深海魚がアイドルになる小説を書いて、わたしはふと、自分を思った。

 わたしが生まれたのは、瀬戸内海に面したべつに大きくとも、小さくともない、極めて中規模で、何の面白味もない港町だった。

 港町。

 この異国情緒を忍ばせた響きから、ともすれば洒落た都市を想像しがちだが、わが町に限っては断じて違う。華やかなテーマパークなどひとつもないし、歴史的建造物だってない。せいぜい自衛隊の基地があるぐらい。また港は港で、大きな倉庫、クレーン、そんなものばかりが目について、情緒はなく、やってくる船も、老朽化したコンテナ船ばかりで、それは、おじいちゃんが息を切らしながら、重たい荷物を一生懸命に運んでいるようで、見る者の涙を誘う。

 ひとつぐらい誇れるものはないかと、記憶を探ってみたが、やはり、何もなかった。思い出されるのは、どこまでもつづく同じ風景と長い坂道と、そして、べたべたと肌にまとわりつく潮風だった。

 多くを望まなければ、不自由なく暮らせるけど、町全体には、ゆき場のないため息が漂っていて、それがわたしには、違うの、こんなはずじゃないのと嘆いているように思えた。だから、嫌だった。

 嫌か。

 わたしには嫌なものばかりだったな。

 まず、吃音なのが嫌だった。クラスメイトを前にして、ただ、おはようと声をかけたいだけなのに、どうしても最初の一音が出てこず、喉を絞められたように苦悶の片息を吐くしかないのも嫌だった。そんなわたしの物真似をするクラスの男子も嫌だった。グループ分けで、かわいそうだからと、仲間に招かれるのも嫌だった。わたしを招きたがるのが、たいてい、クラスでも美人で目立つ子だったのも嫌だった。

 ……ああ、そうだった。ほんとうに、かわいい子ほどわたしを気にかけた。それがわたしには嫌で嫌で仕方なかった。だって、はらはらするから。わかってくれないかな。そりゃね、あなたみたいなかわいい子は、蝶よ花よと大切に育てられたんでしょうよ。愛情を一身に受けて、あたたかな日だまりのなかを生きてきたおかげで、嫌味のない、素直な性格をしているんでしょうよ。でも深呼吸して周りをよく見てご覧よ。あなたの取り巻きは嫌な顔をしているじゃない。わたしには彼女たちの気持ちの方がよくわかる。わたしをグループに入れてしまうと、グループそのものの価値が下がってしまうからね。わかってるから。勘違いして、明日から話しかけたりしないから、安心して。

 そんなふうにわたしがいくら心のなかで言っても、……心のなかだからこそ澱みなく、すらすらと言えるのだけど、それが笑みに目の眩むほどの善意を咲かせる彼女に伝わるわけもなく、わたしは半ば強引にグループに加えられ、空気を悪くしてしまうのだ。嫌だったな。

 他にもたくさん、思い出される。

 そういうものがつまったのが、この町だ。

 出てゆきたい。

 この町から出て、新しい環境で、新しい生活をはじめる。そうすれば、いまの自分とは違う、もっと素直で、もう少しかわいげがあって、多くのものを好きになれる自分が待っているんじゃないか、と思う一方、どれほどこの町から出てゆきたいと願おうとも、わたしがわたし自身から逃れられないように、きっと、いつまでたってもわたしはこの町から出てゆかず、駅を通りかかっても、停車する電車をじろじろと嫉視するだけで、決して乗ることがないだろうと予感していた。なぜなら、わたしは、乗車券を手にすることができない人間だから。変化を望みながらも、嫌だ嫌だと思っている日々のなかに、埋没してゆくしかない、そういうタイプの人間だから。つまり、現実を知っていたのだ。だからわたしは電車には乗らない。

 わたしの母は電車に乗りたがる人だった。

 足もとのことには関心がなくて、ずっと遠くのお星さまに手をのばしてばかりいた。派手好きで、見栄っ張りだったのも、その辺に原因があるのかもしれない。そう、母は、つねに自分を実像以上の大きさに見せようとして、家にお金があるわけでもないのに、ブランド物の服やアクセサリーで着飾っていたのだ。ぶくぶくと肥えた体を、いくら着飾って隠そうとも、それは余計に、みじめに見えるだけなのに。

 そんな母でも、学生の頃は、松田聖子に似ていると噂され、たいそうもてたらしい。学校から帰るときなど、知らない男子生徒に待ち伏せをされて、何度も怖い目にあったらしい。芸能界にも誘われたことがあるらしい。あくまでも、本人談。どこまでほんとうの話なのかはわからない。だって、母は、太っていたし、目も小さくてぱっちりしていなかったし、間違っても松田聖子を連想させる容姿ではなかったのだから。

「若かったときは、もっときれいだったわ。いまは、こんな暮らしをしているから、少し、みっともない姿になってしまったけれど」

 母はよくそう言って、こっそり宝石を見せるように、わたしに学生時代の写真を見せてくれた。

 けれど、そこに写っているのは、聖子ちゃんカットをした、いまよりも肌にはりがあるところしか、褒めるべきもののない母だった。まあ、ぶすではないと思う。状況や角度によっては、あるいは、性欲で気が変になりそうな若い男には、かわいく見えるのかもしれないけれど、残念ながら、松田聖子ではなかった。松田聖子になりたい母だった。でも母は、この写真に写る若い自分を、ほんとうに、心から、松田聖子だと信じていた。

 もしかすると、一回ぐらいは、松田聖子に似ていると言われたことがあるのかもしれないし、男に言い寄られたことだって、あるのかもしれない。でもそれは、所詮、この町での話だ。この町で、それなりに、ちやほやされたからって、都会に出れば、きっと母ぐらいのレベルの子なら、ごまんといただろうから、まったく相手にされなかっただろう。

 この町から出て、そこで生活すれば、嫌でもわかるはずだ。

 けれど母には、幸か不幸か、その機会がなかった。家が裕福ではなく、娘を遠くにやる費用が、工面できなかったのだ。

 そこで、母は、仕方がなくこの町で、働きはじめることになる。水商売だったらしい。母は、親に騙されて、そんな仕事をすることになったんだと言っていたけど、わたしにはそれが嘘だとわかっていた。母はよくそういう嘘をつく。自分の恥じている過去や経歴は、すべて、誰かの悪意によって陥れられたのだと、事実を書き換えて記憶してしまうのだ。その意味では、嘘ではないのかな。当人は真実だと思っているのだから。どちらでもいいけど。

