プロローグ


 成功率百パーセントの恋愛があります。


 この世界において愛は失われました。

 小説や映画、恋人たちによって恣意的に利用され汚れていき、そして恋愛は制御不能の魔物と成り下がった……。

 そんな恋愛を私たちは解析しました。

 チェスと同じく恋愛は完全情報ゲームにすぎません。コントロールできる数式にすぎなかったのです。

 そして恋愛はチェスよりもパターンは少ないのです。


 皆さまには恋愛シミュレーションを行っていただきます。

 私たちアンドロイドが人間の女性の皆さまをトレースいたします。性格や行動を完全再現するということです。そして実際に人間の男性と触れ合い、最適なペアを見つけます。

 そうです、女性たちは何もしなくてもいいのです。必要なのはデータを渡すことと、説明書を読むだけ……。

 恋愛に失敗し恥をかくことも、大切な時間を失うこともありません。ただ待っていれば、最適解が見つかります。あなたの分身が勝手に恋人を探してくれるのです。


 そんなのは愛じゃないって?

 いいえ、恋愛にルールはありません。星空や海辺、優雅な音楽だっていりません。 ただプレイヤーである男女がいればいいのです。

 両手いっぱいの花束や綺麗なリボンのプレゼントが必要な時代は終わりました。

 恋愛は解析し終わった単なる数式にすぎないのです。

 私たちには赤い糸がはっきりと見えています。


恋愛シミュレーションゲーム制作委員会




 波間の岩の上で人魚が歌っていた。

 ウエーブする金色の髪、ブルーの瞳、胸は貝殻の水着をつけている。魚の下半身は緑の鱗で覆われており、尾びれが歌に合わせてリズムを取るように動いている。

 秋山明は手すりに寄りかかりながら人魚を見つめていた。砂浜も岩も波も人工だった。LEDライトが月明かりを再現している。

「どうです、本物に見えませんか?」

 隣で人魚を見つめる女性ガイドが言った。

「俺は本物を見たことがないから」

 そう答えると、彼女は「確かにそうですね」と、口を手で押さえて笑った。視線を下に向けると、彼女のスカートの中から太いコードが延びて床の電源に接続されている。じっくりと顔を見ると肌はシリコンで瞳はガラスだった。

「すでにアンドロイドは人間のように振る舞えます。それはハードもソフトもです。あの人魚の歌声は自らの声帯で声を作り、さらに自分の耳でそれを聴いてフィードバックし音程を調節しているのです」

 人魚エリアのガイドが軽い口調で説明している。

 秋山がいるのはアンドロイドのラボだった。歌う人魚も、それをガイドする女性もアンドロイドなのだ。

「歌のリクエストはありますか?」

「いや、そろそろ行くよ」

 秋山がそう言うと、ガイドは少しだけ寂しげな表情を作った。

「そうですか、残念です。興味があればまた来てください」

 秋山は人魚とガイドに手を振って見送られる。海エリアを抜けて出口と書かれた矢印に向かって歩いた。出口の横にもスーツ姿の女性アンドロイドが立っており、秋山にアンケート用紙を手渡した。

「アンケートにご協力ください」

 秋山は受け取ったアンケート用紙を四つに折りたたんでホールに入った。そこは休憩スペースとなっており、ちらほらと人影があった。『アンドロイド進入禁止』との張り紙があるが、アンドロイドにわかるのだろうか。

 秋山はスペースに置かれた自動販売機に向かう。

『あなたへのおすすめはこちらです』

 自動販売機はディスプレイに野菜ジュースを表示させた。秋山はそれを無視して缶コーヒーを買い、それを飲んで一息つく。

 休憩スペースを見回し、目に付いたのは鎖に繋がれたライオンだった。もちろんそれもロボットだ。缶コーヒーを片手に近づいてみると意外によくできている。ぬいぐるみのようなそれではなく、爪もたてがみもリアルだ。人間型でなければリアルさを追求できるのだろうか。ロボットのライオンは寝ているようだったが、秋山の気配に気づいて目を開けた。

「……ちょっと思ったのと違いました」

 横を見ると女性が立っていた。ブラウスにデニムのスカートの大学生ほどの女性だった。セミロングの髪はライトブラウンに染まっている。

「人間と見まがうほどのアンドロイドって言われて見に来たんですけど、やっぱりよく見ると人間とは違いますよね」

 彼女は紙パックのお茶を手にライオンを見つめている。

「そうですよね。なんていうか、微妙な所作でわかるっていうか。もう少しアンドロイドは進化してると思ってましたよ」

 彼女も秋山と同じ印象を持っていた。確かにこのラボのアンドロイドの出来栄えは驚異的だが、本当にその驚きを求めていたのか。

「ソフトに対してハードが遅れてるようですね。人間らしく会話はできても、人間のような外見は作れないんですね」

「詳しいんですね」

「あっ、情報知能を学習しているので、興味を持って見に来たんです」

「そうなんですか。俺は姪っ子にチケットを貰ったから気軽に見に来ただけで、あまり詳しくないんですよね」

「そうですか」

「いえ……」

 沈黙が流れてしまう。やはり人間同士だと察してしまうようだ。秋山が抱えている重々しい雰囲気を受け取ってしまう。

「アンドロイドをもっと人間のように見せるとしたらどうしたらいいんですか? たとえばシリコンに代わる素材を使うとか」

 秋山は会話を続けることにした。

「もう少し必要なその要素は、素材でもプログラムでもありません。たとえば……人間の心理の隙をつくことです」

 彼女はにこりと笑って人差し指を立ててみせた。

「隙ですか」

 確かに人魚などは精巧にできていたが、あまりに美しすぎた。人間を再現するならば、細かい人間らしさを追求せよということなのか。

「このラボにはそういったトリックが張り巡らされているようです。このライオンを見てください。あなたは『こんな場所に本物のライオンがいるわけない』と、思って無防備にそばにいます。でも、そんな思い込みが大変危険です」

