたん、悠貴の顔から爽やかな笑みが消え失せた。
 あっ、モモちゃんがいたから……。
 受け答えがいつもと違ったのはそのせいか、と美久は納得した。外面の良い悠貴は他の人に本性を知られるような失敗をしない。
 切り替え上手だなあ、と半ば感心しながら悠貴に訊いた。
「モモちゃんって生徒会だよね。私はどうして呼ばれたの?」
「違う、俺が呼んだのはエメラルドにいる探偵だ」
「え?」
「生徒会から依頼があるから、話を聞いて様子を見ろ」
「依頼なら悠貴君が受けたら? 探偵は悠貴君なんだし、それに――」
「前にも言ったはずだ」
 悠貴が遮り、鋭い眼差しを美久に向けた。
「学校の連中に探偵業を知られると面倒なことになる。俺はオンとオフを分けてやってきたし、今後もそれを変えるつもりはない。俺と探偵は無関係だ、いいな」
「わっ、わかったけど……でも、依頼ってどんな?」
 その時、百々花がスリッパを手に戻ってくるのが見えた。悠貴は再び営業スマイルを顔に貼りつけると横目で美久を見た。
「すぐにわかる。ボロを出すなよ、名探偵」

 生徒会室は三階にあった。広さは教室の半分ほどで、南向きの大きな窓がある。
 部屋の中央に長机が向かい合わせに置かれ、正面にホワイトボード、壁際に目録やファイルを保管するキャビネットがある。他にもパソコン専用のデスクやプロジェクター用スクリーンなど設備は充実しているようだ。
 美久たちが生徒会室に足を踏み入れると、キャビネットの書類整理をしていた背の高い男子生徒が顔を上げた。生徒は百々花に気づくと目を吊り上げた。
「城崎! どこほっつき歩いてた!」
「わあ、怒られた」
 百々花の反応に男子生徒はますます険しい顔つきになった。
「怒られたじゃない。会議を放り出して、ブーイングが出たぞ」
「まあまあ、そうカリカリしないで。可愛い子には旅をさせろと言うじゃない」
「自分で可愛いとか……」
「人は誰しもこの世の誰よりも自分を忌み嫌い、激しく愛するものだよ」
「その溢れるばかりのふてぶてしさについての見解はないのか?」
「お、気になる? 君はいつも私に興味津々だね」
 照れるなあ、と笑う百々花に男子生徒は「頭ねじ切るぞ」と冷ややかだ。ぽんぽんと言い合う二人に美久はくすりと笑った。微妙にずれた会話なのに息はぴったりだ。
「二人とも、そのへんで。お客さんを待たせているよ」
 話に割って入ったのは長机にいた中背の青年だ。少し垂れ目の優しそうな顔立ちで、一人だけ制服ではなく私服姿だ。
 そうだね、と百々花は頷いて美久に向き直った。
「皆揃ったところだし、簡単に紹介するね。こちらは元生徒会長の鳳太郎先輩。今は大学生さん」
 私服の青年――鳳が「こんにちは」と微笑んだ。
「それでこっちが七里一誠君。いっくんと呼んであげて」
 口げんかの相手、七里が「変なあだ名を広げるな」と恐い顔をしたが、百々花は聞いていない。
「いっくんは三年生で書記長なんだ。ゆーき君は知ってるよね? 二年生の副会長さん。他に副会長がもう一人と会計長、各委員会長他、合わせて十六人いるけど、機密が保てなくなるから紹介は私たちだけで許してね。ちなみに私は生徒会長だよ」
「会長?」
 美久がオウム返しにすると、百々花は得意げに顎をそらせた。
「驚いた? 三年間無敗の成績最優秀者で生徒代表の権力者、三年一組の生徒会長といえば私のこと!」
「ええっ、モモちゃん三年生なの!?」
「あれ、驚くところ違うよ?」
 百々花の声は美久の耳に残らなかった。どう見ても中学生なのに、悠貴より年上とは驚きだ。