 いずれにしても、母は、この町から出ることなく、暮らした。

 その当時の母の気持ちは、想像に難くない。なぜ自分が、こんなつまらない町で、つまらない男たち相手に酒を注いで暮らさなくてはならないのか。自分にはもっと相応しい場所があるはずだ。――などと思い込んで、自分の価値を、実際以上に高くつり上げていたに決まっている。そういう人だもの。そのくせ、客には愛想を振りまいて、好かれようとしていたに違いない。嫌だ、嫌だ、と思いながら、同時に、客のおじさんたちに、ちやほやされたいと考えていたはずだ。

 だいたい、その気があるなら、ひとりでお金を貯めて、勝手に出てゆけばいいんだ。

 べつに誰も、止めたりはしない。母の人生なんだから、母のやりたいように、やればいい。

 でも母は、そうしなかった。

 稼いだお金が、毎回、抜き盗られていたので、ちっともお金が貯まらず、我慢するしかなかったと言っていたけど、その抜き盗っていた相手というのが、話の度に、店長であったり、両親であったり、当時関係を持っていた男であったり、と、ころころ変わるので、わたしは信じていない。ではなぜか。要するにあれだ、自分というものがないんだな。流されてばかり。だというのに、高望みして、うまくいかないと、全部周りのせいにする。さらに救いようがないのは、そこから、自力で、状況を打開しようとせず、誰かに助け出してもらおうとするところだ。

 父と結婚したのも、きっと、助けてもらおうと考えたからだ。いや、助けてもらうというのは、大袈裟な表現だ。水商売から足を洗いたかっただけなんだから。しかもそれは、借金のためにむりやり働かされているとかじゃなくて、選択肢があまりなかったとは思うけど、それでも、自分で選んだ結果なので、少なくとも、

「ここからわたしを助けて!」

 と、悲愴感たっぷりに叫ぶたぐいのものじゃない。いつまでも水商売なんてしていたくないから、結婚して、家庭に入りたい、助けて、という世の男性からすれば、絶句するような、助けを求める声なんだけれど、当の母は、身売りされた少女になりきって、助けを求めるわけだから、女に慣れていない男は、つい、引っかかってしまう。それが父というわけだ。まあ、貧乏くじ。

 馴れ初めとしては、客として店に行った父が、母と知り合い、やがて恋愛感情を芽生えさせて、プロポーズをした、……らしいんだけど、どうにも、べつの誰かの話に思えてしまう。それほどふたりの関係は冷えきっていたし、きっと当初から、ちぐはぐだったと思う。当り前だよ。つまらない理由で結婚なんかするから。

 あ、もしかして、母は、父に乗車券を求めたの?

 この町から、自分を連れ出してくれるんじゃないかって、期待した?

 でも父は、母と結婚したのが唯一の汚点であるほど、真面目な人間で、仕事だって不動産関係だったから、決して、この町から離れようとしなかった。

 それに幻滅して、父との関係が冷えきると、いや、きっと冷えきる前からだろうな、冷えきる前から飲み屋に入りびたって、よく知りもしないおじさんたちと騒いだりしていたから、父に愛想を尽かされたんだろう、……まあ、とにかく、父に見切りをつけて、他の男たちに媚を売るようになったんだ。乗車券を求めて。

 それなのに、結局、誰にも相手にされず、酔っ払って家に帰ってきて、わたしたちに当たり散らし、気が済むと、そのままひっくり返って鼾をかき出す。ああ、嫌だ、嫌だ。わたしはずっと、そんな母を、みっともない人間だと、恥だと思っていた。

 けれど、母だって、わたしを恥じていた。

 わたしには姉がいて、姉のことはさんざん甘やかしていたのだけれど、わたしは、母に甘やかされた記憶がないどころか、やさしくされた覚えだってなかった。よくわからない理由で、というより、理由なんて何でもよくて、とにかくわたしを叱りつけたり、ぶったりした。それは、わたしが吃音だから。母は、自分に吃音の娘がいて、恥ずかしくて恥ずかしくて、仕方なかったのだ。

 母と一緒に外を歩くときは、わたしはぎゅっと口を結んで、喋らないように努めなくてはならなかった。たとえ近所のおばさんに挨拶されたとしても、絶対に喋ってはならなかった。仮にわたしが、おばさんの返答を求める視線にたえかねて、

「……こ、こ、……こ、こんに、こんにちは」

 などと、つまらせながら答えようものなら、その瞬間に、母にぶたれてしまっていただろう。もっとも、実際に、人前でぶたれたことがあるんだけど。まあ、それほど母にとって、わたしが吃音であるということは、受け容れがたかったのだ。

 病院にもよく連れていかれた。もう必死だった。わたしの吃音が治らないのは、すでにわかっていることなのに、母は、その事実でさえ認めようとしなかった。あやしい民間療法などもむりやりやらされたが、効果なんてあるわけがなかった。

 考えられる限りの手を尽くして、それでもわたしが依然として吃音のままだと、とうとう母も諦めたのか、むだな足掻きをしなくなった。そのかわり、教会に連れていかれることが多くなった。母には熱心なクリスチャンの一面があったのだ。

 たいていの人が不思議がるように、わたしにとってもそれは不思議だった。

 およそ清貧とは縁遠い、罪深い生活を送る母に、いったいどのような論理的整合性があって、自分を信徒と自認できるのかは不明だけれど、酔いが覚めればこれまでの人類社会の罪を懺悔するかのように、髪を振り乱しながら苛烈に、全身全霊で神さまに祈りを捧げ、それが終わるとうやうやしい手つきで聖書を開いて、近所の迷惑も考えず絶叫に近い声で、部屋をぐるぐると回りながら読みはじめるのだ。謎の祭壇を、嬉しそうにつくっていたこともある。

 物心ついたときから、その宗教儀式は日常的に行われていたので、わたしはすっかり慣れてしまっていたのだけれど、一般的に見て、それが奇行に属するものであることぐらいは理解していた。母はどうかしているのだ。家族としては、その奇行をとめる責任があるのかもしれない。けれど父は、その責任を果たそうとせず、不干渉を貫くような態度で、何も言おうとはしなかった。

 その一方で、姉は、母の狂的な宗教儀式をやめさせようとした。友達を家によびたかったんだと思う。でも母が素直にしたがうわけもなく、あれほどかわいがっていた姉を叱りつけ、きびしく折檻した。泣いて謝る姉を見て、わたしは、父が母に対して何も言わない理由の一端を垣間見た気がした。

 日曜になると、母はむりやりわたしを教会に連れていった。マリアさまの巨大な銅像、というか、聖母子像が屋根の上に設置されてある、ちょっと変わった教会だった。教義的な意味は、よくわからないけれど、その聖母子像を見上げる度に、わたしは複雑な気持ちになった。わたしと母との親子関係が、正面から否定されているような気がして。

 わたしの吃音が治らないとわかってからは、日曜に限らず、母の気の向いたときに、連れていかれることになった。たとえ宿題をしていようと、風邪気味であろうと、お構いなしだった。姉や父を連れてゆくことはなく、なぜかわたしだけを連れていった。

