理想の結婚式は甘くない | メディアワークス文庫 1PAGE

プリンセスストーリーのはじまり


 むかしむかし、あるところに。

 プリンセスに憧れる、ひとりの純粋な女の子がおりました。女の子は、さまざまなプリンセスの物語を、毎日まいにち読んでいました。そして想っていました。

 わたしもいつかプリンセスになるんだ、と。

 女の子は、いったい自分はどんなプリンセスになれるのだろうと、わくわくしていました。

 そんなある日のことです。

 女の子に、プリンセスになれるチャンスがやってきました。女の子は喜びました。幼いころからの夢を叶えるため、迷わずまっすぐに手を挙げます。

 絵本に出てきた憧れのプリンセスのように、自信に満ち溢れた表情で、まっすぐに前だけを見据えて。その瞳は、宝石のようにきらきらと輝いていました。

 しかし物語は残酷でした。

 プリンセスに憧れ続けた女の子がなったもの。

 それは――海に漂うワカメだったのです。



プロローグ 上司は氷の王子さま


 目覚ましのベルが鳴る。

 ピンクの薔薇とパール風の装飾で彩られた、白い陶器の目覚まし時計だ。繊細な作りのそれを壊さないように、そっと停止ボタンを押す。

 体を起こし「ふわぁ~あ」とあくびをひとつ。反動でレースのカーテンがふわりと揺れた。手作りの天蓋付き、いわゆるお姫さまベッドはやはり居心地がよく、もうひと眠りしたいところではあるがそんな暇はない。女の準備は時間がかかるのだ。

 アンティーク調の真っ白なクローゼットから、まるでドレスのようにふわりとしたワンピースを取り出す。今日はこれに、花型のビジューボタンがついたカーディガンを合わせよう。いそいそと着替え姿見の前でくるりと回る。うん、かわいい。

 お気に入りの猫足ドレッサーに腰掛けてメイクを開始する。セミロングのストレートヘアをアイロンでくるりとカール。ぱっつん前髪は譲れない。

 ホワイトで統一されたアンティーク調の家具、天井にはクリスタルのシャンデリア、寝具やカーテンはすべてピンク色という、姫系インテリアに囲まれたこのワンルーム。

 完璧に着飾ると、自分がこの部屋にぴったりになれた気がしてうれしい。

 再び姿見の前に全身を映すと、しゃなりとポーズをとった。鏡には姫系ファッションに身を包んだ自分と、その自分より背の高い大きな本棚が映っている。そこにはプリンセスを題材にした童話がずらりと並んでいた。左右反転した背表紙に『シンデレラ』の文字を見つけると「あっ」と言って踵を返した。十冊以上もある『シンデレラ』のなかから、これぞという数冊を取り出して鞄に入れる。大きなリボンのついたピンクの鞄は、そのかわいさに似合わずA4サイズの資料がたっぷり入る大きさで、分厚い本を入れてもびくともしなかった。見た目はかわいいのに中身は勇ましい、まさにプリンセスのようだと満足する。

