それは冷たい冬の風に紛れた、遠慮がちで、少し悲しげな鳴き声だった。

 空耳かと小指で左耳の穴をかっぽじっていると、再びミャアと弱々しい鳴き声。

 俺は箒を持ったままキョロキョロと境内を見回す。

 やっぱり空耳か?

 それでも石畳を掃く手を止めて耳を澄ませていると、カサリと乾いた葉擦れの音がした。俺は箒を地面に置いて、腰を屈めながら音のしたほうへ抜き足差し足で慎重に近づいていく。境内のそばに生えている千両の木が微かに震えた。

 千両は低木の常緑樹で、冬に小さな丸い赤い実をつける。

 正月の飾りによく使われる植物だ。難を転じると、縁起物として人気のある庭木、南天と似ている。

 葉が落ちた木や、花のない境内で、真っ赤な可愛らしい実はひときわ目立っている。

 千両の根元、枝葉に隠れるようにして、三毛猫がうずくまっていた。

 虎の金色の瞳に少しだけ緑が混じったような、黄緑色の瞳と目が合った。

 三毛猫はミャアと弱々しく鳴くと、見つかって恥ずかしいとばかりに身を縮ませる。

「なんだよ、見つけて欲しかったんじゃないのか?」

 だから鳴いていたんだろ。

 俺はさらに身を屈めて、千両の木に頭を突っ込む勢いで根元をのぞき見る。

 三毛の成猫だ。赤い首輪をしている。ってことは、飼い猫か。どこかから逃げ出してきたか、散歩の途中で他の猫にでも追われて道に迷ったのか。

 三毛猫がブルブルと身を震わせる。つられて俺の体もブルリと震えた。

「そんなところじゃ寒いだろ」

 起きてすぐにチェックした天気予報では今夜から明日にかけて寒気が増し、明後日のクリスマイブには雪になる確率が五十パーセントということだ。

 ホワイトクリスマスと世の中の人々は浮かれているんだろうけど、一緒に過ごす家族も恋人もいない俺には気温が下がり、雪の始末をしなければならないかもと思うと憂鬱だった。

 手を伸ばせば、三毛猫は抵抗せずに千両の木の下から引きずり出される。

「ここが招き猫神社と知って来たのかわからないけど、よかったな。少なくとも猫をいたぶるような人間はここには来ないから」

 人間の言葉なんかわからないだろうけど、抱いた猫に恩着せがましく言えば、申し訳ないと言うように腕の中の三毛猫がミャと小さく鳴いた。

 こんなところで凍死されてはたまらない。ちょっと面倒だが家に入れてやる。

 飼い猫なら、そのうち飼い主が現れるだろう。俺には飼い主を探す当てがあった。

「俺に見つけられたことを感謝しろよ」

 猫嫌いの人間なら無視されて終わりかもしれなかったんだからな。

 ここは俺の(正確には伯父の)敷地だし、なにしろ一応猫を祀った『招き猫神社』だからな。ちょっとばかりは優遇してやる。


 東京の郊外にある『招き猫神社』。

 神社といっても神社本社にも登録していない、宗教法人でもない、神主さえいないなんちゃって神社だ。

 正式名称は『あこ神社』と言う。まあ、なんちゃって神社に正式名称もなにもないと思うが、地域では招き猫神社で通っている。

 あこ、というのは我が子の吾子、赤ん坊の赤子の意味ともとれるが、たぶん俺の曾祖母の名前である亜子からとったのではと思う。猫に命を救われた曾祖母が感謝の気持ちで建てた神社だからだ。

 と、言うのは表向きの理由で、真の理由はこの先数百年生きる化け猫の居場所を作ってやりたかったのだろう。神社という形にしたのは、そうすれば参拝客もやって来て化け猫たちが寂しくないだろうという気づかいらしい。

