一、


 けさ、白拍子のあやめが、子どもを預けに来た。

 それですっかり、勘が狂ってしまった。

 夏前の、風の強い朝だった。大和の、興福寺のそばの街道沿いの里。懇意にしている家に、頼んで泊めてもらい、いつもより早く目が覚めた。と思ったら、夜明けのほの明かりの中から、

「太夫は、おいでかえ」

 と、おれを呼ぶ声がして、出て行ったら、それを押し付けられた。

 三つくらいになる、あやめの娘。

「ただいまあやめは、吉野のほうへまいりまする。それゆえ、これの世話をのう」

 あやめはすっかり旅装束で、被っている菅笠を白い指ですこし持ち上げ、切れ長の目でおれをひたと見て、そう言うと去っていこうとする。

「ちょっと、待った」

 おれはあわてて、あやめに追いすがり(旅をしながら稼ぐ遊芸人の白拍子は、みななぜか足がおそろしく速いのだ)、といっても、なにも言うことを思いつかないまま、振り向いたその姿をじっと見た。

 ほの明るい夜明けの空気に、透き通るような白い肌。

「おまえのあにさまに頼もうとしたが、あれはいま上下に出られていて、近くにおらぬ」

 おれが黙っていたせいか、あやめのほうから微笑んで言った。あやめは本来、おれの上の兄とねんごろの女だ。だから兄に頼むのが筋なのだが、兄はいま上下、すなわち地方巡業に出ているらしい。

 それにしたって、じゃあなんでおれなのだ。

「おれも忙しい。もうすぐ、勧進猿楽も始まるし──」

 言いかけると、あやめは歌った。

「いつか いつも いずれなるときも

 おまえのそば 飛びてゆかん

 請わるれば」

 それからにっこりして言った。

「そのように約定したお方から、そばにいよと言われたのじゃ」

 あやめの話によると、相手は武家で、ここ大和よりはるか南の、深吉野あたりにいま住居しており、相当の上客なのだという。あやめはたびたびその男のもとへ行き、滞在しては仕事をしているらしい。宴に侍り、舞を見せるのだ。

「じつはいまも、あやめの身は深吉野にありまする」

 奇妙なことを言う。だが白拍子とはそういうものなのだ。身がどこにあっても、魂は好きなところへ出没できるとか、相手の心を読み取って、その心が見たがるまぼろしを自在に映し出せるとか。人間というより、変化のものに近い。

「そなたの舞を見ればわが武運は開ける。ゆえにいまはここにおれ、とあのお方は言う」

 あやめは歌うように、楽しげに言った──楽しげにというよりは、得意げに。

 おまえの舞でおれの武運が開ける──。舞を見せ、諸国を遊行して人の慰めをする女にとって、それほどうれしい言葉もないだろう。

 だが、おれは引っかかった。

「深吉野と言ったな。その男、宮方なのか」

 あやめは、煙ったような目をしてだまっている。おれはなおも訊いた。

「京の武家方と、戦いがあるのか。近々か」

 もう何年も前──おれの生まれたころらしい──鎌倉で始まった戦が、国中に飛び火して、諸国が敵味方に分かれての大騒動になった。そのとき、先の帝(後醍醐天皇)が、この機会に京の都から武家どもを追い払いたいと思われたらしい。軍勢を動かして、六波羅(京における、鎌倉幕府の分庁)を攻め滅ぼしてしまった。京は帝のものになったが、まもなく武家方が盛り返し、帝は逃げて、叡山や南都、つまり興福寺に頼ろうとなさった。が、埒が明かず、とうとう大和のはるか南、深吉野の山奥まで落ち延びられた(南朝)。

 その帝はやがて亡くなったが、帝の皇子や、付き従っていた者たちはそのまま残り、まるで京の御所のように深吉野に住みなす一方、機会あらば再び京を取り戻そうというのだろう、大和や河内、伊勢、伊賀あたりの武家の棟梁たちを説きつけて、しきりに軍勢を増やそうとしているらしい。実際、小さな戦はたびたびあった。おれも軍勢の走るのを見ている。

 それでも、ここしばらく、京や大和での戦闘は落ち着いていた。落ち着いているということは、京が、武家方を中心にまとまって(室町幕府、北朝)、諸事が行われだしているということで、

