プロローグ


 頭上には、暗く寒々しい夜空が広がっている。

 初冬の冷たい風が、伊佐屋古森の髪を小さく揺らした。

 眼前にあるのはホテルの廃墟だ。四階建てであり、すぐ脇を流れる川に沿って横に伸びているため、まるでこちらに迫るかのような異様な迫力が感じられる。

 その佇まいからも、以前は立派なホテルだったのだろうとうかがえるが、今は見る影もない。外壁はくすみ、ほぼ全てのガラスは割れ、そして鉄柵等は無残にもサビてボロボロになってしまっている。

 朽ちた窓の奥に見えるのは、夜の闇よりも暗い暗黒だ。それらは明らかに人々に警鐘を鳴らしていた。


 ――ここはお前たちの世界ではない。


 というように。

 古森は手に持ったカメラを前方へと向けると、隣に立つ彼の友人、羽利田和希に声をかけた。

「よし。じゃあさっそく中に入るぞ」

「えーっと、先輩。場所を決めた僕が言うのも何なんですが、これ意外としゃれにならなくないですか?」

 若干うわずったような声で、羽利田が言った。

「え? 何が?」

「いや、実際に現物を目の前にして思ったんですが、これ結構ヤバイですよ」

「いや、でもまあ、中に入らないと動画撮れないし」

「本当に出ちゃうんじゃないですか?」

 息を呑んで、一瞬間を置く。

「焼身自殺した、女性の霊が」

「まさか。大丈夫だろ」

 そして古森たちは廃墟の中へ、安全第一と書かれた橙色のフェンスの脇をすり抜け入っていった。


 無職で引きこもり気味であった古森が、このようにカメラを片手に動画の撮影を始めたのには、当然のことながら幾らかの理由があった。決して穏やかではない、幾らかの理由が……。



File.1:【廃墟で出会ったオカルトサークルの記録】


「お兄ちゃん、私の部屋から、出てって」

 十二月上旬のある日、伊佐屋華凛は無情にも、古森に対して追放の言葉を言い渡した。

 華凛は一つ年下の古森の妹である。大学進学を機に、実家のある東京から愛知へと出てきており、現在は名古屋市内にあるマンションにて一人暮らしをしている。わけあって古森は、数週間前から彼女の部屋に居座っているといった具合だ。

 これから大学にいくのだろう。華凛は既に身支度を整えていた。施された薄めの化粧も、また丁寧にブラッシングされたダークブラウンの髪も、彼女の美しい容姿にとてもよく似合っている。

「出てってって……。え? 何で? 急すぎじゃね?」

 古森は気だるげに上体を起こすと、ボサボサの頭をボリボリとかいた。

「急じゃないし! お兄ちゃんがこの家にきてから、もう二週間も経ってるし!」

「まだたったの二週間じゃん」

「もう、だよ!」

 華凛は呆れたように溜息をつくと、床に直に腰を下ろして、古森と正対した。

「私との約束、覚えてるよね? この家に住まわしてあげるからってやつ」

「お、おう、覚えてるぞ。就職活動をして仕事を決めろってやつだろ?」

「で、就職活動はしてるの? してないよね? 全く」

「…………」

 言葉に詰まる古森。この態度こそが、彼の現状をありありと物語っている。

 何か言わなければ、と思った古森は、とっさに口を開いて、心にもない言葉を吐いた。

「あ、明日からやろうと思ってたんだ。そうだよ、準備は進めてる。頭の中で」

「このままじゃ埒が明かないから、条件を出すね」

 古森の発言をほぼ無視するように、華凛が毅然と言った。

「は? ちょっ、条件って……」

「もう何でもいいからお金を稼ぐ。そんでもって私に食事をご馳走する。それができなかった場合は……」

「場合は……?」

「問答無用でお父さんに連絡するから。『お兄ちゃんが私の部屋に居座ってる。勉強に悪い影響が出るから、連れ戻しにきて!』って」

 くらーっとした。先日の、実家から逃げ出した際の父とのやり取りを思い出して、吐き気を伴うストレスフルな感覚が腹の底に広がった。

「き、期限は?」

 搾り出すような弱々しい口調で、古森が聞く。

「できるだけ早く。ていうか、とりあえず今日中に具体的な動きを見せなかった場合は、即電話だから」

 絶望し、両手を床についてうなだれる古森。

 華凛はゆっくりとその場に立ち上がると、そんな情けない兄の姿を半眼で見下げた。その目には、どことなくではあるが、感情の欠片が小さく揺れているようにも見えた。



 華凛からノートパソコンを借りた古森は、嫌々ながらも転職支援サイトを開いた。しかし当然のことながら、このような後ろ向きな気持ちで閲覧したところで仕事が見つかるわけもなく、リンクをクリックしてはただ戻るという無為な行為を繰り返すだけで、貴重な時間はあっという間に流れていってしまう。

