終末というのは、なんでもない日に不意にやってくるものかもしれない。

 その日、頭上に落ちてきた自称新型爆弾は、高校の頃に好きだった広崎ひかりに似ていて、僕は少しドキドキした。



 じょわじょわじょわと暑苦しく蝉が鳴き、今、夏は半分。

「夏を制する者が受験を制す!!」なんていう鼻息の荒い標語に、確かにその通りだよなあと同意しつつ、「でもまだ夏じゃないから。ほら、今日はなんだか涼しいし」とか「昨日夏じゃなかったものがいきなり夏になることもあるまい」とか、我ながらよく分からない言いわけをしてるうちに八月も一週間を過ぎてしまった。暦の上じゃ、もう立秋だ。

 ちなみに今日返ってきた模試の結果は合格率四十パーセントの〝要努力〟で、去年の今頃と変わらない。確か、一昨年もだいたいそんなトコだったような。

 高校を卒業して、予備校も二年目。受験勉強の時間は増えたけど、代わりにサボりの時間も長くなって、結局プラスマイナスゼロ。その間になにか変化があるとすれば、タバコを吸う習慣がついたことくらいだ。

 ぷかー、と自分の吐いた煙を追って空を見上げると、青い空のてっぺんに向かって伸び上がる、でっかい入道雲。

 どこからどう見ても、夏。

「……あ~~、ダメだ~~~」

 コォ~ン、と、屋上の手すりにひたいを打ちつけると、手に持ったタバコの灰がポロリと落ちた。

「長島ァ、なにイイ音させてんの」

 背後から呼ばれて振り向くと、辰美が立っていた。いつものようにキビキビとこっちに歩いてくると、僕の胸ポケットから勝手にタバコのパッケージを取り出し、一本口にくわえ、くいっと上を向く。