 化け猫たちにとっては、余計なお世話だろうが。なにしろ猫は孤高な生き物らしいから。

 そう、ここは『招き猫神社』なんて可愛らしい名称だが、三匹の化け猫が棲む恐ろしい神社なのだ。

 なんで俺、岩倉和己がそんな恐ろしい神社に住んでいるのかと言えば、ビジネスパートナーに裏切られて起業した会社が倒産し、財産のほとんどを無くしたからだ。伯父の持ち物である神社の管理をする代わりに、社務所でもある平屋に無料で住ませてくれるという交換条件で。

 最初のうちは化け猫たちとの諍いもあったが、八カ月も経った今は、まあ、そこそこ上手くやっている。……と、思う。


 俺は抱いていた三毛猫をそっと縁側に置く。三毛猫はしっぽまで丸めて小さくうずくまった。

「ちょっと待ってろ、部屋に入るのは体を拭いてからだ」

 土汚れや蚤を部屋にばら撒かれてはかなわん。

 台所に向かって、湯沸かし器からお湯を出してタオルを濡らす。

「よし」

 固く絞って縁側に向かう。

 三毛猫は行儀よく、というか力なくおとなしく待っていた。

 首輪を外し、猫用ブラシで全身を梳かしてやると、小さな砂利や砂が床に落ちた。それからタオルで三毛猫の全身を拭く。特に足裏や腹裏は念入りに。三毛猫はじっとして、俺にされるがままになっていた。

 三匹の化け猫どもも、このぐらいおとなしければいいのに。

 あいつら猫ブラシかけるだけでも、もっと力強くとか、下手くそとかいろいろ文句つけてくるからな。

 一通り体を拭き終えると、俺は三毛猫を抱いて部屋に入る。

 十二畳の部屋のほぼ真ん中にデンと存在する炬燵。一週間ほど前に届いたばかりの新品だ。大きな鞠柄のちょっと田舎臭い赤い炬燵布団を捲ると、赤い光の下に三つの毛玉が膨らんだり、縮んだりしていた。

 寒い境内から、いきなり炬燵の中じゃ温度差が大きすぎて体に悪いかと思い、三毛猫を端っこのほうにそっと入れてやる。

 虎はチラリと三毛猫を見たが、すぐに目を逸らし興味なしと前足を胸の下に埋めて眠ってしまう。

 グレイシーとグレイヒーは威嚇するように、フーッと唸って毛を逆立てる。

「虐めるんじゃないぞ。同じ猫同士、仲良くな」

 シーとヒーは拒否を示すように、フーッフーッと唸り声を強くする。三毛猫は体をさらに小さく丸め、申し訳なさそうにミャ……と鳴いた。それでもフーッフーッと言う仔猫たちを、五月蠅いとばかりに虎がぶっといしっぽでバシンと叩いた。

 シーとヒーが今度は虎に向かってフーッと唸るが、虎はまったく相手にしない。シーとヒーも諦めて丸くなった。

「よし。そのままおとなしく寝てろ」

 俺は縁側に戻って三毛猫から外した首輪の裏側を見たが、期待していた住所や連絡先などは書いていなかった。

 飼い主が見つかるまでとはいえ、ここで飼うとなったら餌をやらなければならないな。あと、トイレとかも必要か。いろいろと面倒だな。

 化け猫たちは気ままで自分勝手だが、手がかからないのが唯一の長所だ。

「ふむ。掃除は後回しにして、スーパーマーケットに行くか」

 俺は財布と携帯電話を持って家を出た。


 キャットフードや猫のトイレ用砂などを買って帰り、境内の掃除の続きをしているとバタバタバタと騒がしい足音が押し寄せる波のように襲ってきた。

「いたーっ!」

「和兄、いた!」

「いた、いたぁ!」

「やっほー、和兄ぃー!」

 終業式を明日に控えていつもの三倍はテンションが高い女子中学生集団、G7改めG6。あれ、史也くんを入れてG7に戻ったんだっけ? まあ、どうでもいいや。

 来ると思った。来ると思ったよ。

 ここ一週間ほど冬休み前で浮かれている彼女たちは、毎日のように境内に寄り道して休みの計画などを話して騒いでいた。

 いつもは顔を見るとうんざりする面々だが、今日は別だ。

「いいところに来た。待っていたぞ」

 六人の動きが止まる。

「……なんなの?」

「なにか企んでいるの?」

 六人の少女の視線が、疑り深く俺に注がれる。

 まあ、いつもだったら騒ぎながらやって来る彼女らに、「帰れ!」とか、「邪魔だ!」とか、「うるさい!」と怒鳴りつけ、「えー、いいじゃんべつにぃ~」などとヘラヘラかわされるのがお決まりのパターンだ。