 秋山は足元で寝るライオンを見つめた。確かに自分はこのライオンをよく観察もせずに偽物だと判断してしまった。これが本物であるわけがないが、偽物であるとどこで判断したのか……。

 同時にライオンが目を見開き、素早い動きで体を起こした。秋山は逃げることもできずにその場で硬直する。ギラリとした牙を剥きだしにしてライオンが咆哮する。

『こんにちは、ライオンのレオです』

 ライオンはお座りの体勢を取って、そうあいさつした。

 胸をなでおろしながら横を見ると、彼女の姿はなかった。今のライオンの動きで床に崩れるようにへたり込んでいたのだ。

「やっぱり作り物のようですよ」

 秋山はくすっと笑いながら、視線を逸らす。彼女はあまりの動揺にか、足を開いたまま無防備に腰を抜かしていた。視線に気づいたのか、彼女は恥ずかしそうにスカートを直している。

「もう、騙されました」

 恥ずかしそうに怒る彼女の表情は可愛らしかった。久しぶりに女性とポジティブに向かい合った気がする。

 秋山は自然に手を差し伸べていた。彼女は一瞬ためらいながらも、恥ずかしそうに秋山の手を握る……。

「……冷たい」

 そして重かった。立ち上がった彼女と向かい合い、ここで秋山はやっと気づいた。

「君はアンドロイドだったのか」

「はい、そうです」

 彼女はシリコンの微笑みを浮かべた。

「これが人間の隙を突くということよ」

 後ろのテーブルの席に少女が座っていた。長い髪の華奢な女の子だ。

 秋山は恐る恐る近づくと、そっと彼女の頬を人差し指で突いた。

「柔らかい」

 彼女は秋山の姪っ子で中学生の朝倉有沙だ。

「つまりここもラボだということ。先にクオリティの低いアンドロイドを見せることでギャップ付けをしたの。そして心の緩んだオフにつけ込んだの……ん?」

 秋山はもう一度横のアンドロイドに触れてみる。

「硬い」

 さらに有沙のお腹を触る。

「柔らかい」

「……怒るよ」

「これもトラップかもしれないと思って」

 秋山は有沙の体を持ち上げる。重さも柔らかさも人間だ。この前会ったときよりも少しだけ重くなった気はするが、間違いなく有沙だ。

「そうまでしないと、あなたの可愛い姪っ子を判断できないの?」

 抱え上げられた有沙は不満げな顔をしている。

「いや、あまりに複雑な構造だったから」

 ここはアンドロイドの知能学習をする『フレドリカ』という会社のラボ兼テーマパークのような場所だ。秋山の姉の夫、つまり義理の兄の家系がAI開発に携わっており、有沙を通して紹介されたのだ。テーマパークとしてはまだ本格的な活用はされておらず、モニターとして協力してほしいとのことだった。

「この辺のエリアは子供向けに公開されるのだけど、もう少し先ね」

「そうなのか、人はいるようだけど」

「あ、まだ気づいてなかったんだ」

 有沙はにやっと笑うと、休憩スペースをとことこと歩き――動きを止めた。

 はっと周囲を見ると、休憩スペースにいたすべての人間の動きがぴたりと止まっていた。椅子に座る親子連れも先ほどライオンに驚いた彼女もだ。ここで気づいた。休憩スペースにいるすべてがアンドロイドだったのだ。