「ん」

「あ、ハイハイ」

 僕は両手でライターを持って、彼女のタバコに火を点けた。辰美はひとつ歳下の一浪生だけど、僕なんかよりよほどしっかりしてるし、堂々としてる。

「どうも――で、どうだったの、結果」

 答えを待たず、辰美は僕の手から模試の結果表を取り上げて、進路指導教官みたいな顔でざっと見ると、ふーっと長い煙を吹いた。

「ぜんぜんダメじゃん」

「う~」

 僕は手すりにだらりともたれ掛かった。

「オレ、アタマ悪いんだよう」

「あのね、それ違う」

「え?」

「長島は頭が悪いんじゃなくて要領が悪いの。……って、同じことか。うん分かった。あんたは頭が悪い」

「はっきり言うなあ」

「はっきりさせなきゃ対策も立たないでしょ。『頭が悪い。ゆえに要努力』。違う?」

「……違わない」

「よろしい」

「そういう辰美はどうだったさ?」

「あたしは圏内。がんばってるし」

「……あ~~」

「ほら、そこで落ち込まない。『受験は自分との戦い』でしょ? 人のこといちいち気にしないの」

「ごもっとも」

 僕は手すりに背を預けて腰を下ろし、辰美は立ったまま手すりにもたれ、ふたりでぼーっと空を見上げた。

 しばらくして、

「……あのさあ、長島」と、辰美が言った。

「んー?」

「今、あたしに怒られて、ちょっとホッとしたでしょ」

「え? ……あー」

「で、『今日はもうサボっていいや』って思ってない?」

「うっ」

 僕は辰美から目をそらした。頬に当たる視線が痛い。

「ねえ長島……〝ゆでガエル〟の話って、知ってる?」

「なんだそれ」

「あのね、熱湯にカエルを放り込むと、あわてて飛び出すでしょ」

「そりゃまあ、そうかな」

「でも、水から少しずつ温度を上げていくと、気づかないでそのまま煮えちゃうんだって」

「へえ」

「あんたはそれよ」

「……キッツイなあ」

「愛の鞭です」

 辰美はタバコの先をぐりっと手すりに押しつけ、火を消した。彼女に言わせると、タバコの後ろ三分の二には〝ダラけ成分〟が入っているので吸ってはいけないそうだ。

「午後の授業、サボっちゃダメだよ」

 そう言い置いて、辰美は長い吸い殻を片手にすたすたすた、と歩いていく――が、五歩行った先でくるりすたすたすた、と戻ってきて、腰をかがめて僕のひたいにキスした。

「いっしょに合格するって、約束したでしょ?」



 辰美が行ってしまうと、僕はコンクリの床にごろりと仰向けになった。

 じりじりと全身を灼く夏の陽射しを感じながら、目を閉じる。

 うーん、熱い。

 今この瞬間はその熱が気持ちいいんだけど、このままこうしていると、ゆでガエルならぬ干しガエルになってしまうなあ。

 などと考えつつ、ひたいに残った辰美の唇の感触を反芻する。

「あたし、長島のおデコ、好きだよ」

 と、辰美に言われたのは、今年の春先、まだつき合い始めたばかりの頃。好きとか嫌いとか、そういうことをはっきり言えるのは彼女のいいところだ。

「でもこれって、将来ハゲるね。ヤバいヤバい」

 ……ときどき、はっきりしすぎるけど。

 実際うちはハゲの家系で、親父も伯父も従兄弟も死んだ爺さんも、親類一同、ひとり残らずハゲている。十代の後半から生えぎわが後退し始め、三十になる頃にはてっぺんまで行ってしまうそうだ。みんなそうだったというから、たぶん僕もそうなるだろう。

 イヤだなあ。

 そもそも僕は生まれつきひたいの広いほうで、中学までは友達なんかにシャレでハゲハゲ言われていたのだが、高校に入る頃にはそろそろシャレにならなくなってきて、みんな僕の頭のことには触れなくなった。お気遣いありがとう。

 それ以降、面と向かって言ってきたのはふたりだけだ。辰美と、その前にもうひとり――