「あっ! わかった!」

 芹花がポニーテールを威嚇するように大きく揺らし、腰に手を当てて仁王立ちになる。

「ヤダ!」

「……は?」

 俺まだなにも言っていないぞ。

 しかし、頭から完全拒否とはひどいな。常日頃、境内を彼女らの憩いの場として提供しているのに。っていうか、人の制止も聞かずに勝手に入って来るのだが。

「絶対イヤ!」

「なんだよ、つれないな。今までさんざん世話になっておいて、内容も聞かずに拒否かよ」

 芹花が目を細めて睨みつける。

「明後日は女の子たちだけでパーティなの。いくら和兄でも入れてあげない」

「……は? パーティ?」

「え、違うの? じゃあ、もっとダメ」

「もっとって?」

「デートなんかしてあげない。ま、プレゼントはもらってもいいけど」

「はあぁぁぁ?」

 俺の怪訝な表情に、芹花が首をひねる。

「え、だって、明後日はクリスマスイブじゃん。ひとりじゃ寂しいから一緒に過ごしたいってことなんじゃないの?」

 なんじゃそりゃ!

「違うわっ! お前らと違って、イブだクリスマスだと浮かれている暇はねーんだよっ」

「でも、ボッチなんでしょ」

「うっ……」

 まあ……、ボッチってのは合っているが。

「やだぁ、和兄さびしーっ」

「なんの予定もないんだぁ」

「ボッチクリスマスぅ」

「うーけーるー」

 少女たちの姦しい笑い声が境内に響く。

 彼女らの笑いが一段落すると、俺はポケットから携帯電話を取り出し声を張り上げる。

「携帯電話持っている奴は出せ」

 少女たちが顔を顰める。

「なに?」

「なんで?」

 俺は携帯電話の液晶を彼女らに見せた。

「今、うちで保護している迷い猫だ。早く飼い主を探すために手伝ってくれ。メルアド交換してくれ。ラインでもいい。画像を送るから」

 さすが今どきの中学生。全員ポケットやカバンから携帯電話を取り出した。

 俺は三毛猫の画像添付したメールを送る。

 彼女らが画像を眺めながら口々に尋ねる。

「なに、迷い猫?」

「まさか捨てられたの?」

「三毛猫、可愛い」

「いきなり言われても」

「探すってどうやって?」

 さっそく姦しい。

「得意のおしゃべりや学校の掲示板、SNSなんかに書き込んで、噂話を広めるようにこの猫の情報を拡散してくれればいいんだよ。飼い主だってきっと探している。さあ、今時の若者らしく、どんどん発信してくれ。お前らの姦しさ、少しは世の役に立たせてみせろ」

 猫の行動範囲はわりと狭い。きれいな毛並みからして、何十日も外をさまよっていたようには見えない。せいぜい数日ぐらいだろう。よって、飼い主は近隣に住んでいる可能性が高い。