 母は主の教えを、とくに、愛の重要性を熱心に説いたが、わたしの記憶には残らなかった。どの口が言うのかと思うと、バカバカしくて、とても聞いてはいられなかったから。

 とはいっても、不真面目な態度で聞いていると、容赦なくぶたれてしまうから、わたしはとても興味があるような、もしくは、感動しているような顔をつくっていなくてはならなかった。このあとに、聖書を暗記する時間が設けられていると知っていても、決して、顔を引き攣らせてはならない。

 教会の行事にも参加させられた。清掃活動やキャンプ。それら自体は、べつに嫌じゃなかったけど、わたしは、母の言いつけもあって、喋ることができず、とにかく窮屈な思いをしなくてはならなかった。参加している人たちは、わたしのことを、無愛想な子と言っていたけど、母が庇ってくれることなどあるわけがなく、

「何度も叱っているんですけど、まるで言うことを聞いてくれないんですよ」

 などと、さもわたしが悪いように言って回るのだ。かげではその母だって、水商売上がりの女と蔑まされているというのに。

 他に覚えていることといえば、食事の前には必ず、

《ひー びー の かー てえー をー あーたえ たー もー うー》

 と歌わされたことぐらいで、つまるところ、わたしには、教会での楽しい思い出というものが一切ないのだ。

 だから、自然と教会が嫌いになったし、できることなら、教会になんて行きたくなかった。家でお留守番をしている姉が、羨ましくて仕方なかった。どうしてわたしだけを連れていくの、と訊いても、うるさいと言われて、ぶたれるだけだから、訊けなかった。それなら、こっちも徹底抗戦で、いくらぶたれようと、ついていかないぞと主張すればよかったのかもしれない。でもわたしはしなかった。ほんとうに、嫌で嫌で仕方なかったんだけど、家族で唯一わたしだけが、連れていかれるのが、バカみたいに嬉しかったから。

 最後に教会に行ったのは、六月に入ってはじめて大雨警報が出された日だった。

 わたしは学校が休みになったので、朝から姉と一緒に遊んでいた。すると、母がずかずかわたしたちの部屋に入ってきて、わたしの腕をつかむと、教会に行くからついてこいと怒鳴り、そのままわたしを引っ張って、家から出た。

 警報が出ていただけに、外はすごい雨で、また、風も強く、傘をさしていてもまるで意味がなかった。坂道は川のようになっていた。服も靴も水びたしになった。さすがに帰りたくなった。でも、わたしは押し黙って、母の後ろを歩いた。

 教会に明かりはついておらず、扉はかたく閉ざされていた。雨にうたれるマリアさまは、泣いているように見えた。

 仕方がないので、引き返そうと、わたしは母の手を引っ張った。けれど母は、どうしてもなかに入りたいみたいで、わたしの手を振り払って、半狂乱になって騒ぎ立てた。それがあんまりにも騒がしかったのか、観念するように扉が開いて、なかから人が出てきた。その人は、よく見かける教会の人だった。とはいっても、神父さまというわけではない。何の仕事をしているのかはわからないけれど、わたしたちが教会に行くと、だいたい入り口付近にいて、何をするわけでもなく、ただ微笑んでいた。それが仕事だったんだろう。でもこのときは、その道のプロでも微笑むことができないようで、理解できない人間を目の当たりにしたときの恐怖と戸惑いとが入りまじった顔をしていた。

 その人は、わたしたちを教会のなかに招き入れると、タオルを用意しようとした。けれど、施しを受けることに強い抵抗感を持っていた母は、その真心を拒否し、ずかずかと十字架の前へ進んでいって、大袈裟に膝をつき、祈りを捧げた。わたしも母の隣に並んで、膝をついた。そして、祈るふりをしながら、ちらっと母の横顔を盗み見た。妙に艶があった。教会の、薄暗い闇のなかで、母がぼうっと光っているように見えた。

 母はゆっくりと瞼を開け、そして言った。

「聖子ちゃんになるの、わたしは」

 その帰り、母は、松田聖子の「青い珊瑚礁」を、繰り返し歌った。離れて歩きたかったけど、母はそれを許さず、それどころか、歌のなかの《あなたが好き!》のところを、わたしに歌わせようとした。たぶん、合いの手が欲しかったんだと思う。わたしが、ぶたれるのを恐れて、《あなたが好き!》となかばやけくそ気味に叫ぶと、母はとても嬉しそうに、サビの部分を歌った。

 ほんとうに、母は、嬉しそうだった。これまでに見たことがないほど、嬉しそうだったから、その二日後に、母がわたしの知らない男とともに蒸発しても、驚きはあまりなかった。

 ついに母は乗車券を手に入れたのだ。――そう、わたしは思った。

 自分をこの町から連れ出してくれる男を見つけて、ついに電車に乗った。この電車のゆく先に、トンネルを抜けた先に、松田聖子の自分が待っていると信じて。

 でもそれは愛じゃない。

 愛。

 それはわたしの名前だ。

 母に名づけられた。

 けれど、いや、だからこそ、わたしには愛というものがわからない。



 わたしには好きなコマーシャルがある。

 白鶴のコマーシャル。

 そこに出てくる人たちは、みんな、やさしそうで、ほがらかで、笑顔に充ち満ちていて、

「白鶴!」

 と言えば、

「まる!」

 とみんなで言ってくれる。

 きっとそこには、愛がある。

 わたしは、そのコマーシャルを見る度、ささくれた感情が清められるような心地になって、涙を流しそうになる。

 でも母のことを思い出すと、このひとときの、清らかな高みに達した心でさえ、疑わしくなってしまう。騙されてるんじゃないか、わたしは、って。嘘なんじゃないか、これは、って。カメラの前だから、みんな、にこやかにしているけど、その裏じゃ、どうなっているか、わかったもんじゃない。それに、だいいち、わたしが白鶴って言っても、ほんとうにみんなが、まるって言ってくれる気がしない。誰だこいつ、みたいな目で、睨まれるのが、関の山なんじゃないの。もっとも、わたしは、白鶴ってちゃんと言えるか、あやしいんだけど。は、は、は、はく、と口ごもっておしまい。気まずい空気だけが流れる。

 白鶴と言えない人間に、愛は返ってこない。

 だから、わたしは、これまで愛に触れることがなかったし、たしかめる手段だってなかった。愛というものが何なのか、知らないで育った。

 姉の光は、たぶん、よく知っている。

 わたしたちはほんとうに似ていなかった。わたしが、目が少し離れて、やや鼻の低い、魚っぽい顔立ちをしていたのに対して、姉は、わたしより鼻が高く、目はぱっちりしていて、欲目なのかもしれないけれど、かわいかった。それに、ただかわいいだけじゃなく、座っているだけで存在感があって、わたしと同じことを言っても、全然、説得力が違った。頭もよかったし、活発でもあった。みんなから愛される要素が、これでもかとつまっていた。

