一


 ぷらっとマート鳳島中央店の朝は早い。

 牧水良平は店の前で掃き掃除をしていた。

 朝の五時半。すでに太陽は東の山を離れ、薄い雲を散らした空を青く染めている。そろそろ梅雨の季節だが、今日の天気予報は晴天。暑くなるだろう。

 一台のトラックがやってきて、店の前に止まった。トラックの横腹には青い靴のマークと『ぷらっとマート』の文字。

 運転席から降りてきた配送員に、良平は張りのある声を掛けた。

「おはようございます」

「おはようございます、店長さん。裏でいいですか?」

「はい、よろしくお願いします」

 早朝第一便。彼の到着から、良平の店の一日は始まる。


 日本海に面する、朝市と海産物で有名な石川県鳳島市。その中心部、海沿いの道に一軒のコンビニエンスストアがある。

 ぷらっとマート鳳島中央店。この春にオープンしたばかりの店だ。店長は大学を卒業したばかりの二十二歳、牧水良平。

 彼は祖父から母に受け継がれた古い商店を、コンビニに変えた。

 オープンから二ヶ月と少し。奮闘の日々は続いていた。


 騒々しい音を立て、シャッターが少しずつ上がっていくと、色とりどりの商品や手書きのPOPが彩りを取り戻していく。

 今日は六月一日。時刻は五時五十分。開店の十分前だ。半ば上がったシャッターをくぐり抜けて、一人の高校生が入ってくる。

「おっす、良兄」

 カウンターに立つ良平に手を挙げる少年は海東真雄。筋金入りのサッカー少年で、良平の幼馴染みだ。俊敏そうなスポーツ刈りの彼は、小走りにバックヤードに向かう。

 真雄は高校のサッカー部がなくなってしまったため、今はサッカーのできる大学に行くために、良平の店でバイトして資金を貯めている。快活な少年だった。

 シャッターが上がりきると、しんと静かになる。店内に響くのは、かすかな冷蔵庫のうなり声だけ。その中に、真雄がタイムカードを押す小さな音が聞こえる。

 自分の店に息が吹き込まれていく。この瞬間が良平は好きだった。

 その静寂はすぐに破られる。騒々しい台車の音と共に、空色の制服を着た真雄が、弁当やおむすびがぎっしり詰まったカゴを押してくる。

「今日は多いなあ」

 真雄がそうぼやくのはいつものことだ。良平は笑って、声を掛ける。

「よろしく」

「ほーい」

 バーコードリーダーを取り出して、ピッ、ピッ、と真雄が検品を始めた頃、開店時間を告げる小さなブザーが鳴った。六時だ。

 すぐに数人の客が入ってきて、良平は声を張り上げた。

「いらっしゃいませ!」




 七時を回ると、客層ががらりと変わる。

 それまでは朝市に店を出す常連客が多かったのに対し、七時ごろからは向かいの市営駐車場に観光バスが着き始め、観光客が入ってくる。

 近くに出来たビジネスホテルから、朝食を求める客がやってくるのもこの頃だ。この時間から九時過ぎまで客足が途切れることはない。一日で一番の稼ぎ時だった。

 店内には通常の商品の他にも、鳳島の地産品があちこちに置いてある。饅頭や甘栗など食べ物が多いが、塗り箸などのお土産品もあった。どれも良平や真雄たちが自ら開拓し、仕入れさせてもらっている自慢の商品だ。

「んじゃ、良兄」

「おう。行ってこい」

 真雄は、朝に一時間半だけ働いてから朝食を食べに家に戻る。真雄の家はこの店の三軒隣だ。彼が開店からシフトに入ってくれるお陰で、朝の忙しい主婦アルバイトに無理をさせなくて済んでいる。

「真雄くん、今から学校かい」

 入れ違いに常連客の男性が片手を挙げて入ってきた。店内は観光客と、この男性のような朝食を買い求める地元客が半々といったところ。店の周辺は一人暮らしの高齢者が多く、また女親が朝市や漁に出ていたりする家庭も少なくない。

