十代の半ばを過ぎて、まあ特別に劇的なこともなくやってきて、なんだかんだ高校生活ももう二年目の七月の終わりが近い。周囲の意識の高いクラスメイトたちが確実に受験モードに突入していく中、真っ直ぐそういう気分にもまだなれない、だけどそれを冷ややかに笑えるほどの度胸もない、まあそんな感じの冴えない自分。

 いつもなんだかそんな感じだった。なんだかみんながひょいっと軽くやってのけてることが、自分にはちょっと難しくって、いっつもワンテンポ遅れながら人のやり方を真似して生きてるような、そんな鈍臭い感じ。

 そういう自分を考えてみれば、今の高校生活は多分、そんなに悪くないところに落ち着いたと言えるんだと思う。

 トップ層は名の通った大学に行き、下の方はまあ色々って感じのありふれた学校のレベル。

 成績は頑張って中の下。

 いわゆるスクールカーストってやつで言えば、低い方なのだろうけど、そのことを常に考えてしまうほどつらい立場でもない。

 クラスではほぼ空気だけど完全なボッチってわけでもなく、少ないけど友達もいる。

 少ない友達たちも冴えない連中かもしれないが、同じ趣味を持つ気の合うやつらだ。

 恋愛関係はかなり寂しいのかもしれない。彼女どころか高校入ってから女の子としゃべった回数も数えるほどだ。だけど、それは高望みが過ぎるってやつだろう。いまだにクラスの親しくない人に話しかけられると意味もなく緊張するようなぼくに、まさか彼女なんて。

 そりゃ上を見ればきりがないし、不満がないといえばウソになる。完全に理想の高校生活とは言えないかもしれないけど、でもそれこそ上を見ればきりがないんだ。なんとか大怪我せずに行けそうだ。

 ぼくは身の程をわきまえてる。

 そう、ぼくは身の程をわきまえてるって思ってた。それがなにより大事だって。悪くないよ、悪くない。本気でそう思ってる、て思ってた。変な言い方になってしまうけど、そう思っていたんだ。

 でも、今、ぼくは妙なことを考えてる。このことを思いついてから落ち着かない。なんだってこんなこと考え出しちゃったんだろうと悩んだりもしてる。思いつかなければ、悩むこともなかったのに。

 脳内に『勝手にしやがれ』の冒頭のジャン・ポール・ベルモンドが現れて、吸っていた煙草を足元に捨てて言った。

「バカなんだろう。結局はそういうことだ」


 何度となく読み返した自宅パソコン画面に映った自分の書いた脚本をまた改めて読み返していると、携帯が短く鳴った。

 画面を見ると、部活のグループラインにメッセージが送られてきていた。送信者は部長のモッチで、内容は事務連絡だ。

『確認です。明日の映画部ミーティングは四時からです。話し合うことややることがたくさんあるので、それまでに部室に来ておいてください。役割&キャストも出来れば決めちゃいたいので欠席するとひどいことになります。全員出席で大丈夫ですか?』

 着信音が連続して、部員たちの了解の返信が並ぶ。

『OK』『大丈夫です』『四時了解』

 ぼくも返信を送った。

『了解です』

 これでやり取りは終わりかと思ったが、ちょっとした間の後、再び携帯が鳴った。

『監督の脚本は明日読ませてもらえるってことでいいんだよね?』

 ぼくは慌てて返信を送った。

『大丈夫です(汗)お待たせしました!』

 すぐさま部員たちの反応が並ぶ。

 まずガッツポーズしているベイダー卿のスタンプが貼られ、続いてはしゃぐC3POのスタンプが貼られた。次に『ジャッジドレッド』のスタローンが「おれが法律だ!」と言っている画像が貼られたので、『お前は違うだろ!』と工夫のないツッコミを入れておいた。

 しばらくすると、また携帯が鳴った。

 今度のメッセージは個人ラインで送られてきた。送り主はやはりモッチだ。

『返答は正直ベースで頼む。本当は出来てない?』

 ぼくがなんとなく脚本を出し渋っていることはみんなが感じていたことだと思う。でも部内でシナリオを書くことになった人がスケジュール通りにやれたためしはなかったので、みんなさして気にしてはいなかっただろう。なんとなく、変に感じていたとすれば同じクラスのモッチだけだ。ぼくがただ書けなくて苦しんでるってわけじゃなさそうだってことを。