 気が付けば、時計は正午をさしていた。

 古森はやかんで湯を沸かすと、棚に入っていたカップラーメンを取り出して注いだ。ラーメンが出来上がるまでの数分の間に、彼はパソコンで某大手動画サイトを開き、食べながら見るための動画を探した。

 ジャンルはホラーであった。子供の頃からその奇妙さ、何とも言えないオカルトチックな雰囲気に惹かれてはいたのだが、ここ数年でさらに拍車がかかった。理由は明快だ。引きこもりのため時間を持て余していた、かつパソコンで動画サイトを自由に見ることができた、という環境が、好みと相俟って相乗効果を生み、彼をある種中毒状態のようにしたのである。

 引きこもってからの二年間に、古森が視聴したホラー系動画の総数は、なんと現時点で延べ一万を超えていた。もちろん彼は、この事実を認識していない。

 結局古森は、新着として上がっていた、『【衝撃】試しにコックリさんをやってみたら大変な事になった!』という動画を選んだ。しかし期待はずれにも大した内容ではなく、また思っていた以上に再生時間が短かったため、昼食を食べ終える前に動画は終わってしまった。

 わざわざ食事を中断してまで次の動画を探すのも面倒だ、と思った古森は、とりあえずパソコンをそのまま放置して、食事に集中することにした。

 大して体を動かしていないし、というかほぼ何もしていないのだが、なぜか腹が減っていたため、ジャンクフードであるカップラーメンですらとても美味く感じられた。

 麺を食べ終え、スープに口をつけようとしたその時だ。不意にパソコンのスピーカーから声が聞こえた。


『好きなことをやって、生きていこう!』


 目を上げると、ディスプレイには見知らぬ動画が流れていた。前の動画が終わってから幾らかの時間が経過したため、次の動画が自働再生されたのだ。

 画面に映る若い男は、キラキラとした笑みを浮かべながら語った。動画の投稿を始めたことにより人生が輝き始めたということを。そして世界中のたくさんの人たちと繋がることができたということを。

 そう、彼は動画を投稿することにより広告料を得る、いわゆる『動画ニスト』と呼ばれる人物であった。つまりこの動画は動画サイトの、さらに言えば視聴者に動画の投稿を呼びかけるといった、コマーシャルであったのだ。

「クソが」

 舌打ちと共に、古森は暴言を吐く。

「こんなんで金稼ぎやがってよー。成功者マジうぜーわ」

 投げやりな挙動でマウスに手を伸ばすと、乱暴にブラウザを閉じた。甲高い左クリックの音が、昼下がりの静かな部屋に皮肉にもこだました。

 ゴロンと床に仰向けになると、古森は何をするでもなく真っ白な天井を見つめた。空っぽの頭には、先ほど見たたわいないホラー動画の映像が、自ずとリプレイされた。

「動画、俺も撮ってみようかなー……」

 何となく、呟いてみた。もちろん全くと言っていいほどに実感が持てない。

「あれぐらいなら、俺でも撮れそうじゃね?」

 再び呟く。だがやはり実感が持てない。よって言い方を変えてみた。

「俺だったら、あれの百倍は面白い動画が作れる」

 沸々と、自信が込み上げてくる気がした。事実無根という名の自信が。

「動画作り……ちょっとだけ調べてみるかー」

 上体を起こすと今一度ブラウザを起動、動画作りから投稿までの一連のやり方を調べるため、さっそく検索をかけてみる。すると関連ページがずらずらと出てきた。

 上から順番に目を通してゆく古森。だがなんと一つのページに費やす時間はわずか数十秒にも満たない。

 直後に、彼はまたしても乱雑にブラウザを閉じた。そしてネガティブに言った。

「よく分かんねー。つか読むのが面倒くせー。無理だー」

 早々に見切りをつけた古森はその場に立ち上がると、肩の筋肉をほぐすように何度か腕を軽く回す。

「他の方法を、考えるかー。……もっと手っ取り早く、金を稼ぐ方法を」

 しかしその後しばらく考え込んだものの、残念ながら何も思い浮かばなかった。

 きっと脳がくたびれたんだ。そう結論付けた古森は、一度気分転換をするためにもベランダへと歩を進めた。


 ベランダの手すりに頬杖をつくと、煙草を吸おうとズボンのポケットに手をやった。だがそこに箱の感触を確かめることができない。どうやら部屋の中に置き忘れてきてしまったようだ。まあいいやと思った古森は、そのまま眼下に広がる町並みにただぼーっと目を落とした。