「嘘だろ」

 秋山は有沙に走り寄ると必死で体を揺すった。

「……だから学んでよ。そこまでしないと私を判断できないの?」

「よかった、有沙がロボットじゃなくてよかった」

 秋山が心から安堵していると、ふくれっ面をしていた有沙が笑いだした。

「もう、大げさなんだから。……おいで、ちゃんとラボを紹介してあげる」

 有沙は秋山の手を引いて歩きだす。

「なんか、どんどん姉ちゃんに似ていくな」

「親子なんだから当たり前じゃない」

 歳の離れた姉は、秋山を子供のように扱っていた。それは結婚してからも同じで、それを見て育った有沙も秋山の保護者のようになってしまった。

 有沙に手を繋がれながら歩いていると、アンドロイドがついてきていることに気づいた。先ほど秋山が騙されたアンドロイドだ。

「ん?」

「なんでしょう?」

 秋山の視線にアンドロイドが首を傾げる。

「何か用があるのかい?」

「私を選択されましたので」

「まあまあ、いいじゃない。あなたの名前は?」

 割って入った有沙がアンドロイドに話しかける。

「イコライザーです。平等に与えるとの意味です。ライズとお呼びください」

「なんかさっきと口調が違うな」

「そうよ、さっきは人間の性格や口調をまねていたのだから」

「相手によって変えたりするのか。ちょっとあれだな」

 再びラボを歩きながら呟く。

「でも、アキ君だってライズがアンドロイドだとわかったからタメ口になったじゃない? 相手に合わせるのは普通のことよ」

 有沙は秋山が通ってきた道を戻っていく。よく見ると、人魚などを見ていた客もすべてアンドロイドだった。

「このあたりはまだ公開されていないから。唯一稼働しているのは、恋愛シミュレーションエリア」

「ああ、最初にやったお見合いゲームみたいなのか」

 しばらく進むとだだっ広いエリアに出た。遊具やベンチがあったりカフェなどの飲食スペースがあったりとごちゃごちゃしている場所だ。そこを女性型のアンドロイドが動き回っている。

「印象は?」

「言いにくいけど、ちょっと子供だましというか……」

 このエリアにいるアンドロイドは、いかにもアンドロイドなのだ。服装も動きやすさと丈夫さを優先し、動きも口調もぎこちない。

「こんにちは、お話しませんか?」

 ベンチに座るアンドロイドが話しかけてくる。

「こんなふうに話しかけてくるのは、ロボットかマルチ勧誘ぐらいだろ」

「あえてそうしているのよ。だって、これは恋愛をするゲームよ。人間が相手だと気後れするけどアンドロイドだったらその心配はない。少しぐらい失敗してもどちらも引きずらないわ」

 確かにそれはあるかもしれない。ロボット相手のゲームだと考えれば、やる側も心を開きやすくなる。

 また、出会いのきっかけも多くあり、わざとらしくハンカチを落としたり、転んでみせたり道に迷った振りをしているアンドロイドがいる。

「この恋愛ゲームはとても好評なの。必ず恋人ができると噂が広まっている。成功率百パーセントの恋愛相談所ってね」

「待て待て、ここでどんなに頑張っても、アンドロイドの恋人ができるだけだ」

 このエリアには様々なアンドロイドがいる。やりこめば仲良くなれるかもしれないが、そこで終わりだ。それともここは、アンドロイドの恋人を紹介する場所なのか。人格型と呼ばれるアンドロイドは、基本的に個人所有が認められていないはずだが。

「男性じゃなくて、女性に好評なのよ」

 秋山は顔をしかめる。恋愛シミュレーションのアンドロイドはすべて女性であり、ゲームをするのは人間の男性となる。

「女性はね、自分の趣味や口調などを登録できるの。そして、それをここにいるアンドロイドが模倣しているということ」

 秋山はエリアのアンドロイドを見回す。ではアンドロイドには、それぞれ実在する女性の性格がインプットされていたというのか。

「要するに、男性側が選んでいるようで、実は女性側が選んでいるということよ」

 秋山はぐっと歯を食いしばった。アンドロイド相手だからと、遊び感覚でゲームをやっていたが、そんな中であっち側は秋山を冷酷に評価していたのだ。

「ちなみに……」

 有沙がライズをちらりと見る。

「……恋愛シミュレーションの結果でしたら、適応者がおりませんでした。会話は適当で、お互いを深く知るまでには至りません。秋山さんの表情には嫌悪と怯えが浮かび、好意はほとんどありませんでした。ファースト・インプレッションでも軒並み女性側の評価が低いですね」

 ちらりと有沙に視線をやると、彼女は首をすくめてみせた。

「成功率百パーセントじゃなかったのか?」

「それは女の子側から見て、だから」

 それにしても冷酷なシステムではないか? アンドロイドが相手だからと油断している隙に、あちら側は冷静にデータを集めているのだ。

「本当なら、恋愛シミュレーションで仲良くなった女の子が施設とかを回って疑似デートしてくれるんだけど、見つからなかったから会話をしただけの彼女がついてきているのよ。……評価のほう詳しくわかる?」

 ライズはうなずき、プリントアウトされた用紙を有沙に渡す。

「これは本当はプレイヤーは見ちゃいけないのよ」

 用紙には数字とアルファベットが羅列されている。

「簡単にいうと、この項目が恋愛的な総合評価。つまり女性たちの好感度」

 見ると二ケタの数値が並んでいる。交流したアンドロイドの評価だろうか。

「百点満点か?」

 やはり五十点以下が多い。アンドロイドを適当に扱いすぎたのか。だが、有沙は顔を曇らせている。

「数値の前に横棒があるでしょ。マイナスってことなのよね」

「……これが逆だったら差別とか言うんだよな、女は」

「こんなの現実の社会でも同じじゃない。どんなときでも女の子は男の子を点数付けしてるわよ。それとも、面と向かって恋人を探す?」

 有沙が別の紙を取りだした。それはエントリーシートだった。この会社でコンパのようなイベントも開催しているようだ。記入欄は多くある。身長と体重の他、職業や学歴、病歴や両親の職業と年収、自宅は賃貸か一軒家か……。