「わかった。学校のSNSにも書き込んでみる」

「弟の通う小学校にも張り紙してもらえるように言ってみるよ」

 うん、うん。ガンガン広めてくれ。彼女たちが冬休みに入る前でよかった。

「ところでさー、お正月はなにかするの?」

 携帯電話を片手に芹花が期待の目を向けてきた。

「は? 正月?」

「神社っていったら初詣じゃん」

「そうそう。甘酒とかある?」

「用意してよ」

 キャッキャと騒ぎ始める女子中学生たち。

 初詣だとぉ。正月早々騒々しいなんてごめんだ。

「初詣なら、もっとちゃんとした社寺に行けよ」

 うちみたいななんちゃって神社じゃなくて。

「ちゃんとしたところって?」

「どこよ?」

「えーっと……明治神宮とか、日枝神社とか、神田明神とか、浅草寺とか」

 東京で有名どころっていったらこんなところだよな。

「遠いじゃん」

「夜中にそんな遠くに行けないよ」

「ねー」

「はあぁっ! 夜!? 夜中に中学生が外出なんてするなよ。危ないだろ」

 彼女たちが爆笑する。笑うところじゃねーだろ。

「だから近所の神社に行くんだってば」

「紅白歌合戦見終わってから初詣って定番でしょ」

「堂々と深夜に遊べるのは元旦だけだもんね」

 待ち合わせどうする、帰りにファミレス寄る、なんて話がどんどん進んで行くので、俺は慌てて止めに入る。

「ダメ、ダメ! 夜間の参拝禁止! 第一、俺は寝ている。睡眠の邪魔をするな」

 彼女らのほかに参拝者が来るとは思わないが、一応鳥居にも夜間参拝禁止と紙に書いて張っておこう。

 彼女たちからブーイングが起こるが、俺はキッパリと宣言する。

「ここは夜間参拝禁止だ! あと、子どもだけで深夜に歩き回るなんて絶対ダメ」

「なんでー、年に一度しかない大晦日だよ」

 大晦日が年に二度も三度もあってたまるか。

「うちら子どもって歳じゃないし」

「中学生は十分子どもだ!」

「いいじゃん、特別な夜だし」

「お祭りじゃん。みんな初詣に行っているよ」

「そのお祭り気分につけこんで悪いことをやらかす輩だっているんだから。例えば、ナンパ野郎とか。浮かれている女子は簡単に引っかかるって奴等は言うぞ」

 芹花がジト目で俺を睨む。

「ふーん、和兄そんなことしていたんだ」

「俺の話じゃねーよっ」

「じゃあ、友だち?」

「友だちの話だけど、っていうのはだいたい自分の話なんだよね」

「お前らなぁ……」

 俺には一緒に初詣に行く友だちなんていなかったわ。

 少女たちはやいのやいのと騒ぎ立て、俺は耳を塞ぐ。しばらくするとさすがに落ち着き、芹花が仕方ないなぁという表情で妥協案を提示する。

「じゃあ、昼間ならいい?」

「昼間なら、まあ……いいか。早朝とかやめろよ」

 他の少女たちも渋々と引き下がり、帰っていく背中に声をかけた。

「三毛猫の件、よろしくなっ!」

 あー、やっと喧騒から抜け出せた気分だ。

 だが、今回はこいつらの騒がしさに期待。どんどん騒いでくれ。彼女たちが情報を広めてくれれば、すぐに、飼い主が見つかるだろう。

 と、思っていたのだが……。




 縁側の陽だまりでグレイシーとグレイヒーが団子になってまどろんでいる。

 空気は冷たいが、天気はいいので、ガラス越しに日光が差し込む縁側はビニールハウスのように暖かい。

 虎は外出中。どこでなにをしているんだか。変なトラブルを起こしてこなければいいが。

 昨日保護した三毛猫は俺と一緒に炬燵の中。もちろん俺は全身ではなく、下半身だけが炬燵の中だけど。

 本物の猫はおとなしくていい。成猫だからか落ち着きがあり、ほとんど炬燵で眠っている。エサも思ったほど食わないし、飼い猫だからトイレのしつけもバッチリで楽だ。だが、早く飼い主に引き取ってほしい。

「ん?」

 足先に触れていた毛玉が大きく動いたと思ったら、俺の左側から三毛猫がひょこっと顔を出した。鼻とヒゲをピクピクと動かし、それからスルリと炬燵を抜け出し、畳の上の臭いを嗅ぎながら縁側へと歩いていく。