「いけない、もうこんな時間だ」

 本当ならマカロンでもつまんでいきたいところであるがそれは叶わず、昨日買った半額のロールパンを牛乳で流し込む。紅茶と楽しむ優雅な朝ごはんは今後の課題だ。

「いってきます!」

 赤いエナメルのパンプスを履いて外に出ると鍵を閉める。鍵につけられたアニメ映画のプリンセスキャラクターのキーホルダーがじゃらりと鳴った。

 姫川愛子、二十四歳。職業はウェディングプランナー。

 そして人は彼女を、プリンセスオタクと呼ぶ。


 人生は不平等だ。

 愛子は幼い頃からずっとプリンセスに憧れていた。しかし現実には、プリンセスになれる人間とそうでない人間がいる。そして自分は後者の人間だった。

 しかし大人になった愛子は、どんなに平凡な人間でも平等にプリンセスになれる場所があることを知った。

 森の奥にある白亜の邸宅というのがコンセプトの結婚式場・マリアフォレスト。

 ここが愛子の職場だ。ドレスサロン・美容室・エステが併設された専門式場で、自由度の高いオリジナルウェディングができるとして人気がある。

 愛子が初めてここを訪れたのは二十歳のとき。従姉のまぁちゃんの結婚式だった。

 パーティードレスを着て美容院で髪をセットし、それだけでも胸が高鳴るくらいわくわくするというのに、マリアフォレストのゲートをくぐって驚いた。

 そこには、まるで童話の世界のような景色が広がっていたからだ。

 木々に囲まれた大きな広場に、大理石の噴水。正面には独立型のチャペルがあり、その両隣には緑に囲まれた白亜の邸宅がある。気品溢れる優雅な雰囲気のリリー邸と、可憐な乙女心をくすぐるかわいらしさを持つローズ邸。エレガントとキュートという、異なるイメージを表現したこのふたつの邸宅が、披露宴を行うバンケットルームだ。

 まぁちゃんが披露宴をするのはキュートなほうのローズ邸。ホワイトで統一された内装に、クリスタルのシャンデリアがきらめくその空間は、まるでお城のようだった。

 会場はそのかわいらしい雰囲気にぴったりの装飾で彩られていた。ピンクの薔薇をメインにしたパステルカラーの装花、サムシングブルーのリボン、ハート形のキャンドル……そのどれもがかわいらしく、愛子はいちいち興奮してしまう。

 シャイなまぁちゃんは、チャペルではなくバンケットルームで人前式を行うことになっていた。花嫁の登場を今か今かと待ちわびる。司会が新郎新婦の入場を告げた。BGMと共に扉が開き、まぁちゃんが現れる。その姿を見て、愛子は息を飲んだ。

 なんてきれいなお姫さま……!

 感動のあまり声を上げてしまいそうで、思わず両手で口を覆う。裾がふんわりと膨らんだウェディングドレスを纏い、ベールのなかで幸せそうに微笑むまぁちゃんは、まぎれもない本物のプリンセスだった。

 いつの間にか涙が流れていた。

 ――ああ、ここは誰もがプリンセスになれる場所なんだ。

 自分がずっと求めてきたやさしい世界は、ここにあった。

 そう思ったとき、愛子はすでに将来を決めていた。

 就職活動はブライダル業界一筋。本命はもちろんマリアフォレストだった。

 リクルートスーツで再びあのゲートをくぐったとき、愛子は不思議な感覚に陥った。この場所に自分が歓迎されているような気がしたのだ。それはほかの式場では感じなかった感覚だった。

 必死で取り組み役員面接へと進む。ガチガチに緊張していたので、そのときのことはあまりよく覚えていないが、一生懸命にウェディングプランナーになりたいという気持ちを伝えた。すると役員のひとりが声を上げて笑ったのである。長い髭をたくわえた老人だった。

「君、おもしろいねえ。気に入ったよ」

 それが決め手だったのかどうかはよくわからないが、愛子はみごと内定を取ることができたのだ。誰かに自分を認められるということは、こんなにもうれしいことなのだと知った。

 新卒で入社をして約一年。スタッフである愛子がくぐるのは、ゲートではなく裏にある従業員入口だが、あのときの感覚は間違っていなかったと今でも思う。


「おはようございます!」

 愛子が更衣室に入ると、先輩プランナーの河合なな子がそれに答えた。

「愛子ちゃん、おっはよー! やーん、そのワンピースかわいい! どこのやつ?」

 ブランド名を教える。なな子は「今度行ってみるぅ」と、その長いまつ毛をぱちぱちとさせて喜んだ。比較的ファッションの趣味が近い二人は、しばらくきゃっきゃと盛り上がる。ブライダルの専門学校を卒業しているなな子は、会社では先輩であるが同い年だ。そのこともあって、すぐに打ち解けることができた。

「あんたたちはかわいらしい服が着られていいわね」

 艶かしい仕草で仕事用のストッキングに穿き替えながらそう言ったのは、プランナーリーダーの東条蘭だ。彼女は愛子の教育係だった。派手な見た目の美人で、すらりと背が高く迫力がある。営業成績は常に上位。最初はちょっと怖いなと思ってしまったが、すぐにその竹を割ったような性格に魅了された。

