春の膳 ~親子と疑惑と迷い子のきずし~


 四月。東京都、某所。

 煌びやかな都心部から僅かに外れた住宅地の一角にたたずむ居酒屋「とりい」は今日も盛況だった。

 ネクタイを緩めたサラリーマン二人組が、ほろ酔い気分で暖簾をくぐる。

「いやー今日も美味かったよ、店長!」

「ちょっと一杯だけのつもりが、また料理までしっかり食っちまった」

 笑い声を上げる客達は、皆揃って満足げに腹をさすっている。

「山本さん、池田さん。いつもおおきにです。また、寄ったってくださいね」

 客の賛辞に、とりいの若き店長、御所雄里は人のよさそうな穏やかな顔立ちを綻ばせてにこりと笑んだ。客が楽しく酒を飲み、美味しく料理を食べる。居酒屋店主として、これほど嬉しいことはない。

 雄里が祖父の遺したこの場所に居酒屋を開いてから、もうすぐ一年が経とうとしている。料理の腕はさておき、経営など素人であり、店舗運営に自信のなかった雄里だが、最近ではようやく常連と言える客も付いてきた。地上駅に向かって線路沿いに伸びる小さな駅前商店街から路地を一本入ったところにあるこの店は、都心から少々離れていることもあり、金曜の夜であっても大手チェーン店のような賑わいはない。だが、落ち着いた雰囲気と、どこかほっとするような料理が〝大人の隠れ家〟にふさわしいとして密かに人気を博している。

 表まで出て最後の客を見送った雄里は、充足感とともに大きく伸びをする。そろそろ日付が変わろうかという時分、店前の路地から繋がる商店街にも人通りは少ない。

「さてと、今日はもう終わりやな」

 暦の上では十分春の季節に入ったとはいえ、夜更けの風に七分袖の白衣はまだ寒く、ぶるりと身を震わせる。

「うぅ寒ー。夜はまだ冷えるなぁ」

 一人ごちると、雄里は暖簾を下ろそうと両手を上げた。

「あ、あのぅ」

 背後から聞こえた遠慮がちな声に、雄里は竹竿を握ったまま振り返る。そこには、どこかおずおずとした様子で一人の男が立っていた。年の頃は五十前後だろうか。上品なスーツとネクタイ、雄里でも知っている高級ブランドの腕時計から、そこそこ地位のある者だろうと想像がついた。

「あ、すみません。今日はもう店仕舞いでして……」

 申し訳なさそうにそう言うと、しかし男は小さく首を横に振る。そして、暫し逡巡するように視線を彷徨わせた後、思い切ったように口を開いた。

「実は……と、鳥居を、くぐりたいのですがっ」

 前のめりで言った男を、雄里は驚きとともに見つめ返した。

「……鳥居」

 そして、思わず呟く。

「……冗談やなかったんか。ほんまに来るんやな」

「え?」

 雄里の呟きを聞き取れず僅かに首を傾げた男に、雄里は慌てて笑みを向けた。

「あぁ、失礼しました。そっちのお客さんでしたか」

 言うと、雄里は手早く暖簾を片づけ、看板の灯りを落とした。

「ほな、中へどうぞ」

 あまりにあっさりと応えたからだろう。明らかに拍子抜けしたような表情を浮かべつつも、男は促されるままに雄里の後に続いて客のいない店内へと足を踏み入れた。

 丸太を半分に割ったようなカウンターに席が四つと、その後ろには衝立で三つに区切りがされた小上がり。そんなこじんまりとした店内の奥へと雄里は声を掛ける。

「コトハ、お客さんやでー」

 雄里の声に、一番奥のカウンター席にいた人影が動いた。肘を突きながら無表情にグラスを傾けていた若い女――葛城コトハは、顔を上げてちらりとこちらへ視線を向けた。

「――客? 店仕舞いじゃなかったのか」

 女性にしては涼しげな、しかし女性らしくもある大きな青灰色の目を、言葉に合わせて訝しげに細める。耳下で切り揃えられたワンレングスの金髪が、首を傾げると同時にさらりと揺れた。国籍不明の容姿だが、総じて人目を引く美人であることは間違いない。しかし、残念ながら、愛嬌をどこかに忘れてきたかのようにまるでにこりともしない。

「違う違う。店のやのうて、お前の客や――って、ちょぉ自分、何飲んどねん!」

 コトハが手にしたグラスを見咎めて、雄里は目を見開いた。

「何って、どうみても梅酒だろ。おいおい、居酒屋店主が今更何を言ってるんだ?」

 悪びれた様子もなく、肩を竦めたコトハがグラスを掲げて見せた。ご丁寧に梅の実まで沈めている。

「お前が何を言うとんねん。梅酒なんは見たら分かる。せやのうて、店の酒は勝手に飲まへんっちゅう約束はどこへ行ってもうたんやと聞いてるんや!」

「だから、店の酒には手を付けてないだろ。これは雄里が自宅で漬けた酒であり、商品として店に並んでいるものじゃない。よって、おれは約束を何一つ破ってなどいない訳だ」

 そう言って、再びくいっとグラスを傾ける。無表情ながら、その横顔に僅かに浮かんだ満足げな色を読み取った雄里は、額を押さえて小さくため息をついた。見つかればこうなることは目に見えていたので、ビンごと流し台の下に隠していたというのに、油断も隙もない。そして、こういう場面でコトハが思いつく屁理屈はどうして毎回一級品なのだろうか。

「……よう漬かったから、そろそろメニューに出そうと思って持ってきとったんや。見たら分かるやろ」

「うん、確かに良く漬かってはいるな。だが、少々甘味が足りない気がする」

「え、ウソやろ!? そんなはずは……」

 つい尋ね返してしまった雄里を一瞥すると、コトハはワインのテイスティングでもするかのように梅酒を口に含んで目を閉じた。

「ふむ。一寸ばかし砂糖が少なかったんじゃないか? おれは嫌いじゃないが、客に出すには好みが分かれるかもしれんなぁ」

 評論家よろしく偉そうに言うと、グラスの残りを一息に飲み干した。グラスの底で、ころりと梅の実が転がる。

 そして、ふぅと息を吐いたコトハが口を開いた。

「そこでだ。雄里に、おれから素晴らしい提案をしてやろう」

「……何やねん、提案て」

 どうせ下らないことだと思いつつ応じると、コトハは空のグラスを振りながら言う。

「お客には出せない。さりとて、捨てるには忍びない。だったらいっそ、この酒は、おれ専用ということにしてはどうだろうか」

 何だかんだと御託を並べたのも、結局のところこれが言いたかったためらしい。期待に満ちた眼差しをこちらに向けるコトハに、雄里はにっこりと笑い掛けた。そして、笑顔のままで端的に切り捨てる。

「アホか」

「な、何故だ……」

 愕然とした口調で問い返すコトハ。

「こっちが聞きたいわ。どうしたらそんな考えになるんや? 俺が何のために面倒な特例申請したと思ってんねん」

 たとえポピュラーな梅酒であろうとも、申請無しで手作りの酒を店で出せば酒税法違反になってしまう。そのため、面倒ではあったが書類を揃えて税務署で特例申請を行ってきたばかりだった。