「おはようございます」

「今日も一人寂しくノリ弁だぁ」

 漁師を引退し、悠々自適という彼は、賑わう店内を尻目に、さっさと弁当を一つ取り上げてレジにやってくる。

「今日は煙草はいいですか」

「あぁ、煙草は一箱ね。あと新聞もらうわ」

 弁当を温めている間に、ひょいと競馬新聞を一部取る。

「ありがとうございます」

「ええよええよ」

 弁当は熱いくらいに温めて、煙草はラーク。たまに競馬新聞を買っていく。平日はほとんど毎朝来る客で、近所に住んでいるのも知っていた。

「にしても、コンビニになってから毎日来てまうわ。便利になったもんやなあ」

「……ありがとうございます。またよろしくお願いします」

 良平は笑いながら頭を下げた。

 彼が出て行くとレジに並ぶ客が途切れ、良平は割り箸をカウンターの下に補充しながら店内を見回す。十人ほどの客がいた。

 今が一番商品の充実している時間帯だ。客は、棚にぎっしりと詰まった様々な商品──種類は約二千五百点──を眺めている。子供連れの客もいる。こんな時間から女性誌を立ち読みしているOLもいた。出勤前の憩いのひとときだろうか。

 店には良平の他に、真雄と入れ替わりでやってきた主婦アルバイトが二人働いている。鳳島には大学生やフリーターがほとんどいない。真雄たち高校生と主婦アルバイトが主力だった。

「いらっしゃいませ」

 カゴを提げた中年女性がレジにやってくる。お弁当が二つと、『チョコクラッシャー』という子供が喜びそうな菓子が一つ。新商品だ。

「1280円です。お弁当は温めますか?」

「じゃあ、温めてもらえる?」

 良平が後ろのレンジにお弁当を入れようと振り向くと、

「すいませぇん」

 カウンターの横から声を掛けられた。そちらを見ると、大学生ぐらいの男女の二人連れが、不機嫌そうな顔でこちらを見ている。

「はい、なんでしょうか」

 弁当を温め始めて、袋を用意しながら二人連れに言葉を投げた。

「ちょっとぉ、道を聞きたいんですけどぉ」

 二台のレジには客が並び始めている。見れば、二人連れは地図を持っているわけでもない。教えるにしても時間が掛かりそうで、良平は内心苦笑しながら言う。

「すみません、少々お待ちください」

 そう言っておき、お客からお金を受け取る。手早くお弁当に箸を付けて渡し、次の客と二人連れのどちらを相手にするか、暫し逡巡する。

 だが考えるまでもない。良平は次の客に向き直って商品を受け取った。

「あの、急いでるんですけどぉ」

 すると二人連れはあからさまに店内に聞こえるように声を張り上げる。レジに並んでいる客のことなど構いもしない。目の前の客も不快そうに二人連れを見ている。

「……申し訳ありませんが、今は他のお客様が並んでおりますので、少々お待ちいただけますか?」

「ただ道を聞いてるだけですけどぉ。すぐ終わんでしょ、そんなの」

 険悪になりかけたところに、女子高生の二人連れが店に入ってくる。その一人が、カウンターに張り付く二人に声を掛けた。

「道ですか? どちらに行かれますか」

「……へ?」

 いきなり女子高生に話しかけられ、二人連れはきょとんとする。

 彼女に目配せをして、良平は言った。

「彼女はうちのアルバイトです。この辺りのことには私より詳しいので、彼女に聞いてください。……頼む、瑠美ちゃん」

 その苦笑に女子高生──濱谷瑠美は頷くと、良平から地図を受け取って説明を始めた。制服姿の少女がはきはきと喋るのを、二人連れは気圧されたように大人しく聞いている。

 良平は、待たせていた客に一言詫びると、内心ため息をつきながらリーダーを取り上げた。


「まったく……」

 道案内を終えて、制服姿の少女が呆れた声を上げる。小柄で、ともすれば中学生にも見える瑠美は、この店の四人の高校生アルバイトの一人だ。鮮やかな茶髪は染めているのではなく天然。そのせいで学校では浮いていて、以前はいじめを受けていたこともあったらしい。

「外まで聞こえてたか」

 客が途切れたので、小声で瑠美に話しかける。

「はい。何でしょうね、あれ。結局、何も買っていかないし」

「こらこら、ああいう人もお客さんだぞ」

 唇を尖らせる瑠美を軽く叱る。瑠美は「そうですね」と小さく苦笑した。

 コンビニに道を尋ねに来る客は多い。そういう客にはできるだけ親切に教えるようにしているが、今のように他の客の迷惑を気にしないようだと、さすがの良平も少し辟易してしまう。