「なんだ、お前も陽だまりが恋しいのか?」

 三毛猫は緩慢な動きで縁側に出ると、眩しそうに目を瞬かせながら灰色の毛玉に近づいていく。

「ミャ」

 足元の小さな毛玉を見下ろして、ここにいたのと言うように短く鳴くと、ゆっくり体を横たえて二匹を包むように寝そべった。三毛猫は頭だけを起こして灰色の毛玉に優しい眼差しを落とす。

 まるでシーとヒーの母猫のようだ。そういえば三毛猫はメスだったな、と微笑ましく眺めていた。

 三毛猫は前足と舌で灰色毛玉の毛づくろいをし始めた。とたんに、ギャっと鳴き声を上げて、毛玉が爆発するように飛び上がって二つに分かれた。

 驚いて固まる三毛猫に対して、シーとヒーがフーッと唸りながら爪を出した。

「おい、おい、おい!」

 俺は炬燵から飛び出して三毛猫を抱き上げ、シーとヒーを叱りつける。

「仲良くしろって言っただろ」

 シーとヒーはうるさいと言わんばかりに、今度は俺に向かってシャーと牙を剥く。人類に敵意を持っているだけでなく、ほかの猫にも敵対心があるのか。やれやれだな。

「大丈夫か、ええと……ミケ」

 名前がわからないので、見た目のままミケと呼ぶことにした。

 ミケは悲しそうに目を細めてスンと鼻を鳴らした。ミケは仔猫たちに親愛の情を示そうとしたのに。たぶん。

「無愛想で生意気な仔猫たちで悪いな」

 俺はシーとヒーから少し離れた場所にミケをそっと置いた。ミケはしっぽを体の下にしまって、小さく丸まった。シーとヒーも団子になって眠り始めている。

「あいつらには構うなよ」

 俺はミケの背中を撫でながら言うと炬燵に戻り仕事を再開した。

 猫たちはおとなしく日向ぼっこをしていたので、俺は集中して顧客からの相談メールに返信していた。二時間ほど経って、少し遅い昼食でも取ろうかと一旦ノートパソコンを閉じたとき、ミケが小さく鳴いてブルリと武者震いをした。どうかしたのかと思って炬燵を出てみれば、俺の気配に気づいたミケが怯えるように後ずさった。

「あっ、お前!」

 ミケが丸まっていた場所には直径十センチぐらいの水溜りが。

「なんでだよ、トイレ、すぐそこじゃん。なんであとちょっとが我慢できないんだよっ!」

 縁側の隅に置いたトイレからほんの二メートルの距離だ。成猫のくせにおねしょかよ。昨日はちゃんとトイレでしていたから安心したのに。

 足元を見れば、ミケが震えながら小さくなっている。叱り飛ばしたいところだが言葉なんて通じないだろうし。これだから動物は。

「ったく、しょーがねーなぁ」

 俺は台所から雑巾を取ってくる。しゃがむとツンとした悪臭が鼻につく。ミケが床に頭をつけるようにしてうなだれる。

 パシパシと背後から聞こえる音に振り替えれば、灰色の毛玉からは二本のしっぽが生えて、イライラしているように床を叩いていた。

 やめろ、俺のほうがイライラしているんだから。

「ミュウ……ミュ……」

 ミケはか細い鳴き声を出して許しを請うように再び頭を床にこすりつけた。

「もう、粗相するなよ」

 明日、明後日には飼い主が現れるといいのだが。

 G7のやつら、ちゃんと情報を広めてくれているかな。




「……ふざけんなよ」

 俺はメールを開いて眉間にぶっといしわを作った。いや、自分では見えていないけど、絶対できていた。

 さっそく芹花からメールが届いて、飼い主が見つかったのかと期待したら、友人同士で開いたクリスマスパーティーの写真がこれでもかというぐらい添付されていた。

「なにがメリークリスマスだっ! 楽しかっただよ! そんな報告いらねぇ!」

 すぐにでも見つかったと連絡がくるかと思ったが、あれから三日過ぎても飼い主は見つからない。

 しかも昨夜、またミケのやつが粗相した。

 そんなわけで、俺は朝から不機嫌だった。

 八つ当たりするように、箒で乱暴に砂埃や小石を払う。ガザッガサッと箒で掃く音が、静かな境内に悲鳴のように響く。

「あ?」

 箒を動かしながら、ふと千両の木が動くのが視界に入った。

 ほぼ無風なのに、葉が揺れた。

 近づいて行けば、うずくまる三色の毛玉に気づく。

「おまえ……まさか、昨日の夜からここにいたのか? 寒かっただろう」

 ミケはごめんなさいをするように、頭を地面に擦りつけるように縮まる。

 もしかして、俺が怒鳴ったせいか?