 広崎ひかりだ。

「長島君って、なんだか〝お父さん〟っぽいから」

 と、僕の頭を見ながら言ったのは、あれは「毛が薄い」という意味だろう。ちぇっ、どうせ老けてますよ。そしてハゲてますよ。

 広崎は高二の時のクラスメイトで、特に親しくしていたわけではないのだが、なんとなく気になる娘ではあった。

 細身で色が白くておっとりとして、それでいて、どこか涼しげで上品な感じ。体が弱いのだとかで学校を休みがちで、そのため教室の中ではお客さん扱いというか、ぶっちゃけ、ちょっと浮いていた。休み時間などにふと手持ち無沙汰になるのか、窓ぎわの席からなんだかまぶしそうに外を眺めているその横顔を、よく覚えている。

 たぶん僕は、広崎のことが好きだったと思う。

 もっとも、それは言葉に出すほどのこともない淡い感情で、それによってなにか行動を起こすというたぐいのものではなかったのだが――



 ――と、甘く切なげな回想中、青空になにか黒っぽい点が見えた。

 なんだろう。鳥――にしては動かないし、ヘリコプターや気球でもないようだし――などと思っているうち、点はじわじわと大きくなっている。

 ひゅるるるる――と、風を切る音が聞こえてきた。

 なにかが落ちてきているのだ。まっすぐ、こちらに。

 人だ。

 この屋上よりも上、なにもない頭上の空から、人が落ちてきたのだ。

 しかも女の子。

 この位置からではパンツが見えそうで、見えなくて――いやそういう問題ではない、早く起き上がって逃げなくては、と思ったのだが、

 ――あ、見えた。

 ズン。

「ぐおッ!?」

 無防備のみぞおちに、超高高度からのヒップアタックが炸裂。僕は身を折って転げ回った。

「うぐぐ……」

 ひと口ゲロを飲み込みながら顔を上げると、長い髪の、セーラー服を着た女の子が、勢いあまってごろごろと転がり、ドタリと尻餅をつくのが見えた。

「あいたたた、着地失敗! ドジッ娘だァ~」

 なんだこいつ。いきなり人の上に落ちてきて、なにがドジッ娘か。ちょっとパンツが見えてうれしかったけど、それくらいで許されるものではありません。

「おい、なにすん――あれ?」

 よく見ると、知った顔だった。

「……広崎?」

 ――いや、本人だろうか?

 この広崎は、あまりにも、僕の記憶そのままの姿をしていた。

 普通、三年も会わなければ女の子の容姿なんて別人みたいに変わるし、そもそも、いくらなんでも高校は卒業してるはずだ。セーラー服ってことはないだろう。

 かといって、妹かなにか……にしては、やっぱり似すぎているような気がする。

 そこでもう一度、本人に訊いてみた。

「広崎ひかり……?」

 なにはともあれ、その答えでイエスかノーかははっきりする――かと思いきや、

「ビミョーに違います」

 と、広崎(?)はなんだか微妙な答えかたをした。

「あたしはピカリちゃんです。ヒカリじゃなくてピ、カ、リ」

「なんだそりゃ」

 僕は反射的にツッコんだ。

「そんな名前の日本人がいるか」

「日本人じゃないのです」

「ウソつけ。じゃあナニ人だよ」

「人間じゃあないのです」

「は?」

「爆弾です」

「はあ……?」

 ――落ち着いて、状況を整理してみよう。

「えーと、君の名前は、広崎ひかり……じゃなくて〝ピカリちゃん〟」

「はい」

「人間じゃなくて〝爆弾〟」

「はい、そうです。最新型ですよ~」

 結論。

「なに言ってんだ。ウソつけ」

 僕がそう言うと、自称〝ピカリちゃん〟は、

「証拠ありますよ。ホラ」

 と言って、セーラー服の襟を、中のブラが見えるくらいまで、ぐっと引き下げた。

 ――うわ、いきなりなにをするか、ハシタナイ!