「宮方ももう、しまいだろう」

 そんなふうな空気が生まれだしていた。

 だが、あやめは男に呼ばれたと言う。舞を見せよ、その舞を見れば武運が開ける、だからおれのそばにいよと。つまりはまた戦があるということか。

(宮方では、あまり勝ち目もなかろうに)

 おれはうつむき、それからひとりごとのように言った。

「危なくないのか」

 言ったところでどうせあやめは聞く耳など持たないとわかっている。

 案の定、あやめは何も言わずに笑っている。おれはしかたなく、

「いつ、帰ってくる」

 とだけ、訊いた。あやめは菅笠の下からおれを見て、

「あちらのお仕事が終わったら」

 と、実のない答えをした。白拍子というものはいつもそうだ。

「ほんとうに帰ってくるのだろうな。とにかく、おれも忙しいのだし、おまえの子もあまりいつまでも預かるわけには──」

 そんな言い方をする自分が、おれは不快だった。だがほかに、言いようがなかった。

(兄の女ではないか)

 兄の女であり、吉野の武家の女であり、ほかにも、どこの誰とも知れぬ大勢の男の女なのだ。身を案じたところで、埒がない。

 そんなおれの思いを察したのか、あやめは薄く笑い、かたわらの娘を指して、

「懸念はいらぬ。これは、自分のことは自分でいたします。おまえの多忙の邪魔などせぬ。これがいままで、おまえに迷惑をかけたことがあるか」

 と、話をそちらのほうにすり替えた。

「子どものことはいい」

 おれは自分でもうんざりするほど、不機嫌な声で言った。そうして、

「いやよくない。おまえに何かあれば、この子どもが不憫だ。それからおまえに何かあれば、兄が気をもむだろう。おまえに何かあれば、──」

 そこまで言ったとき、あやめは、手を伸ばしておれの口をふさいだ。

「のう、弟どの」

 口をふさいだままで、あやめは菅笠の下から煙るような目でおれを見て言う。

「おことは、やさしい男よのう」

(何を言う)

 口をふさがれたままで、おれは睨んだ。あやめはわざと目をそらし、

「おまえの兄に、おまえの半分ものやさしさがあればのう。あやめ、行くな、我がもとにおれ。そのようにあれが言ってくれれば、わたくしも」

(行かぬと言うのか)

 あやめは、おれの心を読んだように頷いた。おれは口からあやめの手を引っ剥がしてわめいた。

「嘘をつけ」

 あやめが、切れ長の目をすこしだけ大きくして見せた。その目を見た瞬間、おれは何かが一気にほとばしるのを感じた。

「嘘をつけ。信用できるものか。おまえら白拍子など、人をたぶらかすのが商売ではないか。お前らは、男という男を手玉に取りさえすればそれでいいのだろう。その手に乗るものか。疾く、失せくされ。何度も言うようだが、おれは忙しいのだ」

 叩きつけるように言って、ふと視線を感じた。あやめの娘が、じっとおれを見ている。

「見くされ、こいつも、同じ目をしている」

 白拍子の目。人の心を読み、自在に操り、とろかしてしまうという、あやかしの目。

「お前らごとき化生にだまされるものか!」

 そう叫び──叫んだのに、言葉とは裏腹におれはあやめに掴みかかり、笠をはね上げ、丸い肩、腰、胸、とにかく、手に触れるものをまさぐり、揉み揺すった。

「弟どの」

 あやめの声が、おれとおなじくらい、はちきれそうになっているのがわかった。

「疾う」

 どちらがせかしたのか知らない。誰が見ていようとかまわなかった。おれとあやめは、せわしなく見回し、もつれあうようにそばの納屋らしきものの陰に這い込んだ。とにかく、ともに体内に盛り上がってきているこのぱんぱんなものをおもてに出したかった。

「疾う」

 あやめが、悲鳴のような声でせがんだ。その口を今度はおれが体ごとのしかかってふさいだ。手はそれぞれに忙しく相手をさぐった。着ているものの半分も脱がなかった。

 ようやく果てたとき、おれはなんだか一仕事終えた後のような気分になった。そのまましばらく、目をつぶっていた。目を開けると、あやめはおれの体に匂いだけ残していなくなっていた。