 それで、と七里が百々花に視線を向けた。
「その人が城崎の言う探偵か」
「そうだよ。いっくんはエメラルドの探偵の話を知らない? 探し物があれば必ず見つけ出し、どんな難題もあっさり解いちゃう噂の人。お忍びで警察も依頼に来るってくらい、その道じゃ有名なんだ。それが小野寺さん!」
 熱っぽく語る百々花に対し、七里は冷めたものだった。
「その話が事実ならもっと話題になっている。そんな実績があればメディアやネットで騒がれるはずだ。本人を目の前にして言うのは何だが、俺は信用できない」
「何てこと言うの、いっくん!」
「これ以上不安を増やせないから言っているんだ。こんな素性の知れない人間に内部事情を預けるのか? 実績も経歴もあやふやで、確かなものは何も示してない。だいたいエメラルドの探偵って何だ、名前からしてふざけてる。どう見てもただの女子学生だし、探偵の実態は悩み相談室みたいなものじゃないのか」
 切って捨てるような言い方に一瞬生徒会室が静まり返った。次の瞬間、悠貴が小さく吹き出した。
「七里先輩、すっかり騙されてますよ。確かに小野寺さんは一見頭が悪そうで、ぼけっとした顔をしてますが、それは相手を油断させて情報を引き出すためです。先輩の発言から小野寺さんは学園内で事件があったとわかったはずです。それも学校側に明かせない事情でかなり逼迫した状況にある、と。そうですね、小野寺さん」
「えっ!? う、うん……!」
 美久は慌てて頷いたが、七里は疑わしそうな顔のままだ。助けを求めて悠貴に視線を戻すが、あとは自分で何とかしろ、と言わんばかりに睨まれた。
 話を振るなら最後までフォローしてくれればいいのに……!
 しかし文句を言っても始まらない。美久は自分なりに考えた。
「ええと、依頼にくる人は、誰にも頼れなくて最後の最後にお店にくるんです。だから悠――私を学校に呼び出すなんて、生徒会もすごく困ってるのかもって」
「まったくその通りです、ありがとうございます」
 それ以上しゃべらせるとボロが出ると踏んだのか、悠貴が話を引き継いだ。
「探偵業を公にしないのは依頼人のためです。依頼者が人に言えない事情を抱えていることはままありますから、成果を誇示するより名誉やプライバシーを守ることが優先なんです。実績は示せませんが、小野寺さんの身元は俺が保証しますよ」
「上倉がそんなに言うなら、実力は確かか」
 七里が感じ入った顔つきで言うと、悠貴は爽やかに微笑んだ。
「確かも何も、エメラルドの探偵は俺の知る限り最高の探偵です。頭脳明晰で独自の着眼点があり、事件を解決する素早さといったらいつも目を見張るばかりです。その上スマートで気配りも一流で本当に優秀な高校生探偵で」
 ちょっとなんで悠貴君がハードル上げるの!?
 美久は悠貴の肩を掴んでゆさぶりたくなった。肩書きを悪く言われて面白くなかったのだろうが、眩しい笑顔で自画自賛だ。
 確かに本物の探偵はそのくらい優秀だけど、今は私が探偵なのに……!
 涙目になる美久を尻目に、場はすっかり和んでいた。
「七里は相変わらず心配性だね。言いたいこともわかるけど、どんと任せてみなよ」
 卒業生の鳳がおっとりと言うと、百々花も腕組みして深く頷いた。
「そうそう。何といってもエメラルドの探偵さんは凄腕だからね! ということで、小野寺さん。折り入ってお願いしたいことがあるんだ」
 期待の眼差しを向けられ、美久は及び腰になった。ちらりと悠貴を見ると、口元に小ばかにしたような微笑を浮かべている。やっぱり助ける気はないらしい。
 うう、悠貴君の鬼……!