 と思いつつ、ついその奥を見てしまう。深い陰影の浮き出た鎖骨、ひときわ白い胸元の肌、そして――

「あれ?」

 彼女の言う〝証拠〟が、そこにあった。

 胸の中央、ウルトラマンならカラータイマーがあるあたりに、それははまり込んでいた。

 金色の太いふちとガラスのカバーがついた、アナログ時計の文字盤。針や文字のデザインはアンティーク風で、古い懐中時計を埋め込んだような形だ。時刻は六時半のあたりを指し、秒針が動いている。

「え……ちょっとゴメン」

「いやン」

「いやンじゃなくて」

 白い胸元に顔を寄せてよく見てみると、歯車の動くかすかな音が聞こえてきた。

 ――本物の時計を、胸の中に埋め込んでる……?

 シャレでここまでする人間がいるとも思えない。なにかの医療機器だろうか。例えばペースメーカーとか……いや、ペースメーカーに文字盤はないよな。

 それに、よく見るとこの時計、秒針の動きがめちゃくちゃだ。チッチッチッチッ、と時計回りに四秒動いたかと思えば、チッチッチッ、と三秒戻る。はたまた、五秒ほどじっとしていたかと思うと、チチチチチッ、と一気に進む。

「……なんだこれ?」

 僕の呟きに、ピカリが答えた。

「〝トキメキ☆ドゥームズデイ・クロック〟です」

「ああ?」

 ……なんだかよく分からんが、〝トキメキ☆〟ってあたりがめちゃめちゃウソ臭い。

「なにするものなワケ?」

「平たく言えば、ピカリちゃんの起爆装置です」

 と言って、彼女はオトメっぽいしぐさで、胸の時計にそっと両手を重ねた。

「こう、セーシュン的なドキドキ感というか、そういうのが高まると時間が進んでいって、この針が十二時を指した時にどかーん!!」

「うわ!?」

 急にでかい声を出されて、僕はめちゃめちゃびっくりした。そしてコケた。

「――と、なるわけです」

 腰の抜けた僕に向かって、ピカリは白くて小さい手を差し出した。

「そういうわけですので、さっそくおデートをしましょう」

「はあ……え、なに? どういうわけ?」

「つまり、おデートををすることによってドキドキ感を高めどかーん!!」

「うわ!?」

「――となるわけですよ」

「……はあ」

 なんだか分からんままに、僕はピカリの手を取った。

 すると、彼女の胸元で、

 キュルルルルッ――

 と、ねじを回すような音がした。

「あっ、今、手をつないだらちょっとドキドキした感じ! 見てください見てください」

 ピカリは再び広げた胸元を僕に突きつけた。

「何時になってますかァ?」

「えーと……七時ちょい過ぎ、かな」

 ひと息に三十分近くも進んだことになる。

「やったあ!」

 ピカリは屋上の出入り口に向かって、僕の手をぐいぐい引っ張った。

「この調子でどんどんイキましょう! そしてどかーん!! ですよ!」

「……ま、どかーんはいいんだけど――それって、自分じゃ見れないの?」

「え?」

 ピカリは両手で襟元を広げ、首をせいいっぱい前に倒した。

「んンんんん~~…………な、なんとか……」

 意外と不便っぽいんだなあ。



 それでも、この怪しくてちょっとアホっぽい女の子にホイホイつき合ってしまったのは、要するに午後の授業に出たくなかったからで。

 僕らは連れ立って駅前の通りに向かった。僕としては、まあ適当に時間をつぶして、夕方になったら家なりビョーインなりに帰せばいいや、くらいの腹である。

 そして――

「あっ、腕! 腕つかんでいいですかァ!」

「つかむって……ああ、うん、どうぞ」

 ピカリは僕の腕にぎゅっとしがみついた。

「やったあ! あ、なんだか頼もしい感じ! またちょっとドキドキ!」

 キュルルルルッ――と、彼女の胸元が音を立てた。文字盤を確認すると、時刻が二十分ほど進んでいた。つまり、七時二十分。

 その後も、

「あっ、そこの露店で売ってる安っぽいアクセサリーを買ってくれたりしませんかね!?」

「ああ、うん、いいけど」

「やったあ!」

 キュルルルルッ――と八時五分。

「あっ、そこでやってる映画はどうですか! いい評判は聞かないけどなぜか大ヒット中の!」

「ああ、映画もいいね」

 キュルルルルッ――と八時四十分。

「あっ、プリクラ! プリクラ撮りましょうよ! ヘン顔勝負で!」

「ああ、うん、勝負ね」

 キュルルルルッ――と九時五分。

「あっ、そこのベンチがなんだかいいアンバイ! 街並みを見下ろしながら恋を語らったりするとすっごくオシャレっぽいような! わあ、すごいイイ景色ッ!!」

 キュルルルルッ――と……。

「……君、テンション高いなあ」

 僕が呟くと、ピカリはテヘヘと頭を掻いた。

「いやあ、それほどでも」

「いや、別にほめてないけど」

 まあ、そんなこんなの様子を見ているうちに、

 ――この子は広崎とはちょっと違うかもなあ。

 と、僕は思い始めていた。

 広崎は体は弱かったが、別に頭は弱くなかったしなあ。



 とはいえ、実は本物の広崎のことをそれほど知っているわけではない。

 まともに話をしたのは一度だけだ。

 高二の頃の、ある放課後――

 もう夕方近く、僕が通り掛かった渡り廊下には西日が斜めに射し込んでいた。

 そこに、女子生徒がひとりうずくまっていた。苦しそうに胸元を押さえ、長い髪が幽霊みたいに顔にかぶさっていた。

「おい、どうした?」

 駆け寄って声を掛けたら、広崎だった。

「……ポケット……に……」

「え……ポケットって、スカート?」

 広崎はうなずいた。僕はその時まで女子の制服のスカートにポケットがあることさえ知らなかったのだが、どうにかチャックを開けて手を突っ込んだ。

 指先に硬いものが触れた。

「これか? 出すぞ?」

 それは仁丹入れみたいな錠剤のケースだった。中身をひと粒出して手渡すと、広崎はそれを口に含んだ。丸めた舌の下に薬を置くしぐさに、僕はちょっとドキリとした。

「人、呼ぼうか?」

 ビビり半分にそう言うと、広崎の細い手が伸びてきて、僕の制服の胸元をきゅっと握った。

「よ、よし、じゃあここにいるから。えーと、その、だ、大丈夫だから」

 なにがどう大丈夫なのか、根拠もなくそう言うと、僕は開いた手を彼女の肩の上でふわふわと動かした。肩に手を添えて元気づけたほうがいいのか、それとも触っちゃいけないのか判断がつかなかったのだが、たぶんハタから見ると、どこぞの怪しい宗教のヒーリングの儀式みたいだったと思う。

 生死の境をさまよう彼女の横で、果てしなく長い時間が流れた――ような気がしていたが、おそらく一分も経たないうちに、広崎の呼吸は落ち着いた。

「……ありがと」

 広崎は薬を含んだまま、やや舌足らずの調子で言った。青ざめた顔に、血の気が戻ってきていた。それから僕の胸元を握り締めていた手に気づくと、パッと手を離し、立ち上がって髪を直しながら、顔をさらに赤らめる。