 ただ、

「──いたのか」

 あやめが置いていった、小さな娘だけが、目を見開いておれを見ている。

「母はどこへ失せた。深吉野へ帰ったのか」

 訊いても、子どもはだまっている。なぜお前に答えねばならぬ、とでも言いたそうな顔をして。切れ長の瞳、赤い唇。唇はすでに濡れたようにしっとりとふくらみ、熟れている。

(どいつもこいつも)

 蝉が激しく鳴いている。南北に抜ける街道に、夏の朝の陽射しが早くもじわっと照りつけてきて、おれは首を振り、汗をぬぐった。女に振り回される前に、やることがある。

   二、


 南都・興福寺の、並び建つ堂舎(大小二百はあるらしく、おれも端のほうしか見たことがない)の間には、立派な石畳の道が縦横に通っている。石畳にしているのは、僧俗を含め、位の高い人々がじかに地面に触れなくてもすむようにということらしい。実際、何百年にもわたって大和の国を支配しているこの大寺院には、関白の子や帝の皇子のような「ただ人でない」僧侶や稚児も多いらしい。

 そんなことを、おれは、忍性という男から聞いた。忍性は、寺の境内の掃除係のようなことをしている。掃除というのは、毎朝夕、広い境内を見回り、変事がないか点検することで、尊い御方の住まいのある付近などに間違って流れ者が入り込んでいれば、ただちに棍棒をもって叩きのめし、二度と来ぬよう追い散らしてしまう。行き倒れの死骸があれば片付けるし、忍性自身が死骸をつくってしまうこともあるらしい。なにしろ大きな寺だ、ほうっておくと犬でも人でも平気でぞろぞろ入り込み、筵を敷いて家にしてしまう。寺には、忍性とおなじ役目の人間がほかに三百はいるのだと聞いた。変事が起これば、彼らはただちに具足をつけ、弓を持ち、軍勢になる。

「いつでも、六千は兵が出せるのだ」

 忍性は我が事のように自慢した。

「そこらの武家が戦える相手ではない」

 そんな大寺院の境内をおれは歩いている。ここの一角にはおれたち大和の猿楽師たちを束ねる役回りの、年預衆たちが詰めていて、月に一度だか挨拶に行かねばならない。本当は十日に一度は行くのが「正しい」らしいのだが、おれはめんどうだから月一にしている。当然ながら、持っていく者はたんまり持っていくという付け届けのたぐいもしたことがない。

 境内でも裏手の、曲がりくねった路地を歩く。おもての石畳の道のほうが歩きやすいし、早いのだが、

「ぬしら芸人づれ、おもての道など踏んではならん」

 そういうふうに決まっているのだ。

 最初、知らずにその道を通ろうとしたとき、飛んできて、棍棒でおれを殴り飛ばしたのが忍性だった。子ども、七つに満たぬころのことだ。一歩間違えれば死んでいただろう。

 実際、おれはすっ飛ばされて石で頭を打ち、ほとんど死んだようになった。

 そのとたん、忍性は棍棒を放り出して駆け寄った(と、あとで聞いた)。

「わっぱ、しっかりせえ」

 忍性は、いそいでおれを衣にくるみ、自分たちの溜まり場に連れ帰り、あおいだりさすったり、せっせと看病した。おかげでおれは息を吹き返した。

「生き返ったか」

 忍性は喜んで、御堂から菓子など盗んできて、くれた。その後、おれの手をひくようにして、境内を歩き、通っていい場所、許されぬ場所をいちいち示してくれた。数日後、おれの父の太夫が忍性に挨拶に行き、何度も頭を下げていたのを覚えている。

 それ以来のつきあい──といえばいえるだろう。以来、忍性はおれが父の使いでこの御寺に来る折があれば、かならずどこかから現われて、

「わっぱ、大きゅうなったか、もう道は覚えたか」

 そんなふうに言って笑った。それがうるさかった時期もあったが、だんだんと、忍性がそうやって声をかけてくれるおかげで自分が境内を無事に歩けているということがわかってきた。昼間から酒を飲み、武芸を磨いている荒法師どものごろごろいる場所だ。身分の低い者が行きずりにいたぶられても、おそらく文句は言えなかった。