 美久が返事をせずにいると、百々花が頼み込むようにたたみかけた。
「依頼料のことなら心配いらないよ、ちゃんとゆーき君から聞いたから。対価は生徒会を代表して私が払う。高校生風情が何の役に立つんだと思うかもしれないけど、将来有望の私だからね、数年寝かせてくれれば大いに活躍するよ! だからお願い、お話だけでも聞いてもらえないかな」
『黒い契約書』について説明はいらないようだし、ここまで言わせて見捨てるのも人情がない。美久は心を決めて百々花を見た。
「わかりました。まずはどういう依頼か教えていただけますか?」
「ありがとう!」
 百々花が顔を輝かせると、鳳が全員の顔を見回して言った。
「立ち話も何だし、座って話そうか」
 長机を囲むように美久たちは席に着いた。美久の隣に悠貴、斜め向かいに七里と鳳、百々花は正面に座った。
「小野寺さんはこの学園について最近何か聞いてる?」
 尋ねたのは鳳だ。美久が頭を振ると、鳳は「そうか」と話を続けた。
「僕は卒業生だけど、家がこの近所でね。それでこの頃通学や下校途中の生徒が変な噂をしているのを知ったんだ。慧星祭が中止になるって。慧星祭っていうのは文化祭で、今度の日曜日に開催予定なんだ。在校生全員参加の学内最大イベントで、結構評判が良い。依頼はこれに関連してなんだけど」
 鳳が水を向けるように百々花を見ると、百々花は神妙な面持ちで言った。
「実は、生徒会は脅迫を受けてる」
「脅迫?」
 思いもしない言葉に美久が目を瞬くと、百々花は頷いた。
「五日前の木曜日にご意見ボックスにこんな物が届いたんだ。――いっくん」
 七里は美久に平たいビニール袋を手渡した。ジッパーのついた袋の中にB5サイズの薄茶色の紙がある。和紙のような風合いの紙で、水に濡れたのか全体がたわんでいた。そこに赤いマジックで字が書き殴られていた。
『文化祭ヲ中止シロ 中止シナイト不幸ガ起コル』
 説明を聞くまでもない。明らかな脅迫文だった。
「ご意見ボックスっていうのは目安箱ね。校舎のエントランスに置いてあるんだ。そこに入ってたんだけど、それ、どう見ても手書きだよね。こりゃ筆跡鑑定だねと思ったら、いくら費用がかかるんだって、いっくんに怒られて。予算と過去の事例に鑑みて悪戯と判断したんだ。騒いでも書いた人が喜ぶだけだし」
 百々花の言葉に悠貴が頷いた。
「明らかに一時の激情で書いてますからね。本気で脅迫するなら人物を特定されないよう筆跡を隠し、校長か事務に送りつけた方が効率的だ」
「おっ、ゆーき君はキレキレだね」
 悠貴ははっとした顔つきになり、爽やかな笑みを顔に貼りつけた。
「小野寺さんの受け売りです。いかがですか、小野寺さん。俺もこれを送ってきたのは計画性のない人物だと思いますが」
「そっ、そうだね」
 わからないと言おうものなら、あとでどれほど絞られるかわかったものではない。内心ひやひやする美久に気づかず、百々花は腕組みしてうなった。
「一回なら悪戯だよね。だけどまた届いた。今度は生徒会でも校長や教育委員会宛てでもなかったけど」
「じゃあ、どこに?」
「一年の女子生徒だよ。先日あった音楽コンクールの東京大会で、ピアノ部門一位になった子なんだ。理事会の要望で文化祭で凱旋公演をする予定だった」
「理事と言えば会社でいうところの取締役だね。その要望で決まった公演の奏者を狙うなんて、絶妙に嫌なところを衝く犯人だ」
 鳳がそう評すると、百々花は頷いて話を続けた。
「一年生が公演の取り止めを申し出る事態になったけど、文化祭中止が犯人の狙いなら、また別の誰かが脅迫されるだけだよね。不本意だけど今朝の定例会で事情を明かして学校に中止の要請をするつもりだったんだ」
 しかしそうはならなかった。こうして百々花が事件の話をしていることが、想定にない何かが起こったと想像させる。それも悪いことだ。
 自然と質問する美久の声は低くなった。
「何があったんですか?」
 七里が美久の前に平たいものを置いた。またしてもジッパー付きの袋に入った紙だ。文面は先ほどの脅迫状とよく似ている。だが、決定的に違っていた。