「急に発作が来たから、あわてちゃって」

 ――っていうと、持病のやつか。

 とは思ったものの、人の体のことを問い質すのもためらわれて、

「大丈夫か、広崎?」

 とだけ言うと、広崎は意外そうな、それでいてちょっとうれしそうな顔をした。

「長島君、私のこと、覚えててくれたんだ」

「え、だって同じクラスだし、それにおまえ、よく休むから目立つし……あ、悪い」

「いいよ、別に」

「……そういう広崎こそ、オレのことなんてよく知ってたな」

「だって、同じクラスだし。……それに、長島君も窓のほうよく見てるでしょ。それで」

「え? ……ああ、うん」

 僕はあいまいにうなずいた。

(ほんとは広崎のことを見てた)などとは、さすがに恥ずかしいので言えない。

 そのことに気づいていたのだろうか、どうだろうか。彼女は上目遣いにほほえんだ。

「長島君も、想像したりするの?」

「想像って?」

「あ、ごめん。いきなり言われても分からないよね。……あのね、私、よく想像するの」

 広崎は廊下の窓から外を指差した。三階のこの位置からは、野球部が練習をしているグラウンドを越えて、そこそこ遠くまで街が見渡せた。

「あの辺に、爆弾がおちてね」

「ばくだん?」

「そう、どかーん! って。それでね、街も人も吹き飛ばして、誰もいなくなった廃墟の上に、大きなキノコ雲が立つの」

「……怖いこと考えるんだな」

「え? ……うん、そうね。そうだね」

 広崎はそう言いながら、想像上のキノコ雲を見つめるように、目を細めた。

「でも、すごくきれいなんだよ……」

 窓の外はいつの間にか日が暮れかけて、夕焼けに染まっていた。

 僕は広崎の視線に沿って、その光景を想像した。

 夕焼けの街の上に怪獣のようににょっきりと立ち、金色の夕陽の照り返しを受ける、巨大なキノコ雲。それは終末的なありさまだったが、その反面、いやそれ故にか――

「確かに、きれいかもなあ……」

 僕がぽろりと呟くと、

「でしょ?」

 と言って、広崎はぱっと顔を輝かせた。

 ――それから一応、保健室まで広崎を送ったのだが、養護の先生が不在で鍵が掛かっていた。

 そこで、

「……じゃ、まあ、その辺まで」

 などと適当なことを言いながら、並んで帰った。それまで知らなかったのだが、自宅の方角もいっしょだった。

「……あのね、私、長島君とお話ししてみたかったんだ」と、広崎は言った。

「へえ、なんで」

 と、僕はどうでもいいような相づちを打ったが、内心かなりうれしい。

「さあ、なんとなく」

「なんだよそれ」

 ぜひともその辺の理由をお聞かせねがいたい。

「うーん、ええと、たぶんね……」

 広崎は考え考え、言葉を継いだ。

「私、運動とか止められてるから、あんまりお友達と遊んだことってなかったのね」

「あー」

「だから、同じくらいの歳の子と話すの、ちょっと苦手で」

「オレも〝同じくらいの歳の子〟だけど」

「うん、だけど……」

 広崎は僕の頭をちらりと見た。

「長島君って、なんだか〝お父さん〟っぽいから……」

 ――そんなにハゲてますか。

「……あっ」

 僕の内心の動揺が伝わってしまったのか、そこで会話が途切れた。

 すっかり薄暗くなった道を、無言で並んで歩く。

「……」

「……」

 順番から言うと僕が話を振らなきゃいけないような気がするのだが、当時から女の子と話すのは苦手だった。はっきり言って間がもたない。

 それでつい、僕は先ほどのことを持ち出した。

「あのさ、広崎……さっきの薬、あれ、なに?」

「え? ああ、これ?」

 広崎はスカートの腰をポンと叩いた。ポケットの中でカシャリと音がした。

「ニトログリセリン」

「え、ニトロ……って、ダイナマイトの原料だろ? そんなもん飲んで大丈夫なのか?」

「別に、爆発とかしないよ」

 と、広崎は笑った。意外とよく笑うんだな、と思った。

「心臓の薬。発作の時、心臓の血管を広げるんだって」

「へえ」

「知ってる? ニトロって、甘いんだよ。……まださっきの味が残ってる」

 そう言って、広崎は口元をむにゅむにゅさせ、それからふと立ち止まってこちらを見上げた。

「だから、今キスとかすると、きっと甘いよ」

「へえ……」

 で、その先の交差点でそれぞれの道に分かれてから、

 ――あれはたぶん「今キスしてもいいよ」ってことだよなあ!!

 と気がついた。しまった、惜しいことをした。

 それで、あわよくばもう一度チャンスをいただきたく、今度会ったらいったいなんて言おうか――と、あんまりがっついた感じでないカッコいい台詞などをひと晩寝ないで考えていたのだが、次の日学校で広崎に会うとなんということもなく普通に会釈されたので、蒸し返すのもヤボかと思って忘れることにした。

 まあ、その程度のことだ。

 僕としても、別に広崎のことばかりが気になっていたわけではない。受験とか進路とか、期末テストとか、深夜放送とかナイター中継とか、気に入った歌手のアルバムの発売日とかいった、その時々でもっと気を取られることがあったのだ。

 それからのちも、相変わらず広崎は教室から窓の外を眺めて(たぶん爆弾とキノコ雲を想像して)いたし、僕は僕で、そんな彼女をなんとはなしに眺めていた。目が合うと照れ隠しに笑い合ったりしたが、そこからなにか進展があったわけでもない。

 次の年度になると、別々のクラスになり、ときどき廊下ですれ違うくらいになった。

 高校を卒業してからは、一度も会っていない。



 ――というわけで、僕が今、この何者とも知れないアホの子を連れ回しているのは「あの時のチャンスよ、もう一度」ということなのかもしれないなあ。

 考えてみれば、なんとも浅ましいことである。

 そもそも、面白半分に若い子の気持ちをもてあそんだりしてはイケナイ。

 ――僕には辰美がいるんだし、君にもきっといい人が見つかるサ。

 などと無責任に大人ぶった台詞を考えつつ、まあ正直言うとちょっと面倒臭くなってきたのやら、こんなところでふらふらしてることが辰美に知れたらめちゃめちゃ怒られそうなのやらで、ちょっと早いけどそろそろ切り上げようかな、などと思い始めていると、

「ここ、意外とあっついですねえ」と、ピカリが言った。

「あー、景色はいいんだけどねえ。今日はあんまり風がないしねえ」

 じょわじょわと蝉の鳴き声。実際、高台から街を見下ろす公園のベンチは陽がカンカンに当たって殺人的に暑い。

 僕はひたいの汗をぬぐった。隣では、同様にピカリのこめかみに浮いた汗が、つうっとあごにたれ、落ちる。

 ドン!

