あなたは、未来予報士に会ったことがありますか?


 気象予報士ではありませんよ。

 信じられないことに彼ら未来予報士には、私たちの「未来が視える」らしいのです。


 でも、気をつけてください。


 その名前だけを聞けば、人生に迷える愚かな私たちに有用なアドバイスを授け、正しい未来へと導いてくれるありがたい存在のような気がしてしまいますが、必ずしもそうではないのです。


 彼らは言います。

「自分たちは観測者に過ぎない」

 と。

 そしてときには、

「嘘は嫌いです」

 ともね。


 誠実だと思えないこともないですが、誠実さはときに残酷さを孕んでいます。


 もしあなたが、彼らと出会ったとして。

 そして突然、未来予報を持ちかけられたとしても。

 未来予報士の言うことを、信用してはいけませんよ。


 彼らはいつだって座したまま、この世界を静かに見つめるだけで、あなたの人生に向こうから踏み込んでくることはありません。

 立ち上がって小さな一歩を踏み出す勇気を持てない、ちっぽけな存在なのです。


 だからあなたは、自分で前に進まなければなりません。

 なぜなら……。


 誰がどう言おうと、あなたの未来は、あなただけのものなのですから。



第一話



 都内某所、薄暗い雑居ビルの地下にある、洞穴のようなライブハウス。

 小さなステージに立ったミィがマイクを握りしめると、スピーカーからイントロが流れ出した。

 背を伸ばし、まっすぐに前を向いて、歌い出す。

 目と鼻の先にある客席で揺れるサイリウムの光は、片手で数えられるほどだ。

 それでもミィは、歌うことの喜びを全身で感じていた。

 メロディをなぞり、ときに感情に任せて歌声は伸びやかに響く。ただそれだけのことが、心から楽しい。

 まどろみのなかで見る短い夢のように、曲はあっという間に終わってしまった。客席で拍手のような音が微かに鳴り、すぐに消えた。

 これで、自分の持ち時間は終わった。お辞儀をして、ステージから降りる。引き止める者は誰もいない。


 ステージを去るとき、ミィの耳元ではいつも、懐かしいあの人の声が微かに響く。

『……お前は、そのままでいいんだよ』

 心が、ちくりと痛む。

 自分らしく歌えただろうか。ありのままの自分は、そこにいただろうか。

 答えは誰よりもミィ自身が、一番よく知っている。


 続けて、次の出演者の名前がコールされた。

 これまでの凪いだ空気が嘘のように、ライブハウスに熱狂的な声援が爆発した。

 ミィはそれを背に、殺風景な控え室へと戻った。

「おつかれ、ミィちゃん。相変わらず歌、上手いね」

 首に白いタオルを巻いた、小太りで四十絡みの男が、レーズンのような目を瞬かせながら声をかけてきた。ミィはぺこりと頭を下げて「ありがとうございます」と呟く。

 我孫子という名前のこの男は、自称イベントクリエーターで、多数の地下アイドルが出演する今日のライブを取り仕切っている。

「そこはほんとすごいと思うけど。でも、それだけなんだよね」

 ミィは役目を終えたマイクをぎゅっと握りしめた。

「やっぱ、なにかしらもう一味、欲しいよね。踊りすらないじゃん?」

「なかなか時間、取れなくて」

「物販も、あれでしょ?」

「……CDと、チェキだけです」

 事務所に所属していないので、当然マネージャーなどいない。アイドルとして活動するために必要な全ての雑事を、自分ひとりでこなしている。

「要は、キャッチーじゃないんだよね」

 我孫子は相手の答えなど聞いていない様子で、持論を語る。そのほうがミィのためになると思っているようだ。

「本のあらすじとか、映画の予告とかも同じでさ、なにか引っかかるものがないと、わざわざ読んだり観たりしようって思わないでしょ」