 とはいえ、そういう態度を客の前でとるわけにはいかない。

「けど……ここのところ、ああいうお客さんが増えましたね」

「ホテルの客かな」

 ここから歩いて十分くらいの海辺沿いに、ビジネスホテルが出来たのが先月のこと。意外と客が入っているようで、団体旅行のバスも良く駐まっている。大きな道沿いということもあり、半島を巡る車やバイク観光の拠点にもなっているらしい。

 この店はホテルから見れば最寄りのコンビニである。客が増えたのは有り難いが、先ほどのような少々困った客も多くなった。

「どこに行くって?」

「曽々木の窓岩だそうです。地図くらい自分で持ってこないんですかね」

 瑠美は肩を竦めた。言葉にやや険があるのも無理はない。

 今のような割り込みぐらいならまだ良いほうで、鳳島の観光案内を強要したり、キャンプゴミを大量に持ち込む観光客もいた。ひどいものになると、店の外のゴミ箱の前にバイクを駐めて何時間もいなくなったりする。

 その度に瑠美たち高校生アルバイトは何歳も上の相手に対して注意しなければならない。そのストレスは相当なものだろう。

「瑠美ちゃん、助かったよ」

「これぐらいなら大したことないです」

 にこりと微笑んで、瑠美はカウンターを離れて店内を回り始めた。


 客の相手をしているうちに、時刻は八時前になっていた。客がまたレジに並び始め、良平は忙しく手を動かす。

 火曜日は、ぷらっとマートの新商品が並ぶ日だ。お弁当やおにぎり、スイーツ、パン、お菓子。今週も二十点以上の新商品が店に並び、POPが賑やかに立っている。店内は観光客で一杯だ。その間をいかにも嬉しそうな顔をした、黒髪の女子高生が歩いている。

 瑠美と一緒に入ってきた、背の高い女の子だ。彼女もこの店のアルバイトで、通間純という。

 純は新商品を次々と取り上げて眺めている。ときおり声を上げて笑うから、観光客がぎょっとする。しかし常連客のほうは慣れたものだ。火曜日に限らず、純は暇さえあれば店にやってきて、並べられた商品を楽しそうに眺めている。ある意味この店の名物のようなものだった。

 彼女はそうして店内のほとんどの商品の場所と値段を覚え込んでしまう。店内での奇行は少々気になるが、商品知識については彼女の右に出る者はいない。

 決して広くはない面積に、数千種類の商品を詰め込んだおもちゃ箱。純にはコンビニがそんな風に見えているのかもしれない。

 そんな純の側で、瑠美も新商品を確認している。この店の名物的なアルバイトの二人は、常連客から声を掛けられることもある。その度に、二人とも笑顔で応じていた。

「純。そろそろお弁当買って」

「はぁい」

 二人はアルバイトを始めてから一緒に登校している。瑠美は、純に付き合うせいで最近はいつも遅刻ぎりぎりだという。彼女は純を促して、自分も新商品の弁当から一つ選んで取り上げた。二人とも、新商品を一通り味見するのが習慣になっている。

「いってらっしゃい」

 レジを打って、良平がそう声を掛けると、二人は微笑んで、

「いってきます」

 と揃って頭を下げ、連れ立って出て行った。




「いらっしゃいませ」

 夕方になり、カウンターに入った瑠美の声が響く。入ってきた客に声を掛ける間も、手はレジのキーを打っている。最初の頃、二つのことを同時にしようとするとすぐパニックになってしまったのが嘘のようだ。

「1000円お預かりします。お釣りは390円です」

 背の低い瑠美には、店のカウンターは少々高い。客の顔を見ようとすると、いつも見上げることになる。それでも目を伏せないところが、良平は気に入っていた。

 最近は、夕方にも客がそれなりに入るようになってきた。隣のレジの良平の前にも客が並んでいる。

「はいこれ」

「缶ビール一本で、250円です」

「たまには少しまけてよ、良平ちゃん」

 赤ら顔のおじさんは、やはり近くに住む漁師だ。良平は笑って首を振る。

「駄目ですよ。俺が怒られちまいます」

「店長でしょぉ?」

「立場は弱いんですよ。うるさいのがいるんで」

「良平ちゃんも大変だ」

 笑い、小銭を並べて店を出て行く。瑠美が客の合間に良平を見上げて、

「誰のことですか?」

 唇を尖らせて言ってくるのに、良平は軽く笑った。こういう冗談が出るようになったのは、仕事に慣れてきた証拠だ。

 この二ヶ月で分かったことだが、瑠美は金銭管理にとても厳しい。朝昼晩のレジ内のお金の計算も率先してやり、10円単位の誤差でも表にして、バックヤードに張り出している。