 わたしは、姉のようになりたかった。

 かわいくなりたい。

 でもわたしたちはまるで違う。

 決定的に違ったのは、わたしが吃音なのに、姉がそうじゃないということ。

 わたしだって、吃音じゃなかったら、いまよりももっと、自分に自信を持てて、姉に注がれる愛情の何割かを、自分に振り向かせることができたはず。母もわたしを大事にして、ぶったり蹴ったりしなかったはず。いや、ぶつな。あの人は、ぶつし蹴る。自分の小さい頃そっくりだと言って姉を溺愛していたくせに、ちょっとでも姉が反抗的な態度を見せると、何の躊躇いも、また、容赦もなくぶっていたんだから。

 まあ、母はともかくとして、父に、わたしたちを平等に扱おうと、色々、気を遣わせることはなかったはずだ。あと、親戚の人たちから、会う度に、姉を見習えと言われることもなかったはず。そう、毎回、彼らは言うんだ。ちょっとは光ちゃんを見習ったらどうだ。光ちゃんはこんなにできがいいんだから、おまえも見習って頑張れ。わかってるよ。でもできないの。見習うだけで、頑張るだけで、それができるなら、世の中に苦労という概念は存在しないの。むりなものはむりなんです。近所の人だって、光ちゃんはいい子だね、と褒めてから、わたしに、お姉ちゃんを見習わないといけないよと言った。だからわかってるっての。

 そんな日々が、当り前のようにつづいていくうちに、いつの間にかわたしは、名前で呼ばれることがなくなった。

 いや、名前が変わったのだ。

 光ちゃんの妹。

 それがわたしの新しい名前だった。

 もっとも、バリエーションはあった。光ちゃんの妹さん、とか、光ちゃん家の下の子、とか、光ちゃんのところの暗い子、とか、こんな感じで。もちろん、言いたいことはあったけど、それでもわたしは、わりとあっさり、新しい名前を受け容れた。だって、そうだもの。光ちゃんの妹。これだけで、わたしの人格をおおむね言いあらわすことに成功している。名前というものが、その人物を端的にあらわす記号である以上、愛より、光ちゃんの妹の方が、わたしには相応しいんじゃないのかな。吃音の子と言われないだけマシだし。いや、ひょっとすると、わたしの吃音は、姉の光によってかげになっているのかもしれない。わたしの吃音なんかより、よっぽど姉の方が目立つし。だとするなら、案外、悪くはないのかな。まあ、仲よくやっていこうよ、光ちゃんの妹。あんたの方が、愛なんていうやたらごたいそうで、正体不明のものより、親しみやすいよ。

 けれど姉は、わたしが光ちゃんの妹と仲よくすることを許さなかった。

 たとえば、こんなことがあった。

 姉と一緒におつかいに行ったその帰り、近所の、クリーニング屋さんの前を通りかかると、そこのおばさんが、よくわたしたちに金柑をくれた人なんだけど、その人が店からたまたま出てきて、

「おつかい? 偉いねえ、光ちゃん。妹ちゃんも」

 と声をかけてきた。彼女に何の悪意もないことぐらい、わかった。わたしにもやさしく微笑みかけてくれる。だから、わたしも微笑むことにしたのに、姉は微笑まず、それどころかちょっと怒った顔をして、

「違うよ」

 と言った。

 おばさんが小首を傾げて、

「おつかいじゃないの?」

 と訊ねると、姉は、地団駄を踏むように、もどかしそうな声で言った。

「そうじゃなくて、ちゃんと愛って言って」

 こういう挿話は枚挙にいとまがない。

 姉はわたしのことを、愛と呼ばないと、いちいち怒った。でも、大人たちは、妹思いなんだねと言って、まともに相手にしなかった。それがさらに姉を怒らせ、ついにはその怒りの矛先が、わたしに向けられた。

 とはいってもそれは、健全なものだった。母のように、ぶったり蹴ったり、ひどいときには、服を全部脱がされて、家から放り出されるような、そういう乱暴じゃなくて、わたしのよくないところをひとつひとつ挙げてゆき、たとえば、そばに母がいなくても外で喋ろうとしないところ、宿題をやりはじめるまでにすごく時間がかかるところ、お風呂の時間がすごく短いところ、トマトが嫌いなところ、などを改善させようとしたのである。つまり、教育。姉の態度は、できの悪い生徒を叱るときの、教師のそれだった。

 けれどわたしは、そこに愛情を見出していた。姉はわたしのことを考えて、色々としてくれている。だから、姉の言う通りにしよう、努力しよう。そんなふうに頑張っていたんだけど、しだいに要求されることの難易度が高くなって、わたしの処理能力は追いつかなくなった。

 母がいなくなると、姉はよりいっそう、わたしへの教育に情熱を注いだ。いまにして思えば、姉なりに責任を果たそうとしたというか、母がいなくなり、自分が妹の面倒を見なくちゃいけない、異常な状態にあった家庭環境を少しでも正常な状態に戻さなくちゃいけない、と、必要以上に気負った結果だったんだろうけど、おかげでわが家には、進学塾みたいな空気が始終流れることになった。お正月早々から、ハチマキ巻いて、絶対合格するぞって拳を振り上げてる感じ。偏差値三十台からのスタート。合格するぞ!

 何に?

 普通の人間に。

 人間、合格。

 ひとりの人間として見てもらうには、わたしはわたしを取り戻す必要がある。これまでの、わたしを失っていた人間としてではなく、わたしという一個の人格として、大地に足をつけて立つ必要がある。なるほど、もっともだ。でもお姉ちゃん、根本的な質問だけど、わたしって何なの?