 ちょっと考えた後、ぼくはこう送った。

『本当に出来てはいる。だけどちょっと問題があって……出来れば直接みんなの意見を聞いてみたいので、とにかく明日脚本持って行きます』



 翌日、ぼくはぼんやりと授業を聞き流しながら、昔のことを思い出していた。

 今から一年と少し前、入学して一月近くが経って、クラス内にもグループが出来始めて授業間の休み時間の行動がみんななんとなく決まりだした頃、ぼくは教室での狸寝入りが多くなっていた。

 ついちょっと前まで口を利いたこともない他人同士だったクラスメイトたちが、今や普通に友達みたいになっているのが信じられなかった。家に帰って自分が小中学校で友達が出来たきっかけなんかを思い出そうとして、どうやったのかまるで思い出せなかったりした。

 ある日のこと、誰へのアピールなのかわからないが、休み時間に狸寝入るための伏線としての欠伸をしながら、内心こりゃやべえマジやべえと冷や汗かいてた静かな数学の授業中、教室に突然、威勢のいい陽気な歌声が鳴り響いた。

 しゃーおりーん、しゃおりーん、ゆあたほちゃすっちーはおらちしー、しゃーおりーん、しゃおりーん…………♪

 映画『少林寺』のテーマ。

 ぼくの大好きな映画。

 みんなの注目が集まる中、ぼくは慌てて懐から携帯を取り出し、音楽を止めた。

「……携帯はマナーにしておくように」

 一瞬の沈黙の後、それだけ言って先生が授業に戻ると、小さなささやきや笑い声がいくつか起こった。

 ぼくは頭が真っ白になって、顔が赤くなるのを感じ、顔を上げて黒板を見る勇気すら出ず、携帯をマナーにし忘れた朝の自分を呪い、よりによって『少林寺』のテーマを着信にした過去の自分を呪い、大して必要でもない携帯電話を自分に持たせた消費社会と情報化社会を呪った。

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。まずいことにこれから始まるのはお昼休みだ。みんなはそれぞれのグループでランチを取りながら、さっきの一件について話すだろう。びっくりしたね~、てかなにあの曲? なんか中国語? なんかやたら陽気だし(笑)本人超暗いのに(笑)えーそれ言ったらひどくない?…………

 あばばばっ、席から動くことも出来ず、想像するだけで悶絶寸前のぼくの脳内で『プライベートライアン』の腹を撃たれた死にかけの衛生兵が「モルヒネっ、モルヒネを、もっと…………」と呻くシーンが再生されて、ぼくはトム・ハンクスのように「どうしたらいい! 指示をくれ!」と喚きたい気分だった。

 その時、突然肩に手が置かれて、ぼくは心臓が止まるかと思った。

 席から見上げた先には眼鏡の華奢な男子が立っていた。

 クラスメイトであることはすぐにわかったが、混乱してることもあってとっさに名前が出てこずにいると、相手が名乗った。

「急にごめん、おれ、持田って言うんだけど」

「あ、うん……ぼくは高橋です」

「知ってるよ、同じクラスだし」

「え、ああ。でも、それならぼくも持田君のこと知ってるよ」

「そう? ひょっとしてわかんないかと思った。おれ地味だし」

「いや、そんな……」

 何のようだ? 正直言うと名前が出てこなかった持田君はクラスで目立つ人ではなかったし、どっちかという自分と同類の今一クラスに馴染めてない系の人であったはずだ。最初に肩を叩かれた時にはクラスのヤンキー的な人たちが自分を早速イジりに来たのではと恐怖したが、彼はそういうタイプには思えなかった。

 持田君はちょっと言葉を探したような気まずい間の後、こう言った。

「……ジェット・リーが『師父~』って絶叫しながら馬で駆けてくるシーン、いいよね」

 脳内で、トム・ハンクスの肩に優しく手が置かれ、振り返ると少林寺の師父ユエ・ハイが、どこまでも父性に満ちたたくましくも優しい笑顔で、「アーミートーフォー」と唱えた。

 わかるだろうか。

 そのくらい、その時の彼は頼もしく思えたのだった。

 それから、ぼくはモッチに誘われるまま映画研究部に入った。


 去年引退した先輩が監督した『ガラスの鏡の少年兵』は最低の作品だった。

 先輩はデヴィッド・リンチをこよなく愛する典型的な『にわかシネフィル系サブカルクソ野郎』(命名コンちゃん)で、『映画内で話をまとめようという気持ちがそもそもまるでなく、それでいて伝えたいものが別にあるわけでもなく、こだわりもやる気もなく、ぶっちゃけて言えばその場のノリでなんとなく撮って、カメラチェックしながらそれっぽいことを一人で呟き、やたらと同じことを何度もやらせ、最終的にうまくいかなかったけどお前ら相手じゃこれくらいが限度かな、みたいなため息と表情を見せて終わる』(コンちゃん評)という、とにかく嫌な監督で先輩だった。