 かすかに、すぐ下の道路から話し声が聞こえてきた。顔を向けると、そこには大学生と思しき数人の集団が、楽しそうにおしゃべりをしながら歩いていた。

 そんな彼らを、同級生だった人たちの現在と重ねてしまったのだろうか。以前は友達だったが、もう連絡を取らなくなった人たちが、今どこで何をしているのかが気になってくる。

 ちょっとだけ調べてみようかな、と好奇心が抑えられなくなった古森は、約二年ぶりにフェイスブックを開いてみることにした。


 まず初めに目に飛び込んできたのは、『こんなおいしいもの食べたー』という食べ物自慢であった。

 古森はなるべく見ないようにしながらスクロールでやり過ごす。

 次に飛び込んできたのは、『皆でバーベキューしたー』というリア充自慢であった。

 何とも名状しがたい悶々とした気持ちが胸中に広がったが、スクロールでやり過ごす。

 その次に飛び込んできたのは、『カノジョとデートしたー』という恋人自慢であった。

 思わずパソコンを床に叩きつけそうになったが、何とかぎりぎりのところで気持ちを鎮める。

 やっぱり見るんじゃなかった、という後悔を感じつつも、古森は画面を閉じようとマウスポインターを右上へと移動させた。

 と、その時だ。画面の端に懐かしい人物の名前を発見する。


『羽利田和希』


 古森にとって羽利田は、高校時代のバレーボール部の後輩だ。友人の中でもとりわけ彼が記憶に残っているのは、気が合ったというのもあり、部活動以外でも頻繁に行動を共にしていたためだろう。

 リンクになった羽利田の名前の部分をクリックすると、画面はすぐに彼のページへと切り替わった。

 プロフィール写真には、二年前とあまり変わらない彼の姿があった。中肉中背に中性的な顔立ち。七三分けにメガネという取り合わせは、高校の時から何も変わっていない。クールでいて理知的だ。以前よりも垢抜けた印象を受けるのは、年齢的なものなのか、はたまた彼の努力の賜物なのか。少なくともいい傾向であるというのは間違いないといえる。

 写真の下には、所属・在住先等、自己紹介が続いている。

『愛知東応大学に在学中

 Nagoya-shi, Aichi, Japan在住』

 ん? と思い、古森は目を細めた。

 偽りはないだろうが、書かれていることが本当だとすれば、彼は現在愛知の大学に通っており、また名古屋に住んでいるということになる。

 詳しく見てみると、大学では『映画研究部』なるものに所属しているらしく、実際に何本か映画も撮っているらしい。すぐ下には、羽利田たちが撮影したであろう映画が、動画サイトのアドレスとして貼り付けられている。

 一体どのような映画なのだろうか。気になった古森は、試しにその映画を見てみることにする。

 映画は現代が舞台のラブロマンスであった。アングルや見せ方などといった技術面はそこそこであったが、脚本や構成などといったセンスが問われる部分は壊滅的に酷かった。

 有り体に言ってしまえば、それはとてもつまらない、所詮は学生レベルの自己満映画であった。

 古森は腕を枕にしてその場に横たわると、今見た映画のシーンを途切れ途切れにも思い出してみる。

「でも、一本映画撮って、ネット上にアップするって、すごいよなー。……つまんねーけど」

 あれこれと考えるうちに、古森の中にとある気持ちの変化が起こった。それは、せっかく同じ名古屋にいるんだし、連絡でも取ってみようかな、という、後から考えてみれば気の迷いに近いものであった。

 体を起こし、ポケットから携帯電話を取り出すと、まるで自分を納得させるかのごとくぶつぶつと呟く。

「あいつ、思ったことばしばし言うし、結構現実的だし、意外といいアドバイスしてくれるかも。そうだよ、お金を稼ぐ方法だって、なにか見つかるかもしれない……」

 いきなり電話というのは今の古森にはあまりにもハードルが高かったため、とりあえずはメールをしてみることにした。


 結局、羽利田とはその日の夜に、名古屋駅にあるファミリーレストランにて会うことになった。



 待ち合わせ場所であるファミリーレストランへは、約二十分遅れで到着した。これは古森がまだ名古屋の地理に慣れていなかったというのもあるが、一番の理由は、出発間際になって外に出るのが億劫になったという、何とも救いがたいものであった。