 それを少々疎ましく感じるアルバイトもいるようだが、良平は頼もしいと思っていた。店舗経営で金銭にルーズなのは百害あって一利なしだ。彼女にはそのうち、精算業務を教えようと思っている。

 客が入ってきて、カウンターの前を横切って弁当の棚に向かう。その棚の上から三段目には、漬物のパックが並んでいる。

「あー、良平ちゃん。静さんの白菜はのうなったんか?」

「もう季節じゃないんで漬けてないんですよ。すみません」

「さよか……」

 これは近くに住む、すこしボケてしまったご老人。一週間に一度くらいやってきて、このやり取りを繰り返している。

 残念そうな呟きを漏らすと、老人はレジの回りをきょろきょろと見回す。

「……ええとね、ほな、これ一つ」

「はい。20円です」

「えっと」

 彼はいつものようにレジの脇に置いてあるチロルチョコを一つ拾いあげると、腰に吊ってある巾着から、震える手で十円玉を取り出す。

 急かしたりはしない。少々時間が掛かるので、瑠美に目配せをして次のお客さんを引いてもらった。

「はい、これ。20円ね」

「ありがとうございました」

 レシートを手渡すと、丁寧にお辞儀をしてくれる。チョコを大事そうに握りしめて、ゆっくりと店を出て行った。その後ろ姿はどこか嬉しそうに見える。

「すみません、お待たせしました」

「ああ、いえ」

 すぐに次の客の相手に戻る。ジャンプスーツの青年だ。お弁当とカップラーメンにペットボトルが一本。バイク旅行だろう。

「お弁当、温めますか?」

「お願いします」

「お箸は一膳でよろしいですか」

「二膳お願いします」

 礼儀正しい青年だ。旅行客が皆、こういう感じならいいのだが、と詮無いことを思う。

「あ、それから……フライドチキン一つ、スパイシーな方お願いします」

「はい。フライドチキンは温めますか?」

「あ、じゃあそれもお願いします」

「私がやります」

 客が途切れて、ファストフードの補充をしていた瑠美が言う。良平は軽く頷く。

「合計で967円です」

「じゃあこれで」

 差し出された千円札を、良平は笑顔で受け取った。


 十八時半になり、良平がバックヤードに入ると、垂氷賢治が段ボールに背を預け、雑誌を読んでいた。

 何を読んでいるのかと見れば、男性ファッション誌だ。いつもマンガを読んでいる真雄とつい比べてしまい、少し笑う。

「おっす」

「おいッス、店長」

 声だけで、視線は雑誌に落ちたままだ。彼も高校生で、この店のオープニングスタッフの一人である。

 暗い茶髪の細身の少年だ。髪は瑠美と違って染めているもので、両耳には銀とおぼしき小さなリングピアスを付けている。見た目はちゃらちゃらした高校生で、こうして大人びたファッション誌を読んでいても違和感はない。

 良平は賢治の横を抜け、バックヤードの奥のドアを開ける。そこは四畳ほどの空間になっていて、奥にストコンが置かれている。

 椅子を引き出して座ると、後ろから賢治が入ってきた。この部屋は休憩所にもなっていて、隅にはこの日の廃棄商品が積んである。賢治はカゴから適当な総菜パンを取り上げて包装を破ると、良平の後ろからストコンの画面に目を落とす。

「どうッスか」

「厳しいな」

 オープンからの収益は、赤字だった。


 良平もサンドイッチの袋を開けてかぶりつきながら、画面を操作する。

「赤字幅は着実に縮まってる。ただ、大口の注文が取れないんだよな」

「痛いッスね」

 コンビニの顧客は店に来る客だけではない。近くで運動会などの行事があれば弁当の注文を取りに行くし、工場やオフィスにも営業を掛ける。もちろん店頭でも予約注文を受け付けている。