「えー、先輩だってかわいいの似合いますよう」

 制服に着替え終わったなな子が、口紅の色をトレンドの濃いピンクから接客業にふさわしいピンクベージュへと変えながら言った。

「顔がさ、浮くのよね」

「あー……それはなんかわかりますぅ」

「あんた、はっきり言うわね」

「先輩は華やかな美人さんですからね」

「さすが私の育てた姫川さん! 後輩の鏡! あんたも見習いなさいよ」

「無理ですねぇ~私、正直にしか生きられないんでぇ」

 と言って、なな子はグロスを塗り終わった唇を「んーぱっ」とやる。性格と同じ、ゆるふわなボブカットが揺れた。蘭はその艶っぽいロングヘアをコームでくるくると夜会巻きにする。元ギャルだと噂される彼女のメイクは普段かなり濃い目だが、流行遅れの太いアイラインはいつの間にか薄くなっていた。

「よしっ、完璧ね!」

「んふふ、私ってば今日も超かわいい♡」

 派手ギャルとゆるふわ女子は、あっという間に接客業スタイルに変身をした。

 愛子も慌てて姫系ファッションを脱いでいく。通勤服としては少々目立ちすぎるこの格好は、道すがらスーツ姿のサラリーマンに二度見をされることも少なくない。しかしここでは誰も彼女を振り返らないどころか、そのファッションを褒めてくれる。

 ああ、やっぱり好きだな。この職場も、先輩たちも。くるりときれいにカールさせた髪を躊躇することなくきゅっと地味にまとめながら、愛子はしみじみと思った。

 おしゃれとは自己満足のためにするもの。

 蘭もなな子も、そういう考えを共有できるタイプの女性だった。

「今日は氷の王子、ご出勤だっけ?」

 蘭のその言葉に愛子の肩がびくりと上がる。なな子が「えっとぉ~」と言いながらポケットからガサゴソと勤務表を取り出した。

「……あぁ、ご出勤ですねぇ。ざぁんねんっ」

「まじか。あいついると会議ピリピリして嫌なのよね」

 アラサー(詳細は不明)で、ベテランのプランナーである彼女は、彼を唯一「あいつ」呼ばわりできる強者である。

「んー黙っていればただの王子さまなんですけどねぇ、彼」

 ぷっくりとした唇をおちょぼ口にして答えるなな子に、愛子が言った。

「その色、なな子ちゃんにすっごく似合ってるね」

「えへへーありがと。新作の恋色リップなのだー。今度、愛子ちゃんにも貸したげる」

 恋色リップの話で盛り上がり、いい感じで話題がそれたようだと思ったが甘かった。

「そういえば、みんな朝礼の準備は大丈夫? 氷の王子は、思いがけないところ突っ込んでくるから」

「やーん、そうでした! 私なんてこのまえ~書類に付箋が多いって怒られたんですよう!? 信じられなくないですかぁ!?」

「まぁ、確かに付箋つけすぎだなとは思ったけど。怒るほどのことじゃないわよね」

「そーですよう! ちょっとデコっただけなのに。ほんと、心の狭い王子ですよねぇ」

 二人の会話を聞いた他のスタッフもその話題に乗っかる。狭いロッカールームに、氷の王子という単語が飛び交った。

 こうして女子の話題を独占してしまうのは、やはり彼が王子さまだからだろうか。

 いや、違う。少なくとも私は認めない!

 愛子は心のなかで叫び、勢いよくロッカーのドアを閉めた。バァン! と大きな音が響き、場が一瞬だけシーンとなる。

「いやぁだ、愛子ちゃんってばどうしたの~?」

 なな子が笑いながら聞いた。

「……じゃありません」

 か細い声で愛子。しかしその声は届かず、なな子は顔を近づけた。

「えっ、なぁに? 聞こえないよう」

「あんなやつ王子さまじゃありませんっ!」

 小さな更衣室がびりりと震えるほどの大声に、蘭もなな子も目を丸くした。

「王子さまじゃないですよ、あんなやつ!」

 倒置法で再び同じことを言うと、愛子はご立腹のまま更衣室を出る。ああ、いやだ。あいつの話題を聞くだけでプリンセスメーター(愛子独自の指針)が下がってしまう。

 この春にようやく独り立ちをして、いよいよ本格的に仕事が楽しくなってきたときだっていうのに。愛子は天を仰ぐと、心のなかで叫んだ。

 あんなやつが王子さまだなんて私は認めない……!