 既に席で待っているという連絡を受けていたため、古森は店に着くやいなや店内へと足を踏み入れた。

 夕食時とあってか、店内はたくさんの客で賑わっている。約二年ぶりだし、上手く落ち合えるだろうかと不安な気持ちになったが、羽利田の方から古森を見つけてくれたため、懸念は杞憂に終わった。

「先輩! 古森先輩! こっちですよこっち」

「おー……おう、羽利田」

 家族以外の人と会話するのが久しぶりすぎて、とっさに言葉が出てこない。

「ていうか遅いじゃないですか。もう先に食べちゃってますよ」

 羽利田はテーブルに置かれたコブサラダを、フォークで軽く二度つつく。

「あ、ああ、わるい。つかお前、あんま、変わってないな」

 フェイスブックのまんまだ、という言い方は控えた。

「そういう先輩は、結構変わりましたね。髪が伸びたっていうか、ボッサボサっていうか」

「おう。ワイルドだろう?」

「物は言いようですね……」

 微苦笑で応える羽利田。それから彼は、思い出したという素振りで質問の言葉を口にする。

「ところでどうですか? まだやってるんですか? バレーボール」

「いや、もう、やってない」

 正面の席に座ると、古森はメニューを手に取りながら答えた。

「あ、そうなんですね。でもなんかもったいなくないですか? あんなに上手かったのに」

「お、おう。まあ、いいじゃないか。昔のことは」

 過去についてはあまり触れられたくなかったため、古森は話を逸らすためにも早々に店員を呼んだ。

「ご注文をお伺いいたします」

 やってきた女性店員は、古森の姿を見るとにっこりと微笑んだ。おそらくは古森の容姿に好感を抱いたのだろう。

 古森は身長が百八十以上と高く、また顔は華凛と同様に非常に整っている。髪は先ほど羽利田が言ったように伸ばしっぱなしのボサボサだ。少なくとも耳が隠れてしまうほどには長い。にもかかわらず他人に悪い印象を与えないのは、その整った顔が故であろう。否応なしに人々の目を引くのは、ある意味で当然といえるのかもしれない。

 だがニコニコとしていた店員の顔も、古森の次の態度により、あっけなく崩れ去ってしまう。

「――あっ、あの……その……あ、じゃあ、あの、コー、コーヒ、コーヒーで、はい、お願い……しま、す」

 言い終えると彼は、額に玉のような汗を浮かべて、挙動不審にもキョロキョロと周囲に視線を送った。

 誰がどう見ても、古森の態度が不自然に一変したのは明らかであった。そう、彼は二年という長い引きこもり生活の影響により、不幸にも他人と話すのが苦手な、極度のコミュニケーション障害に陥ってしまったのである。

 もちろん古森自身、自分がどのような状態であるかの自覚はできていた。しかし今回においては、ファミレスの店員とのやりとりぐらいならば……と、浅はかにも読みを見誤ってしまったのだ。