 ましてや。

「そなたは花あるゆえ、用心せよ」

 きまじめな父でさえ、おれが十を過ぎるころからそんなふうに言うようになった。

 実際、

「稚児にしてはどうか」

 と言ってきた者もあるらしい。おれはそういう顔立ちをしていた。だから御寺を通るのは「危なかった」。それをおそらく、忍性が陰から守ってくれた。そんな日々が続いて、もう十年になる。

「わっぱ」

 今日もすぐ、忍性が現われて隣に並んだ。どう嗅ぎつけるのか、おれがここに来るとき、この男に会わずにすむということがない。

「なぜわかる」

 と、いちいち聞きもしないが、たぶんおれの歩くのを見かければ、忠義顔で忍性に報告に走る者があるのだろう。忍性は、ここに長い。しかも大男で、歩くだけで境内の主のような風格がある。掃除屋どもの頭領のように担がれていても不思議はなかった。合戦のときには侍大将くらいにはなるのかもしれない。

「久しゅう見なんだな」

 忍性はいかつい顔の奥の目をほころばせた。岩が笑ったようになる。

「熊野の祭に行っていた」

「上下か。そのあたり一帯回っとったのか」

「いや、熊野だけだ」

「ふん。あいかわらず、稼ぎ方を知らぬ」

 忍性はさもうれしそうに笑った。

「はるばる熊野くんだりまで行って、一晩の祭だけちゃらりとやって、それで帰ってくるのだからな、あいかわらずどうしようもない阿呆だ」

 忍性の言葉は、そのことをことさらに吹聴しているように聞こえる。

「もうよい。言うな」

 おれが小声で言っても、

「足を伸ばして新宮、伊勢へと回るような知恵が、こやつには浮かばぬのだからなあ」

 おれの肩をどつくようにしては、笑う。こやつ、と指すあたり、人に聞かせたいのだ。

 おれのようななりわいの者ならば、上下、つまり巡業に出て稼ぎ歩くのがまあ普通だ。村々の祭を回り、芸を見せて歩けば、実入りに困るということはない。だがおれはなるべくそれをしなかった。当然、懐はいつも寒かったが、一人ならなんとかやってゆけた。どうしようもないときには人を頼った。それも才覚のひとつだと思っている。だから先日、熊野の祭に呼ばれたときも、そこだけに出て、あとはまっすぐ帰ってきた。

 上下する知恵が浮かばぬのではない。それをやらずにすむ腕を磨こうとしているのだ。

「おれが行くのは、呼ばれた先だけだ。押し売りなどしては芸が廃る」

 多少、喜ばす意味もあってそう言ってやると、忍性はおおげさにおれの肩を張り、

「言うわ」

 そう叫んで、破れ鐘のように笑った。忍性は、おれをそのように見ていたいのだ。ならば、そのように振る舞ってやるのがいい。芸を見せるうえでもそれは同じことだ。

「桟敷崩れを見たか」

 忍性は顔を寄せて訊いた。

「四条河原のか」

 忍性は激しく頷いた。おれはちょっと忍性を見て、

「ああ、見た」

 と、ことさらなんでもなさそうに言った。

「まことか。やはり、ぬし、居りくさったのか」

 忍性は犬がじゃれつくように喜び、さらに訊いた。

「大勢死んだらしいな」

「そうだ。三層の桟敷が崩れたのだからな。阿鼻叫喚の沙汰よ」

 おれは舌打ちした。

 ひと月もたたぬ前のことだ。京の鴨川・四条の河原で、橋を新たに架けるための勧進田楽があった。さきの戦で橋が流れた。これを架けるために田楽一座を呼んで興行を張り、銭を集めるのだ。最近、こういう興行が多い。大きな社寺が、やれ鐘を新しくする、戦で焼けた本堂を再建するといっては芸人を寄せ、見物を集める。