「あいつ、エド・ウッド気取りだぜ。最低だ。知ってるか? エドが映画を撮ってる間、主演のルゴシはモルヒネ打ってたんだぜ。おれもモルヒネでもなきゃ耐えられねーよ」

 先輩に容赦のない悪口を浴びせてるのはコンちゃん。コンちゃんには年の離れた映画好きの兄がいて、部内では一番映画に詳しい。

 ぼくがエド・ウッドもルゴシも知らないと言うと、コンちゃんは難しい顔をして黙った。多分、自分が先輩に似たように思えて嫌だったのだろう。コンちゃんは口が悪くて繊細だ。

 コンちゃんに貸してもらったエド・ウッドの撮った映画は本当に全然面白くなかった。だけどエド・ウッドを題材にしたジョニー・デップ主演の『エド・ウッド』は面白かった。ひどい話だと思った。

 出来上がった先輩の映画は具体的には以下のようなものだ。

 公園での主人公の青年が恋人に振られる失恋シーンから始まり、翌朝(?)ベッドで目覚めた主人公が二度寝に入る瞬間から現実と夢が交錯し出す、という冒頭の数シーンの意味がようやくわかるだけで、後はパソコンの安っぽい特殊効果を交えた無闇に暗い画面で棒演技の青年がどうみても女装した高校生男子にしか見えない棒演技の母親と『幼馴染の女の子』に優しくされたり圧迫されたりしているような感じ(要領を得ない会話とシーンが続くのでそうとしか言えない)の映像がひたすらに続く。しかも、そのすべてのシーンが放課後の教室を舞台に繰り広げられるというお粗末さ。そして最後に青年が目覚めて冒頭のシーンに戻るという、なんともいかにもなラストを迎える。なんだか三日ぐらいたったような疲労感を覚えながら見上げた時計が二十分しか進んでいないことに愕然とするという代物だった。

 それでも部内の試写を終えた直後に「どうだった?」と聞いてくる先輩の顔は意外なほど真剣で、ぼくは言葉を必死に探した後、とっさにこう言った。

「難しかったですけど……なんていうか……ノワールですね」

 後日、先輩は作品をDVDに焼いて、ぼくにだけこっそりくれた。

 ぼくの感想がうれしかったんだろうと思う。

「まあ、悪くなかっただろ?」

 そう言った先輩の口ぶりに、まあ本気でやってはないけどねって感じのニュアンスを感じてぼくは不快だった。

「ノワールですよね」

 今度は皮肉っぽくそう言ったぼくを、先輩は黙って見ていた。

 今でもちょっと悪いことをしたなと思っている。

 先輩の映画はだれも観に来なかったので、文化祭では特に話題にもならなかった。



 最後の授業が終わるとすぐに、ぼくは部室に向かった。

 部室にはすでにモッチが待っていて、ぼくが部屋に入るとすぐに声をかけてきた。

「脚本、刷ってきた?」

「うん、一応」

 なにが一応かは自分でもよくわからないままそう言って、ぼくは学校カバンから部員の人数分の脚本を取り出して机に置いた。まあ脚本と言ってもプリントしたものを綴じただけのものだが……。

「どれどれ」

 そう言って早速プリントを手に取ろうとしたモッチの腕を、ぼくは思わずつかんだ。

「なに?」

 びっくりしたようにそう言ったモッチに、ぼくもびっくりして手を離し、慌てて言う。

「ごめん」

「いや、いいけど……やっぱ本当は出来てないの? それとも、なに? ひょっとして、照れてんの?」

「……あのさ、脚本読んでもらう前に、ちょっと変なこと言っていい?」

「なに?」

「あのさ……」

 唾を飲み込もうとして口がカラカラなことに気付く。自分が緊張していることを意識して、さらにも緊張が高まる。顔が赤くなっていないか心配だ。それにしても、ぼくが言おうとしていることはそんなに大それたことだろうか?