「…………」

 見た目とのあまりのギャップに、店員は一瞬言葉を詰まらせた。しかしすぐに気付いたように接客に応じた。

「あ、はい。コーヒーですね。かしこまりました。それではすぐにお持ちいたしますので」

 オーダーの端末をエプロンのポケットにしまうと、店員はその場で会釈をした。古森を見る彼女の目は、初めのにこやかさからは想像もできないぐらいに、冷たかった。

 店員が去ったところで、羽利田が口を開いた。

「え、ていうか先輩、今のは一体何なんですか? つっかえまくりで、正直ちょっとキモかったですよ」

「いやーなんか知らんけど俺、どうやらコミュ障になっちまったみたいなんだよな」

 古森は頭の後ろに手を回すと、乾いた笑い声をあげる。

「は? マジですか? でも僕とは普通に話してるじゃないですか」

「知り合いとかは大丈夫みたい。他人とか、初対面だともうダメダメ」

「はー、まあ、それ結構ヤバイんで、早く治した方がいいですよ」

 羽利田はどこか難しい顔をしながら、グラスの水を手に取った。

 注文のコーヒーが運ばれてきた。店員はコーヒーをテーブルの上に丁寧に並べると、軽く一礼して去っていった。

 先ほどとは違う人であったため、古森は小さく安堵の溜息をついた。

「ところで先輩、名古屋へは仕事できてるんですか? 確か大学受験は諦めたという風に聞いていますが」

「あ……、まあ、何というか、だな……」

「違うんですか? え、じゃあ今って何をやってるんですか?」

「まあ、何というか、フリーター的な?」

「フリーターですか? ん? でもフリーターでわざわざ名古屋っておかしくないですか? 一体何の仕事をしているんですか?」

「いや、だから、派遣、的な?」

「派遣に的もくそもないじゃないですか。どうしたんですか? なんか変ですよ……。あっ、まさか……」

「ああ! そうだよ! 無職のニートだよ!」

 声を荒らげる古森。

「え?! そうなんですか?」

「は?」

「いや、てっきり起業でもしたのかと思って。先輩アグレッシブだから、そういうことしそうですし」

 古森はテーブルに肘をつき頭を抱えた。完全に『語るに落ちる』というやつである。

「羽利田ー。お前今順風満帆だろ。んでもって、今まで大した挫折ねーだろ」

「ええ、まあ」

「そういう奴って、さも当たり前であるかのように人の経歴聞きたがるよなー」

「なんかすいません。久しぶりに再会した人だと、まずは近状報告をし合うってのが普通だと思っていたので」

 気にしないでくれと言いつつ、古森はコーヒーを口に運ぶ。

「あ、じゃあ失礼ついでにもう一つ聞いてもいいですか?」

 ああどうぞと答えると、古森はコーヒーをテーブルに置いた。

「彼女さんとはどうなんですか? 上手くいってるんですか?」

 聞かれた瞬間、古森はその場に固まった。顔面が蒼白になったためか、表情が変わっていないにもかかわらず、彼の顔には悲愴感が満ちた。

 古森の様子を見た羽利田は、驚いたように言った。

「え?! まさか別れたとかですか?」

 首を縦に振る古森。

「マジですか?! だってラブラブってレベルじゃなかったじゃないですか! 結婚が云々みたいな。……信じられない」

「い、いっやー!! まあしょうがないよな! 振られちまったもんはさ!! 次だよ次! ハッハッハー」

 誰がどう見ても、これは単なる虚勢でしかなかった。

「原因は何なんですか?」

「そこ聞いちゃう? いやーなんかさー、大学全部落ちたってメールしたらさー、連絡が返ってこなくなっちゃったんだよねー」

 コーヒーではなく水を飲む。一気に飲み干す。

「それから数日後ぐらいだったかなー? 突然向こうから電話がかかってきたわけ。俺、なんて言われたと思う? 『正直、大学受験でつまずくようじゃ、将来性ないよね。もう私にかかわらないで。さようなら』だってさ。まあそうだよね、ハッハッハー」

「その後は、どうなったんですか?」

 羽利田はテーブルに肘をつき、組んだ手で口元を隠しながら聞いた。

「なんか俺、その後やる気がなくなっちゃってさー。虚無感っていうの? 四ヶ月ぐらい部屋に引きこもったんだよねー。いやー四ヶ月のブランクって結構大きいんだな。就活の面接全部はじかれちゃったよーハハハ」

「なるほど。高校時代、あれほどまでに輝いていた優等生が、どうしてここまで落ちぶれてしまったのか、見えてきましたよ」

「ゆ、優等生とかじゃ、ねーし」

 つーっと視線を逸らす古森。

「紛れもなく優等生でしたよ。容姿端麗、学業優秀。バレー部は先輩を中心に回っていましたし、教師たちからは明らかに将来を嘱望されていました」

「や、やめろ……」

 動揺により、瞳孔がかすかに揺れる。

「加えて上級生たちからは一目置かれ、下級生たちからは羨望の眼差しを注がれるというヒーローっぷりです。おそらく、いや、間違いなく、何人かの女子は先輩に惚れてましたね」