「わたしの言う通りにすればいいのよ」

 姉はわたしのやることなすことすべてを否定して、自分の言いつけ通りに動くことを期待した。この教育の先に、どうやら、わたしというものが待っているらしい。べつに信じたわけじゃないけど、もし逆らって、姉をがっかりさせてしまったらと思うと、怖くて、わたしは姉に全面的に従った。わたしは完全に姉のコントロール下にあった。けど、驚くようなことじゃない。だって前までは、母のコントロール下にあったのだから。母から姉に、暴力的支配から文化的支配に変わっただけで、根源的なところは何も変わっていないのです。わたしはいつも支配されています。でも、それでもいい。がっかりさせたくないから。

 で、尾崎ロボ子。

 これが、教育された結果。

 朝、教室に行ったら、みんなに挨拶をしろと姉に言われていて、それはわたしにとっては相当勇気のいることだったんだけど、でも、姉がやれと言うので、わたしは頑張ってみんなにおはようと言った。そのときのわたしのおはようが、ピーガガガと言っているみたいに聞こえたらしく、男子たちは面白がって、わたしのことをロボ子と呼ぶようになった。

 姉に申し訳なかった。わたしは、光ちゃんの妹から愛になるはずが、道を完全に間違ってしまい、ロボ子になってしまいました。

 ロボ子か。

 ピー……ガ、……ガガ、……ガガガ。

 たしかに、そんな感じだったけど、最初に気づいた藤井くんは、結構センスがあると思う。でもロボ子っていうのは、安直じゃない? ロボ子はないと思う。けど、不満を述べようとすると、男子たちは余計に面白がって、ピーガガガ、ピーガガガ、って騒ぎ出すから、わたしは黙っているしかなかった。クラスの女子たちも、笑っているだけで、止めてはくれなかった。なぜならそこに、リーダー格の、よくわたしを同じグループに入れてくれる子がいなかったから。だいたいこういうイジリは、彼女のいないときに行われる。彼女がいたら、きっとイジリに拒否反応を示しただろうし、それに、みんな、彼女の前ではいい子でいたいのだ。嫌われたくない。だから、彼女のいないところでする。そういうこと。

 姉には言えなかった。結局、いままでやってきたことは、すべてむだで、わたしはどう足掻いても普通の人間になれない、人間未満のロボットでしかない。だから、誰からも人として愛されることはない。せいぜい、からかわれるだけ。そんな現実を姉に教えてしまえば、きっと悲しむ。それは嫌だな。

 でもさ、わたしがロボ子になったのは、お姉ちゃんにだって、責任があると思う。わたしをつねに監視して、あれやこれやと口を挟んできたじゃない。それって、わたしの背中から出ているコントローラーを使って、ずっと操作してきたようなもの。わたしを誰よりもロボット扱いしていたのは、お姉ちゃん。だから、ある意味では、ロボ子になってしまったのは当然の結果なんだ。だいたい、なんで、お姉ちゃんはそこまでするの? お姉ちゃんもわたしのこと、恥じていたんじゃないの? わたしが恥ずかしい人間だから、いや、人間じゃないんだ、ロボ子なんだ、恥ずかしいロボ子ってすごいな、なんか、文明社会に対するアンチテーゼみたい、でも、わたしにはそんなごたいそうな主張なんてなくて、主張する達者な口だって持ってなくて、ほんとうに何もなくて、そんなんだからさ、ほんとうはお姉ちゃん、わたしのこと、嫌いだったんじゃないの?

 わたしは疑念にとらわれてしまった。姉は、わたしという存在を消したかったんだ。わたしを消して、できのいい妹を用意したかった。それならそれでいいんだけど、変に気を持たせるようなことはしないで。なんで人に、わたしのことを、愛と呼ばせようとしたの? お母さんだって、なんでわたしだけを、教会に連れていったの? みんな、勝手だ。ここに愛なんてない。勝手な都合があるだけ。

 わたしは、すっかり、愛というものが、わからなくなった。

 その人を必要とする意味での愛、そして、わたしという意味での愛。

 両方の意味で、わからなくなりました。



 わたしにも心休まる場所はあった。

 それは父の書斎。

 奥の、窓際には机が置かれ、その両側の壁には背の高い本棚が壁紙を隠すようにそびえ立っていて、びっしりと本がおさめられていた。すべて文学小説で、洋書も多かったし、当時のわたしが読めるものなんて限られていたんだけど、それでも、そこに多くの物語があるということ、この空間が途方もない言葉をおさめているということ、そういうことを感じるだけで、わたしはなぜか落ち着いた気持ちになった。

 はじめて父の書斎に入ったのは、わたしが母の怒りを買って、晩ご飯を抜きにされたときだった。晩ご飯といっても、スーパーで買ってきた総菜を並べただけのものなんだけど。でも、それはまだマシな方で、母が家にいたとき、最も食卓に並んだ回数が多かったのは、ハンバーガーだった。チーズもレタスも挟んでいない、ただのハンバーガー。たまにならいいんだけど、しょっちゅうだったし、しかもいつもあり得ないほど冷えていて、それならばと温めなおしたらバンズがべちゃっとしてしまうし、そのくせ肉はちょっとかたくなるし、あまり味覚を喜ばせるものではなかった。母の味は何だったかと考えたとき、最初に思い浮かべるのがそれ。栄養という近代的な概念は、母にはなかった。

 そういえば、なんで怒られたんだっけ。思い出せないな。どうせよくわからない理由で怒られたんだろうけど、ともかくわたしは、部屋でお腹を鳴らしながら布団にもぐり込んでいた。眠れば空腹を忘れることができる。目を閉じていると、ドアの開く音がして、それは母がさせる乱暴な音ではなく、また、姉のとも違う、どこかぎこちない、遠慮しがちな音だったので、誰だろうと布団から顔を出したら、父がドアの隙間からこちらを覗くようにして、手招きしていた。

 父は、母に見つからないように注意しながら、わたしを書斎に連れてゆき、そして、こっそり、わたしにおにぎりを食べさせてくれた。父が握ったものだった。

「お母さんには内緒だぞ」

 わたしはごくんと肯いた。

 おにぎりを食べているあいだ、父は何も喋ろうとしなかった。その細い目で、じっとわたしを眺めているだけだった。だいたいにおいて、父はそうだった。昔話をしてくれるわけでもないし、冗談を言ってくれるわけでもないし、ましてや、わたしの学校のことなんて訊いてもくれない。べつに吃音というわけではない。父はわたしと違ってちゃんと喋ることができる。でも、喋ろうとしない。

 食べ終わっても、わたしはまだ書斎にいた。父が何も言わなかったというのもあるし、そろそろ母がお酒を飲みに外へ出てゆく時間だったので、書斎から出たちょうどそのときに鉢合わせになってしまうおそれもあったから、わたしは、何をするわけでもなく、ぼんやりと本棚を眺めて時間を潰していた。しかしそんなわたしの姿が、本に興味を示しているように思えたのか、父は本棚から一冊抜き取って、おずおずと差し出してきた。わたしはじっと父の瞳を見つめてから、本を受け取った。やっぱり父は何も言わなかったけど、わたしは、また、ごくんと肯いた。

 それから、度々、父の書斎に行った。ひとりで勝手に入るのは許されなかったので、わたしが書斎に入るときは必ず父がそばにいた。けれど、相変わらず父は、何を考えているのかわからない顔で、黙りこくっていたので、わたしたちはにぎやかさとは無縁だった。わたしに気を遣って、あえて会話をしないようにしているのか、それともわたしと何を話せばいいのかわからないのか、あるいは、父自身、精神的な吃音持ちなのか、……はたまた、それらすべてなのか。父は何も言ってくれないから、わたしにはわからなかったけれど、それでも、少なくともわたしを拒絶している感じはしなかった。