『文化祭ヲ必ズ開催シロ。開催サレナケレバ、生徒会メンバーノ秘密ヲバラマク』
「開催しろって、真逆……!」
「今朝ここに来たらドアの隙間から投げ込まれてたんだ。どう見ても最初の脅迫者とは別件だよね」
 百々花の言う通りだ。今度の脅迫状はコピー用紙で、定規を使って筆跡をわからなくしている。文化祭の中止を求める脅迫者とは違い、冷静な人物を想像させる。
「生徒会室に置けたってことは犯人は学内の人間で間違いないだろうけど、文化祭中止の噂はずいぶん広がってるからね。今の状況から犯人を特定するのは難しいよ。本当、こうも反対のことを言われると困っちゃうよ」
「愉快犯ってことは?」
 美久が尋ねると、七里が無言で新たなビニール袋を滑らせた。中には写真とA4の紙が入っている。紙には印刷した文字でこう綴られていた。
『生徒会の書記・秋月颯太は友人数人とカラオケに二十時十五分まで滞在。途中で知り合った女性とゲームセンターやファストフード店を巡り、二十三時三十分まで出歩いた。これは校則十七条に違反するばかりか、東京都青少年の健全な育成に関する条例、第十五条の四に違反する行為である』
 写真には慧星学園の制服を着た生徒と少女が写っていた。隠し撮りだろう、二人は撮られたことに気づかず楽しそうに笑っている。
 百々花が解説した。
「脅迫状と一緒にあったんだ。本人に確認したけど、間違いなく事実だって。わざわざこんなものを送りつけるなんて、明らかに脅しだよね。文化祭を開催しないと学校やPTAにこの事実をリークするっていう犯人の意思表示だよ」
「塾をサボってこんなことをする方も悪いが」
 七里が苦言を呈すると、百々花は小鼻を膨らませた。
「皆がみんな率先して校則違反してるわけじゃないよ。私たちだって普通の学生だし、ちょっとした校則違反くらいある。それを探り出して、鬼の首取ったみたいに先生やPTAのところに持ち込もうなんて不愉快だよ」
 脅迫状には『生徒会メンバーノ秘密ヲバラマク』とある。今回送りつけられた写真はあくまで一例で、他のメンバーも同じ危険にさらされているのだ。
 鳳が補足するように言った。
「内申書に響くことは脅威だ。うちは進学校だし、生徒会に所属する者は少なからず有名大学への進学を望んでいる。特に推薦枠を狙うなら内申書が鍵だからね」
 内申書に傷がつけば大学入試で不利になる。名門や一流と呼ばれる大学を目指す高校生にとって、それがどれほどの意味を持つのか想像に難くない。
 そういうわけで、と百々花が美久を見た。
「生徒会は二人の脅迫者に板挟みされて大変苦しいんだ。ただでさえ通常業務に文化祭運営が乗っかって余裕がないし、デリケートな問題だけに関わる人は最小限に抑えたい。そんな時、夏に学園で起きた謎の器物破損事件を見事に解決した人がいるって知ってね。これは助けてもらうしかないと思った次第だよ。この際二人目の脅迫者はどうでもいいよ。文化祭ができれば脅迫もなくなるだろうし。どうかな小野寺さん、助けてもらえる?」
 今日は火曜、文化祭は週末に迫っている。二人目の脅迫者を脇に置くとしても、少ない手かがりから脅迫者を探し出すのは難しいだろう。でも。
 ――いいよね。
 美久は隣に座る悠貴を見た。視線に気づいたはずだが、悠貴は正面を向いたままこちらを見ようともしなかった。しかし美久にはそれで充分だった。
 答えるまでもないだろ。そう思っているのがわかるくらい、悠貴のそばで手伝ってきた。どんなに難しい依頼でも悠貴が依頼人を見捨てたことはない。
 美久は百々花に顔を向けた。
「わかりました。お引き受けします」
「ほんと!?」
 百々花は目を輝かせ、飛び跳ねて喜んだ。
「ありがとう! そうと決まれば生徒会が全力サポートするね! 気になってたんだけど、小野寺さんの制服のタイってデザインが前のだよね、今は学年で色が違うから新しいの用意するね。すぐ取ってくるから――その間にいっくん、事件の説明を。あと生徒手帳を手配、学生証の偽造も急ぎでよろしく!」
「えっ、偽造!?」
 美久が面食らうと、百々花は声を立てて笑った。