「――ばっかお前、今それを言うんじゃねー! 死にたくなるだろ!」

 古森は頭をガシガシとかくと、心を落ち着けるためにも煙草を取り出して火をつけた。

「でも、それだと余計に分からなくなりました」

「何が?」

「どうして今名古屋にいるんですか? といいますか、今どこに住んでるんですか?」

 質問に答えるには、順を追って初めから説明するしかないと思った古森は、ここ数週間に起きた出来事をかいつまんで話すことにした。

「先月末頃、俺のクソみたいな状態を見かねた親父が、こう言ったんだよ。『伯父と話をつけてきた。来月からお前は、伯父の会社で正社員として働くんだ』って」

「え? それってチャンスじゃないですか」

「俺もそう思ったよ。で、ネットで伯父の会社について調べてみたんだ。そしたら出てくるわ出てくるわで……」

「あ、まさか」

「そのまさか。伯父の会社は、俗に言うブラック企業だったんだよ。実家に住み続けたいのであれば、伯父の会社に就職する他なかった。だから俺は逃亡を決意した」

 うんざりしたように目を閉じると、古森は天井に顔を向けて、力なく煙草の煙を吐き出した。

「で、名古屋ですか。ちなみに名古屋を選んだ理由は何なんですか?」

「一人暮らしをしている妹がいたから。マンションに泊めてもらおうと思って」

「妹さんですか? 許可もらえたんですか? 同居の」

「ああ。就職活動して、早々に仕事を決めるってのが条件だったけど」

「あー。なんとなーく見えてきましたよ。その後の展開が」

 羽利田は両肘をテーブルにつくと、組んだ手の上にあごをのせた。

「もちろん就職活動は上手くいかなかった。二年前の挫折がトラウマになっているのか、そもそも応募することさえもできなかった。そんな俺を見かねた妹が、ついさっき新たな条件を付け加えたんだ。それは『何でもいいからとにかくお金を稼いで、食事をご馳走しろ』っていう、身勝手で非人道的なものだった。酷いだろ?」

 同意を求めるように、ちらっと羽利田に視線を送る。

「いえ。身勝手でもなければ非人道的でもないです。先輩が悪いです」

「達成できなかった場合、問答無用で親父に電話するって言うんだぜ。酷いだろ?」

 同じく、ちらっと視線を送る。

「いえ。妹さんはなにも間違っていません。全て先輩が悪いです」

 きっぱりと言うと、羽利田はメガネを外して紙ナプキンで拭いた。

 古森は気まずげに居住まいを正すと、コーヒーを手に取り一口飲んだ。

「で、今後もしも妹さんのマンションから追い出されてしまった場合、一体どうするつもりなんですか?」

 メガネをかけ直しながら、羽利田が聞いた。

「うーん、まあその時は、羽利田ん所、転がり込むかもな」

「いえ、僕部屋に人を入れない主義なんで」

「そうきたか」

 煙草を灰皿に揉み消す。

「まあ、そうならないためにも、今日羽利田に連絡したんだけどな」

「えーっとつまり、妹さんにおごる食事代を、貸してくれってことですか?」

 逃げるように座席に背を預けると、羽利田は嫌悪の表情と共に軽蔑するような眼差しを古森へと向けた。

 古森はすぐさま「違う!」と否定。羽利田の中に芽生えつつあった誤解を打ち消すと、そのまま本日の本題である『お金を稼ぐ方法』についての相談を持ち出した。

「つまりだ、俺は羽利田に相談したいんだよ。なにか金を稼ぐ方法はないか? ってさ」

「なるほど。そういうことでしたか。つまり取り急ぎ目先の金がいるってことですよね? だったら日払いのバイトとかどうですか? 仕事によっては、一日で問題解決ですよ」

「無理無理無理無理、ぜーったいに無理! だって俺コミュ障だよ? 人と接するのが苦手な時点で、働くって選択肢はないっしょ」

「うーんじゃあ、転売とかはどうですか? 古本屋のパソコンの本とか、ネットで結構高く売れるらしいですよ」

「ダメダメ、元手がない。つか元手があったら、それで妹に飯おごっておしまい」

 羽利田は苦い顔をすると、若干だが声のトーンを落とした。

「あれもダメ、これもダメで、多分僕がなにを提案しても無駄ですよね?」

「そ、そんなこと、ないよ?」

「うーん、では先輩はなにかやりたいこととかないんですか?」

「特にないんだなっ、これが!」

「自信満々に言わないでくださいよ。今の先輩、超だっさいですよ」

 その後も羽利田の聞き取りは続いた。何か興味のあることはないのか。何に対して喜びを感じるのか。今は何をしている時が一番楽しいのか。特技は何か。これなら他の誰にも負けないと自負できるものは何か。等、まるでキャリアコンサルタントのように次から次へと質問を繰り出してきた。

 答えられない度に罵倒されるので、古森は次第に面倒くさくなってきてしまう。そのため、とりあえずこの場をやり過ごすためにも、先ほど諦めた動画投稿について口にしてみることにした。

「あー、パソコンで、動画を見るのが、好きかなー」

「ん? 動画ですか? それって見るだけですか?」

「いや、なんつーか、動画作りも、興味あるっつーか」

「つまり先輩は、動画撮影をやってみたいと」

「お、おう。つまりそういうことだ。ほら、あれだ、ネットに投稿すればお金だって稼げるんだろ?」

「なるほど。いわゆる『動画ニスト』になるってことですね? 動画サイトに動画を投稿して、広告料を稼ぐっていうあれに」

 古森は首肯すると、少し冷めたコーヒーを口へと運ぶ。

「でも、一体何を撮るつもりですか? ネタはあるんですか? 目標がはっきりしていないと、どこにもたどり着けませんよ」

「あー、ネタはあれだ、あれあれ……」

 不意に、昼間見た心霊動画の映像が頭によぎる。

「心霊動画、とか?」

「心霊動画、ですか? それってパソコンの前で百物語したりとかですか?」

「いや、ていうか、廃墟とか心霊スポットにいって、幽霊とか、映ったらいいなー……、みたいな?」

「つまりPOV方式で映像作品を作るってことですよね?」

「POV? なんぞそれ」

「『Point of View Shot』。主観ショットです。手持ちカメラで撮るんですよ。登場人物視点で。昔『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』というホラー映画があったじゃないですか。あんな感じです」