 だからこの静けさが、わたしは嫌ではなかった。それに、父とふたりだけの時間を得るのが、生まれてはじめてだったこともあって、なんだか、ちょっと嬉しかった。

 父とともに書斎に行って、本棚を眺める。そして、目についた本を指さし、父に取ってもらう。本は、書斎では読まない。自分の部屋で読む。だから、わたしたちの関係は親子というより、司書と利用客の関係に近かったのだけど、これまでまったく姿の見えなかった父が、このやりとりをつづけることによって、霞の揺曳の向こうから、たいまつをかざしてやってくるように思えて、徐々に、わたしは心を開いていった。

 そのあらわれとして、ある日、わたしはかねてからの疑問を訊ねてみた。なぜこんなにも多くの小説を持っているのか、と。すると父は、寂しそうに眉宇を曇らせて、

「小説家になりたかったから」

 と言った。

「……ど、ど、どうして、……」

「どうしてならなかった?」

 わたしが何度も肯くと、父は机の上にノートをひろげた。そして、わたしがちゃんと見ているかを確認してから、ペンを取った。でもペン先が、真っ白のノートに触れようとしたところで、急に父の手が震え出した。それは文字を書くことを手が強烈に拒否しているかのようで、もう片方の手で押さえつけても、一向に震えは止まらなかった。結局、父はひと文字も書くことができず、これが答えだというように苦笑いを示した。その苦笑いが、切なくなるほど辛そうだったので、冗談で大袈裟にやっているのではなく、ほんとうに父は文字が書けなくなっているのだと悟った。

 小説家になりたかったぐらいなんだから、かつては書くことができたのだろう。それが、一切、書けなくなるというのは、どういうことなんだろうか。何が原因で、そうなってしまったのか。そして、それは、どんな気持ちなのか。

 それらの答えを知りたくて、わたしも、ものを書いてみることにした。小説じゃなくて、読書感想文だけど。ちょうど夏休みだったから。母がいなくなってすぐあとの夏だった。

 父の本棚には多種多様な小説がおさめられていて、そこから、題名や背表紙で何となく気になった本を、適当に選んで読んでいたこともあって、わたしの読書遍歴には一貫性も傾向もなく、また、年相応という概念も欠いていた。だから、そのときたまたま読みすすめていたミルトンの『失楽園』を、読書感想文の題材に選んだことも、当時のわたしにとっては、それほど奇妙な選択には思えなかったのだけれど、いまかりに、わたしの身近にそんな子がいれば、彼女の将来に一抹の不安を感じるだろうし、奇妙な子だと思ってしまうだろう。もっとも、『失楽園』が、アダムとイヴの、楽園喪失を描いたものなので、母に聖書を暗記させられていたわたしにとっては、馴染みのあるものだったし、べつに読書それ自体を好んでいたわけではなかったから、本なら何でもよかったという背景もあるのだけれど。

 とにかくわたしは書くことにした。小難しいことを並べ立てるつもりはなかった。というか、そもそも何を書くつもりなのか自分でもわかっていなくて、思いつくままに鉛筆を走らせた。最初こそ、先生に読まれるということを意識して、優等生的な文章を書いていたが、そんなのすぐに破綻してしまうわけで、もう五行目辺りからボロが出てきて、どうにもアダムが気に入らないだとか、この人は要するにただのナルシストなんじゃないのかとか、いくら世間を知らない子供が書いたものとはいえ、大人がざわつきそうな内容になっていった。書けば書くほど、わたしには言いたいことが溢れてきた。だいたいね、ちょっと人類の祖先よ、読んでいるときから思ってたんですけどね、あなたさまはイヴのことを自分の所有物のように見すぎですよ。わたしは癇に障っていました。なんだか、おまえはおれのものなんだから、無条件でおれを愛せ、みたいな態度。アダムはおれさまな人? そういうの、かっこ悪いと思うな。知識の樹の果実を自分が食べたことだって、全部、イヴのせいにするし。いや、イヴだってアダムのせいにして、ふたりで口論してたけど。でも、最終的には、イヴが悪いんでした、悪女だったのです、でおさまってしまって、なんかイヴも悲哀感たっぷりに、わたしのせいであなたまで楽園を追放されるのですねみたいなことを言うし。何だこりゃ。そりゃ最初に果実を食べたのはイヴさんだよ、でも、何もかもイヴさんが悪かったわけでもないでしょうに。だいいち、どうして食べたのがイヴじゃなきゃならなかったの? べつにアダムでもよかったわけじゃない。それがどうして、イヴだったの? 悪いのは、女にしなくちゃいけなかったの? 女は反発せず、妙な独立心を持たず、男の言うことを聞いて、それに従いつづけないと、このような悲劇が起きるって言いたいの? 次から次へと言葉が出てきて、わたしは、半ば半狂乱になって鉛筆を走らせた。改行なんてしたくなかった。ひとマスでも多く、自分の言葉を、原稿用紙に書きあらわしたかった。体裁を整えようとしても、言葉が堰を切ったように出てきて、わたしはその押し寄せる濁流に呑み込まれてしまい、結局、体裁を整えることはおろか文法や辻褄すら無視したものになってしまった。原因はわかっていた。それは、わたしが自分自身の言葉を、心の奥に押し込んでいたから。うまく喋れなかったし、喋ろうとしたら母にぶたれたし、姉に言われるまま喋ってみたらバカにされた。そういうのがつづいて、わたしは自分の言葉を内側にため込んでいた。それが一気に、吐き出されている。書くことはわたしにとって喋ることなんだ。吃音なんて気にする必要がない。自由に、思いのままに、書いているあいだ、わたしは喋ることができる。読書感想文を書きながら、わたしは生まれてはじめて喋ることができたような気になっていた。興奮していた。父の気持ちがどうのなんて、もう、どうでもよかった。

 そうやって、感情のままに殴り書いたものが、偶然にも大人たちの琴線に触れたのか、あるいは単純にものめずらしかったのか、よくわからないけれど、表彰されることになった。佳作だったけど、表彰状をもらうのは、はじめてだったし、先生に褒められるのもはじめての経験だったし(たぶん彼女は、ようやくわたしの通信簿に、もっとみんなとコミュニケーションを取りましょう、以外のことが書けるのを喜んでいたんだと思うけど)、姉にもよく頑張ったって言ってもらえた。そうか。これが頑張るってことなのか。わたしはずっと、頑張るっていうのは、努力することだと思っていたけど、そうじゃなくて、結果を出すことだったんだ。姉が、もっと頑張りなさいって言う度に、わたしは頑張ってるよって思っていたけど、根本的にわたしは間違っていたんだな。結果を出すことによって、わたしはわたしが愛であることを証明できるのだ。そして、いまや、その方法が、書くことだった。