「ちゅうか、ほんまに甘味が足りひんのやったら砂糖を足せばええだけの話やろ。なんでワザワザお前にくれてやらなアカンねん」

 馬鹿げたコトハの主張を一蹴すると、正論で反論の機会を奪われたコトハは、こちらに恨みがましい視線を向けつつ、ブツブツと呟く。

「あぁ、いやだいやだ。若いクセに頭が固い。融通が利かない。典型的な日本人だな、雄里は」

「典型的もクソも、俺は日本人やでな」

「もったいない話じゃないか。お前は人生を無駄にしているぞ。人間の一生なんて、たかだか百年程度。もっと緩く自由に楽しい人生を歩もうとは思わんのか?」

「お前の頭ン中は溶けとんかっちゅうくらいゆるんゆるんやけどな。どや、いっぺんためしに寒天でも飲んでみるか? そしたら丁度ええ感じに固うなるかもしれんでなぁ?」

 滔々と起伏なく語るコトハに声音を低めて牽制すると、さすがのコトハも、やれやれと言いたげに両手を上げてからようやく降参を示した。そして、言う。

「――で、何が来たって?」

「あ、せや! こんなアホなこと言うとる場合やなかった!」

 慌てて背後を振り返ると、客の男は呆然としてこちらを見守っていた。その視線は不安げに揺れている。あんなやり取りを見せられては当然だろう。だが、ここまで足を運んでくれた客に対して、このまま帰らせるのはさすがに申し訳ない。雄里は精一杯の笑みを以て、客の男に渦巻いているだろう不安の払拭を試みた。

「お待たせしてもうて、すみません。こちらが、ご所望の相手です」

 雄里の紹介を受けて、コトハが立ち上がる。カウンターの陰に隠れていた姿がこちらへと近づいた。

 襟ぐりの大きなニットはグレー。その上に羽織るライダースジャケットと、長身で細身の身体に似合うスキニージーンズ、そして足元を固めるごつめのショートブーツは全て黒一色。女性らしい要素を一切排除したような、クールなモノトーンコーデだが、それが逆に彼女の容姿を引きたてていた。

「あの、このお嬢さんは一体……? 私は、この店にはどんな依頼でも受けてくれる探偵がいると聞いて来たのですが」

 無愛想に佇む女を前に、困惑を隠しきれない表情で客が雄里へと問い掛ける。だが、雄里がその問いに答える前にコトハが雄里の袖を横から引いた。

「おい、聞いたか雄里。お嬢さんだとさ。おれもまだまだ捨てたもんじゃないな」

「社交辞令、もしくはお世辞。間に受けんなや」

 満足げに胸を張った友人に、雄里は何てことのないように返す。

「おれに向けて発せられた言葉であれば、それをどう解釈するかはおれの自由だ。社交辞令だろうがお世辞だろうが関係ないね」

「はいはい。お前の思考がとんでもなくポジティブなんはよう分かっとるから、早よお客さんにご説明せんかい」

 対面五秒で脱線したコトハに、雄里はため息とともに軌道修正をかける。全く表情に出てはいないが、コトハなりに久々の客にはしゃいでいるのは想像がつく。だが、これ以上客を待たせる訳にはいかない。

「おっと。失礼したな、お客人」

 雄里の言葉に、やっと本来の目的を思い出したらしいコトハが改めて客の前へと立つ。そして、かろうじて微笑に見えなくもない程度に頬を上げて言った。

「おれが、その探偵。葛城コトハだ」

 客に向かって差し出した手の動きに合わせて、細い腕に絡められた太い鎖のようなバングルが、ガチャリと重たげな音を立てた。



「こちら、苦手やなかったら飲んだってください。お待たせしてしもたお詫びです」

 二人がカウンター席についたのを見計らって件の梅酒が入ったグラスを差し出すと、曽根博司と名乗った男は恐縮したように首を竦めてからそれを受け取った。ゆっくりと口を付けると、ふっと相好を崩す。

「――あぁ、美味い。いい香りだ」

 素直な賛辞に、雄里もまたニコリと笑みを浮かべた。

「おおきに。梅酒の香りには、ベンズアルデヒドっちゅう成分が含まれてまして、リラックス効果があるんですわ」

 へぇ、と目を丸めた客の隣で、物欲しそうにこちらを見つめるコトハの視線はスルーする。すると、突如胸を押さえたコトハはそのままカウンターへと突っ伏した。

「……何をしとんねん、お前は」

「大変だ、雄里。おれは今、精神的に非常に追い詰められている。何か、緩和するものがないと、このままでは……」

「――ほんで、曽根さん。依頼についてなんですけど」

「おい雄里……無視は止めないか? さすがのおれでも傷つくぞ」

「防弾ガラスが何言うてんねん」

 バッサリ切り捨てつつ、しかしだんだん相手をするのが面倒になってきた雄里は、梅の実が転がるグラスに大きめの氷とカンロレードルで掬った梅酒を注いでやる。コトハの目元に微かな喜びの色が浮かぶのを認めてから、雄里は改めて曽根へと向き直った。下らないやり取りを黙って見守っていた依頼人に、つい本音が出てしまう。

「曽根さんは、何でまたこんな胡散臭い探偵を頼ろうなんて思いはったんですか? 興信所でも、探偵でも他に有名なところがいっぱいありますやろに」

「む。胡散臭いとは聞き捨てならんな。おれの依頼達成率は百パーセントだぞ」

「せやな。ご近所のおばあちゃんの荷物持ちに、迷子の子猫の捜索。確かに毎回成功しとる。けどな、それは一般的に探偵の仕事とは言わへんねん」

 コトハは自称〝探偵〟ではあるが、実際に今までこなした仕事といえば、今挙げたような事柄ばかり。どちらかといえば何でも屋に近い。

「それは、おれのせいじゃない。そんな依頼しか来ないのだから、仕方がないだろう。何故まともな依頼が来ないのか……全く以て謎だ」

 そんな依頼しか来ないことが胡散臭さを実証しているのだが、本人は至って真面目に疑問に思っているようで細い首をしきりに傾げている。

「……胡散臭いのは、承知の上です」

「って、承知しとるんかい」

 思わず客にツッコんでしまう。自分で言ったものの、こうも素直に肯定されるとそれはそれで驚きだ。

 しかし、曽根は真面目な顔のままコトハへと向き直った。

「知人から聞きました。あなたは、噂どおりに本当にどんな依頼でも受けてくださるんですか?」

 グラスを握りしめたまま、曽根が言う。その真剣な表情に、「こりゃ、笑い事やあらへんな」と口には出さずに雄里は思う。つまり、たとえ胡散臭くとも、真っ当な場所には依頼できない内容であるということだ。

「うむ。その通り。ただし、受ける依頼は一言だけに限らせてもらう」

 もったいぶった言い方で、コトハが答えた。

「……一言? えぇと、それはつまり、ワンセンテンスで言えということでしょうか?」

「わんせん……?」

「ワンセンテンス。句点で閉めた一文っちゅうこっちゃ」

「全く、昨今の日本は、誰もかれもすっかり横文字かぶれになってしまった。日本人たれば、日本語を使うべきだと、おれは思う」

 真顔で、しかし口調だけはしっかりと不機嫌そうに言ったコトハに、曽根がすみません、と謝る。見た目と違い、どうにも腰が低い客だ。対峙するコトハが傲慢すぎるだけかもしれないが。