 羽利田は顔の横に手を立てて、ビデオカメラで撮影するような真似をする。

「そうそうそんな感じ。まずはだーって撮影して、後から短く編集する。どう? 面白そうじゃね?」

「まあ、確かに面白そうではありますが……。分かっていますか? 面白い動画、たくさんの人に見てもらえる動画を撮るのは、本当に難しいことなんですよ。どうせアップされてる既存の動画を見て、『これなら俺でも撮れそうだ』とか思ったんでしょうけど、そんな甘いものじゃありませんよ」

「え、マジで? わりー、じゃあやめとくわ」

 本当はそれほどやる気があるわけでもねーし、というのは言わなかった。

 しかし羽利田は、古森の反応を見ると、直ちに意見を一変させる。

「いえ、すいません。やっぱり先輩はやるべきだと思います」

「え? だって今お前、軽い気持ちでできるかー! みたいなこと言ったじゃん」

「いえ、昔の先輩だったら、壁が高ければ高いほどにやる気に火がついたじゃないですか。でも今の先輩は違いました。地の底に落ちたダメダメ人間でした」

「お、おう」

「だから、多少強引でも、とりあえずはやってみるべきなんですよ。気が乗らなくてもとりあえずはやってみて、頭と体を動かす。それが次の行動への連鎖を生むんです」

「あーでも……、俺ビデオカメラとか持ってねーし」

 逃げるように視線を逸らす古森。

「僕のをお貸ししますよ。といいますか、今僕映研入ってるんで、撮影機材とかはいくらでも調達できます」

「あーでも……、動画の撮影とか、正直俺よく分かんねーし」

 天井を仰ぐ古森。

「僕も協力します」

「あーでも……」

「知っていますか? 先輩」

「え? 何を?」

「トップ動画ニストは、年に億単位で稼ぎます」

 羽利田のメガネがキラリと光る。

「億……だと……」

 気が付けば、古森は羽利田の手を握っていた。そして二人はお互いに見つめ合うと、その後に何かを確かめるように、一度深く頷いた。

「え? ていうか、何でそんなにやる気満々なんだ? 羽利田が」

 正気を取り戻した古森が、新しい煙草に火をつけながら聞いた。

 すると羽利田は一度小さく咳を挟み、その理由を語り始めた。

「実はこの前映研の方で一本映画を撮ったんですよ。一年生だけでやる初めての長編だったので気合入れてたんですが……。どんな映画だったと思いますか?」

「あ、もしかしてあれか? 恋愛系の。フェイスブックにリンクがあったやつ」

「もしかして見ていただけましたか?」

「お、おうよ」

「どうでした?」

「よ、よかったんじゃ、ないか?」

「よくないですよ!」

 声を荒らげる羽利田。そしてテーブルにぐっと身を乗り出すと、まくし立てるように言った。

「まあジャンルについてはよしとしましょう。今回僕は撮影助手で、決定権はありませんでしたし。だけど何なんですか? あの内容は。終盤なんて、突然キャストの二人がキスですよ?? 『実際にやった方が臨場感出るから』とか、盛り上がってんのお前らだけだからなって感じですよ。後から聞いてみれば、なんでも二人は撮影をきっかけに付き合い始めたとかで。だったら俺たちの前でラブシーンもやれよなって話じゃないですか。中途半端に体張りやがって。ああ、佐織ちゃんがキスを……。僕の目の前でキスを……」

 最後の嘆きの部分を聞き、古森は羽利田に起こった大体の事情を察した。

「正直、今の映研は僕の理想からは程遠いです。別にやめはしませんが、理想に近い活動を外部に求めるのも悪くないのかなと、そのように考えます。先輩に協力してもいいかなと思ったのは、これが理由です」