 わたしはたくさん書いた。小説だって書くようになった。何でも書いた。とにかく夢中だった。気がついたときには、わたしの心休まる場所は、父の書斎から、自室の机の前に変わっていた。書斎には、ほとんど、行かなくなった。でも父は何も言わなかった。わたしが何やら必死に書いている後ろ姿を見て、静かに立ち去った。だからわたしが、あれっと思って振り返っても、そこにはもう父の姿はなかった。わたしは気にせず、書きつづけた。



 中学に入ってもわたしは書きつづけた。

 その頃になると、わたしはお小遣いから自分で小説を買うようになっていて、最近の文学はだめだね、なんてよくわかってもいないのに、いっぱしの口を利いていた。作家もどちらかというと、古い作家を好み、しかも、難解とされる作家を好んだ。もちろん、途中で読むのを挫折している。それでも、背伸びをしつづけた。そういう時期だった。

 クラブには絶対に入らなくてはいけなくて、文芸部があればよかったんだけど、それっぽいものすらなくて、運動部は苦手だから嫌だし、いや、運動そのものというよりあの雰囲気が苦手だったから、文化部がよくて、でも書くこと以外に興味はないし、どうしようかと困っていると、姉が生物部に入れと言ってきた。べつに姉は生物部じゃない。軟式テニス部で、忙しそうにしている。じゃあ、どうしてわざわざ生物部に入れと言ってくるのかというと、そこに祐助が入ったからだ。

 祐助のことは、あまり好きじゃなかった。

 家が近所で、かつ同い年ということもあって、小さかったときは、一緒に遊んだこともあったんだけど、祐助は戦車の話しかしないから、すごくつまらなかった。T34がどうだとか言われても、知らないし。なんか、やたらわたしに正式名称や性能を教えたがったけど、全然興味ないし。他にないのかって思うほど、戦車だった。そんなんだから、わたしに負けず劣らず、浮いていた。おまけに、牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけて、華奢で、いつも、とんでもない悲劇が起きたかのように青ざめていて、大人たちから、自衛隊に行って鍛えてもらえとからかわれていた。いや、案外本気だったのかな。知らないけど。まあ、とにかく祐助は、沍えなかった。背だって、わたしより低かったし。もっともその頃の男子は、みんな、女子と変わらないか、やや低いかぐらいの身長だったんだけど。

 そういえば、わたしの母にすごく嫌われていたっけ、祐助は。

 母は、ことさら容姿で人を判断するタイプだった。集合写真を見ては、整った顔立ちの子を指さして、この子と仲よくしろとよく言った。とりわけ、かっこいい男子を見つけると、家に連れてこいと頻りに言った。母自身が会いたかったのだ。その基準からすると、祐助は合格点にほど遠く、家に連れてこようものなら、あんたを家に上げることはできないと言って、わたしの意思などそっちのけで勝手に追い返すのだ。そんな仕打ちを受ければ、わたしを避けるようになってもおかしくないのに、翌日顔を合わすと、祐助は何ごともなかったかのような調子で、また戦車について話し出すのだ。それをやさしさに思える人も、もしかしたら、いるのかもしれないけど、わたしには軟弱に思えた。

 でも姉には好かれていた。それは、祐助も姉の言うことをよく聞いたというのもあるけれど、やっぱり、わたしとかかわりを持ちつづける数少ない、というか、たったひとりの家の外の人間だったからなんだろう。祐助を遠ざけてしまうと、わたしが完全に孤立すると思っていたに違いない。姉は、妹の面倒を見てやってと頼み、自分が見ていられないあいだは、祐助にその代役を任せた。そのせいで、学校でも祐助はわたしに話しかけてきた。わたしはそれがすごく嫌で、だって、祐助がわたしの席にやってくると、周りのみんなが、粘っこい視線で見てくるから。ああ、底辺は底辺でつるむんだ、みたいな。あわれむような、バカにするような、それでいて、自分がわたしたちとは違う場所にいるという優越感に浸った目で見てくる。うるさいうるさい、その目がうるさい。いい気になるな。あんたらだって、いつわたしの側に落ちるかわからないんだぞ。生まれながらの弱者なんていないんだ。弱者というのは、こいつは弱者だと集団に認定される手続きをへて、合意を得て、そこではじめてつくられるものなんだ。あんたらは細い一本の綱の上を歩いている。風向きが変われば、ちょっとでも強い風が吹けば、そこから落ちてしまう。あんたらが足場にしている場所なんて、それぐらい危ういもので、自分は大丈夫だと安心できるものじゃないんだ。そこんとこ、ちゃんと理解してるの?

 わたしは苛立ちを祐助にぶつけ、絶対に学校では話しかけてくるなと言った。こう、言葉をつまらせながら、ヒステリックに。祐助は青白い顔をさらに青白くさせて、何が何だかわからないといった感じだったけど、とにかく肯いていた。それ以降、祐助が話しかけてくることは、たしかになくなったけど、わたしをちらちらと見てくる視線に、よくかち合った。それがまた腹立たしかった。言いたいことがあるなら、はっきり言いなよ。あんたはちゃんと喋れるだろうに。うじうじして、情けない。そんなあんたとお似合いだとされているわたし自身も情けない。くそ。

 日々の経過とともに姉は、いっそう、祐助を頼るようになった。父の帰りが遅い日には、姉は、ふたりだけだと寂しいからって言って、祐助を家に呼んだ。晩ご飯を一緒に食べるためだ。最低だった。沍えない戦車オタクの顔を眺めながら食べるご飯ほど、まずいものはない。もう母はいなくなっていたから、祐助を家に呼べるんだけど、このときばかりは、母の不在を呪った。

 その団らんの場で、わたしのことを姉はよく訊きたがった。ちゃんと学校で過ごせているのかって。いじめられてないかって。祐助の返答は、いつも決まっていた。

「みんなと仲よくやってるよ」

 その目は節穴か。夢でも見てるのか。あ、ひょっとして、自分はちゃんと役割を果たしていますよってアピールして、姉の好感度を上げたいのか。全然、できてないくせに。わたしに拒絶されて、ちらちら見るぐらいしか、できてないくせに。神さま、ここにひどい嘘つきがいます。罰をお与えください。