「ご本尊の御座所を建てる銭ぞ。勧進した者は洩れなく極楽に行けるぞ」

 そう言って寄付をつのるのだが、ただ銭を出せというだけでは埒が明かないので、田楽や猿楽をやって人を寄せ、見物させて、その銭をとる。

 おれたち芸人の出番、稼ぎ場だ。

 巡業はきらいだが、おれは、この勧進興行は気に入っていた。勧進は都や、南都でやる。見物は目が肥え、利にたけている。芸がよくなければ、足は運ばない。

 望むところだ。

 おれは、見て損ではなかったと思わせるものを張る。損でないどころではない、見なくては大損よと人に伝えられるものを絶対に張ってみせる。

「ぬしは、何層目の桟敷に居った」

 忍性に言われて、おれは話に戻った。

「桟敷ではない。遅く行ったから、幔幕の端っこにようやく入り込めた。だから死なずにすんだ」

 橋の再建のために張られた、四条河原の勧進田楽は、始まる前からたいへんな評判だった。都で絶大な人気を誇る、田楽二座の興行で、仕手の一忠、花夜叉が相舞うのだ。人が来ないほうがおかしい。

 河原に三層積みの桟敷を建て、何百と来た見物衆を載せた。隙間なく詰め込まれた見物で、桟敷は最初からぐらぐらしていたが、興行が半ばまで来たとき、突然、崩れた。

 あとは、地獄絵図となった。

「むざんな話よの」

 忍性が言うのに、おれは首を振った。

「あれだけ大勢載せたんだ。急ごしらえの、いいかげんな桟敷に。崩れて当たり前だ」

「何百人死んだ。死んだ者も、よも、おのれが今日死ぬとは思いもせなんだろうにな」

 忍性の言い方が妙に抹香臭いので、おれはなんとなくいらついて言った。

「なんの、それこそ極楽往生ではないか。一流の芸を見、花に見惚れ、次の瞬間には苦もなく死んでいる。これ以上の僥倖やある」

「しかし、舞った一忠らは気が悪かろう。おのれの咎ではないとはいえ。諸行無常」

 忍性がさらに言うので、おれは本気で腹を立てて叫んだ。

「橋の再建の勧進ではないか。見に来、銭を出したやつらは善行を積んで極楽に行く、そのことを望んで来たのではないか。それが即刻成就した。一忠らの功やあな深し! これ以上の功徳、おれは知らぬ」

「吼えるな。べつに、ぬしが見物を殺したなどとは言っておらん……」

 忍性が、おそらくは急に怒り出したおれの機嫌をとろうというのだろう(忍性にはそういう、気弱いところがある)、あわてて小声に言うのを聞きながら、おれは別のことを考えていた。あの日、見物とは分けて、舞台そばに貴賓席のようなしつらえがあった。その真ん中に座っていた男を、誰もが声にならぬどよめきをもって見ていた。

(将軍が来た)

 京に陣を構える武家の棟梁、足利尊氏があの日、見に来ていた。

 一忠よりも、花夜叉よりも、本当に人を呼んだのはおそらく、あの男だ。

 同じ芸能でも、おれたち猿楽は下々の楽しみとされる。だが田楽は、優雅な歌や踊りで見せる。上流貴顕が見てもおかしくはない。たとえば鎌倉では、武家がずいぶん田楽を好んで、家を滅ぼしたためしもあると聞く。「将軍」も、評判高い一忠、花夜叉の田楽を楽しもうと思ったのかもしれぬ。

(いや違う)

 おれは首を振った。それだけではない。四条の橋の再建は、軍事的にも重要事だ。大きく広い橋が架かれば、軍勢を走らせるのも、兵糧を運ぶのも早い。

 その銭を集めるためにおそらく本人が、そこに出ることを決めたのだ。自分で広告塔になったのだ。

 ──将軍、来臨。

 噂は数日のうちに京を駆け巡り、当日、扈従する武家や公家、それに将軍見たさの庶老若男女で河原はたいへんな人になった。桟敷崩れは、その余波だ。

「見物だけではない。一座にも死人が出たというぞ。例の花夜叉さえ、あれから行方が知れぬらしい。田楽新座は痛手よな。ぬし、取って代わるなら好機ではないか」

 忍性が勝手なことを話す横で、おれはその男のことを考えていた。

 将軍、尊氏。

(あの男こそがあの場の、一の仕手だった)

 おれの脳裏には、一忠・花夜叉の芸よりも、あの日の将軍の姿が焼きついて、離れない。