「つまりだ。おれは依頼についての細かな要望は受け付けない。どんな依頼も一言で言い切った内容に対してのみ結果を出すと理解してもらえばいい」

「あの、それには何か、理由が……?」

「おれの〝ぽりしぃ〟だ」

「……ポリシー、日本語ちゃうやんけ」

 その舌の根の乾かぬうちに堂々と横文字を言い放ったコトハに、雄里は冷たい視線をくれてやる。だが、コトハの言動に逐一ツッコんでいては、関西人たりとも身が持たないので、ぼそりと呟くに留める。

「それと、報酬は金銭ではなく酒でもらうことにしている」

「酒って……この酒、ですか?」

 手にしたグラスを掲げて見せた曽根に、コトハはこくりと頷いた。

「本来は日本酒なんだが、おれは他の奴等と違って細かいことは気にしないからな。焼酎、梅酒、何でもいい。ヒトから供えられた酒を飲むということに意味があるのでな」

「そな……?」

「あーあー、なんでもありません! とにかく、無事に依頼達成できたらぜひにうちで酒を一緒に飲んだってくださいっちゅうことで!」

 雄里が半ば強引に話に切り込むと、曽根は妙に納得した様子で深く頷いた。

「あぁなるほど、この店と業務提携している訳ですね。面白い経営戦略だ」

「提携っちゅうか住み着かれとるっちゅうか……けどまぁ、念のため言うときますと、うちの店は悪徳でもボッタクリでもない良心価格なんで、そこんとこはご安心ください」

 そう言ってにかりと笑ってみせると、釣られたように曽根も小さく笑みを浮かべる。だが、その笑みはすぐに消え、再び思い詰めた表情になった。

「あ、あとですね。その……息子が、付属大学への推薦をもらえそうなんです。だから、たとえ私の思い違いだったとしても、妙な噂が立っては困るんです」

「安心しろ。秘密厳守はもちろん、おれは過去の依頼内容や成果を己の実績として振りかざす趣味はない。おれが成すのは、その時に受けた依頼を確実に達成すること、ただそれだけだ」

 ゆったりと脚を組み替えて、淡々とコトハが言う。感情の見えない無表情が、しかしこの場合、逆に相手には安心感を与えたらしい。暫しコトハの顔を見つめてから、意を決したように曽根は頷いた。

「……分かりました。それでは、葛城さん。改めて、私の依頼を聞いてください」

 そして、僅かに息を詰めてから、曽根が一言の依頼を言い告げる。

「――私の父、曽根一博が人を殺したか、確かめてください」

 思いがけず飛び出た物騒な依頼に、雄里は目を見開いた。いくら探偵らしい依頼に飢えていると言っても、この内容はさすがに重すぎる。

「ちょお待て、コトハ。これは、素人がうかつに手ぇ出したらアカンやつや。ちゃんと詳細を聞いてからやないと……」

 一応小声で忠告するが、そんな言葉に耳を貸すコトハではない。

「おぉ。これぞ探偵へ依頼するにふさわしい内容じゃないか。ようやく、おれの素晴らしい推理力を発揮できるというものだ」

「いや……この場合は、探偵よりも警察に相談する方が正解ちゃうんか?」

 不安そうな雄里の視線に気づくことなく、コトハは満足げに頷いた。

「今の一言、しかと聞き届けた」

 尊大な態度で言ったコトハは、腕のバングルをガチャリと鳴らし、曽根に向かって指を突き付け言い放つ。

「葛城コトハの名にかけて、必ずや結果を出してやる」

 口元をほんの微かだけ上げた〝不敵な微笑〟を浮かべ、意気揚々と応じる友人を前に、雄里はもはや額を押さえて嘆息する他なかった。


「先週、北千住駅付近であった殺人事件をご存じですか?」

 とにかく一度詳細を聞きたいと言った雄里に、曽根はそう問うた。

「あー、何やニュースで言うてましたね。荒川の河川敷で男の人が刺されたんでしたっけ。確か、まだ犯人も捕まってへんとか」

「えぇ、そうです。そして……その事件に、もしかすると私の父が関わっているのではないかと……」

 不安を色濃く滲ませながら、曽根は低く言う。

「また、何でそんなことを」

「最初の違和感は、茨城への出張で早朝に北千住駅を訪れた時でした」

 カウンターに両手を置いた曽根はゆっくりとその時の様子を話し始めた。

「改札の付近でICカードにチャージをする部下を待っていた時、ふと視線を上げた先に父がいたんです」

 隠居生活をしているはずの父が何故こんな時間に最寄りでもない駅にいるのか。怪訝に思った曽根が声を掛けようとした矢先、チャージを終えた部下が戻ってきた。ほんの僅かの躊躇の間に、父は連れらしき男と何やら話をしながら仲町出口の方へと歩いていってしまった。

「電車の時間が近いこともあって、結局その時はそのままホームへ向かったんです。だけど、その時の父の様子が何となく気になった私は、その日の夜、父に電話をしました。しかし……父はそんなところへは行っていないと言ったんです」

 本人に否定されてしまってはそれ以上聞くこともできず、何となく納得いかないものを感じつつも曽根は話を終えて電話を切った。

「――だけど、その翌週もまた、父は北千住駅に現れました」

 進行中の契約締結に向けて出張へと向かう折、曽根は再び早朝の駅で父の姿を見かけたと語った。

「その時は一人でしたが、チラチラと時計を見ながら誰かを待っていたようでした」

 今度は、曽根も迷うことなく父の元へと近づいた。そして二人の間が数メートルとなった、その時。

「私の姿を認めた父は――その場から、走って逃げたんです」

「……逃げた?」

 思わず口を挟んだ雄里に、その時の様子を思い出したように、曽根は肩を落としてため息をついた。

「ええ。それはもう脱莵の如く。しかし、さすがに今回はあまりに行動が不審でしたし、あれだけはっきりと目が合っていれば言い逃れはできないだろうと、私はその日の夜に実家を訪ねました。しかし、それでもやはり父は知らないの一点張りで何も語ろうとしなかったんです」

「一応ですけど、見間違いっちゅうことはないんですよね?」

 確認するように言った雄里に、曽根ははっきりと頷く。

「えぇ。私も視力は良い方ですし、間違いありません」

 確かに目まで合ったというのなら、実の父親と赤の他人を見間違うとは考えにくい。

「せやけど、何でそっからお父さんが人を殺したやなんていう考えになりはったんですか? 逃げたんかて、たまたま待ち合わせしとったんが、その……息子さんには見られたくない相手やった、とかかもしれませんやん」

 息子を前にして言うべきかと迷ったが、可能性の一つと割り切って言う。すると、それまで聞きに徹していたコトハが突如顔を上げて口を挟んだ。

「なるほどなるほど。つまり雄里は、父君が逢引きをしていたのではないかと言うんだな?」

「ストレートに言いすぎやアホ! せめてオブラートに包まんかい!」

 口元を引きつらせつつ小声で諫めるが、もう遅い。申し訳なくて曽根の方を見られない雄里とは対極的に、コトハは相変わらず平然としている。

「何を焦っているんだ。思春期でもあるまいし」

「そういう意味ちゃうわ!」

 雄里とて、今更コトハに〝空気を読む〟という高等技術など期待していないが、せめて客に対しての配慮はしていただきたい。

「今も昔もヒトというのは色恋沙汰が好きな生き物だ。雄里の言いたいことも分かる。だがな、その線は薄いと思うぞ」

「……何でや?」

 眉を寄せた雄里に、グラスの底から梅の実を抓み出したコトハがさらりと言う。

「言っただろ。古今東西、色恋沙汰を好むのはヒトの本質だ。だったら、現場を目撃した曽根さんがそれを考えない訳がない」

 口の中で梅の実を転がしつつ、そうだろうと言いたげな視線を向けたコトハに、曽根は神妙な表情で頷いてみせた。

「葛城さんの言うとおりです。私もまず、その可能性を考えました。母が亡くなってもう何年も経っていますが、親父も照れくさいのかと、初めはそんな風に気楽に思っていました」