 愛子にとってマリアフォレストは理想の職場だ。

 ただひとつを除いては。



「それでは朝礼を始める」

 王子さまと呼ばれる男。それはいま目の前で朝礼をしている、ブライダルサロンのマネージャー、進藤雅美のことである。今春、老舗の森野ホテルから異動をしてきた。

 マリアフォレストは、ホテルやレストラン運営と手広い企業展開をする森野グループが手掛けるブライダル事業のひとつである。グループの社員は各事業会社の直接採用の者と本社採用の者に分かれていて、本社採用の者は将来のため各会社を転々とするのがお決まりだ。そこで経験を積み、再び本社へと戻る出世コースである。

 進藤は二十九歳という若さでその出世コースに乗ったエリートだった。

 彼が赴任してすぐ、マリアフォレストの女性スタッフは色めきだった。さらりとした黒髪に切れ長の瞳。背は高くスタイルも抜群で、俳優のように整ったルックス。おまけに本社採用のエリートとくれば無理もないだろう。彼の噂は一瞬でマリアフォレスト内を駆け巡り、ドレスサロンから美容室、出入りの業者までも黄色い声で騒がせたほどだ。イケメン好きのなな子も、早々に彼をロックオンする。

 しかし、しばらく経つと同じスピードでとある噂が広がった。

 ――進藤は人の心がわからない冷徹人間である。

 というものだ。真っ先にそれを目の当たりにしたのは、プランナーたちであった。

 進藤の歓迎会をしようと、なな子が希望の店を尋ねたときのことである。彼はこう言い放ったのだ。

「歓迎会? そんなもの、していただかなくて結構ですよ」

「遠慮しないでくださいよう。これから一緒にやっていく仲間なんですからぁ、ねっ?」

 必殺なな子スマイル!

 これで落ちない男はいないゆるふわの弾丸。しかし進藤は眉ひとつ動かすことなく冷静に言った。

「遠慮ではありません。本心です。そういうのは時間の無駄ですから」

 弾丸を無効化されたなな子が「へっ?」と間抜けな声を上げた。

「せっかくなので言っておきます。私は仕事場で必要以上に慣れ合う気はありませんので、今後もそういったことには誘っていただかなくて結構です」

 そしてよどみなくそう伝え一礼をし、さっそうと事務所を出て行ったのである。

 一同は呆気にとられ、事務所は凍りついたようになった。ちょっとありのままでいすぎではないだろうか。

 そんなふうにして、進藤はスタッフ同士のコミュニケーションを無駄ごととして極端に嫌った。そしてその冷たい態度はスタッフを緊張させてしまい、仕事上のコミュニケーションにまで支障をきたすようになってしまったのだ。こうして彼の評判は、あっという間に地に落ち、なな子も構えたピンクの銃をおろすことになったのである。

 顔は王子さまだけど、中身は氷のように冷たい男。

 そしてついたあだ名が「氷の王子」なのである。しかし愛子はこの呼び名に納得がいかなかった。

 それは彼の冷徹さをここにいる誰よりも先に目の当たりにしていたからだ。


「以上だ。ではそれぞれの予定を報告してくれ」

 朝礼が終わり、スタッフは今日の業務を簡潔に報告する。愛子の番になった。

「午前十時より、佐藤光男さま、塩川千紗美さまの挙式・披露宴です。おひらきは午後一時三十分を予定しています。そのあとに、お打ち合わせが一件。三か月後に挙式・披露宴をご予定の、砂田善久さま・麗美さまです」

「ちょっと待て。なぜこんなに打ち合わせが長いんだ」

 予定表を見て進藤が言った。

「お客さまの希望で、二回分の打ち合わせを一度に行うためです」

 説明をすると、「ああ」と短い返事をする。それならば問題ない、ということなのだろう。はなっから愛子のミスに違いないと決めつける、その態度に腹が立った。そしてそれに対する謝罪もない。そういうところが嫌なのだ。