 ぼくはなるべくさり気ない風に言おうとした。

「ヒロインなんだよね……」

「へ?」

 声が小さすぎたのでもう一度。

「ヒロインで撮りたいんだよね…………」

 実際に出てきた自分の上ずった声を聞きながら、ぼくは自分の演技力のなさに呆れた。

 脳内でジョン・フォード監督がジョン・ウェインに言い放った。

「ひどい演技だ」


 部室には映画部員が勢ぞろいしていた。

 ますは同級生のモッチ、コンちゃんにぼく。それから後輩の小柄だけど目つきの鋭いヤマくんと、こちらは妙に背が高いのにガリガリのカジくん。

 総勢五名の映画研究部が、パイプイスで狭い部室のテーブルを囲んで押し黙っている。それぞれ手元には、ぼくの書いた脚本、『死霊の呼び声』が置かれている。ホワイトボードには『第一回文化祭出展映画企画会議』の文字。自校の文化祭に出すだけの映画をわざわざ『出展』と呼ぶのもどうかと思うが、まあそれは部の伝統だ。

 沈黙の中、カジくんがそっと細い手を上げた。

 一応は司会役であるところの部長モッチが言う。

「いいよ、手なんか上げないで。なんかあったらどんどん言って」

「あ、はい。それじゃ、あの、先輩には悪いんですけど、正直コレ、無理じゃないですかね……」

 カジくんがそっと僕のほうを盗み見るのがわかった。ぼくは黙っていた。

 モッチが先を促した。

「なんでそう思うの?」

 カジくんは続けた。

「去年の先輩の映画……『ガラスの少年』でしたっけ? アレの話ですけど、母親役も幼女役も思い出の少女役も、先輩たちがカツラ被ってやってたじゃないですか。めちゃめちゃ画面暗くして顔隠して、謎のイメージ映像風に仕立てた上であんなに変だったのに、ゾンビと戦うヒロインなんて、ただの逃げ惑うオカマ映画になっちゃいますよ」

 なかなか思い切ったことを言う後輩だ。カジくんは背がでかいせいか、おっとりしていても物怖じしない。ぼんやりしていて空気が読めないとも言う。

 なにかすでに皮肉っぽいモードに突入しているコンちゃんが口を開く。

「ゾンビから逃げ惑うオカマ映画って面白そうじゃね?」

「いや、待てよ。今、前提としてさ、なんかおれらが女装してやる感じの話になってるけど、監督が言ってるのはそうじゃないっしょ」

 モッチがそう言ってぼくの方を見た。

 ぼくはまた慌てたように答えた。

「まあ、そうだね、つまり、だれかに頼めないかなって……」

 コンちゃんが疑わしげに言う。

「……おれらの映画に出てくださいって言うわけ? ……女子に?」

 続いてモッチ。

「実際ね、実際問題ね、正直ベースでね、お願いするけど、なんかひょっとして当てがあんの」

「いや、特にだれかってわけじゃないけど……」

 みんな黙ってしまった。

 深くため息を吐いて、コンちゃんが言った。

「はっきり言うけどさ、無理でしょ。ちょっとモブでっていうくらいなら、前に色々協力してもらった漫研部とかパソ部の女子とかに頼めなくもないかもだけど、主役っしょ? 無理だよ、そりゃ。キモがられて終わりだよ。おれらのポジション、考えろって」

 まあ正論だろう、悲しいけれど。

 ぼくの……いや、ぼくら映画部の学校での位置づけは、率直に言って低い。ただオタクの集まり程度に思われているならまだしも、なにかこだわりとか強くて関わると面倒臭いタイプという評価まであると思われる。

 内輪で勝手になにかしてるならご自由に、ただこっちには関わって来ないでね。

 だいたいこんな風な認識のされ方なのではないだろうか。

 ぼくは考え考え、また新しい提案を出す。

「……演劇部とかに頼めないかな?」

「ええ? 知り合いとかいるの?」

「いや、いないけどさ、演劇部ってことはさ、演技が好きなわけでしょ? 映画にも興味あるんじゃないかなって。映画主演女優とか、やっぱ響きに憧れがあるんじゃないかと」

「いやいや、無理だろ! うちの演劇部がおれらの映画に出るわけないでしょ!」

「なんで?」

「だってあいつらは……」

 少し言葉を探した後、コンちゃんは言った。

「美人じゃん?」

 ぼくは思わず大きな声を上げた。

「そこ? そこなの?」

「いや、そこだろ! ぶっちゃけ!」

「じゃあさ、じゃあさ、ブスならいけるわけ? ブスなら出てくれるの?」

 モッチが取り成すように言う。

「いや、まあ、そういうことじゃないけど……正直、演劇部が無理ってのはわかるよ。なんか、おれらの手に負えないよ、あの人たちは」

 実はぼくもそんな気はしていた。うちの演劇部はなかなかの強豪で人数も多く、学校内での存在感も強い。男女混じってなんか平気で楽しそうにしてるし。あんな風にしている自分たちを、ぼくは想像できない。