「けど、その可能性を否定する何かがあったんだな?」

 確信的に言ったコトハに、曽根は首肯した。その上で、ビジネスマンらしい口調で説明を続ける。

「理由は三つあります。一つ目は、殺されたという男性が、駅で父と一緒だった人に似ている気がしたこと。二つ目は、事件に用いられた凶器が、おそらく出刃包丁のような刃物だろうということ」

 曽根の言うとおり、凶器はまだ見つかってはいないが、遺体の刺し傷から出刃包丁のような刃物だろうと報道されていた。

「出刃包丁というと、雄里がよく使っている、あの大きな包丁のことだな?」

 コトハの問いに、雄里は首肯する。一般家庭によくあるお手軽な万能包丁とは異なり、魚の骨をも両断できる出刃包丁は大きく重量もあり、扱いが難しい。

 だが、そこから父親を連想したということは、裏を返せば曽根の父親は出刃包丁の扱いに慣れている人物ということだ。

「ふむ。つまり、父君は出刃包丁を普段から使っている方なのだな。もしや、料理人か?」

 雄里と同じ考えに至ったらしいコトハが言う。料理人という発想は、普段雄里が使用しているのを目の当たりにしているためだろう。しかし、曽根は首を横に振った。

「いいえ、父は台東区の商店街で魚屋を営んでいました。しかし、私は一般企業に就職しましたし、父も年で、一人で店を続けるのが厳しくなったので、昨年閉店してしまったのですが」

 感傷を含まない、あっさりとした口調で曽根が答える。大型スーパーの台頭で、個人経営の鮮魚店は年々数を減らしている。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、雄里としては少々寂しく感じられる。しかし、当事者である曽根は既に割り切っているらしい。

「この商店街にも昔は数件あったらしいけど、今では改札近くの一件のみやしな」

 この店で出している魚はそこで調達してもらっているのだが、鮮度も味も、今まで外れたことがない。その上、気さくな店主が何かと融通を利かせてくれるので雄里としては有難い存在なのだが、それも個人商店だからこそできる対応なのだろう。

「あぁ。確か、魚幸さんですよね」

「え、ご存じなんですか?」

「はい。以前仕事でご一緒した方が、偶然そこの息子さんでして。実家が同じ鮮魚店だということで話が弾んだのですが、実は、そこで葛城さんの噂を聞いたんですよ」

 曽根の言葉に、コトハが小さく頷いた。

「そう言えば半年ほど前に、魚幸の親父さんが無くした家の鍵を見つけてやったことがあったな。おそらく、そのことを息子に話したのだろう」

「ふーん。因みに、どこで見つけたんや?」

「この店の裏口に落ちていた。裏通りは車を寄せると狭いからな。配達に来た時に、壁に擦れてポケットから落ちたんだろ。我ながら鮮やかな解決だったぞ、あれは」

 コトハが語った推理と表現することすらおこがましい実績に、雄里は無言で呆れた眼差しを向けた。こんななんちゃって探偵をうっかり頼ってしまった曽根には今更ながらに大変申し訳ない。

 そんな雄里の心境に気づくはずもない探偵は、再び曽根へと向き直った。

「失礼、話が逸れてしまったな。では、最後の理由を教えてもらえるか?」

 表情を改めた曽根は、小さく頷いて口を開いた。

「最後の理由は……父が大切にしていたその包丁が、実家のどこを探しても見当たらないということです」

「業者に研ぎに出しとるってことも、あるんとちゃいます?」

 雄里の問いに、曽根は大きく首を振った。

「それは有り得ません。父は昔から職人気質で、研ぐのはもちろん自分でやりますし、私や、母にすら包丁を触らせたことがありません。それなのに、あの事件があった日以来、それがどこにもないんですよ」

 僅かに声を低めて言った曽根に、雄里はようやく納得する。曽根は、父が犯人だと疑ってかかったのではなく、犯行時刻に現場付近で不審な行動をとっていた上、犯人である可能性を示唆する三つの事象が重なったことで、父が犯人なのではという発想に至ったのだ。

 突拍子もない発想であることは確かだ。しかし、これだけ条件が揃ってしまえば一概に無視することもできず、さりとて警察に相談するのも躊躇われて、こうして噂に聞いた胡散臭い探偵を頼るはめになったのだろう。

 深刻な依頼人とは対照的に、のんきに梅の実をがりがりと齧っている自称探偵を雄里は横目で見遣る。

「む。今、また胡散臭いと言わなかったか?」

 勘の鋭いコトハに内心ぎくりとしつつも、顔には出さずに雄里は首を横に振る。

「言うてへん言うてへん。それより、どないすんねや」

「どうするも何も、調査して華麗に解決するに決まっているだろう。おれを誰だと思っている」

 フンと鼻を鳴らしたコトハが言い放つ。その根拠のない自信は一体どこから来るのか心底不思議なのだが、それが葛城コトハという存在なのだから仕方がない。

「それでは、一週間後にまたこの店に来てくれ。その時までに白黒はっきりつけておく」

「は、はい! よろしくお願いいたします!」

 まるで取引先を相手にするかの如く頭を下げる曽根。そんな依頼人をコトハは涼しげな瞳で見下ろすと、口の中で転がしていた梅の種をがりっと噛み割った。綺麗に二つに割れた種を抓み出すと、中から白い仁が現れる。

「本質は開いてみなければ分からない。どんな結果が出たとしても、そこからどうするかを決めるのはあなた自身だ。それは覚えておいてくれ」

 種の中身までを食べきったコトハは、起伏のない声で、そう告げた。



 依頼を受けた翌日の朝、雄里とコトハはさっそく調査を開始した。

 安直なコトハの提案で、とにかく曽根一博宅を見張ろうということになり、早朝から台東区へと向かった。当たり前のように同行した雄里だが、よくよく考えると、探偵でもない自分まで張り込みに付き合う必要はなかったかもしれない。しかし、世間からかなりズレたところのあるコトハを一人で行動させると後々面倒なことになるのは目に見えているので、結局はこれで良かったのだと雄里は自分を励ます。