「それなら、いいんだけど。……これからも妹の面倒を見てあげてね」

 わたしという荷物が、姉から祐助に渡されるのを、たしかに見た。どうしてだ。ちゃんと結果を出したのに。読書感想文の佳作程度じゃだめだったってこと? いや、というより、その一回しか、結果を出せなかったから、いけなかったんだ。わたしは追試に落ちてしまったのだ。だから、姉は匙を投げて、わたしに時間を割くより、自分自身のために時間を割こうと思って、祐助にわたしを押しつけた。お母さんそっくり。みんな、わたしを勝手にコントロールして、勝手にわたしから離れてゆく。きっと祐助だってそうだ。祐助が姉に気があるのは、ちゃんとわかっている。姉の前じゃ自分のことを、学校ではそれなりに友達がいて、それなりに楽しくやってる人間のように語るし、それに、戦車の話をしないし。見え見えなんだ。祐助はわたしを使って自分の評価を上げようとしている。絶対、うまくいくわけない。ミドリガメが崖の上に咲く花に恋するようなものだ。身の程という言葉しか載っていない辞書をプレゼントしてやりたい。まあ、どうせ、そのうち身をもって知ることになるんだろうけど。それで、わたしには何の利用価値もないと気づいて、離れてゆくんだ。また他の誰かにわたしを押しつけて。バケツリレーだな。ああ、わたしよどこへゆく。

 うるさい、そんなの自分で決めるよ。

 わたしははじめて姉に逆らった。いままで、逆らうという発想すらなかったのに、書くことによって自我を芽生えさせたのか、はたまた、思春期の偉大なる恩恵を受けたせいか、中学では姉の推薦する生物部に入らなかった。かわりに、女子ハンドボール部に入った。べつに運動部を好きになったわけじゃない。相変わらず、何ていうのかな、あの運動部のノリ、軽いくせに厳しいあの感じ、あれはやっぱり苦手だったし、そもそもハンドボールのルールを知らないし、いまでも知らないし、運動だって得意というわけじゃなかったから、ヘマばっかりやらかすのは容易に想像できたんだけど、姉に逆らったことを証明するには、そこに身を置くのが一番だと思えた。わが中学は、野球部とかサッカー部とかメジャーなものがないわりに、いや、わりにじゃなくて、メジャーなものがないからなんだろうけど、ハンドボールが盛んで、運動部のなかで最も人数を抱えていたのだ。だからだ。わたしにとってハンドボール部は、ある種の象徴だったのだ。

 当然、そんなところに入れば、いくら女子の方だとしても、練習が厳しいわけで、わたしはまったくついていけなかった。なんだかみんなおっかない顔してボール投げてるし、信じられないぐらい走り込むし、おまけに指につけなくちゃいけない松やにのせいでかぶれるし。みんなが当たり前のようにこなしている練習にすらついていけないわたしは、グランドの端の方で、延々、防球ネットに向かってボールを投げていた。投げては、転がったボールを拾って、また投げる。誰かに指導されるわけでも、意味があるわけでもないのに、ちょっとでもサボると怒られる。拷問だ。あの延々と土を掘っては埋めてを繰り返すやつ。あれだ。よく似てる。

 二年生になっても、変化はなかった。わたしは隅の方でボールを投げている。できのいい後輩たちにはバカにされた。だから生物部に入っていればよかったのよ、と姉はねちねち言ったけれど、そう言われれば言われるほど、わたしは自分の選択の正しさを確信した。祐助は祐助で、わたしには似合ってないと言ったけど、放課後、理科室の前を通りかかったときに、メダカの世話をしている祐助の姿が見えたことがあって、わたしに似合ってないと言うだけあってメダカに餌を与えるそのさまはあり得ないほど似合っていたけど、そんなふうになるぐらいなら似合わないことをしていたかった。

 逆らったがために生じた負債。中学の三年間、わたしは、ひたすらこれを支払いつづけた。もちろん、それだけじゃなく、小説だって書いた。違うな。小説を書くのが中心で、その他のことは負債の支払いという感じだった。主が小説を書くことで、従がそれ以外のすべて。べつに、小説を書いていればそれで満足、というわけじゃない。小説を書くことで、充足感を得ることなんてなかった。ただわたしは足掻いていた。こんなんじゃないって。わたしだって、やればきっとできるから、だからちゃんと見てよって。誰に? わからない。けど、わたしを見て欲しかった。不可能ではない気がする。だって、何かがはじまりそうな予感があるから。はじまる。たぶん、わたしは試練を受けているのだ。この試練にたえ、それでも小説を書きつづけることができれば、きっと、はじまる。誰かのものではないわたしがはじまる。そんな気がしていた。

 錯覚だった。無事中学を卒業して、心機一転、高校に入学しても、何ということでしょう、何もはじまらないではありませんか。というか、むしろ終わってた。せっかく過去の負債を清算して、身をきれいに、それこそ純白のウエディングドレスを着て教会に走ってきたのに、そこには誰もいませんでした、みたいな。ダスティン・ホフマンがガラス壁を叩きながら、わたしの名を叫んでくれることなんてないし、そもそもカール役の人さえいない。卒業にならない。ならないのなら、いいことなのか。あれはどう考えても、幸福な生活がふたりを待っているようには思えないし。いや、それでもいい。連れ出して欲しかった。黄色いバスに乗って、これでよかったんだよねって漠然とした不安を味わうことになるとしても、全然構わない。むしろ味わいたい。その両頬を手でぐっと押さえて、覆い被さるようにキスしてやりたい。わたしはその味を知らないから。不安とは自らの将来を持つ人たちの贅沢品で、わたしにはそれを味わう資格がもとからなかった。そもそも何もなかった。ほんとうに? ええ、ほんとうなんです。

 たしかに、辛いことは多くあったけれど、そこにわたしの苦しみや、わたしのかなしみはなかった。ましてやわたしのよろこびなんてあるわけがなかった。わたしの外側ですべてが完結していた。それはやっぱり、何もないということだ。だからわたしは小説を書いた。自分の言葉を書いて、くしゃくしゃに丸めて、こっちを見ろって投げつけた。でもそこはそこだけで完結しているから、つまるところ映画館のスクリーンに向かって投げているようなもので、いくら投げても登場人物たちがこっちに振り返ってくれることはない。投げつけた言葉は弾き返され、わたしの足もとに転がる。スクリーンに映る人々は、わたしに背を向けて、遠ざかってゆく。

 けれど、遠ざかる人の群れのなか、ふと立ち止まってくれた人がいた。自分でも信じられなかった。まさかほんとうに、わたしの言葉が届くだなんて。夢みたい。わたしに尻尾があれば、きっともぎ取れそうになるぐらい振っていただろう。はじめて人に褒められたあのときから、もう一度、もう一度、と、長年求めてきたものが、ついに手に入ろうとしている。こんなに嬉しいことはないし、このよろこびは、まぎれもなくわたし自身のよろこびだった。

 だから、啓一に恋してしまったのも、運命だった。そう、間違いなくそれは運命だった。でも、運命だからといって、正しいとは限らない。