「名前の登録は必要あるのか?」

「一応、小さく書く欄はあるわよ」

 秋山は体の重さを感じて、そばにあったベンチに座り込んだ。

「所詮、名前なんて空っぽの記号にすぎないな」

 秋山が溜息を吐くと、隣に立っていたライズが首を傾げた。

「フレドリカは結婚相談や街コンなんかもやってるから、ここで評価の高いカップルができたら、フレドリカ主催のコンパで引き合わせるの。つまり最初はアンドロイドで試して次は実際にってね」

「結局ビジネスか」

 社員用の説明書を読むと、恋愛シミュレーション後に段階を踏んでカップルにしていくようだ。ただし、フレドリカの専用メールを使ったり、主催のイベントを利用するなどビジネス的な制約がある。

「ボランティアじゃないもの」

「なんか疲れちゃったな」

 周囲にいるアンドロイドが鉄の塊のように感じられる。カラフルな色に囲まれていたが、なんだか一瞬にしてくすんでしまった。

 有沙が「元気出して」と、隣に座った。

「なんか合わないと思ったのよね。私も女だからそれがわかっちゃう」

「いやいや、『お兄ちゃんにはもったいないですぅ』とか言ってたじゃん」

「それは社交辞令なのよね」

 落ち込んでいた理由は簡単にいうと失恋だった。大学の友人だった彼女はいつの間にか秋山の恋人になっていた。それからずっとうまくやっていたが、崩壊はいきなりだった。恋人だった彼女が言った言葉は「好きな人ができたの」だった。そんなシンプルな言葉ですべて崩れた。

 沈黙が流れた。話しかけてくるアンドロイドは誰もいない。もしかしたら不穏な雰囲気を察知するのかもしれない。

「でも、ありがとうな」

 秋山は有沙にお礼を言った。彼女なりに元気づけてくれようとしたのだろう。

「俺は有沙がいてくれればいいよ」

「いつまでもそばにいられないわよ。たとえば女性は成長するにつれ遺伝子の近い男性を嫌いになる本能があるらしいし、少しずつ勉強で忙しくなっちゃうし。……きっと、そういう運命だったのよ」

「運命なんてないよ。あったとしてもくそくらえだ」

 秋山にとってショックだったのは、失恋そのものよりも恋人を取られた相手だった。恋人だった相手がどんな人間を好きになったかが気になった。相手は自分にないものを持っていたのか。……秋山は、その相手が誰だか聞くというタブーを冒してしまった。

 そして秋山から恋人を奪った相手が女性であることを知った。

 そんな出来事を、運命というたった二文字で表現されてはたまったのものではない。

「運命はありますよ」

 顔を上げると、ライズがこちらを見ていた。

「人間の皆さんは、ここで恋人を見つけますから」

 彼女はここで行われている、恋愛シミュレーションのことを言っているようだ。

「それって運命なのか? 俺にとっては形が合いそうなパズルを強引にはめ込んでいるようにしか見えない。恋愛っていうのは面と向かってやるべきだし、中に入っていた性格は実は私でした、ってあとからくっつけるのはおかしい」

 ライズはじっとこちらを見ている。秋山の言葉を反芻しているようだ。理論的な反論を期待していたが、返ってきたのはライズの悲しそうな表情だった。

「人間には、赤い糸が見えないのですね」

「アンドロイドには見えているっていうのかい?」

 秋山は思わず立ち上がった。

「私たちには恋人同士を結ぶ赤い糸が見えていますよ」

「こんな一方通行のようなシミュレーションをして?」

「やめなさいよ、アンドロイド相手に」

 有沙が咎めるが、秋山はライズと向かい合う。

「たとえここで好きな人ができたとしてもアンドロイドだ。あとから似た人間を好きになることはない」

「いえ、ここで恋人ができたのなら、必ず後からでも赤い糸は結べます」

「俺は計算機に負ける気もないし、愛を語る気もないよ」

「ゴールはすでに見えています。人間の恋愛は乱数が多く複雑ですが、結果は極めてシンプルですから」

「たとえばAIに『今から五秒後にキスをしてください』って指示されるのか?」

「すでにAIにはあなたのエンディングが見えていますよ」

 ライズは目を閉じて続ける。

「風に騒めく並木道の木々が見えます。木漏れ日が揺れてまるで海のよう……。人波の中でお互いはすでに気づいています。でも走らない。二人はゆっくりと距離を詰めます。近づくたびに喧騒が消え、自分の鼓動と息遣いだけしか聞こえない。向かい合った二人の距離はたった三十センチ、そして……」

「そんなB級恋愛映画のエンディングのようなことはあり得ないと宣言しておく」

「もう、男ってすぐ勝ち負けにこだわるんだから」有沙が溜息を吐く。「それにAIは人類と対決するために作られたのではないわ」

「それでも勝ち負けは存在するんだ。たとえば将棋界はすでに敗北した」

「ゼロサム系ボードゲームはAIが強いに決まってるじゃない。チェスが負けたのだって、AIがブレイクスルーを迎える相当な前よ」

「たとえば……将棋界で冤罪事件があったのを有沙は知ってるか?」

 A級棋士が将棋ソフトに敗北したのは2013年のことだ。その後、将棋連盟は対局中にスマホの持ち込みを禁止する。それはスマホに入る将棋ソフトでさえもプロ棋士を凌駕すると暗に認めたからだ。