 幸い近くにコンビニがあったので、そこで雑誌を読むふりをしながら鮮魚店であった店舗兼自宅を見張る。

「これ、一歩間違えたら俺らの方が不審者やな……」

 苦々しく呟いてから、コトハはと隣を見れば、クロスワードパズルを目視で解こうと冊子を凝視していた。

「――って自分、ちゃんと見張れや!」

「少し黙っていてくれないか、雄里。この〝ハの縦〟が、どうしても文字数が合わんのだ……」

 いっそ潔いその応答に、形の良い後頭部を叩いてやりたい衝動に駆られるも、なんとか優秀な理性がそれを止めた。

「……まぁ、昨日の今日で動きがあるとも思えへんしな」

 そんな雄里の思惑を知るはずはないのだが、張り込み初日にして、さっそくターゲットは動いた。裏口から出てきたのは白髪の男性。おそらく、あれが一博だ。

「おいコトハ、出てきたで! どうする?」

 肩を揺さぶると、コトハは誌面に目を落としたまま忌々しげに呟く。

「くそ、もう少しで全て解けるというのに……間の悪い奴だ」

 そして、冊子を閉じるとようやく顔を上げた。

「つけるぞ。また北千住へ行くかもしれん」

 慌ててコンビニを出ると、距離を取りつつ一博の跡をつける。都営地下鉄の駅へと向かった一博は、西馬込方面の電車に乗り込むと、更に三田線を乗り継いだ。

「どこまで行く気や? 北千住とは真逆やぞ」

 隣の車両から様子を窺いつつ、一向に降りる気配のない一博に、不安になった雄里が呟く。すると、隣に立つコトハが車窓に視線を向けてから思わせぶりな口調で言った。

「ふむ。ひょっとして、秋刀魚を食う気なのかもしれんぞ」

「は? 秋刀魚?」

 脈絡のないコトハの発言に首を傾げた雄里だったが、視線の先にある駅名を見てようやくその意味を悟る。

「魚屋が目黒で秋刀魚を食う。なかなかに面白い趣向じゃないか」

 コトハが真顔で言い放った下らない冗談に、思わず脱力する。秋刀魚が目的であるとは思えないが、しかし目黒駅で電車が止まると同時に一博はホームへと降り立った。

「アホなこと言うとらんで、追うで」

 電車から降りた二人は、エスカレーターを上がっていく一博の姿を追跡する。通勤ラッシュにはまだ早い時間ではあるが、目黒駅はJRやメトロを始め四線が通っているだけあって、駅を行き交う人足は絶えない。うっかりここで一博を見失い、他の路線に乗り継がれでもしてしまってはそれ以上追跡のしようがない。だが、そんな雄里の心配をよそに、地下鉄の改札を出た一博は西口付近まで来てようやく立ち止まった。二人も足を止め、柱の影に隠れて様子を窺う。正面に並ぶバス停を睨むようにして立つ一博は、誰かを待っているのか、その場から動こうとしない。

 駅には屋根があるとはいえ、吹き込んでくる風が冷たい。小さくくしゃみをした雄里は、首を竦めてブルゾンの前を閉じあわせた。

「あーやっぱ、朝はまだちょい寒いなぁ」

 そして、改めて隣に立つコトハを見下ろし小さくため息をついた。

「――なぁ、コトハ。めっちゃ今更なんやけど、それは変装のつもりか?」

「あぁ、もちろん。尾行をするのに普段の恰好では目立ちすぎるからな」

「……目立つ自覚は一応あったんやな」

 今日のコトハは白シャツにシンプルな紺のジャケットとチェックのパンツスタイルだ。洋画に出てくるエージェントの如き普段の黒尽くめを思えば、今の恰好は格段に場に馴染んだものだと言える。しかし、問題なのはその組み合わせがよくある高校の制服に酷似しているということだ。元来涼しげな顔立ちである上に、短めの金髪も今風にセットしているものだから、一瞥するとバンドでもやっていそうな男子高校生にしか見えない。

「ちゅーか、何で敢えての高校生やねん。十代に化けるんはさすがに厚かましいんとちゃうか?」

「おいおい、雄里。今更おれに年齢を問うほど馬鹿らしいことはないだろう?」

「自分で言うなや」

 堂々と言い張るコトハに冷たい視線を向けるが、当の本人は一向に気にした様子はない。

「何でこの恰好なのかって、そんなの似合うからに決まっているじゃないか」

 予想はしていたが、何とも身も蓋もない理由だ。

「それとも、雄里は女子高生の方がよかったのか? 〝みにすか〟がよかったのか?」

 スカートをはいているかの如く、ズボンを抓んでくるりと回ってみせるコトハに、雄里はひくりと顔を引きつらせた。認めたくはないが、コトハの変装の腕は折り紙つきである。どれだけ実年齢と差があろうとも、もしコトハが女子高生の恰好をすれば、それは間違いなく女子高生に見えてしまうのだ。

 そして、こんな早朝に大の男と女子高生がこそこそしている姿など、違う意味で怪しさ満載だ。警官にでも見られたら職質は必至だろう。

「俺の面子のためにも、女子高生は勘弁してくれ……」

「ほらみろ。なら、この恰好で正解じゃないか」

 一般的な恰好をするという選択肢は端からないらしい。勝ち誇ったように胸を張ったコトハに、雄里は反論を諦め眉間を押さえた。そもそも、コトハ相手に雄里が口で勝てるはずがなかった。

「それにしても、親父さんはこんなとこで誰を待っとるんやろな」

 気を取り直すように言うと、肩下でコトハがぐふふ、と怪しい声を上げる。

「そりゃあ、やっぱり共犯者じゃないのか? それとも第二の標的かもしれんな。どちらにしても面白くなってきたじゃないか」

 表情に乏しいコトハが、再びぐふふと不謹慎な笑い声を上げる。本人は笑っているつもりのようだが、傍目にはほぼ真顔であるため若干薄気味悪い絵面になっている。どうにかこいつの表情筋を鍛える術はないだろうかと、たまに本気で考えてしまう雄里である。

「おい見ろ、雄里。誰か来たぞ」

 コトハの声に視線を動かすと、いつの間にか一博の前に男が立っていた。こちらからはその顔は見えないが、どうやら若そうだ。黒いズボンに、グレーのパーカー姿のその男は、背負っていたリュックサックを下ろすと、何かを取り出した。大きさは二十センチほどで、新聞紙のようなもので包まれた細長い物体。

「む。あの男、今、一博に何かを渡したぞ。新聞紙の包みのようだが……」

 首を傾げるコトハの背後で、雄里は、恐ろしい事実に気がついてしまった。

「――なぁコトハ。あれって、もしかして……包丁ちゃうんか?」

 雄里は時々近隣の主婦に頼まれて包丁を研いでやることがある。その時に、店へと持ちこまれる包丁は大抵が新聞紙で包まれているのだが、その形状と、今目の前にあった包みがそっくりだったのだ。

「え、ちょお待てや。あの男が親父さんに包丁を渡したってことは、ほんまの犯人はあの男っちゅうことか!?」

「いや、分からんぞ。ひょっとすると、あの男に凶器を預かってもらっていたという可能性もある」

 焦る雄里とは対照的に、何故か嬉しげな声でコトハが言った。完全にこの状況を楽しんでいる探偵を前に、雄里の心中が穏やかでいられるはずがない。

「やっぱ、今からでも警察に相談した方がええんちゃうか?」

 つい弱気な発言をした雄里に、コトハが憮然として言う。

「馬鹿を言うな。せっかくおもしろくなってきたというのに、美味しいところを警察なんかに取られてたまるか」

「どういう理屈やねん。ちゅうか、お前はええかもしれんけどな、俺は、巻き込まれたらそれなりに社会的ダメージがあるんやぞ」

「ふん、社会に縛られて生きているから、こういう時に困るんだ。これを機に生き方を見直してみてはどうだ? 新たな世界が開けるかもしれんぞ」

「余計なお世話や」

 下らない言い合いをしているうちに、一博は男と連れだって改札方面へと歩き出していた。そして、一博はJR方面へ、男は私鉄方面へと別れてしまった。

「えらいあっさり別れたな。どうする?」

「そうだな……おれはこのまま一博を追う。雄里は念のため、あの灰色の服の男をつけてみてくれ」

 コトハを一人にすることに若干の不安を覚えたが、この場合致し方ない。

「分かった。けど、くれぐれも目立たんように行動してくれや?」

「心配するな。こう見えて、おれは慎重だからな」

 信憑性の欠片もない発言を残し、コトハが改札の中へと消える。幸い通学の学生が増える時間帯となっている。あの恰好であればさほど目立つこともないだろう。

「そこまで考えてのあの変装なんやったら、すごいんやけどな」

 コトハの背中を見送りつつ、ぼそりと言う。

「っと、こっちも追いかけんとやな」

 ここへ来た当初よりも格段に人が増えた駅構内で男を見失わないように距離を詰めつつ後を追う。ホームに入ってきた赤いラインの下り列車に乗り込んだ雄里は、さり気なくターゲットの座った前に立ち、改めてその顔を確認した。