 曲は自分で作り、音源の編曲だけは学生時代の知り合いにお願いしている。

 それ以外の使える時間のほとんどを、歌の練習にばかりつぎ込んでいるのだ。

「ミィちゃんは徹底的に普通なんだよね。歌にこだわり持ってるのは知ってるし、それにプライドあるのかもしれないけどさ」

 我孫子はタオルで額の汗を拭いてから、鼻で笑った。

「それ、ここじゃ大して役に立たないんだ。みんなもっと、新しいものを求めてる。これまであるようでなかったものを」

 ミィは視線を落とす。お手製の衣装が、ひどくみすぼらしいもののように思えた。

「ライバルはいくらでもいるんだしさ」

 一枚ドアを隔てた会場からは、舌たらずな歌声と、それをかき消すほどの観客の声援が聞こえてくる。ステージで歌っているのは、確か六歳くらいの、女子小学生アイドルだ。その子はまだ、ミィの四分の一しか生きていない。

 我孫子が発掘した逸材らしい。ミィの理解の範疇を超えているが、自分のステージとは比べ物にならないほど熱狂する観客の声援が、全てを物語っている。

「邪魔になるプライドなんかさっさと捨てて、誰もやらないようなことをやらなきゃ」

 これが彼の信条らしい。会場の熱気が、なによりもそれを肯定している。

「そろそろ本気出さないと、ここで終わっちゃうよ」


* * * * *


 茅原美緒は俯いたままで、左手首を見た。就職祝いに親から貰った腕時計の針は、午前零時十分を指している。もう火曜日だ。

 東急田園都市線、溝の口駅の改札を出て、二階連絡通路をとぼとぼと歩く。こんな時間にもかかわらず、通路は急ぎ足の人で溢れている。大半がJR南武線に乗り換えるのだろう。かくいう美緒もそのひとりだった。

 まだ週の初めだというのに、残業で疲れ切った身体は鉛のように重い。ヒールパンプスを履いた足がじんじんと痛む。人波に押されるようにして進みながら、顔にかかる髪を手で払い、大きくため息をつく。ちょうどそのとき、アコースティックギターを爪弾く音が聞こえてきた。続いて、微かな歌声も。

 美緒はほとんど無意識のうちに人波を外れ、音がするほうへ足を向けた。ギターをぶら下げた若い男性が柵を背にして立ち、か細い声で歌っている。足元には蓋を開いた黒いギターケースが置かれ、自作のCDらしきものが並べられている。

 演奏は拙く、歌声はどこか自信なさげだ。目を閉じて歌う彼の前で立ち止まる人はいない。それでも美緒は、少し離れた場所で立ち止まった。耳を傾けるが、周囲の雑音にかき消されてしまい歌詞は聞き取れない。時折、素直に美しいと思えるメロディラインの切れ端が耳に届く。

「……いいな、路上ライブ」

 気づけばそう呟いていた。弦と戯れる感触が不意に蘇り、自然と指先が動いていた。

 疲れていたはずの心に、ぐっと重みのある熱が生まれた。

 美緒は通路を挟んで反対側の柵に背を預け、演奏する彼に合わせるようにして想像のギターを爪弾く。

 しばらくの間そうやって楽しんでから、はたと手を下ろした。しかし、再び歩き出す気が起きない。電車に揺られて荒れ果てた部屋に帰っても、数時間後にはまた出勤だ。その先にはまた、果てしない残業が待っている。

 美緒は暗澹たる気分になって、力なく目を閉じた。

「失礼ですが」

 そのときなんの前触れもなく、横から低い声で話しかけられた。

 美緒は飛び上がらんばかりに驚く。

「……はい?」

 声がしたほうを見る。

 占い師だ。咄嗟にそう思った。

 黒い布がかけられた小さな机に向かって、同じく黒ずくめの格好をした男が座っている。だぶついたフードを目深に被り、表情はよく見えない。机の上には使い込んで古ぼけたランタンがひとつ置かれており、淡い光がちらちらと揺れていた。