 突然の爆風に、僕はベンチから転げ落ちた。

「な、なに? 今のなに?」

 泡を食って周りを見回していると、

「あ、すいません。今のはピカリちゃんです」

 と言ったピカリのあごから、さらにぽたぽたっと汗が落ちた。

 ド、ドン!

「ど、どうなってるの?」

「どうって、別に。爆弾ですから~」

 ピカリはひたいの汗を指先でぬぐって、なんの気なしにぴぴっと振り捨てる。

 ドドドン!

 汗の粒が、落ちた端から爆発し、腰ほどの高さの土煙を上げているのだ。

「あぶあぶ、あぶないから、それ!」

 どうも、汗がいけない。僕らはあわてて近所の喫茶店に飛び込んだ。

「ひゃ~、涼し~!」

 ピカリは冷たいおしぼりで顔を拭き、それから中年のおっさんのように耳やら首筋やらをぬぐい、挙げ句にセーラー服の上着の裾に手を突っ込んでわきの下をこすり始めた。

 下品だなあ、と思ったが、まあそれはいい。

「すいませェ~ん! この〝恋人同士のスイート・ジャンボパフェ〟!!」

 と、メニューを頭上で振って注文をするピカリに、僕はおそるおそる聞いた。

「……店の中で爆発したりしないよな?」

 すると、ピカリはこともなげに答えた。

「あんなの、爆発のうちに入りませんよう。ちょっぴり中のセイブンが出ちゃっただけで」

「成分って――」

 ピカリは僕の疑問をスルーして、胸元の文字盤をキュッキュッと拭きながら言う。

「ここからじゃなきゃ、ちゃんと起爆しません」

「〝起爆〟ね……」

 僕はようやくその言葉の意味をまじめに考え始めた。

 ピカリの文字盤の時刻は、十時半を過ぎている(けっこう進んだな……)。これが十二時の位置まで進むと、おそらくこの子は本当に――

 文字通り〝爆発〟するのだ。

 それを止める方法は? あるいは安全な距離を取ったほうがいいんだろうか? そもそも彼女自身はそれでいいのか?

 ――とにかく、この子の正体をもっとよく知ってからだ。

 そこで、ジャンボパフェをふたりでつつきながら、聞いてみた。

「キミって、そもそもなんなの? 自爆装置つきのロボットかなにか? そういや空から落ちてきたし」

「そんなまた」

 ピカリは顔を上げた。苦笑じみた表情だ。

「ロボットだなんて、マンガじゃあるまいし」

 ――どの口が言うか!