「……やっぱり漫研の人に頼めないかな」

「それも無理だろ。前に先輩がモブみたいの頼んだときもすっげー嫌々だったじゃん。主演なんか引き受けっこねーよ」

「逆にヤンキーみたいな人ってどう?」

「どうってなんだよ」

「実はああいう人はさ、日々の生活の退屈に耐えてたり、人一倍ピュアだったりするんじゃないかな。そうであれば映画出演という意外な誘いに心動かされたり……」

「そういうのってヤンキーか? お前、ヤンキーのこと舐めてないか? そんなのはマンガの中のヤンキーだ。リアルのあいつらなんかセックス、ドラッグ、バイオレンスだろ。人生楽しんでるよ」

「それも極端じゃないの?」

「ドラッグ、バイオレンスはともかくセックスはしてるんだろうねぇ……」

 モッチの言葉に、ぼくはほとんど激昂した。

「なんかさ、おかしくない? 世の男子高校生は女子と裸で性器をこすり合わせたりしてるのに、おれらの映画に出てくれる女子は一人もいないの? 普通、そっちのがキツいでしょ? ゴムとかすれば低い確率になるとはいえ、セックスしたら子供できるかもしれないんだよ? それよりずっと低いハードルのはずでしょ、映画に出るなんて!」

「そうでもないのかもよ」

 モッチが遠い目をして言った。

「セックスするのと、おれらの映画に出るのとじゃ、そんなにハードルの差はないのかもよ。むしろ、おれらの映画の方が……」

 ぼくの脳内にまた映画のシーンが再生された。ゴダールの『映画史』のワンシーン、ポルノのセックスシーンと『怪物園』のピンヘッドが笑うシーンのフィルムがつながれて、ピンヘッドが人のセックスを見てクスクス笑っているように編集されていた。ぼくはあのシーンを初めて見たとき、なんだかよくわからないがすごく感動したのだった。だって裸で大人の男女が必死に腰振ってるなんて、冷静になったらすごくおかしいもんなあ。

 悲しい結論に達しそうになり、コンちゃんが投げやりに言った。

「はあああっと、どっかに悲しいトラウマ抱えた美少女とか落ちてねえかなあ。おれ、ギャルゲーでそういう女、たくさん落としたから自信あんだけどなあ、落ちてねえんだろうなあ」

「でも、勿体ないですね」

 これまでずっと黙っていたヤマくんが、手元のプリントから顔を上げずにいきなり言った。

 全員の注目が集まって、部室内は急に静かになった。

 ヤマくんが顔を上げ、まともにぼくの顔を見た。

「この脚本、面白いっすよ」



 翌日は一日中、授業を受けながらも映画作りのことを考えていた。

 まあ一日中考えたといっても、結局のところ具体的に考えていたことは一つだけだ。ぼくらの映画に出てくれる女子はいるのかってこと。いるとすればそれはどんな子か、いないなら何故いないのか。

 たとえば今まさに前の教壇で英語の授業をしている男性教師、この平岡先生なんかは女子に人気がある。年齢はたしかまだ二十代後半に入った辺り、背はすらりと高くて少女マンガ風のお目目パッチリの美形、頭の回転が速く冗談もうまい、動作もキビキビ、実家がなにかの大きい会社をやっててじきにそっちに移るって噂まである、オマケに留学経験アリのバイリンガル、モテの数え役満。でも個人的にはちょっと童顔過ぎて好みの顔じゃない。変な意味じゃなく、映画に出てたらって話。

 平岡先生がもし映画を撮るって言い出したら、出たがる女子はたくさんいると思う。男子だってたくさん出てくれるだろう。平岡先生がどんな映画を撮りたいかなんて関係なしに。恋愛だろうがSFだろうがホラーだろうが、ジャンルがなんだろうと結局は出てもらえそうだ。映画に出演してもらえるかどうかも、結局は映画自体の内容が問題じゃなく、普段の立ち位置やら人気やら、コネやらツテやら、つまるところ作り手のコミュ力が問題なんだろうか。それは本来、映画の面白さとは関係がない話ではないのか。撮られれば面白かっただろうに、映画自体とはまったく関係のない事情で撮られずに終わった、だれかの頭の中にだけあってこの世に生まれなかった映画も山のようにあるのだろうか。そういう映画はどこに行ってしまうのだろう。

『ホドロフスキーのDUNE』はぼくのそんな疑問に夢のような回答を与えてくれる映画だった。ホドロフスキー監督が素晴らしいスタッフをそろえて企画した映画「DUNE」は、結局予算やら監督の人間性やらの色々な事情で撮られずに終わる。しかし「DUNE」は、その企画書のイメージだけが色んな映画に引用されるという、映画と関係のない事象とは切り離された世界の中に迎え入れられて、再び映画世界に生き返るような最後を迎える。ぼくの映画も撮られなければそんな映画の天国へ成仏するのだろうか?