 反射的に半歩後ずさった。怪しい、以外の形容詞が思い浮かばなかったからだ。

「あなた、あまり幸せそうではありませんね」

「……なっ」

 呆気に取られてしまい、言葉が返せない。黒ずくめの男は構わず、平坦な口調でこう続けた。

「そのままだと明日はもっと不幸になりますよ」

「ちょ、なんなんですか、いきなり……」

 関わり合いにならないほうがいいのでは、という考えが頭をもたげてくる。

「ひょっとすると死んでしまうかも」

 十月初旬の涼しい空気に、男の冷ややかな声が溶けて消えた。

「……どういうこと?」

 美緒は息を呑むと、次の瞬間、机の正面に立って男に詰め寄っていた。ふつふつと湧き上がる感情は怒りか、苛立ちか。それすら分からないまま、男を強く睨みつける。

 男は机上で組んでいた両手を解くと、その手でフードをつまんで少し後ろにずらす。口元だけが見えた。低くて張りのある声から想像していたよりも、ずっと若い男のようだ。もしかすると、自分より年下かもしれない。

「気を悪くされたのなら謝ります。失礼しました。あなたから、あまりにも強い不幸のオーラが出ていましたので」

「だから、それが失礼なの! 人のこと不幸だとか、そういうの! しかもなに? 明日死ぬかも? 冗談じゃない」

「そう、冗談などではありません。これは、れっきとした予報なのですから」

「……予報?」

 男は自分の胸に右手をそっと当てて、自信に満ちた口調で言った。

「豊かな経験に裏打ちされた的確な主観的予報により、あなたにやってくるであろう明日をお伝えします」

 まるで天気予報みたいだな、と思った瞬間、男は軽く頭を下げてから、こう結んだ。

「私は、未来予報士です」

「……みらい、よほうし?」

 おうむ返しに、その単語を口に出してみる。男に対する不信感は消えないが、先ほど湧き上がった苛立ちは収まっていた。

「漢字、分かりますか?」

「分かるわ! これでも社会人やってんのよ!」

「これはこれは、失礼しました」

 男は大げさに肩をすくめる。

「いや、ちょ……。待ってよ。未来って。予報するって、なに言って」

「お望みとあらばあなたの未来、予報させて頂きますが?」

 そう言って、涼しげなその口元が、控えめに微笑んだ。

「いやいやいや。ていうか、そんなの、どうやって」

「ただし、未来を知りすぎると不幸になりますけどね」

「な、なんで!?」

「知り得た未来が対象者にとって不都合なものである場合、人はそれを回避しようと行動を変える傾向にあります」

 美緒は宙を睨んで、思考を整理する。

「そ、それはだって、そうじゃん? ほら、落ちると分かってる飛行機に乗るバカがどこにいるのよっていう話で」

「飛行機に乗らなくても、おそらく同じくらい大きな不幸が、いずれその人の身に降りかかるでしょう」

「……え?」

「個々の瞬間における未来は絶対です。融通の利かないものなんです」

「な、なにそれ」

「例えばそう、人間ごときがじたばたしたところで、天気は変わらないでしょう?」

「……まぁ、そうだけど」

「未来も同じことです。ある時点における未来は絶対的なものなのです」

「なんか、夢も希望もないこと言うわね」

「嘘は嫌いですから。誠実な未来予報を心がけています」

「ていうか思ったんだけど。さっきの『明日死ぬかも』ってヤツ。あれって平たく言えば死の宣告じゃん。死神じゃん!」

 すると、あろうことか男は、ぷっと小さく吹き出した。

「やだなぁ。死神なんているわけないじゃないですか。漫画やアニメじゃないんですから。しっかり現実を見てくださいよ」

「あ、あんたに言われたくない!」

「……私が現実を見ていないと?」

 男が急に低い声を出したので、美緒はどきりとする。怒らせてしまったのだろうか。

「いや、まぁその、現実離れしたことをさっきから」

「未来ばかり見て? 未来予報士だから? いやぁ、これは一本取られました」

 可笑しそうに口元を歪める男に向けて、美緒は頬を紅潮させて声を張り上げた。

「やっぱバカにしてるでしょ!?」

 口元の笑みを引っ込めてから、男は改めて訊いた。

「で、どうされますか?」