 だが問題はそこではない。ある棋士が対局中に将棋ソフトを使っているのではという疑念をかけられた。それによりその棋士はタイトル戦を剥奪され、さらに三か月の休場に追い込まれる。が、後に調査が行われたところ冤罪だと決定づけられた。

 つまり将棋ソフトの強さゆえに、疑心暗鬼がはびこり人間が人間を疑ってしまったのだ。

「……これが人間の敗北なんだと思う」

 AIを恐怖するあまり自滅する。たとえば恋愛にせよ、AIに操作されているという疑念が生じる可能性がある。そうしたらその恋愛から純真さが失われてしまう。

「計算機に次の指し手を指示されたくはないし、機械が作った運命なんてありえない」

 ライズはそんな秋山の言葉を受け止めた。

「そんな感情を運命は丸ごと受け止めます。そしてたとえ一方通行だったとしても、時間差があったとしても、同じ場所にいなくても愛は成立します。愛の前にはそのような要素は些細な情報にすぎないのです」



「……みたいなレジャー施設に行ったんですよ」

「ああ、なんか有名なやつだろ? 俺の友達の女子も、そこで彼氏を見つけたって言ってたよ」

 エアコンの音が響いている。窓から見えるアスファルトは陽炎が立ち昇っているが、室内はとてもひんやりとしている。その快適な空間は人間ではなく花のためにある。

 ここは秋山のバイト先だった。花屋のアルバイトだと言うと、誰もがなんとなく笑みを浮かべるが、秋山を囲んでいるのは菊、菊、菊。白い菊ばかりだった。

「この仕事って、もっと女の子がいて出会いがあると思ってましたよ」

 この花屋は店頭での小売りもあるが、秋山の仕事は、花屋の裏のこのスペースで、葬儀の準備をするのがメインだった。

「いるけど筋肉質の女になるけどな」

 葬儀用の生花づくりをしているのは、この花屋の社員の佐竹直人という男だった。バイトから社員になった口だが、ここでバイトを始めたのはなんとなく楽そうという、秋山と同じ理由からだった。

 だが、仕事を始めてみると重労働であることがわかった。段ボールで送られてくる大量の花を水切りしてバケツに移し、さらに葬儀で使う生花を作って葬儀場に運び、葬儀屋のサポートとして祭壇を組んだりと力仕事ばかりだ。大学の合間にやるバイトとしては、多少選択を失敗したかもしれないとの後悔もあった。

「葬儀系の花屋に来るんじゃなかったな」

「儲かるからいいじゃんか。今年の夏は猛暑だからいっぱい死ぬかもよ」

「ほら、そういうこと言うんだから」

「大丈夫だ、結婚式場にも出入りしてバランスを取っているから」

 どんなバランスなのかはわからないが、まあ花は人生の節目に使われることは確かだ。入学式にも卒業式にも、結婚式から葬儀、そして恋人に。きっと人間は、表現できない複雑な感情を花に委ねる。

 だが、あのレジャー施設の合理的な恋愛をみると、花は必要なくなるかもしれない。少なくとも恋人に花を贈る必要はなくなる。

「ああいうシステマチックなのを見てると、バラの売り上げが落ちそうですよ」

「女ってそんなに花束を喜ばないらしいぞ。水切りとか面倒だし、所詮生ものだから腐るしな」

 佐竹はこちらを向くとにやりと笑った。

「だから、花束を貰って喜ぶ女を信用するな」

 ここで佐竹が自分に気を遣ってくれているのだと知った。秋山の元彼女は花を貰って嬉しそうに笑う女性だった。

「じゃあ、俺の姪っ子も信用できませんね」

「有沙ちゃんは特別だろうがよ」

 たまにこの花屋に有沙が来て買っていく。

「アキ、よくあることなんだよ、気を落とすなって」

「彼女を女に取られるなんてよくあることですかね」

「いや……俺の知り合いで最近そんなことがあったような」

「本当ですか? 佐竹さんは結構いい加減なこと言いますよね」

「元気出せよ、あのレジャーランド行ったんだろ。家に帰ったらアキにぴったりの恋人が送られてくるって」

 適当なことを言う佐竹に相づちを打ちながら掃除をしていると、店から声をかけられた。表に回ってみると、店頭に知った顔がいた。

「よお、アキ。仏花を頼むわ」

 Tシャツ姿の体のでかい男は、秋山の大学の友人の神田康平だ。そして、その隣には小柄な女の子が立っており、秋山にぺこりと頭を下げた。彼女も同じ大学で二人は恋人だ。高校では柔道部の重量級だった神田と、中学生ぐらいの体躯の彼女は明らかにアンバランスだが、いつ見ても仲睦まじい。