 思わず突っ込みかけるのを我慢していると、ピカリは言葉を続けた。

「ピカリちゃんの体はハイパーPNTで出来ているのです」

「ハイパー……なに?」

「簡単に言うと、全身コレ〝生きた爆薬〟なのです」

「爆薬って、ダイナマイトとかTNTとかみたいな?」

「そんなのぜんぜんレベルが違います。カクバクダンだって目じゃないです」

 ピカリはちょっぴり自慢げに胸をそらした。

「HPNTは正五胞体ベースの結合構造を持つ超次元化合物で、TNT火薬の一兆倍の威力があるのです。そりゃもう、スゴイんです」

「一兆倍って……ちょ、ちょっと待った。キミ、体重何キロ?」

「いやン、はずかしい」

「いやンじゃなくて」

 僕はテーブルに備えつけの紙ナプキンを一枚取り出した。

「……まあ仮に五十キロくらいとして」

 ナプキンに爪楊枝とチョコレートソースで「50」と書き、その後ろに「0」の代わりの点を十二個打つ。これで一兆倍だ。

「トンに直すと0が三つ減って、それからキロ、メガ、ギガ――『五十ギガトン』って、水爆でもそんなのないぞ!?」

「いやあ、それほどでも」

「ほめてないって!」

 僕は思わず立ち上がった。

「おまえが爆発したら、この辺の人、全部死んじゃうってことだぞ!?」

「えっと……この辺っていうか、関東地方はスッキリしちゃいますねえ」

「なにが『スッキリ』だよ。人の命の話だろ……!」

 シン……と、店内が静まり返った。みんな、大声を出した僕のことを見ている。

 しかし、今はそれどころじゃない。

 僕はピカリを見下ろした。ピカリはきょとんとした顔で僕を見返していたが、やがてうつむいて、口を尖らせた。

「命は命ですけどぉ」

 そう言って、ピカリはスプーンでパフェをつつきだした。

「……だってピカリちゃん、爆弾ですから」

 ――なんだ、この違和感。まるで妖怪かなにかと話してるみたいだ。

 こいつはなんなんだ。僕はこいつをどうしたらいいんだ。

「……分かったよ」

 僕はできる限り気を落ち着けながら、席に着いた。

「キミは爆弾で、爆発したがってて、それはたぶん、キミにとって大事なことなんだ。そうだよね?」

「はい」

 ピカリが顔を上げた。ちょっとうれしそうな、あくまで素直な表情だった。

 が――

「それ、人のいないところでできないの? 太平洋の真ん中とか、それとも宇宙とか」

 僕がそう言うと、その表情がすうっと曇った。

「だって……それじゃあ、トキメキがないっていうか……」

「だから、そのトキメキってなに」

「……手をつないで歩いたりとか……いちゃいちゃしたりとか……」

「そんなのひとりでやんなよ」

「ひとりじゃできませんよう。長島君がいなきゃ……」

「――オレは関係ないだろ」

 その時、バッ、とピカリが顔を上げた。

 なぜだか、両目に涙が溜まっている。

 あっ、ヤバ――

 ぽろぽろっ、と大粒の涙が落ちるのと、僕がソファの陰に伏せるのが同時。

 ドドン!

 先ほどの〝汗〟と同等か、それ以上の威力の爆発が起きた。

 テーブルは微塵に砕け、パフェが頭から降ってきた。巻き上がった埃の向こうに、ガラスが吹き飛んだ窓を乗り越えて駆け出すピカリの後ろ姿が見えた。



「おーい、ピカリー!」

 ほかにあてもなかったので、予備校と駅前通りの間を、名前を呼びながら何度も往復した。

 ――あんな、歩く危険物を野放しにしておくわけにはいかない。

 それもある。

 ――彼女の話が本当なら、説得でもなんでもして止めないと、何千万レベルの人間が死んでしまう。

 それもある。

 だが、理由はそれだけじゃない。

 先ほど、ピカリは僕のことを〝長島君〟と呼んだ。僕は名乗っていないのに。

 たまたま僕の前に現れたわけじゃなくて、最初から僕のことを知っていたのだ。

 つまり――



 再びピカリを見つけたのは、例の高台の公園だった。

 もう陽が落ちかけていて、展望コーナーの柵に寄り掛かる彼女の姿が、黒っぽいシルエットになっていた。

「あ、見つけてくれたんだあ。ちょっとドキドキ」

 先ほどのことなどなかったかのように、ピカリはうれしそうに振り向いた。

 キュルルルルッ――と、胸元にのぞく文字盤の針が進み、十二時十分前を指した。

「……ここ、いい景色ですよねえ」

 再び眼下の街に向き直りながら、ピカリは言った。

「すごい夕焼け……」

「おまえ……やっぱり広崎ひかりなのか?」

 と、僕は先ほどからの疑問を口にした。

 すると、

「ビミョーに違います、けどね」

 と、彼女はやっぱりよく分からない答えを返してきた。

 僕はかまわず言葉を続けた。

「……広崎、なんで爆発とか言うんだよ。それ、自殺ってことだろ? ……いや、この場合、無理心中か。なんで他人まで道連れにしたがるんだよ」

「うーん」

 彼女は首をかしげた。

「〝自殺〟とか〝道連れ〟とか、そういう感じじゃないんですけどね。死ねばいいわけじゃなくて、きれいに終わりたいっていうか……」

「同じだろ。死にたくない奴を無理矢理つき合わせるんだから」

「無理矢理……?」

 彼女は不思議そうに言った。

「そうなのかなあ。みんな、死にたくないのかな」

「……なに言ってんだよ。当たり前だろ」

「そうなのかなあ。ちょっと踏ん切りがつかないだけじゃないかしら」

「なに言って――」

「ねえ、想像してよ」

 彼女は目を細めた。夕陽に照らされたその横顔は、いつか見た広崎ひかりそのものだった。

「このごみごみした街も人も、その先のごちゃごちゃしたアレコレも、みんな一瞬で消し飛んで、あとは大きな、きれいなキノコ雲だけが残るの。そのほうがいいじゃない。長島君もそう思うでしょ?」