「行事の少ない六月だけど、いくつかイベントはあるんだ。でも、ほとんどリンリンに持っていかれてる。連中、弁当を何回かタダで提供してから注文を取ってるらしい」

 この店から百メートルほどのところに、大手コンビニチェーンのリンリンが店を構えている。

 良平が北陸の地場チェーンであるぷらっとマートと契約したあと、それに当てるように開店した。現在も客を奪い合っている状況だ。そのリンリン朝市通り店は同じ商店街の勝木酒店が前身だった。

「はぁ、損して得取れか。ウチじゃやろうと思ってもできないッスね」

 賢治は皮肉げに肩を竦める。彼の実家はコンビニを経営している。そのせいか、この少年はコンビニ経営についてかなりの知識を持っている。自分で勉強もしているようで、良平の良き相談相手になっていた。

「それにこう言ったら何だが、俺が軽く見られてるような気がするんだよな。押し出しが足りないというか」

「まあ、威厳はないッスね」

 賢治が笑う。実際、向こうの店主の勝木は、そろそろ五十近い老練な店主だ。人脈もある。経営手腕では決して劣っているとは思わないが、同じ立場で営業を掛けた場合に、相手が若すぎる良平に不安を抱くのは当然だろう。

 こういうとき、母がいれば、と思う。

 良平の母親は長く鳳島で商店を続けてきただけに、人脈も豊かだ。しかし、開店のときに母は、良平に店を託す代わりに、自分は一切関わらないと宣言した。

 店の二階は牧水家の自宅だが、もう母はそこにはいない。一ヶ月ほど前に、父親のいる金沢に住むことに決めて、家を出て行った。

 自分に頼るなと、そういうことだろう。けれど漬物だけは週に一度、必ず送ってきてくれる。今でも母の漬物は、この店の名物だ。

「とにかく、まずは来週の物産展で気張るしかないな。今まで以上にお客さんが来るだろうから」

「そうッスね。俺の方も町内の店を回って、いくつか良い返事を貰ってます」

 オープニングセールの目玉として、良平たちは鳳島の地産品を集めた。それは今でも店の名物になっているが、加えて先月から、第二土曜、日曜の二日間、『鳳島ミニ物産展』と題したイベントを開催することにした。今回で二回目となる。

 言い出しっぺは賢治だ。彼はコンビニの仕事はすべてそつなくこなし、いつも飄々としていて客あしらいも上手い。四人の高校生アルバイトの纏め役になっていた。

 物産展の内容も賢治が中心となって仕切っている。良平はほとんどタッチしていない。地産品の仕入れ先は十店ほどあるが、高校生たちが自主的に仕入れの交渉に行っているようだった。そんなミニ物産展は、仕入れ先の店舗からも好評だ。

 ただ肝心の利益はあまり上がらない。こちらからお願いして仕入れている商品だから、利益率は微々たるものだった。だが物産展の開催中は一般商品の売り上げも上がる。なるべく多くの客に、店へ来てもらうきっかけを作ることが大事だった。

「今回のミニ物産展では、何かイベントをやるのか?」

「まだ話が付くか微妙なんで、土曜の集まりで話しますよ」

 賢治はその性格もあって交渉が上手く、前回は鳳島高校の和太鼓同好会を呼んで演奏会をやっていた。上手とは言い難かったが、観光客にも地元客にも好評で、当の同好会の生徒にも感謝されてしまったほどだ。

 二回目の今回も、何かイベントをやるのだろう。もちろんイベントだけでなく、新しい地産品の仕入れにも余念がない様子だ。

 そうした時間外労働に、良平はまだ報いる手段を持っていない。給料も上げてやれないのが歯がゆかった。


 物産展については賢治に任せ、良平はサンドイッチを咀嚼しながら、今日の売り上げ点数と欠品を表示したリストを開き、しばし見入る。

「……これ」

 後ろからパンを囓りながら、賢治が画面の一点を指した。

「どれだ?」

「これッスよ。生チョコ蒸しパン。伸びてますね」

「ああ。他店では、あんまり売れてないらしいんだが」

 本日の仕入れ三十個に対し、すでに二十五個も売れている。定番品以外でこれほど大量に売れているパン類は他にない。

「オープニングセールで試食会をしたのが良かったかな」

「それもあるでしょうけど……通間がリキ入れてますからね」

「純ちゃんか」

 そうだな、と良平は笑う。生チョコ蒸しパンは二ヶ月前、この店がオープンした時期に発売された新商品で、オープニングセールのときに試食会をやった。それ以来、純が気に入ってしまい、それからずっとパン棚の目立つところを占領している。賑々しいPOPもオープン時のままだ。