「なるほどな。今回の場合、動画を撮るっていう一つの行為が、お互いの目的を満たすってわけか」

「つまりそういうことです。で、動画の撮影ですが、いつにしましょうか?」

「え? 別にいつでもいいぞ。つか俺、毎日がゴールデンウィークみたいなもんだし」

「なんか、すいません」

 羽利田はなぜか謝ると、鞄から手帳を取り出してパラパラとめくった。

「あ、じゃあ明日とかどうですか? 夕方からなら、ちょうど僕予定あいてますんで」

「おう。じゃあ、それで」

「心霊スポットは、まあ明日に関しては僕の方で探しておきます。詳しい場所と時間は、後ほど決まり次第連絡しますから」

「おう、よろしく」


 店から出ると、そこには十二月特有の忙しい街の様子が広がっていた。車道にはたくさんの車がのろのろと走っており、また歩道には人々が激しく行き交っている。

 所々に見られるイルミネーションは、言うまでもなくじきに訪れるクリスマスのためだ。よく見てみると、巨大な駅ビルの壁面には、窓の明かりを利用して描かれたトナカイの図柄が浮かび上がっている。

「一つ聞きたいんですが」

 ジャンパーのファスナーを上げながら、羽利田が聞いた。

「地元の友達には頼らなかったんですか? わざわざ名古屋まで出てくるよりかは、断然に手っ取り早いと思うんですが」

「高校卒業してからの二年間、メールも電話も、全部無視しちまったんだよ。受験に失敗して、就活にも失敗して、引きこもりになって、何となく顔合わせづらくなってさ。今さら連絡なんて、できねーよ」

「あー、そういうことですか……」

 羽利田は力なく息をはいた。ただ息をはいただけなのか、あるいは溜息であったのかは分からない。

 それから彼は、まるで話の流れを変えるかのように、声の調子を上げて言った。

「でもまあ、せっかくこうやって会えたんだし、また昔みたいにつるみましょうよ」

「もちろんつるむのはいいけど、昔みたいにってのは無理だぞ。今俺、ご覧の通りこんな有様だから」

「大丈夫です。今度は僕が引っ張っていきますので。昔お世話になった恩は、しっかりと返させていただきます」

「お、おう。まあ、頼むわ」


 羽利田から撮影についてのメールが送られてきたのは、その日の深夜であった。


>名古屋から電車で何駅かいった所に、愛知では有名なホテルの廃墟があるそうです。明日の撮影はそこにしましょう。では十八時に鶴舞駅集合でお願いします。



 撮影当日。

 予定通り鶴舞駅で落ち合った古森と羽利田は、その足で電車に乗り込み、さっそく目的地の最寄り駅へと向かった。

 休日で、しかも下り電車とあってか、車内には乗客の姿がほとんど見られなかった。

「じゃあそろそろ、撮影を始めましょうか」

 羽利田は言いながら、鞄からビデオカメラを取り出した。

 カメラは黒のハンディタイプだ。機器側面に書かれた『4K』の文字が、またなんとも頼もしい。

「じゃあ僕が撮りますので、先輩はカメラの前で今日の心霊スポットについて、僕に色々と聞いてください。それを視聴者に対する説明とします」

「そういう感じな。つーかこういうのって普通、質問する側がカメラを回すもんじゃないのか?」

「あー確かにそうですね。では今日のところは先輩がカメラマンでお願いします」

 カメラを受け取った古森は、さっそく撮影のボタンを押して、羽利田へとこれからいく心霊スポットについての質問を開始した。

「今日はホテルの廃墟にいくってことだけど、そこはどんな心霊スポットなんだ?」

「はい。廃墟自体は駅のすぐ近くの川沿いにあるらしいです。ただ、こんな目撃情報が多数あるんですよ……」

 一度言葉を止めた。そして不安の色をその顔に浮かべてから、声の調子を落として言った。

「『夜な夜な廃墟内を……、女性の霊が徘徊している……』」

「へー」

 泰然とした雰囲気を醸し出しつつも、古森が応えた。

「へーって、それだけですか? 怖くないんですか?」

「え? まあ、別に。で、その女の霊だが、ホテルが潰れたこととなにか関係があるのか?」

 羽利田は呆れたように小さく首を振ると、カメラに向かって話し始めた。

「いえ、ホテル自体はただの経営破綻だそうです。女性の霊は、ホテルが廃墟になった後に、そこで焼身自殺をはかった人じゃないかと言われています」

「焼身自殺? 何でまた」

「ネットの情報だと、色恋沙汰が原因だそうです。自棄を起こした女性が、頭からガソリンをかぶって自殺したんだそうです」

「なるほど。じゃあ今日は、日没後の廃墟に侵入して、その徘徊する女の霊をカメラにおさめるってことでいいな?」

「そういうことです」