 ……いや、だめだろう。ぼくの映画はまだ影も形もないのだ。ホドロフスキーがギリギリまで映画を撮ろうと全力を尽くした結果として、「DUNE」はあの結末を迎えるのだ。ぼくはまだなんの努力もしていないのだ。そんな資格はないのだ。のだのだ言って、なんだかバカボンのパパみたいだが、興奮して力が入るとついこういう話し方になってしまうのだ。

 ぼくはジタバタするぞ。みんなも、ぼくの脚本は面白いと言ってくれたじゃないか。このまま諦めるなんてありえない。

 ぼくはそう一人で鼻息荒く決意して、平岡先生の英語の授業もろくに聞かずに、ジリジリと放課後を待っていたのだった。


「本当に行くのか?」

 小声でコンちゃんが聞いてくる。

「行くよ」

「やめてもいいんだよ?」

 モッチの気遣いにも短く返す。

「行くって」

 廊下からチラチラとのぞく漫研部の部室内では、漫研部員五名ほどがそれぞれに黙々と作業したり漫画を読んだりしている。映画部と漫研部の部室は隣り合っていて、こうして廊下で立ち話していることも多いので、漫研部員は特別こちらに注意を向けてはいないだろう。出来れば気付かれる前に行動を起こしたい。息を殺して自分の様子をうかがっている人間に対して、警戒心が働かない人間はいない。無用な警戒はして欲しくない。

 ぼくは『ターミネーター』のサラ・コナーを陰から守ろうとしていたのに誤解されてしまうカイルを思い出す。古い写真で見ただけの相手を守るために、素っ裸でたった一人、時空を超えて来たカイル。彼が誤解されるなんてひどい話だ。きっと見返りなんて求めていなかった彼が、サラと恋に落ちるなんてちょっとした奇跡みたいなもんだ。いい映画だよな、『ターミネーター』。

 またコンちゃんが小さく言った。

「……早く行けよ」

「わかってるよ! でもアレだかんね、ぼくがやったらみんなもやるんだよ? そう約束したよね?」

「ああ、わかってるよ」

「健闘を祈る」

 ぼくは小さく息を吐くと、意を決して部室内に踏み込んだ。


 後で聞いた話では、廊下に残ったコンちゃんがぼそりと言ったそうだ。

「……今さらだけど、あいつがやったらおれらもやるって、あいつの失敗が前提になってるよな」

 まあ失敗するんだろうけど、という本音を、コンちゃんは流石に口にはしなかった。

 モッチは静かに眼鏡を上げて応えた。

「……がんばれ、監督」


「えーと、あの、こんにちは……」

 漫研部はガッツリ練習とか作業時間とか決まっているわけではないらしく、外からうかがった感じでは騒がしさはなくとも気安いムードはあって、ひょっとしてぼくがしれっとした顔で部室に入っていけば大して目立たないのでは内心期待していたのだが、彼らはぼくが室内に足を踏み入れた瞬間、危険を察知した草原のプレーリードックのように鋭く顔を上げてこちらを見た。

 部室内には作業用らしい机が並べられていて、何人かの部員はそこで原稿に取り組んでいたようだ。座ったまま、じっとぼくを見上げている。その周囲に、立ち話でもしていたのか、それともこちらもなにかの作業中だったのか、門外漢にはわからないが、何人かの部員が突っ立ったまま、こちらもぼくをじっと見ている。

 部屋中の注目を集めてしまったぼくはもう逃げ出したいような気がし始めていたが、脳内で『風の谷のナウシカ』のクロトワが「逃げるたって、どこに逃げるんだよ」と言ったので、仕方なく言葉を続けた。