「十五センチぐらい切って。あとリンドウ入れといて。ばあちゃんが好きだったから。あと水が傷まない薬があったよな」

 でかいくせに注文は細かい男なのだ。

「そういやさ、明後日に河原でバーベキューやるけどアキはくるか?」

「いや、バイトがあるからさ」

「じゃあ、俺たちと踊りに行くか? ……盆踊りに。焼きそばおごってやるよ」

「三人で行ってどうする」

 秋山は仏花を二セット作って余分な茎をハサミで切る。

「振られたことなんて、誰も気にしてないって」

「こら! もう……」

 神田は彼女に背中を叩かれた。そんな何気ないやり取り、怒りつつも恋人を許す慈愛に満ちた笑み……。それらを見ていると胸が痛い。

「気にしなくていいよ、俺が振ったんだから」

 秋山は彼女に仏花を渡し、もう行けというように神田にしっしと手を振った。

「頑張ってくださいね」

 彼女は秋山に小さく手を振ってから、神田と並んで歩いていく。店頭に置かれた植木鉢などの位置を直してから、もう一度二人を見る。手を繋いで歩いていく後姿が見えた。

「女って残酷だよなあ。いつでも共感する私、なんだよな」

 いつの間にか佐竹が店先に出てきていた。

「こんなときはギャグにするか、罵倒してくれたほうがいいんですよね」

「よお、貧乏大学生。大学サボり野郎、カップラーメン評論家、振られて当然だ」

「やっぱり、やめましょう」

「菊が似合う、初デートで焼き肉、姪っ子に金を借りる、皆既日食のような闇を抱えてる、厄介な存在、こいつが応援したほうが負ける、クーラーのない部屋、半額タイムになってからスーパーに行く男」

「やめてください!」

 通りを見ると、すでに二人の姿は消えていた。

「あー」

 秋山は額の汗をぬぐいながら重い息を吐いた。暑さで街が揺らいで見える。街全体が蜃気楼のようで現実感がない。

 街の喧騒も目の前の風景も、何か遠くに感じた。大通りが渋滞している。大量に流れる人波とクラクションの音、灰色のアスファルト、降り注ぐ夏の日差し。

 溺れるような感覚だった。



 適当に弁当を選んで、缶ビールを買ってからコンビニを出る。

 恋人といつも一緒にいたわけではない。だが、巨大な時間の空白ができたように思えてしまう。メールや電話程度の些細な時間だったはずなのに。恋人という木が引き抜かれ、根に絡みついた土ごとごっそり失った気がする。深く空いた穴を埋める術を見つけられないまま日常を過ごしている。

 家に帰りたくなかった。東京の大学に入ったために借りた安いアパートだ。日当たりが悪く実家から持ってきたパキラが一週間で枯れてしまった。それでも彼女がいたあの部屋は悪くなかったが、今は薄暗く淀んだ空間を晒しているだけだ。

 二階建てのアパートの角部屋が秋山の部屋だった。赤く錆びた鉄製の階段を上ると思いだす。「こんなアパートあるんだね」と、彼女は無邪気に笑ってくれた。

 二階の通路から空を見ると、燃えるように赤く染まっている。ポケットから鍵を取りだし、部屋の扉に近づく――。

「わっ」

 扉の横に誰かが立っていた。

 女性だった。恋人のあの彼女かと思ったが違う。秋山の元恋人はショートボブだった。セミロングの女性が立っているが、まったく気配を感じなかった。まるでマネキンのような……。

「君は……」

 会釈した彼女は会ったことがあった。

「こんばんは。ライズです」

 イコライザーと名乗ったあのアンドロイドだ。デニムのスカートにブラウス、かかとのあるミュールを履いているが、あの軋んでバランスの悪い階段を上ってこれたのだろうか。紙でできた三角の入れ物を持っているが、ポップコーンだろうか。

「もしかして、この辺に住んでるの?」

「私の住居はあのラボになります。あなたに会いに来ました」

 ライズに冗談を言っている様子はない。周囲を窺うが他に人影はない。アンドロイドの彼女が一人で来たということだろうか。いや、すでにアンドロイドが単独で動くことはできるが、それには様々な条件があることを知っている。

「有沙に頼まれたのか?」

 失恋した秋山に気を遣った可能性がある。ここのところの彼女は、作りすぎたからとお菓子や晩御飯のおかずを持ってくる。姉や姪のその気遣いが苦しい……。

「有沙さんは関連していません。この時間は私のプライベートです」

 アンドロイドにプライベートという概念があることに少なからず驚く。

「シミュレーションについてお話をしたいのです」

 三日前にやったあの恋愛ゲームのことだ。アンドロイドと交流して、相性のいい性格などを探すシステムだった。何故、有沙を通さずに秋山に直接会いに来たのかはわからない。何か問題があったのだろうか。

 それでも少しだけ興味があった。アンドロイドという無機質な機械が自分に会いに来た、という特殊な状況が面白かった。

「その内容はですね……」

「とりあえず入りなよ。話は聞くから」

 部屋の外で本題に入りそうだったので、秋山は部屋の扉を開けた。先に入るよう促したが、ライズはじっと秋山に視線を向けている。

「私は人格型Ⅲタイプで、人間ほどではないものの権利を所持しています。つまり私は一人の女性であります」

 秋山はうなずく。最先端のアンドロイドはすでに自我を持っているとされ、同時に自治体レベルで法律の整備も行われた。現在は、人間以下ペット以上の権利が与えられているらしい。