「なんで、オレが――」

「だって長島君、大人になんかなりたくない人でしょう?」

「な――」

 白い腕がすうっと伸びてきて、僕のシャツの胸元をそっとつかんだ。

「生きてるのって、すごくたいへんよね。先が見えなきゃ不安だし、かといって、見えちゃったらゼツボーだし、〝未来〟とか〝将来〟のことって、どっちにしても苦しいばっかりだよ」

「……なに言ってるんだよ、広崎……」

「だからみんな、目先のことに一生懸命になって忘れたふりをしてるけど、でも、ほんとはみんな思ってるよ――『誰かが終わらせてくれないかなあ』って」

 僕はその場から動けなかった。その細い腕が、どうしても振り払えなかった。

「……だから、あたしたちで終わらせちゃおう。未来なんかどかーんと吹き飛ばして、きらきらした現在だけを永遠にするの。みんな『そのほうがいい』ってよろこんでくれるよ。よろこぶひまもないけれど」

 まるで悪魔のささやきみたいに、彼女は言った。

 ……いや、違う。彼女は本当にそう思っている。本気で、僕や彼女自身や、その他のすべての人のためを思って、そう言っている。

 ――そしてそれは、たぶん、本当のことなのだ。

「広崎……」

 彼女の胸元の時計の秒針が、すごい勢いで回っていた。

 分針もまた、目に見えて動いていく。

 五分前――

 四分前――

「ドキドキの、クライマックスだよ」

 彼女が呟いた。そして、上を向いて、目を閉じた。

「きっと、甘ぁいよ……」

 三分前――

 二分前――

 するべきことは、分かっていた。

 彼女の頬を支えて、キスをする――それだけで、僕らの世界はきれいに終わる。

 一分前――

 僕には、拒む理由はない。

 それこそは、実は僕自身が望んでいたことだったから。

 そして――



「……あれ?」

 彼女は不思議そうな顔をした。

「なんで……?」

 僕自身、意外だった。

 なんでそうしなかったのか、自分でも分からない。

 時計の針は、十一時五十九分。

 チッ、チッ、チッ、チッ――

 秒針が、五十八秒と五十九秒の間を何度も往復している。

 チッ、

 チッ、

 チッ、

 チッ、

 チッ――

「……そっかあ」

 僕より先に、彼女のほうがなにかに気づいた。

 大きくひとつ息をついて、ほほえんだ。

「長島君の未来は、ほかの誰かのものなのね」

「え……」

「そっか、そっかあ……あたしはずっと長島君が好きだったのに、長島君はもう、ほかの人のことが好きなんだ……」

 彼女は僕から手を離し、三歩下がった。

「残念、時間切れ――バイバイ」

 そう言ってさびしそうに笑うと、ぽろぽろっと涙をこぼし、

 ポン――

 小さな破裂音を残して、消えた。

 すっかり日が暮れた公園に、僕はひとりで立っていた。

 眼下の街に、ぽつぽつと街灯の明かりが点り始めた。



 その日、広崎ひかりが長年の心臓の病で亡くなったとの連絡が、実家に届いた。

 ちょうど、僕らが例の公園にいた時刻だったらしい。



 その翌々日、予備校に出たら、いきなり辰美に後ろ頭をシバかれた。

「あんた、あれほど言ったのに、二日もなにしてたのよ!」

「ああ、うん。知り合いの葬式に行ってた」

「え……ごめん。それじゃしょうがないね」

 辰美は叩いた分を埋め合わせるように、僕の頭をしゃかしゃかとさすった。やめなさい、毛が抜ける。

「で、どういう関係のかたが亡くなったの? 親戚?」

「いや、高校の時のクラスメイトで、一回しかしゃべったことない女の子」

「赤の他人じゃん!」

 またシバかれた。

「……でも、形見をもらってきたよ」

 後ろ頭をさすりながら、僕は金色の懐中時計をポケットから取り出して、机の上にコトリと置いた。年季の入ったアンティーク風のそれは、もともとは広崎ひかりの早くに死んだ父親のもので、僕に受け取ってほしいとの遺言があったそうだ。

「へえ、値打ちモノ?」

「動かないけどね」

「なにそれ。バカにされてんじゃないの?」

「さあ」

 タバコをくわえる辰美を尻目に、僕はさっさと鞄から参考書を取り出し、机に広げだした。

「あら、なんだかやる気になってる?」

「まあね。人の死に触れて、限りある人生の尊さを知ったというか」

「またまたァ」

 僕は懐中時計をちらりと見た。

 時計の針は、十一時五十九分五十九秒で止まっている。

 彼女の時間は止まってしまったけれど、僕らの時間は今も、ゆっくりと流れている。

「あのさあ、辰美」

「なによ」

「オレ、将来ハゲるよ」

「なに言ってんの、今さら」

 辰美は僕の頭のてっぺんをぺちりと叩いた。


〈了〉