「えーと、ぼくは映画部のものなんですけど……ちょっと今、時間いいですか?」

 またしても返答は特になく、漫研部員みんなが怪訝な表情でぼくを見ている。

 沈黙を恐れたぼくは、とにかく言葉を続けた。

「実は映画部は、文化祭に向けて、作品の主演女優を引き受けてくれる人を探してまして……えーと、つまり、だれか女子の人に協力して欲しいと思っていまして……何度か協力してくれた漫研に、そういうお気持ちの人がいたらとてもうれしいなと思って、ちょっと寄らせていただいたんですけれども……」

 ぼくの言葉を聞いて、全員がぼくと目を合わせないように視線を外した。しかし、ヒリヒリするような注目の気配だけは感じる。彼らはぼくを完全に無視はできないらしい。

『ダンス・ウィズ・ウルブス』の言葉の通じないインディアンの集団相手にバッファローの群れを見たことを説明しようとするケビン・コスナーみたいな気分だ。ケビン・コスナーはバッファローのモノマネをして見せて、インディアンの「タタンカ!」という言葉を引き出し、彼らがバッファローをタタンカと呼ぶことを理解し、双方のコミュニケーションのきっかけになった。

 なんとか彼らのタタンカを引き出さねば……。

 テンパったぼくは、近くの座席にいた女子に、ヤケクソで話しかけた。

「どうですか? 興味ありませんかね?」

 返事はない。相手は押し黙ったまま、手元の原稿に目を落としている。ペンを持つ手がかすかに震えているように見えた。

「あー、その、えーと~」

 ああ、えーとって言いすぎだ。やばい、どうしよう、もう一回言っちゃいそう。

「えーと、もし、アレだったら場所変えて話しませんか?」

「……無理です」

「えと、そんなに難しいことではなくてですね……」

「……罰ゲームですか?」

「え、いや……え?」

 え? あれ、これ泣いてる?

 彼女の手元の原稿に水滴がパタパタと落ちるのを見て、ぼくの戸惑いはパニックになった。

 ぼくが泣かしたの? なんで?

 近くに立っていた別の女子がとがめるように言った。

「ちょっと、しつこいよ。空気読んでよ」

「あの……いや、ぼくは……」

 ぼくがしどろもどろになっていると、相手は小さくも厳しい声で言った。

「いいから出てって」

 ぼくはすごすごと部屋を出た。

 廊下で待っていた二人に、ぼくは途方に暮れた声で尋ねた。

「なんで? なんで泣くの?」

「いや、う~ん……」

「なんでだろなあ……」

 モッチもコンちゃんも腕を組み、本当に難しそうに首をかしげた。

 ぼくらはとにかくその場を離れた。


 次にぼくらはぼくとモッチのクラスの教室に向かった。

 放課後の閑散とした教室、そこでかわいい女の子が一人、退屈そうに携帯をいじったりしているとなかなか絵になる。それがいわゆるギャル的な子というのも、なんとなく味わいがある。毛先の軽くカールしたフワッとした茶髪、教師に注意されない程度のメイク、ピアスはしていないが耳に穴が開いているのはわかる。学校を出て遊びに行く時はもう一発派手に着替えるのかもしれない。こっそりうかがう教室の様子はすでに映画的で、彼女が映画に出てゾンビと戦ってくれれば確かにいいアクセントになるだろう。

 想像してみる。うごめくゾンビの背後からそっと忍び寄るギャル。ゾンビの脳天に斧の一撃。倒れるゾンビを長い付けまつ毛の下から冷たく見下ろす彼女。唇の上に散った返り血を親指でぬぐって口紅に代える。ギャルメイクと鮮血とは相性が良さそうだ。

「よし……」

 小さくそう言ってモッチは、ぼくとコンちゃんを廊下に残し教室に入っていった。

 モッチは確かに地味でシャイなところはあるけど、コミュ力って意味では部内で一番だとぼくは思っている。優しいし、話もわかりやすくて面白い。いつかのぼくを助けてくれたモッチは頼もしくもあった。そういう意味では今回のような勧誘に一番向いているのはモッチだとぼくは思っている。