 すぐ飽きられると思いきや、リピーターが付いたのか、売り上げを安定して伸ばしている。良平の母の漬物と並ぶ、この店の名物的な商品になっていた。

「嬉しいよな」

「へ?」

 良平は、生チョコ蒸しパンを売ったときの純の笑顔を思い出す。

「純ちゃんが『これは美味しいから、たくさん売りたい』と思っている商品が、お客さんに受け入れられてどんどん売れてる。なんていうかな……小売の醍醐味だよ」

「……そうッスかね」

 わずかな間があって、賢治は興味なさそうに呟くと、パンの袋を纏めてゴミ箱に放り込む。こういうとき、良平はこの少年に不思議なものを感じる。

 賢治は物産展のようなイベントやセールには熱意を示すが、肝心の商品そのものについては関心がないように見える。売り上げの一つ一つを、ただの数字の交換のように捉えているようだ。

 視野が広い、ということなのだろうが、良平は少々危ういものを感じてしまう。その分、他の三人は良くも悪くも小市民的で、バランスは取れていると思うのだが。

「んじゃ、そろそろ」

「ああ、よろしく」

 時刻は、十九時になっていた。

 賢治が出て行くと、良平は大きく伸びをする。小さなあくびが出た。朝の五時半から働きづめだから、疲れるのも当たり前だ。

 いつもならそろそろ二階に上がる時間だが、今日はSVが来る。それを思うと、胸に重いものが溜まる。

 それを押し流すため、良平はコーヒー缶のプルタブを引き開け、一息で流し込んだ。




 SVが替わったのは、五月はじめのことだった。

 良平としては開店時に世話になった藤野SVに続けて欲しかったし、近くの店舗でも、そういう声は多かったらしい。しかし良くある配置転換ではなく、本部のポストが空いたための異動だった。実質的には昇進だ。それも藤野本人の希望とあっては、それ以上店舗側からは何も言えなかった。

 良平はお祝いを兼ねて、今後の相談のために藤野と一度、杯を交わした。

 お互いに労いを終えて、苦労話をしたあと、彼は良平に、つぶやくようにこう言った。

『牧水さん。……あなたは本部に警戒されています。あまり本部を刺激するのは避けたほうがいい』

 開店の際、良平はぷらっとマート本部に何度も足を運んだ。怒鳴り込んだこともある。だから目を付けられるのは当たり前だと思い、良平はその藤野の言葉をあまり気にしてはいなかった。


 新しいSVは、細谷誠といった。藤野より一回り年上の、五十近い男で、肩幅が広く押し出しが強い。これでサングラスでも掛けていれば、まず堅気には見えない。

 彼が来たのは二十時過ぎ。いつもこんな時間だった。

「こんばんは」

 細谷は店にやってくると、たいてい十五分ぐらい時間を掛けて、ゆっくりと店を一巡する。高校生アルバイトに向ける好意的とは言えない視線も、いつも通りだ。

 レジに立っていた良平は、せめて意気では負けまいと、疲れた身体に鞭を打って背筋を伸ばした。その横では賢治と瑠美が、大柄な細谷の黒スーツをちらちらと気にしている。

 店内はちょうど塾帰りの小学生で騒がしかった。鞄を提げた彼らもお得意様だ。

「なあなあ、今日は真雄兄ちゃんいねぇの?」

 カウンターにやってきて良平に話しかける。真雄は、この子たちと仲が良い。

「真雄は明日来るよ。何か用事か?」

「別にー」

 彼らはいつも四、五人で連れ立ってやってくる。この時間帯は、高校生アルバイトと若い店長の組み合わせが常で、入りやすいのかもしれない。

「なんだよー、まだ入ってないの? 新しいビックリチョコ」「お、新しいラムネじゃんこれ」「お前カスタードとか好きすぎ」「今日もチキンにしよっかなー」「おでん食いてー」