「パスポート作るわけじゃないよ、学生証なんてチョロいよ。あっ、ゆーき君は小野寺さんのサブについてね。君がいれば大概顔パスで抜けられるもんね。小野寺さん、他に必要なものある? 生徒名簿でも職員の勤務記録でも総力を挙げて盗み出してくるから遠慮しないでドシドシどうぞ!」
「そういう意味じゃなくて……! ええと、その、大丈夫? 気持ちはうれしいけど結構むちゃくちゃなような」
「だめに決まってる」
 悠貴が呆れ半分に呟いた。
「身分証を偽造して部外者を生徒に紛れ込ませるなんて。脅迫の件も学校側に伝えずにもみ消しているし、ばれたら即停学ものですよ」
「本当だね!」
 百々花は明るく微笑んで、「だから」と言葉を継いだ。
「文化祭前日までに必ず謎を解いて。これ以上は引き延ばせない。脅迫者たちがどう動くか想像がつかないし、この日が中止を発表できる最後のチャンスなんだ。必ず土曜日の午後までに事件を解決してほしい。できる?」
 できないならこの話はなしだよ。声に出さなくとも百々花の目がそう言っていた。
 美久はどれほどのものを預けられたかその時になって痛感した。おちゃらけている百々花だが、学園を預かる者としてその胸に義務と強い信念を持っている。
「心配いりませんよ」
 答えたのは悠貴だった。
「必ずやり遂げます。小野寺さんが依頼人を失望させたことはありません。安心して任せてください。そうですよね、小野寺さん?」
 ここで動揺を見せるわけにはいかない。
 美久は百々花の目を見て頷いた。
§
「さっそくだが、脅迫の詳細を説明させてもらう」
 百々花から説明役を引き継いだ七里が書類の束を手に前に立った。悠貴よりやや背が高く、姿勢が良い。きりりとした眉と薄い唇が生真面目な性格を窺わせる。
「まずは白山羊さんだ」
 真面目くさった顔で放たれた言葉に鳳が吹き出し、悠貴が顔を引き攣らせた。
「……七里先輩、本当にその名称でいくんですか?」
 脅迫者が二人いるので呼び分けよう、と決まったのはつい先ほどだ。学内で『脅迫』という言葉を使うのを避けるためでもある。結果、文化祭を中止しろと最初の『お手紙』書いたのが白山羊さん、開催しろとあとから『お手紙』書いたのが黒山羊さんだ。ネーミングがおかしいのは、もちろん百々花が決めたせいだ。
「会長命令だ。諦めろ」
 七里は男らしく言い放ち、そのトーンのまま続けた。
「白山羊さんの最初のお手紙についてはいいな。これが二通目のお手紙だ」
 机の上に七里が新たな脅迫状を置いた。音楽コンクールで優勝したという一年生に宛てられたものだ。
『文化祭ヲ中止シロ オマエノピアノハ最低ダ 中止シナイト不幸ガ起キル』
 一通目の脅迫状は和紙のような風合いだったが、こちらはありふれたコピー用紙だ。だが、赤いマジックで書き殴った字は生徒会に届いたものとよく似ている。
「筆跡から生徒会は同一犯と見ています」
 悠貴が美久に言うと、七里が言葉を継いだ。
「これが見つかったのは昨日の午後だ。大音楽室のピアノの上にあった。発見者の吹奏楽部部長が機転を利かせて真っ先に生徒会に報告してくれたおかげで騒ぎにならずに済んでいる。近いうちに面談を設けるから詳しい話は本人から訊いてくれ」
 一通目はエントランスの目安箱、二通目はピアノの上――どちらも誰でも自由に近づける場所だ。白山羊は学校関係者と見て間違いないだろうが、この情報からそれ以上のことは読み取れない。
 鳳が七里を見た。
「美術部の展示作品が壊されたのは金曜だったね」
「えっ、壊されたってどういうことですか?」
 美久が訊くと、七里が手にしたファイルのひとつを開いて机に置いた。
「白山羊からの最初の『お手紙』が届いた翌日――金曜日の早朝に破壊されているのが見つかった。全長二メートルを超すオブジェで、野外で保管していたそうだ」
 ファイルは報告書だった。美術部からの苦情という形で前日の放課後から作品が発見されるまでの経緯が記録されている。
「それから次だが」
 次? 美久が顔を上げると、机に新しいファイルが重ねられた。表紙に『文化祭準備期間及び当日の衛生管理について』とある。その横に七里が白い塊を置いた。