「えっ」

 思わず声を上げてから、慌てて口を噤む。幸い発車の音に紛れて周囲から不審がられることはなかったが、心中で雄里は混乱していた。

 どこか気弱そうな目前の男が、リュックサックから取り出した分厚い本には見覚えがある。それは、かつて十代だった頃の雄里もお世話になった、オーソドックスな英単語帳。よく使い込まれているようで、ページには付箋が貼られている。更に、羽織ったパーカーの下で、胸元に僅かに覗くマークは、関東屈指の有名進学校の校章だ。どう考えても、相手が高校生であることは明白だった。

「……どういうこっちゃ、コレ」

 そして極めつけは、鞄のサイドに入れられたS.SONEの刺繍。

 依頼者の曽根博司は、大学推薦を控えた息子がいると言っていた。そして、この目の前にいる少年の、気弱そうな雰囲気は曽根博司とそっくりだ。

 先ほどの光景が雄里の頭を過る。怪しげな行動をとった曽根一博と、そんな一博に包丁らしきものを渡した依頼者の息子。そこから連想できることは。

「――まさか……ホンマの犯人は、依頼人の息子やったっちゅうことか?」



 夕方五時、居酒屋とりいの入り口に暖簾がかかる。『商い中』と書かれた木の板を扉にぶら下げた雄里は、まだ明るい空を見上げて深く重いため息をついた。

 基本的に明るい気質の雄里には珍しく、精神的な消耗が激しい。自称探偵の友人に付き合って朝から張り込みに追跡と、慣れないことをして疲れているというものも一つだが、何よりも依頼人の息子が犯人かもしれないという懸念が気持ちを重くしていた。あの後、雄里は電車から降りた少年が、推測通り高校の門をくぐるところを確認した。門前で友人らしき生徒に声を掛けられたことで、少年の名が修一であることも判明した。捜査としては大進歩だろう。しかし、どう見ても普通の高校生としか見えない少年が事件に関わっているかもしれないと思うだけで、雄里の気分は憂鬱なものになっていく。

「アカンアカン! こんな気分でお客さんをお迎えしたら、来てくれはった方に失礼や!」

 ぶんぶんと首を振って気持ちを切り替える。よくよく考えてみれば、これはコトハが受けた依頼であり、雄里が請け負うべき悩みではない。

「なんせ、俺はただの居酒屋店主やでな!」

 自分自身を元気づけるようにそう言うと、厨房へと入り、突き出しの準備に取り掛かる。今日は仕入れ先ですすめられた菜の花を使ってあらかじめ味噌和えを作ってある。甘めの白味噌に混ぜた辛子がツンと香り、菜の花の苦味と良く合う春の定番料理だ。桜色の小鉢に分けてよそい、バットに並べていくうちに少しずつ気持ちの切り替えができてくる。この調子でいけば、最初の客が来る頃にはいつもの調子を取り戻しているだろう。料理はある意味、雄里の精神安定剤である。

「よし。これで終いや」

 最後の小鉢を作ったところで、引き戸が開いた。

「いらっしゃいませ――って、何やコトハか」

 顔を向けた先には、今朝と同じ恰好のままのコトハが立っていた。

「えらい遅かったやん。親父さん、あれからまだどっか行ってたんか?」

「いや。一博は、あのまま真っ直ぐ帰宅した」

「ほな、今までどこで――」

 雄里の言葉を遮って、コトハが白いビニール袋を無造作にこちらへと差し出した。

「みやげだ」

「みやげ?」

 受け取り、中を見る。氷とともに透明なビニール袋に包まれているのは、やや小ぶりだが背の模様も綺麗な鯖が一匹。

「……鯖、か?」

「うむ。鯖だ」

「どないしてん、これ」

「新鮮だぞ」

 会話が噛み合わない。コトハの行動に意味を求めるほど無意味なことはないが、さすがにこれは意味不明すぎる。

「こいつをすぐに捌いてくれ。サバだけに」

 真顔でさらりと言って、ぐふふと怪しい声を上げるコトハ。

「何うまいこと言うとんねん」

 その下らなさに呆れつつも、雄里は出刃包丁を手に取った。真意はともかく、鯖は足が早い。目の透き通った新鮮な魚が手元にあるというのに、傷めてしまっては料理人の名が廃る。

「よう見とれや」

 にっと笑って言うと、まずは包丁の先で背の鱗を落としにかかる。小さな鱗をまな板に散らしてから、両面の胸ヒレの後ろから切り込みを入れ、トンと頭を落とす。腹から尻に向かって切り開くと、内臓を掻き出して流水で洗い流す。

「三枚下ろしというのは、技術的に難しいものなのか?」

 珍しく興味を持ったらしいコトハがカウンターから身を乗り出して手元を覗き込んだ。

「いや、どっちかっちゅうと基本中の基本やな。何なら、やってみるか?」

「せっかくの食材を無駄にする気か、もったいない」

「……せやから、自分で言うなっちゅうねん」

 コトハの挑戦を諦めた雄里は、洗い終わった鯖を横向きに置き、いよいよ三枚に下ろす。頭があった方から骨に刃を当てつつ尻尾の先まで包丁を滑らすと、片身が取れる。

「そっちから切るのか。料理番組では尻尾から刃を入れていたと思うが」

「それは尻尾持った方が包丁入れやすいからとちゃうか? 別に、どっちでもやりやすい方からでええねん。俺は頭から派っちゅうだけやし」

 言いつつ、裏面も身を落とす。薄っすらと赤く染まった身は引きしまっていて割れがない。

「うん、これだけ新鮮やったら刺身でもいけるわ」

 いくら新鮮とはいえ、当たりやすい鯖を刺身で客に出すことは若干の躊躇いがあるが、相手がコトハなので色んな意味で問題はないだろう。

 皮を引き、骨抜きで中央の骨を抜けば、後は一口サイズに切るだけだ。

「ほれ、完成や」

 皿に盛りカウンターに置く。

「メニューにないもんやから、お客さん来る前に早よ食べてまい」

 促すと、コトハは切り身を醤油につけてぱくりと口にした。一見無表情だが、よくよく見ると、目元に僅かに歓喜の色が浮かぶ。この変化を見分けられるのは、偏に長年の付き合いがあってこそだ。それを見届けてから、雄里はまな板に残してあった一切れを口に入れる。こってりと脂がのっているが、決してしつこくはない。