 好き勝手なことを言いながらパンやお菓子を手に取り、店内を動き回って、気に入らないと適当な棚に戻す。

「君」

「……え?」

 そのとき、細谷が小学生の一人に話しかけた。レジで客の相手をしていた良平は、何事か、と耳をそばだてる。

「取ったものは元あった場所に戻しなさい。お店の人に迷惑だよ」

「……はぁい」

 落ち着いた大人の声に気圧されて、小学生は棚に押し込んでいた駄菓子を戻しにいく。同じことを真雄や賢治が何度言っても聞かなかったのだが。

 細谷は満足そうに頷くと、再び店内の観察に戻った。

「……威厳、か」

 良平は呟く。細谷の一言が、店内に心地よい緊張感を残していた。


「チェリーソーダを、もう2フェイス増やしたほうがいいですね」

 細谷はストコン室に入るや否や、そう言った。彼の言い方はいつも、良平には高圧的に感じられる。

「けれど炭酸のラインに空きはありませんよ」

「定番品の四ツ屋ソーダが3フェイスというのは多すぎる。あれを1フェイスにすればいい」

「売れ筋ですよ!」

「定番品は売れ筋でも欠品さえしなければ、フェイスを減らしても大丈夫です。新商品をもっとアピールしていかないと」

「定番品がしっかり揃っている店、というイメージはどうなりますか」

「新商品を売り続けなければ未来はありません。客は目新しさを求めてコンビニに来るんですよ」

「…………」

 この、父親と同じ年代のSVに、良平はどうしても馴染めなかった。

 SV歴は十年という。知識も経験も相手のほうが上だ。しかし、細谷の言うことを唯々諾々と聞いていれば、良平の店はすぐに、どこにでもあるコンビニになってしまうだろう。

「とろっとココナッツは欠品ですか?」

「発注していません」

「何度も言いますが……コンビニの売りは毎週供給される新商品です。だから目新しさを求めて客が来る。定番品を売ることに満足していたら、スーパーには勝てない」

「だからといって、新商品すべてを盲目的に仕入れる必要はないと思います」

「意外な新商品にリピーターが付くことだってあるでしょう。生チョコ蒸しパンのように。廃棄を恐れるより、売る努力をするべきだ」

「いや、といっても今の時期に濃厚なジュースは売れません。もうすぐ夏ですよ? 口当たりの良い炭酸や酸味のあるカルピス系を拡充します」

「確かに一理ありますが……」

 細谷は苦笑する。その表情は、聞き分けのない子供に呆れているようだ。

「いいですか。私は安直な方針で定番品のサイクルというルーチンワークを続け、にっちもさっちもいかなくなった店をたくさん見ています。一度得たリピーターを守ることは大事ですが、新しいトレンドを作らなければ店は続きません」

 言い聞かせるような、上からの物言いに良平は噛みつく。

「訴求力のある商品を見つけようとする努力はしていますよ。本部は商品を出荷さえすれば儲かるのでしょうが、こちらは売れないと食えないんです」

「その商品を開発するために、私たちは様々なメーカーと契約し、開発費を投じています。たくさんの社員が『これは売れる』と認めた商品が生産されています。それをあなた一人の判断で『売れない』とするのは、いささか危険ではありませんか。失敗することもあるでしょう。しかし、あなたが仕入れなかった商品がヒットする可能性もある。それはつまり、チャンスをみすみす潰していることになります」

「じゃあ、細谷さん。あなたのお勧めの新商品は何ですか」

「……それは、私の立場上、何とも」

 毎週毎週、三十も四十も新商品が出る。そのうちの食べ物だけでも、すべての味を見ることは不可能に近い。細谷も、ろくに味見をしていないだろう。

 だが良平は、新商品を可能な限り口にしていた。仕入れないと判断したものも、味を見るために最小限の発注はしている。その結果、考えを改めたものもある。

「では、以前から言っていますが、新商品のサンプルを可能な限り持ってきてくれませんか」

「そう簡単にはいきません。予算の問題もある」

「ちょっと製造部から失敬してくればいいだけでしょう」

「管轄が違います。伝えてはおきますが、まず無理でしょう」

 良平は疲れたため息をつく。自分が売る商品を食べてもみないで、それで良く営業が務まるものだ。そう言ってやりたかった。

 良平は以前、東京のコンビニで働いていた。そのときの店長、島崎功から、彼はこう教わった。

 自分が売る商品を、買って食べる。そうすることで、客に自分が何を売っているのか確認することができる。それが売り手の責任だと。

 そんな良平からすれば、細谷の態度は責任を放棄しているとしか見えない。

 決して意欲がないわけではないのだろう。ただ細谷の意識は、限りなく本部側に寄り添っているのだ。本部は商品を一つでも多く店舗に仕入れさせればいい。店舗が仕入れさえすれば、確実にその分のロイヤリティが発生するから、本部はその商品の売り上げに拘わらず収入を得ることができる。