 なんだろう、と視線を向けて美久は息を呑んだ。
「何、この気持ち悪いの……」
 それは見るからに異様だった。ものは新品の固形石鹸だ。いや、だったというべきか。表面は土に汚れ、無数の傷がある。鋏かナイフのようなもので突き刺し、抉ったような傷だ。まるで憎しみを込め、何度も刃を突き立てたように……。
「花壇で見つかった。他に体育館の裏、美術室前の植え込みでもだ」
「そ、そんなに……?」
 美久が尋ねると、七里は険しい顔つきで頷いた。
「狙いはわかっている。先日、市内の小中学校で食中毒があった影響で、校内の水飲み場とトイレに石鹸と消毒薬の設置が義務づけられた。文化祭中の食中毒を防ぐ意味もあって設置と管理は生徒会に任されているんだ。この石鹸はそのために購入したもので、先週から盗まれ始めた」
 盗まれ始めた。微妙な言い回しに美久は自分の眉間に皺が寄るのがわかった。
「盗難が発覚したのは三日前にこの石鹸が見つかったからだ。すぐに設置した場所を確認すると、石鹸ネットが切り裂かれて中身が抜かれたものが六つ見つかった。翌日も被害報告が続き、今日までに十四個盗まれている」
「毎日数個ずつ盗むのは、やはり生徒会の面目を失わせるのが目的かな」
 鳳が尋ねると、七里は感情を抑えた声で言った。
「同感です。石鹸も消毒薬も生徒会が学校から指示を受けて管理しています。万一教員に抜き打ちチェックされたら、こんなこともできないのかと軽んじられる。その上こんなズタズタになった石鹸を見られたら何を言われるか……文化祭運営についても言及されるでしょう。今は巡回で対応していますが、設置場所が多すぎて目が届かないのが現状です。犯人を捕まえるのは難しい」
 美久は机に視線を戻した。乳白色の石鹸の表面はズタズタにされ、土と埃に汚れている。何とも言えない不気味さが石鹸から漂うようだった。
 石鹸を持ち去るだけならまだしも、毎日数個ずつ盗み、こんな傷をつけてこれ見よがしに放置する。犯人の姿は見えないのに、生々しい悪意だけがそこにあるようで背筋が寒くなる。だが感じたのはそれだけではなかった。
 文化祭は一年に一度だ。その日のために生徒たちは何日も前から企画を練り、展示や出し物の準備に汗を流している。その気持ちをこんな卑劣なやり方で踏みにじり、文化祭を中止に追い込もうとするなんて。絶対に野放しにできない。
「白山羊さん、絶対に捕まえましょう」
 美久が力強く言うと、七里が「ちなみに」と言葉を続けた。
「城崎はいいと言ったが、俺は二件目の脅迫者も捕まえてほしい」
 うっ、と美久は言葉に詰まった。
 次から次に出てくる事件に、すでに頭はパンク寸前だった。

 事件の詳細を聞き終えたのは、最終下校時刻の七時半だった。文化祭の準備期間で長く校内にいられた方だが、それでも事件を検証するには時間が足りない。
 街灯の灯った煉瓦道を悠貴と並んで歩きながら、美久は深い溜息を吐いた。
「悠貴君の学校、大変なことになってたんだね」
「見ようによってはそうだな。おかしな事件が続いたせいで、文化祭が中止になるなんてばかな噂が流れていたが……まさか本当に脅迫されてたとは」
 美久は驚いて悠貴の方に顔を向けた。
「悠貴君、知らなかったの?」
「ああ、今日聞かされた。事件を知っていたのは会長と書記長だけだ。鳳は噂を聞きつけて七里先輩を問い詰めて吐かせたみたいだな」
 悠貴は鼻を鳴らした。
「会長も会長だ、定例会の前に急に俺を呼び出して脅迫の件を明かしたと思えば、いきなり探偵を紹介しろと言い出して。まったく、散々な一日だ」
 あ、それで機嫌が悪かったんだ。
 悠貴は友人や知人に店のことや探偵業を知られるのを嫌がっている。生徒会からの依頼は不本意この上ないのだろう。そこまで考えて、美久は不思議に思った。
「探偵のこと、どうしてモモちゃんに知られちゃったの?」
 悠貴が話すわけがないし、依頼人から漏れたとも考えにくい。百々花はどこで悠貴とエメラルドの探偵の関係に気づいたのだろう?