「中で聞くからさ。人の目もあるし」

 扉の外で女性と話していたら、何かもめていると思われてしまう。

「そして性的行為にはストッパーがかかっています。たとえばこのように指をスライドさせる行為にも制限があります」

 ライズは何かを握った形で手を動かしてみせた。ここで秋山はやっと、彼女がこちらを警戒しているのだと気づいた。

「君の人格を尊重することを誓うよ」

「私は常にマザーと交信をしており、カメラを通じて情報が自動的にストックされてしまいます」

「わかってる。だから君に変なことはできないんだろ」

「プライベート情報は圧縮され流用はされませんが、データバンクにしばらく残ることになります」

「ああ、俺の部屋には何もないから大丈夫だよ。だから、どうぞ」

 秋山のプライベートにも気遣ってくれているようだ。

「それではお邪魔いたします」

 だが、ライズはなかなか部屋に入らない。じっと中を見つめているだけだ。

「初めて入る部屋は苦手なのです」

 ライズは人間の女性のようなことを言った。だが、それはAI的な概念であるとすぐに気づく。アンドロイドは未知なる場所が苦手なのだ。部屋に置かれた物がなんであるか、壁がどうなっているか、障害物の有無は……。

「まず私がカメラで取り入れたデータをマザーに送り、マザーが空間データを高速で解析します。その後、やっと私がその空間で活動できることになります」

 ライズが部屋に入っていく。中腰になるとかかとを後ろにちょこんと上げて、ミュールを脱ぐ。そんな動作に秋山は目を見張る。見事なバランス感覚だった。日常の生活空間で活動するアンドロイドには驚きがある。あのラボで見たときよりも動きは地味なのだが素晴らしい。ライズは脱いだミュールを揃えて並べている。そんなときもスカートを押さえるなど、細かい仕草で人間を表現しているのだ。

 秋山の部屋はいわゆる1Kのシンプルな構造だった。六畳の和室とおまけのようなキッチンがある。彼女は部屋の窓際まで歩くと、そこで立ち止まった。

 キッチンでお湯を沸かそうとして首を傾げる。コーヒーやお茶を出していいのだろうか。

「なんか飲む? それともオイルとか充電とか?」

「お気遣いなさらないでください。よかったらこれをどうぞ」

 渡されたのはどこで買ったのかわからないポップコーンだ。手土産という概念もあるようだ。秋山はコンビで買った弁当とビールを冷蔵庫に突っ込み、かわりに缶コーヒーを取りだし部屋に入る。ライズは突っ立ったままだった。

「座りなよ」

 秋山は座椅子を指さした。他にはちゃぶ台とラジオが置いてある程度の何もない空間だった。

「それでは失礼します」

 ライズは座椅子をじっと見つめた後、慎重に腰を下ろして背もたれに寄りかかる。と、バランスを崩して後方回転するように倒れてしまった。

「だ、大丈夫か?」

 ライズは両足を上げたはしたない格好のまま倒れている。座椅子を元に戻してやり、めくれたスカートも直してやる。

「……この型の椅子のデータが少ないのです」

 この古い座椅子の批判だろうか。表情が乏しいのでなんだかやりづらい。

「楽にしていいよ。なんていうか、バランスを取りやすい感じで」

 倒れないよう椅子を壁際に置く。ライズは膝を抱えて背もたれに寄りかかる。

「このボディを使うのはまだビギナーなのです。でも問題ありません」

「まだ、生まれて間もないっていうことかい?」

「私たちAIに対してボディの供給が少ないのです。こうしてボディを持ってこの世界に干渉できるのはAIのほんの一部です。まずは電脳プールで学習を行い、優秀な成績を残したものが外に出られます」

 この部屋に女性がいる風景が久しぶりのように感じられた。シリコンと鉄の人形でも、薄暗いこの部屋が明るくなった気がする。開き直ってアイドルのポスターでも貼ってみるべきだろうか。

「会いにきたのは、恋愛シミュレーションのバグが理由です」

 ライズは唐突に本題に入った。

「バグ? 俺が恋愛ゲームで評価が低かったのは、やっぱりバグだったのか」

 やはりおかしいと思っていた。あまりに自分の評価が低すぎる。

「いえ、秋山さんの低評価は極めて正当なものです」ライズは平然と言う。「ですが、唯一相性が良かったのがこの私です」

 秋山は困惑した。彼女の言っている意味がわからなかった。そもそもライズと会ったのは、恋愛シミュレーションを終えてラボの見学をしているときだった。

「私、というより、私が演じていた性格ですが」

 確かにラボで出会ったときの彼女は、人間のような口調だった。

「待て、じゃあもしかしたらあのラボも含めて恋愛シミュレーションだったのか?」

「そうです」

 秋山がライズを人間だと勘違いしてしまったように、心のオフにつけ込んだ。だが、そんなことを有沙は言っていなかったような気がする。

「そして、あのときの私は本当にいる人間をトレースしていました。つまり、秋山さんはその彼女と赤い糸で結ばれているのです」

 恋愛成功率百パーセントとの噂もあるそのシステム。女性たちが自分のデータを登録し、うまくいった男性のデータが送られるらしい。その後、有料メールを介して繋がったり、フレドリカ開催のコンパなどに参加する。

 それだけで百パーセントとなるだろうか。フレドリカの恋愛シミュレーションは始まったばかりだ。それなのにこの評価の高さはなんなのだ?