「おい。今日は冷えるぞ。夕方から雪が降るらしいからな」

 ミケが動く様子を見せないので、しゃがんで手を伸ばせば……毛がすごく冷えていた。

「おまえ、この木が好きなのか?」

 境内からいなくならなくてよかった。飼い主とすれ違いになるところだった。

「ほら、家に戻れよ」

 声をかけても、ミケは四肢を丸めて小さくなるばかり。

 虎たちと違って言葉が通じないから、仕方なくミケを抱きかかえて家に戻った。

 軽くタオルで砂を払ってから炬燵に入れてやる。中にはシーとヒーが丸まっていて、ミケの姿を見ると嫌そうにシャーと牙を見せる。

「だから、仲良くしろって」

 イジメるなよ、と念押ししてミケから手を離す。ミケはシーとヒーにニャアと優しく声をかけるが、二匹は無視。ミケは炬燵の隅っこに寄って、なるべく邪魔にならないようにしようと思っているのか、小さく身を縮める。

「一応、猫同士だろうが」

 やれやれと炬燵布団を整えて、掃除の続きをするために立ち上がる。

「おい」

「うわああああ!」

 背後から突然声をかけれられて、油断していた俺は飛び上がった。

「な、な、なんだ虎。脅かすなよ」

 虎の人姿は久しぶりだ。

 っていうか炬燵が来てからの化け猫たちは、猫姿でほとんど家の中でゴロゴロしている毎日だ。

 天気のいい日は縁側で日向ぼっこ。天気の悪い日は炬燵でゴロゴロ。夜は炬燵か布団で温まっている。

 くそ、羨ましい。

 冬だというのに着流し姿が相変わらず様になっている虎にやや嫉妬しながら、不審な目を向けて問う。

「なにか俺に言いたいことでもあるのか?」

「ある」

 尊大に虎が腕を組んで言う。

「なんだよ」

「死ぬ」

「は?」

 虎は頭が悪いやつだなと言いたげに顔を顰めて(お前にだけは言われたくないがな)、俺に近づく。チンピラがメンチを切っているような感じで、俺は一歩引き下がった。が、虎はその距離を詰めてくる。

 な、なんだよ、本当に。

 たじろぐ俺の耳元に虎は顔を寄せ、麻薬の売人のように押し殺した声で耳打ちした。

「あの三毛猫はもうすぐ死ぬ」

 いきなりの言葉に、たっぷり三十秒は固まった。

「……死ぬ?」

「三毛猫からはすでに死臭がする。今すぐにでも死ぬ可能性がある」

「え、ええっ?」

 死ぬ? あの三毛猫が?

 俺は虎の言葉に混乱していた。猫のことをあまり知らない俺でも、ミケが成猫でそこそこ歳がいっているとは思っていた。

 でも、死期が近いなんて……。

「シーとヒーが三毛猫を嫌っているのは、死の臭いがするからだ」

「死の臭い……」

 なんだそれは。

 虎は俺から離れてガラス越しに境内を、正確には本殿を見つめて言う。

「俺が妖猫になって、初めてかいだ匂いが死臭だった。俺を妖猫にした千里。隣にいた周輔。どちらからも死臭が漂っていた。妖猫である千里にはわかっていたのだろう」

 俺は炬燵を見る。

「ミケは……本当に死ぬのか?」

「死ぬ」

 虎は容赦なく言い放つ。

「ヤツの寿命はもうない」

「もう……って」

 でも、毛並みだってきれいだし、特別弱ってなんか……、いや。もしかして粗相をしたのは体が弱っていたからか。見た目よりもずっと老いていたのか。それとも病気なのだろうか。