「うん、美味い。えぇ鯖が入ったらバッテラも出したいなぁ」

 バッテラは関東ではあまり見かけない押し寿司だが、昨年出してみたら意外に売れ行きがよかった。今年も期待できるだろう。

「バッテラもいいが、雄里よ。おれは、きずし――江戸ではしめ鯖というのだったか。それに煎り酒で冷酒をくっといくのが好きなんだ」

「さよか。ほな、煎り酒は作っといたるさかい、報酬の酒と一緒にきずしもおごってもらいや」

 にっこり笑ってさらりと返す。そうそう商品の酒を与えていたら、あっと言う間に店が潰れてしまう。何か反論があるかと思ったが、コトハは珍しくそれ以上要求せずに、もりもりと刺身を口に運び続ける。どうやら、何かを考えているようだ。

「そう言えば、そっちの追跡はどうだったのだ?」

 コトハに言われ、雄里はまな板を洗う手を止めた。自分としたことが、鯖に夢中ですっかり忘れていた。自分の料理馬鹿加減に愕然とする。

「……それがやな。大変なことになってるかもしれんのや」

 瞬く間に皿を空にしたコトハへ、雄里は今朝方見た状況を説明する。黙って話を聞き終えたコトハは、腕を組んで壁に凭れ掛かった。

「なるほどな。一博に包丁を渡したのは、依頼者の息子だったのか」

「しかも、偏差値七十オーバーの超進学校在学やで」

「ふむ。偏差値が高いということは、そのまま行けば帝國大に入って果ては医者か官僚か、という道筋だな」

「帝國大って、いつの話やねん」

 コトハにとっては大学の名称など気にも掛けないことなのだろうが、最早それは日本史で習うレベルの旧名称だ。

「付属大への推薦やて言うてはったし、私立大やろ。それでもめっちゃハイランクなブランド大やけどな。それに、今は東大や京大出て芸人やっとる人がおる世の中やぞ。皆が皆、医者や官僚目指す訳やあらへんわ」

「――あぁ。そう言えば、入学後半年で大学を自主退学して、今ではどこかの居酒屋で鯖を捌いている物好きもいたのだったな」

「あぁ、どっかの誰かに唆されてな」

 しれっと返すと、カウンターに頬杖を突いたまま器用にコトハが肩を竦めた。

「どの道を行こうが、進まなかった道を振り返り悔やむのがヒトという生き物だ。進んだ先が正しかったと感じることすら、所詮は結果論でしかない。――だから、己が決めた方向へただ進み続けるしかないんだ」

 誰に語るともなくコトハは言う。時折、コトハはその見た目にそぐわない老獪な物言いをすることがあった。そんな時のコトハの瞳は、ただ静かに、ここではない遠くのどこかを見つめているようだった。

 雄里は、いつものようにコトハの意識がこの場へと戻ってくるのをただ黙して待つ。

 中断していた洗浄を再開し、まな板立てに洗い終わったそれを立てたところで、コトハが再び口を開いた。

「何にせよ、二世代に渡る親子対決は必至だろうよ」

 そして、真顔でぐふふと怪しい声を上げる。どうやらこちらへ戻ってきたらしい。

「実はな、おれは今日、曽根一博の犯行時刻の行動を探っていたんだ」

「ほー、ちゃんと探偵っぽいことしとったんやな」

 てっきり、ふらふら気ままに遊んでいるのかと思っていたが、意外とまともに仕事をしていたらしい。

「〝ぽい〟ことじゃない。おれの生業を実行したまでだ」

 不満そうな口調で言ってから、足を組み壁に凭れ掛かるようにして座り直す。

「そこで、犯行現場での不在を証明できる言質が取れた」

「現場での不在って、一博さんのアリバイがあったちゅうことか? ほな、やっぱり犯人は……」

 無心に英単語帳を捲っていた、大人しそうな顔が浮かぶ。一博が無実だったからといって、修一少年が犯人であると断定はできない。しかし、事件と無関係であったとしたら、一博に手渡した包丁の説明ができない。

 どうにも悪い方向へ偏りがちな思考に、コトハが追い打ちをかけるように言う。

「さて、将来有望な若者が真に思うは、国の未来か己の欲望か? 依頼達成の酒の席には少々硬い話題だが、それも仕方があるまいな」

「笑いごとちゃうやろ」

 楽しげな様子を言葉の端々に滲ませたコトハに眉を寄せる。

「それに、まだ修一が殺ったちゅう確証もないやんけ。被害者との接点とか、動機とか、何も分かってへんのやし」

 そう言うと、こちらを見上げたコトハが不思議そうに問う。

「何故、そんな情報が必要なのだ?」

「何故……って、せやから、息子が犯人かどうかをはっきりさせるためにやな――」

「雄里。おれは、昨日言ったはずだ」

 雄里の言葉を遮るように、コトハが言った。

「どんな依頼も、一言で言い切った内容に対してのみ結果を出す、と。そして、今回の依頼は依頼者の父が人を殺したか否かを確かめることだ。つまり、それさえ実証できれば、おれは依頼を達成したということだろう?」

 淡々と言うコトハは冷静そのもので、むしろどうして雄里がそんなことを言い出したのかが分からないといった様子だ。

 そんな友人の様子に、雄里は背筋に冷たいものが走るのを感じて小さく息をのむ。普段のふざけた姿に惑わされて、つい忘れていた。

 コトハは本来そういう性質だったのだということを。

 しかし、だからといってこのまま黙っている訳にはいかない。コトハが己の発言の残酷さに気づいていないなら、なおさらだ。

 雄里は、僅かに下を向くと静かに呼吸を整える。そして、ゆっくりと言った。

「……ほな、これは俺からの依頼や」

 コトハが、無表情にこちらを見上げた。

「葛城コトハに依頼する。〝おれは、この依頼に関わる全貌が知りたい〟」

 雄里が一言で言い切ると、コトハが瞬きするほどの一瞬、満足げに口元を吊り上げたのが分かった。

「今の一言、しかと聞き届けた。報酬の酒には期待させてもらうぞ」

「あぁ、望むところや」

 敢えて不敵に笑って言い返したその時、引き戸がカラカラと軽快な音を立て、本日初めての客が暖簾をくぐる。

「いらっしゃいませ!」

 反射的に入口へ笑顔を向けてから、雄里は横目でコトハを見遣る。客が多く入る時間帯は自主的に姿を隠すコトハだが、今日もやはりこの場にいる気はないらしい。

「あ、コトハ――」

 思わず呼び止めた雄里に、だがコトハは肩ごしにひらひらと手を振ると、奥の階段から居住区である二階へと上がっていってしまった。

 コトハが今の依頼をどう捉えたかが気にはなったが、今は目の前の客に集中しなくてはいけない。そう自分に言い聞かせると、雄里はにこやかな笑顔で席に座った客達へとおしぼりを手渡した。



 雄里がコトハに追加依頼をした翌々日、雄里は早朝の電車に揺られていた。

 昨晩は閉店時間が遅かった。「とりい」は形式上、二十三時閉店となっている。しかし、たとえ閉店時間を過ぎても、盛り上がっている客を追い出すようなことはせず、そのため、時には二時間近く延長してから店を閉めるような場合もあったが、それがチェーン店とは異なる良さだとして、客に喜ばれているらしい。結果的にそれが商売に繫がるのであれば、雄里としても喜ばしいこととして受け入れているのだが。