 以前のSV、藤野は違った。彼はスーパーバイザーという仕事を正しく理解し、本部と店舗の連絡係としての責務を全うしていた。本部の要求を良平に伝えつつも、良平がその要求を無理なく受け入れられるように本部と交渉する。また本部に対しては良平の要求を真摯に伝え、結果は出ないまでも常に本部の返答を良平に伝えてきた。

 それに比べ、細谷は本部の利益を最優先に考え、店舗をただの顧客としか思っていない。

 平行線の議論を続けること二時間。彼が帰ったときには、良平は疲れ果てていた。




 ストコンの脇に、一冊のノートがある。

 罫線のない、自由帳というやつで、良平は細谷が帰ったあと、それを繰っていた。

 ノートにはたくさんの商品のイラストと、純の綺麗な字が詰まっている。何ページかに一度、数字が書かれた表があって、純が気に入った商品の売り上げと仕入れ数が書かれていた。

『生チョコ蒸しパン』『あらびきウインナードッグ』『とろとろプリン』『高級店のビーフジャーキー』『まろやか桃ジュース』『ゆず胡椒チキン』……数字の横には「もっとがんばる」「売れた」などの走り書き。最初の頃よりも、最近のほうが明らかに語彙が賑やかになっている。

 ページを捲っていると、時折、瑠美の書き込みも見える。良平も何度か書き込んでいて、そこには赤丸が付いていた。

 良平は、細谷の言葉を思い出す。

『客は、文化祭の露店を見に来てるわけじゃない。楽しい店づくりなんて、ただの自己満足ですよ。売れなきゃ店は潰れるんだ。儲けが出る方法を追求するしかないんです』

 こう言われたのは、確か初対面のときだ。無礼な男だと思ったが、確かに一面の真実を突いてはいた。

 細谷の前でああは言ったが、開店から二ヶ月が経っても、この店の先行きは覚束ない。そのことが細谷の正しさを示しているような気がして、良平は言いようのない不安に襲われることがある。

 コンビニで三年間アルバイトを続けていたとはいえ、店長になってから、まだ二ヶ月。赤字は減ってきているが、この先、黒字に転じる保証はどこにもない。

 いっそ、すべて細谷の言う通りにしてみようか。そんな誘惑が頭を過ぎったのも、一度や二度ではなかった。

「……馬鹿野郎」

 開いたままの自由帳の文字を見て、良平は自分を叱咤する。

 ここは、俺の店だ。あんな男に好きなようにはさせない。




 二十二時。閉店処理を終えて二階に上がると、暗い部屋の中で携帯電話が光を瞬かせていた。メールが一通。上森沙樹からだった。

 沙樹とは、この店のオープン前に東京で会って以来、連絡が途絶えていた。

 以前は付き合っていた相手だ。気にならないと言えば嘘になる。しかし彼女はもう正式にリンリンの社員で、連絡を取るには躊躇いがあった。

 リンリンは良平が以前勤めていた店を奪い、今もすぐ近くに競合店を出して客を奪い合っている。良平にとっては敵だった。

「……ったく」

 ただでさえ細谷との話で疲れているところに、と思うが、後回しにしても気になるだけだ。

 良平は携帯電話を開き、メールに目を通す。内容は短かった。

『仕事でそちらに行くことになりました。一度会えますか? 上森沙樹』

 呆気にとられたが、本部社員が店舗の応援に来ることは、ないわけではない。沙樹は今年の春に就職したばかりだから、研修代わりだろうか。

 複雑な心境ではあったが、良平は大きく深呼吸して、率直に返事を打った。

『事前に連絡をください。火、土曜以外の十八時以降なら空けられます。 牧水良平』

 以前、島崎の店で働いていた頃は自然に話せていた相手だ。こんな固い言葉でメールを送ることに違和感を覚える。それを押し殺し、良平は送信ボタンを押した。