「獣医に診せれば助かるのか?」

「無駄だ」

 虎が瞬時にすげなく答える。

「無駄かどうか、やってみないとわからないじゃんかよ」

 無感動な目で炬燵を見つめる虎に、冷たいヤツだなと非難の視線を向ける。虎は俺に視線に気づいたようだが、無視して部屋の隅にごろりと横になった。

 俺はそっと炬燵布団をめくってのぞき込む。

 シーとヒーに遠慮して隅っこで丸くなるミケ。俺に気づくと、ミュウと小さく鳴いた。

 布団を戻して携帯電話を手に取り、G7たちに飼い主探しを急ぐようメールを出した。早く飼い主と会わせてあげないと手遅れになってしまうかもしれない。


 彼女たちはがんばってくれた。

 俺も町内会の掲示板に猫を預かっているとの張り紙を出させてもらった。

 だけど、間に合わなかった。


 ミケを保護してからちょうど一週間。

 今年をあと三日残した日の朝、ミケは逝ってしまった。




 境内には昨日降った雪がまだ少し残っていた。

 東京では珍しい、積雪三センチの降雪。例年よりも気温の低い年末だ。

 いつの間に外に出たのだろう。雪が積もる寒い境内に。

 こんなに寒いんだから炬燵の中にいるだろうとばかり思っていたのに、掃除をしようと昼頃に境内に出てみれば、千両の木の下にミケが丸まっていて思わず悲鳴を上げた。

 すでにミケの息はなく、体も硬くなっていた。もしかしたら、雪が降る前に境内に出ていたのだろうか。

 だとしたら、ひとりぼっちで雪が降るのを眺めていたのか?