「……けど、今日みたいな日はさすがにキツイ。なぁ、何でこんな早起きせなあかんねん?」

 頑張っても半分しか開かない眼をこすりながら、雄里はのろのろと北千住の改札をくぐった。

 電車に乗る前に一気飲みした缶コーヒーのカフェインは大した威力を発揮せず、気を抜くとあくびが止まらなくなる。

「言っておくが、事件の全貌を知りたいと依頼をしたのは雄里だぞ」

 隣から、いつも通り感情の薄い表情でコトハが言った。今日は変装の必要がないのか、ライダースジャケットに黒のスキニーパンツといういつも通りのモノトーンスタイルだ。

「しかし、相変わらず寝起きは凶悪な面構えだな。〝やだー、店長さんカッコイイ!笑顔が素敵~!〟などと騒いでいた昨日のご婦人方にはとても見せられない姿じゃないか」

 やれやれといった様子で肩を竦めるコトハ。ご丁寧に声音を変えて客のセリフを再現するところが腹立たしい。酔った客に絡まれることは日常茶飯事だが、昨日その場にコトハはいなかったはずだ。ということは、二階の居住区へ続く階段あたりから、おばさま方に絡まれる雄里の様子をこっそり窺って面白がっていたのだろう。性格が悪いこと、この上ない。

「年がら年中無愛想なツラしとる奴に言われたないねん。ちゅうか、俺はどこに連れていかれとるんや? 何しに行くかも知らされてへんのやけど」

「いいから、黙ってついてこい」

 コトハは、コツコツと硬い踵を鳴らしてまだ人通りの少ない道を進んでいく。時折すれ違う若者達は、盛り上がりすぎてオールをしてしまった学生だろう。そう言えば、近くにいくつか大学があった。年齢的には雄里とさほど変わらないが、社会人と学生の違いは、その場のノリと勢いに任せて後先考えずに無茶ができるか否かだと雄里は思う。つまり、今の雄里には到底できない所業だということだ。

 隅田川に向かって暫く南下し、大通りに出る。すると、どこか工場のようにも見える建物が集まった一角があった。

「え、ちょお待て。此処って……」

 驚く雄里を尻目に、コトハは躊躇うことなく施設へと進んでいく。施設内の狭い通りには車が行き来し、早朝とは思えない活気がある。

「さて雄里。この場所に何があるかは、もちろん知っているだろう?」

 トラックを避けつつ、コトハがこちらを見上げて問い掛ける。

「――あぁ。そりゃ、もちろん。せやけど……」

 戸惑いながら頷いた雄里だが、何故コトハがこのような場所を訪れたのか、その意図は未だに読めない。

 すると、そんな雄里の戸惑いを楽しむかのようにコトハが微かに口元を上げた。

「ならば、これまでのことを順に思い出してみるといい。そうすれば、お前の依頼は自ずと達成するはずだ」

 言うと、コトハは更に施設の奥へと足を進めた。そこは先ほどよりも活気にあふれて、人々が各所で声を張り上げる。そんな様子を一人の男が少し離れた位置から真剣に見つめていた。

「あれは……」

 雄里の戸惑いを置き去りに、コトハはその男へ近づくと、何の躊躇いもなく声を掛けた。

「曽根修一だな?」

 声を掛けられた少年がびくりと肩を震わせて振り返る。その顔は、まさしく昨日雄里が後を追った依頼人の息子、修一だった。

「誰――というか……何ですか、あなた?」

 明らかに当初の意図とは異なる意味で問うた修一は、露骨に不審者を見る視線をコトハに向ける。確かに、この場においてスパイアクション映画にでも出てきそうな佇まいのコトハは逆に目立つ。

「おれは葛城コトハ。探偵だ」

「……え? 探偵? その恰好で?」

 疑問符を連発した修一だが、口に出さずとも「胡散臭い」とその表情が語っている。

「む。ここで恰好を問うのか。なるほど。つまり君は、探偵とは着物に縒れた袴と帽子の姿であるべきだと思っているクチなのだな? よかろう、次回検討してやる」

「誰が金田一スタイルになれ言うた。単に、お前のその恰好が探偵には見えへんちゅうだけや」

 修一の心を代弁してツッコむ。コトハの恰好を見て一目で探偵だと見抜ける者が果たしてこの世に存在するだろうか。

「た……探偵さんが、僕に一体何の用ですか?」

 丁寧な物言いではあるが、その口調は未だ硬い。探るようにコトハを見据えていた修一の視線が、ふいにこちらへと向けられた。そして、雄里と目が合うと、「あ」と小さく声を発して指をさす。

「そっちの人。この前、僕の跡をつけてましたよね?」

「――げ。バレとった」

 どうやらうまく尾行できていると思っていたのは自分だけだったようだ。

「おいおい雄里。尾行の一つもできないで、探偵助手を名乗られては困るぞ」

「誰がいつお前の助手になってん。俺はただの居酒屋店主じゃ!」

「居酒屋店主、ところにより時々探偵助手、だろう?」

「どこの天気や、俺は」

 言い合う二人を尻目に、修一が隙を見て逃げ出そうと試みる。だが、その退路を素早い動きでコトハが塞いた。そして、腰に手を当て僅かに首を傾げると、相手を見据え静かに言う。

「おれは、君の父君から依頼を受けたんだ」

「と、父さんから……?」

「あぁ。君と、そして一博氏の両名について探らせてもらった。今日は君一人だということも分かっている」

「な、なんでそんなことを……」

「ふむ。何故かと問うが、君にはその心当たりがあるだろう?」

 コトハの言葉に、修一が微かに息を詰めたのが分かった。急に押し黙ってしまった修一に、コトハがゆっくりと告げる。

「一博氏は、君のために嘘をついた。だが、それで君がいつまでも逃げられる訳ではない。こういうことは、時が経てば経つほど言い出しにくくなるものだぞ?」

 コトハの言葉に、修一は逡巡するように視線を泳がし、やがて糸が切れたようにこくりと頷いた。

「……じいちゃんに、迷惑をかけるつもりはなかったんです」

「祖父君は、迷惑だなんて思ってはいないさ」

 淡々と、しかしきっぱりと告げたコトハに、修一が顔を上げた。そして、言う。

「――父さんに、全てを話します」

 頷いたコトハが、こちらへと視線を向けた。

「さて雄里。そろそろ敏腕ではない助手にも事の全貌が見えただろう?」

「せやから、助手ちゃうっちゅうに」

 律儀にツッコんでから、雄里は眉間の皺を深める。

 一博がとった不審な行動の数々。一博に包丁を手渡した修一。そして、この特殊な場所と、先ほどの修一の真剣な眼差し。

 どうやら自分は、大きな思い違いをしていたらしい。苛立たしげに髪を掻きむしった雄里は、深いため息をついた。

「――取りあえず、コイツの告白が他人事やないっちゅうことは分かった」

 雄里の答えに、コトハが満足げに頷く。

「酒盛りの準備は整った、ということで良いな?」

「あぁ。せやけどな、これで終わりっちゅうのは後味悪すぎや!」

 口元をゆがませた雄里に、コトハが呆れたように肩を竦める。

「これでもまだ満足しないのか」

「残念ながら、関西人っちゅうのは基本おせっかい焼きが多いんや」

 ふんと鼻を鳴らして言い放つと、その場に立ち尽くす修一へと向き直る。

「ちゅう訳で、お前の告白、ちょっと俺に預けてみぃひんか?」

 そして、困惑の表情を浮かべた修一に向けて、雄里はにやりと不敵な笑みを浮かべてみせた。