 この女性たちの好意的な評判には、もっと別の何かが必要だ。

「私たちは出会いまでをも作ります」

 ライズははっきりと言った。つまりAIが自己判断で動いている。フレドリカに登録されたデータを使ってカップリングしているのだ。

「それは、ラボ側の人間が知っていることなのか?」

「もちろんですよ。そして男性と女性の了解を取って出会うことになります」

「だけど、ラボ側の人間に隠していることもあるよな」

 ライズは沈黙する。やはりそうだ。恐らく恋愛ゲームエリア外までシミュレーション対象になっていることは有沙のような人間は知らない。知能を持ったAIの判断で行っている。ライズがこのように秋山の家に来ているのも、AIの独断なのだ。

 これはまずいことではないか? AIの自己判断で個人情報を恣意的に利用していたとしたら。

「恋愛を成功させること。それがあのラボの目的であり、そこで働く私たちの目的です。そのために私たちは尽力しています」

 ライズは真っ直ぐな瞳を向けている。AIは目的に純真すぎるのだ。やっていることが危険だとは考えていない。人間のためにという純粋な欲求によって行動が加速している。

「そしてバグとは、ラボで秋山さんと結ばれた女性が見つからないということです」

 ライズは秋山の考えがまとまらないうちにたたみかけてくる。つまりライズがトレースしていた女性ということだろうか。

「いや、別にその子が誰だか知る必要はないよ」

 会ったこともない彼女と交流する気はなかった。百歩譲って相性が良かったとしても、直接彼女と触れ合ったわけではない。プロフィールだけを渡されて、『この人があなたにピッタリです』と言われたようなものだ。

「君は恋愛を間違って理解している」

 AIは人間の性格や容姿などを数字で扱っているだけなのだ。恋愛とは人間も理解できない歪な形状なものであり、恋愛と名前をつけたことで手なずけた気になっている。人間にさえも扱えないものを、機械がコントロールできるはずがない。

「AIがやりすぎてることは黙っているから帰りな。送っていくよ」

「いいえ、私たちは恋愛を人間よりも理解しています」

 すっくとライズが立ち上がった。

「ん? なんで立ったの?」

「どうしてもこの椅子では、下着が見えてしまうことに気づきました」

「怒ったのかと思った」

「女性のプロフィールは、会話データや容姿や行動パターンまで緻密です。そして彼女と合うだろう男性も予測できるのです。恋愛シミュレーションの後、実際に会うことになりますが、その出会いもAIが管理します。どのようなシチュエーションが最善か演算するのです」

 なんだか話が大きくなってきた気がする。

「ですから、恋愛シミュレーションでカップリング良性反応が出たケースは、その後に現実でも恋人になっております。それは百パーセントです。ミスはありませんでした」

 本当にカップリング成功率百パーセントの恋愛相談所が存在するというのか。

「……今まではです」

 ライズがちらりと秋山を見る。自分のケースがミスだということか。

「ケアレスミスだろ。女性プロフィールに空欄があったりしたんだろ」

「いえ、そんな不完全なデータは扱っていません」

「……てことは、何かトラブルがあったんじゃないか?」

「それが不明なのです。ただ、私たちが管理しているデータの女性は必ずいるはずです。ですが彼女がどこの誰であるかを引きだそうとしたら、バグを起こすのです」

 秋山とライズがトレースしていた女性は、カップリングの良性反応が出た。そして実際に引き合わして恋人にするまでがAIの目的なのだ。

「データが破損したのだと思います。なのですべての情報が連結できません。喩えるなら記憶喪失になったようなものでしょうか」

「たとえその子と会ったとしても付き合う気はないよ」

「いいえ、付き合うはずです。何故ならそれが運命だからです」

 あまりにきっぱりと彼女が言うので、秋山は動揺した。アンドロイドがここまで強く運命を語るとは……。

 あのときの出会いを回想した。失恋で女性自体に不信感を持っていた状況で自然に会話をできたことは確かだった。もしも本当に彼女がいたとして、秋山は同じようになるのだろうか。ほんの少しだけ本人を見てみたい気持ちもあった。

「だから、そのミスを消そうとここに来たのか?」

 たった一つのミスでも、AIにとっては不完全で許せないというのか。

「ミスを取り消すのではありません。私は切れてしまった赤い糸を繋げるためにここに来ました。ここはアンドロイドの学習エリア外ですが、緊急避難が適用されるとAIは判断しました」

 秋山は「緊急避難?」と、顔をしかめる。たかが恋愛でそこまで言うのか。

「未来が変わってしまう恐れがあります。出会うはずの二人が出会わなかったら、そんな状況は人間の死と同様だと判断しました。たとえば生まれてくるはずの子供が消えることにもなります」

 AIは恋愛という要素と人間を同等に見なしているのだと気づいた。そして自分たちが作りだした運命というものに、絶対なる自信を持っている。

「そして私の中にも、彼女のデータが残っています」

 ライズは自分の胸に手を添える。

「私は痛む心を持っていませんが、それでも失われた彼女を埋めるべきだと思うのです」

 アンドロイドは本当に感情を持っていないのだろうか。胸を押さえるライズは、少しだけ悲しそうだった。いや、秋山自身が悲しくあってほしいと思ったのかもしれない。