 それとも、雪が降る前に亡くなったのか。

 いったい、どんな気持ちで。

「なんだよ、お前。なにもこんな寒い場所で死ななくても」

 そんなに千両の木の下がお気に入りだったのかよ。

 ミケの体は雪のように冷たくて、でも三色の毛は柔らかくて、フワフワと優しい感触に泣きたくなった。

 迷惑をかけることを恐れるように体を小さく丸めて、千両の木の下でひっそりと逝ってしまった。

「ごめんな。飼い主に会わせてやれなかったな」

 ミケの最後を携帯電話に収めてから、丁寧に赤い首輪を外した。


 千両の木の下にミケを埋めて、赤い首輪を千両の太い枝にかけた。

 午後にG7が小さな花束を持って神社にやって来てくれた。

「これも」

 芹花が箱を差し出す。

「おばあちゃんの仏壇から少しもらってきた」

 開ければ線香が一束。

「ありがとう。線香まで気が回らなかったな」

 一人二本ずつ線香を手向けると、冷たい空気に白檀の香りが溶けて広がっていく。身を切るような寒さが、少しだけ和らいだ気がした。

「飼い主を探してあげられなくてごめんね」

「ごめんね」

「安らかにお休みください」

「ちゃんと天国に行けますように」

 少女たちが手を合わせ、ささやかながらきちんとした葬儀のようで、これならミケも喜んでくれるかなと空を仰いだ。

 ドサッ。

 なにかが落ちる音がして振り返ると、俺たちの少し後ろに膝をついた男が目を大きく見開いて震えていた。

 ダウンコートを着た五十代の男。すぐ横に有名デパートの紙袋が転がり、包装紙に包まれた箱がはみ出していた。

「モモ……まさか」

 男が声を震わせて、千両の枝にかけた赤い首輪を凝視している。

 直感でわかった。ミケの飼い主だ。

 なんてことだ。あと一日、一日早ければ……。

 俺は携帯の画面にミケの写真を表示して男に近寄る。

「あの、この猫の飼い主ですか?」

 男は目を赤くして大きくうなずく。

「赤堀と言います。この子はうちのモモです。この首輪、間違いありません」

「あの……大変申し上げにくいのですが」

「わかってます。間に合わなかったんですね」

 ヨロヨロと赤堀さんは立ち上がり、千両の木に近寄っていき、G7の少女たちが無言で脇によける。

 赤堀さんは再び千両の木の前で膝をつき、ちょうど目の高さの枝にかけてある赤い首輪を撫でた。

「よかったな、モモ。いい人に保護されて。ひとりぼっちで寒さに震えているんじゃないかと心配していたけど」

 赤堀さんの声と肩が震えだす。

「……優しい人に保護されてよかったな。たくさんの……人に看取ってもらえて。ごめんな……モモ。酷いことして、ごめんなぁ」

 白檀の香りと赤堀さんの嗚咽が天に昇っていく。


 俺が炬燵にお茶を持ってくると、お構いなくと赤堀さんは恐縮して頭を下げ、汚れてしまった紙袋を申し訳なさそうに差し出した。

「SNSで流れてきたメッセージで気づきました。モモを保護してくださって本当にありがとうございます。モモはいつからこの神社に」

「ちょうど一週間前でした。ミケ……モモちゃんを埋葬した、あの千両の木の下で震えていたので」

「そうですか……」

「目を離すとあの木の下にいて、よほど気に入ったのかな」

 赤堀さんの目にまた涙が溜まりだす。

「うちの庭にも千両の木があって、モモのお気に入りの場所でした。日当たりのよい場所で、いい日よけになっていて」

 そうか、それで。猫にも木の区別ができるんだ。

 しばらくお互い無言で茶を啜る。

 赤堀さんはお茶と一緒に、一生懸命悲しみを飲み込んでいるようだった。

「そうだ」

 大切なことを忘れていたとばかりに、赤堀さんが炬燵から足を引き抜いて俺に向かい正座する。

「モモは粗相をしませんでしたか?」

「え?」

「モモはもう老猫で時々粗相をしたんです。よく床にオシッコをしてしまって」

 一度は引っ込んだ赤堀さんの涙が、決壊するように溢れ出てきた。

「……っ、あの日、モモを激しく叱りつけてしまって。年老いたから仕方ないことなのに。あの日は仕事でミスをしてしまい、かなりイラついて帰宅して、そしたら玄関にモモの粗相をした跡があって。そ、それを見たらカッと頭に血が上って、つい。その翌日です。モモがいなくなったのは」

 俺にも覚えがあって、胸の奥に罪悪感が広がる。

「毎日探しました。寒さに震えているんじゃないか、野良猫に虐められていないか、交通事故に遭っていないか。私がヒステリーなんか起こしたせいで、辛い目に遭っていないか、心配で心配で……」

 大粒の涙が畳に落ちる。

「でも……岩倉さんのような優しい方に出会えてよかった。さっきの女の子たちにも気にしてもらえて。それに猫仲間もいて……」

 真っ赤な目で赤堀さんが炬燵に目をやる。中には虎とグレイシーとグレイヒー、三つの毛玉が温んでいる。

 虎はミケの死を確認するように、俺が墓を作っているときにちらりと縁側に姿を現したが、すぐに引っ込んでしまった。シーとヒーはミケなんてそもそもいなかったかのように無関心だ。

 ドライだな。猫だからか。それとも妖猫だからか。

「よかった……本当によかった。ひとりぼっちじゃなくて。たくさんの人と猫に囲まれて。ごめんな、看取ってやれなくて。酷い言葉でお前を追い出して……出て行けなんて怒鳴って。本当に……なんで、あんなこと言ったんだろう。ごめんな、モモ。本当に……」

 赤堀さんはモモを叱ったことをずっと後悔するだろう。そのせいでモモを看取ってやれなかったのだから。

 取り返しのつかない一言。

 取り返しのつかない……こと。

 俺は黙ったまま畳に落ちた赤堀さんの涙を跡を見つめる。


 俺にとっての取り返しのつかない一言……。

 俺の耳にそれが蘇ったが、首を振って消し去った。

 もう、過去だ。過去にした。消化したんだ。


 なのに亡霊のように蘇ることになるとは、今の俺には想像もつかなかった。