「信じるわけないじゃない、そんなの」

「当たるはずがないと?」

「天気予報でさえ外れるのに、未来予報なんて当たるわけない!」

「ですが、多くの人は天気予報を参考にして、行動を決めています」

 美緒は腕を組み、顎を突き上げて言った。

「人間ごときが行動を変えても、天気は変わらないんじゃなかったの?」

「変わりません。しかし傘を持って出かければ、雨に濡れずに済みます。それと同じで、未来予報を参考にして未来に備えれば、降りかかる不幸の火の粉を払うこともできます」

 美緒はキツネにつままれたような気分で、男を見つめる。

「……なんかやっぱ、騙されてるような気がするんだけど」

「気のせいですよ。未来予報という概念は、素人の方には少々難しいのです」

 美緒は疑いの表情をたっぷりと顔に貼り付けて、改めて男を観察した。やはりどうしたって、そんな特別な力を持っているようには見えない。詐欺師かなにかだと思うほうがよっぽど自然だ。

 そのとき、男が急に動きを止めたかと思うと、天を仰ぐような格好をした。そして、不意に呟く。

「見えましたよ。あなたの未来が」

「え? ちょ、そんなわけ」

「おぉ、これは……」

 男の声は、真剣そのものだ。

 美緒は思わず言葉を失い、ごくりと息を呑んだ。

「今日、終電を逃します」

「……は?」

「慌てふためくあなたの姿が、私には、はっきりと」

 弾かれたように腕時計を見て、美緒は叫んだ。

「あぁ~っ!」

 今まさに、JRの最終電車が発車する時間だったのだ。駅に向かって駆け出そうとするが、どう考えても間に合わない。

「……あぁ」

 一転して情けない声を出して、美緒は持ち上げた手を力なく下ろした。大きなため息をひとつついてから、がくりとうなだれる。

「帰れますか?」

「……中野島まで歩けばね」

「長い道のりですね」

「あぁもう! 明日も八時半に出社なのに!」

 目の前の男に対する憤りと、自分自身への苛立ちから、美緒は思わず声を荒らげた。

「タクシーで帰る! ……はっ、そういえば」

 慌てて鞄を漁り、財布の中身を確認する。なんとも間の悪いことに、今日の昼食で現金を使い切ってしまったのだった。クレジットカードはあるが、個人タクシーに当たるとカードが使えないことがあり、面倒だ。逡巡の末、どこかのATMで現金を引き出すしかないという結論に至る。心の重さが増し、身体の重さに拍車をかける。美緒は男に向けてなにか言う気も起こらず、背を向けてとぼとぼと歩き去ろうとした。すると見計らったように、声が飛んできた。

「これをお使いください」

 足を止めて、緩慢な動作で振り返る。男が机の上に、小さな紙切れのようなものをそっと置いた。

「タクシーチケットです」

「……な、なんでそんなもの」

「未来予報のお礼にと、頂いたものです」

 こんな怪しげな男に未来を予報されて感謝する人もいるのだということに、美緒は小さな驚きを感じた。

「だからって、そんなもの貰えない」

「受け取ってください。ご迷惑をかけてしまったようですから。せめてものお詫びに」

 返すべき言葉が思い浮かばず、まごまごしていると、男はタクシーチケットを無理やり美緒の手に持たせた。

「ではお気をつけて。あなたの未来がより良いものでありますように」

 男はお祈りの言葉のように呟くと、フードを深く被り直して表情を隠してしまう。まるで、店じまいのようだ。それ以上話しかけることが憚られる。

 美緒は軽く頭を下げて、男の前から立ち去った。

「今度、タクシー代を返せば……、いいかな」

 混乱した頭のまま、タクシー乗り場の列に並ぶ。終電を逃した客を次々に車が拾ってゆき、やがて自分の番がやってきた。

 そういえば、と慌ててチケットを確認すると、偶然にも目の前に停まったタクシーの会社と一致していた。

 美緒は疲れ切った身体を黒塗りの車体に滑り込ませて、行き先を告げる。

 手のなかのチケットを改めて見れば、この近辺で営業している最大手のタクシー会社のものだった。

 いったいどんな人が、これをあの未来予報士に渡したのだろう。

 そんな興味が一瞬だけ頭によぎったが、車窓の向こうに流れる街灯を見ているうちに、薄れて消えてしまった。