 教室にはギャルが一人、邪魔は入らない。

 がんばれ、モッチ。

「あの~……」

 モッチが恐る恐る声をかけると、相手は携帯から目を上げてしばらくモッチの顔を眺めた後、わざとらしいくらい間の抜けた声で言った。

「だれ?」

「あ、同じクラスの持田です……」

「ウッソ、同クラ? ごめんね~、アタシそういうのいいかげんだからさ」

「あ、いえ、ぼくが地味なのがあれなんで……」

「で、なんか用?」

「あ、はい、その~……突然のお願いで驚かれるかもしれないんですけど……映画出演とかに興味ありませんか?」

「はあ?」

「あ、いや、ひょっとして、ひょっとしてなんですけど、興味ないかなあと思いまして……」

「映画ってどんな映画?」

「いや、あのーなんていうか、ホラーというか、ゾンビものみたいな感じなんですけど……」

「なにそれ、キモっ。アタシ、ゾンビ?」

「いや、ゾンビと戦うヒロインをやって欲しいんですけど、も……」

 お、案外いいかも? 少なくとも会話になっている……とぼくが淡い希望を抱いた直後、ぼくらののぞいているのとは別の扉がガラリと音を立てて開き、二人組が教室に入って来た。その二人が教室を横切って背後からモッチに近づいていくのをただ眺めている無力なぼくの脳内に、『ジョーズ』のテーマが流れ始める。

 意外と会話が続いてちょっと楽しくなりはじめているらしいモッチの背後から、サメの背びれが近づいていく。観客は惨劇を予見していても何も出来ない。近づくヤンキー二人がすでにちょっとニヤニヤし始めているのは捕食者の愉悦か。

「なになに? なんか意外なのとしゃべってんじゃん?」

 半笑いの第一声に、モッチがビクッと反応するのが見て取れた。

 ヤンキー二人組は明るい茶髪のイケメンと強面系のライン入り坊主。どちらもだらしなく制服を着こなしているのがよく似合う。ヤンキーって言ってもゾンビに食い散らかされたりするようなタイプじゃなく、『ワイルド・スピード』とかに出てそうなおしゃれなヤンキーさんだ……。

 ギャルが間延びした明るい声で返事する。

「なんかアタシにゾンビやって欲しいんだってー」

「えっ、違……」

 訂正しようとしたモッチを無視して坊主の方が大げさな声で応える。

「はあ?」

「なんか映画撮りたいっつって」

 二人で声を揃えてさらに大きく、

「はあ~?」

 えーなにあの、はあ~?の言い方。むっちゃ怖いんですけど。語尾の上がる感じがむっちゃ怖いんですけど。ちょっと笑いが含まれてるのもすごく嫌なんですけど。

 ヤンキー二人がモッチに絡みだす。

「ていうかなにお前? 映画関係者? 業界の人?」

 モッチがなにやら妙にヘラヘラ笑いながら応える。

「あ、いや、映画部なんですけど……」

 茶髪が言う。

「映画部? ああ、そっか。あったね」

 続いて坊主。

「つか、活動してたんだ、お前ら」

「お前、なんかエロいこと考えてね?」

 茶髪に意外なことを言われてモッチが焦った様子で返す。

「えっ? いや、そんなこと全然!」

 ギャルが素っ頓狂な声を上げる。

「えっ! そうなん? エロ映画なん?」

 茶髪が馴れ馴れしい感じでギャルに言う。

「映画出演とかってさ、AVスカウトのよく言うやつっしょ。お前、そんなぼんやりしてるとこいつに犯られちゃうよ?」

 ギャルが大げさな声を上げてはしゃぐ。

「え~マジで! キモすぎんですけど!」

「違いますって!」

 焦るモッチに笑いながら二人組が言う。

「むっちゃ焦ってっし。ウケる」

「あ、ほら、勃起してる!」

「ええ!」

 慌てたモッチが思わず股間に手をやるとさらに笑いが大きくなった。

「ほらほら!」

「映画部ウケるわ~」

「ホントもうマジさいてぇ~!」

 ギャルが笑いながらそう言うと、

「つーかさ、今度のだべちゃんの集まり、ソックさんが来るっつってんだけど聞いた?」

 三人はいきなり内輪の話を始めた。今度の週末にどこに行くとか行かないとか、先輩のだれそれが来るとか来ないとか、それなら行くとか遅れるとか。

 以降は興味を失ったようにだれもモッチに触れず、三人は三人だけで会話を続けた。モッチは無言で座っていたが、しばらくして席を立った。

「あれ? 行くの?」

 意外にもギャルがそうモッチに声をかけた。

「あ、はい、どうも。部活あるんで……」

 モッチはそれだけ言ってこっちに向かって歩いてきた。

 少し離れてから茶髪がモッチの声を真似たらしい上ずった声で言った。

「あ、はい、どうも」

 三人が爆笑した。

 モッチが足早にこちらに向かってきた。その表情は強張っていた。

 ぼくはそいつのモノマネは全然似ていないと思った。

 ぼくの脳内で『インターステラー』の嘘つき老科学者が詩を朗読する。

「消えゆく光に、怒れ、怒れ」