 そう思って尋ねると、悠貴はうんざりしたように息を吐いた。
「前にお前が来た時、生徒会の奴と会っただろ。その話が城崎先輩の耳に入った。申請のない編入希望者がいて、そいつが現れたとたんに器物破損事件が止んだ。会長はそれを無関係だと考えなかった。あんなへらへらして、どこまで掴んでるかわかったものじゃない。食えない人だよ」
 でも、と悠貴は間を空けて呟いた。
「肝は据わってるな。依頼解決の期限を文化祭前日にするなんて普通できない」
「どうして?」
「本来ならすぐに学校側に報告すべきだ。教員から見れば、会長の城崎先輩が脅迫の事実を隠している状況だ。今後どのタイミングで教員に知られても、お前のせいで事態が悪化したと糾弾される」
「だけど中止しろっていう脅迫と、開催しろっていう脅迫が来てるんだよ? 開催か中止か、先生たちだって選べないよ。うっかりしたら犯人を刺激しちゃうし」
「だからだ。この状況で教師やPTAに何ができる? どちらの要求を呑んでも生徒に被害が出る。大人お得意の日和見が通じないんだ、騒ぎが大きくなるだけで何も解決しない。それなら自分たちが対処した方が犯人を刺激することなく、被害を最小限に抑えられると判断したんだ。あの人は自分の答えを持ってるよ。いざとなったらそれで決着をつける」
「……もし犯人を見つけられなかったら、モモちゃんは何をするの?」
「文化祭を中止する。生徒会が運営を任されてるんだ、会長として一般生徒が傷つく事態は避けるだろ」
 しかし中止にした瞬間、黒山羊が牙を剥く。生徒会メンバーの秘密は暴かれるだろう。腹を括った百々花や事情を知る七里と悠貴はまだしも、他のメンバーはどう思うだろう。今回標的にされたのは秋月という生徒だが、次は誰かわからない。大学の推薦を希望する生徒であれば、大げさでなく人生を狂わされてしまう。
「生徒会のみんな、わかってくれるかな……」
「難しいだろうな」
 悠貴は美久を安心させることも、保証のない言葉で飾ろうともしなかった。
「会長が脅迫の件を知る人を最小限に留めたのは、責任を一手に引き受けるためだ。あの人はむちゃをすると知れ渡ってる。その会長が自分の独断だと言えば、俺たちがいくら知っていたと声を上げても学校は取り合わない。独善的な会長のせいで文化祭は中止、問題が隠匿され、被害が大きくなったと会長を断罪するだろうな」
「そんな――」
「まあ、そんなことにはならないがな」
 悠貴が人を気遣う言葉をかけることはない。励ましたり、褒めたりなんて論外だ。
 だが、できないことを決して口にしない。
「俺がいるんだ、解決しないわけがないだろ。せっかくオンとオフを分けてやってきたのに俺を巻き込んだんだ。その上、この俺を脅しの標的に数えるとはいい度胸だ。せいぜい相手が雑魚じゃないことを祈るよ」
 細く微笑むその顔は絵になるほど美しく、とても黒い。
 脅迫者たちが何を思って文化祭の中止や決行を強要するのかはわからないが、美久は確信した。
 犯人は脅す人間を間違えた。