 しかしこんなことでめげるわけにはいかない。愛子は身振り手振りを使って一生懸命に、感情を込めて今日の打ち合わせ内容を説明した。

 なぜなら彼女にとって、砂田夫婦は特別なお客さまだからだ。

 そしてそのことはスタッフ全員が知っていることだ。仕事上のコミュニケーションを普通にとっていれば、誰もが知れることだった。

 しかし進藤は、無感情な表情で頷きこう言い放った。

「商談の際はあまり感情的にならないよう」

 最大の嫌味だった。仕方ない。彼にこの想いが通じるなどと思うほうがいけないのだ。そう思ってデスクへと戻ろうとした愛子を、更なる氷のレーザービームが襲う。

「それはなんだ」

 視線で指す先を辿る。見つめているのは愛子の胸元のポケットだ。そこから、ピンクのドレスを着た金髪のプリンセス人形が飛び出していた。慌ててポケットにしまい直したが、進藤は彼女をギロリと睨みつけて言った。

「プリンセス趣味だかなんだか知らないが、職場におもちゃを持ってくるなんて、どういう神経をしているんだ」

「こ、これはおもちゃじゃありません!」

「じゃあ、なんだ?」

「それは……えっと……その……」

 しかし言い淀んでしまう。冷徹人間の彼に説明をしたところで、わかってもらえるとは思えなかった。そのとき、なな子が席を立って言った。

「あの! マネージャー! その人形は、愛子ちゃ……姫川さんにとって大切なものなんですよ! だって」

 言いかけたなな子を、「大丈夫」だと口パクで制す。

「そんな汚い人形が、か? なんでもいいが、お客さまの目に入らないようにしろ。見苦しい」

「はい……すみませんでした……」

 愛子がそう言って頭を下げると同時にバイブ音が鳴った。進藤は「失礼」と言って、胸ポケットから携帯電話を取り出す。最後に「ついでにデスクも片付けろ」と、愛子に注意するのを忘れず、事務所の外へと出た。

 氷の王子ご退場に、残されたメンバーは安堵のため息をついた。彼が遠く離れて行ったのを確認したなな子が、怒りの地団太を踏む。

「もうっ! ひどーいっ! 氷の王子ってば、やっぱ氷の王子だよー!」

「私のために怒ってくれてありがとうございます。それだけでうれしいです」

「あったりまえじゃーん! 愛子ちゃんは大事な仲間なんだし~! それに、そのお人形のこと聞いたとき、私は素敵だなって思ったから」

「私も同意よ。この業界って、そういう気持ちが大切だから。まぁでも、心の凍った王子さまにはわからないでしょうから、言わなくて正解よ。ねぇ、ところであんたってあいつになにかしたの?」

「……してませんよ」

 注意されてしまったからには仕方がないと、愛子はデスクを飾っているお気に入りのプリンセスグッズたちを引き出しにしまいながらため息をついた。

「そう? なんかやけに冷たい気がするのよね。まぁそれが通常営業なんだけどさ。姫川さんにだけ特に」

「あっ、それ私も思ってましたぁ! なぁんか~愛子ちゃんにだけ特別ツンツンしてる感じなんですよねぇ。ツンドラって感じ~?」

 それは進藤の冷たさと永久凍土をかけているのだろうか。うまいのかうまくないのか、よくわからなかった。

「もしかしてぇ、愛子ちゃんにラブなんじゃないですかぁ~? ツンドラじゃなくてツンデレパターン!?」

「そんなわけないじゃないですか!」

 なな子のとっておきであっただろうギャグに食い気味で反論してしまった。そうかツンドラはこの展開への布石だったのか。いや、そんなことはどうでもいい。そしてそんなことがあるはずがなかった。

「あの人、私みたいなタイプが嫌いなんですよ」

 愛子と進藤の出会いは最悪だった。


 それは愛子が独り立ちをした春のことであり、氷の王子こと進藤がマリアフォレストへ赴任をしてきた、まさにその日。

 出勤のため、従業員入口のドアを開けようとした愛子は、背後から声を掛けられた。

「お客さま。入口はあちらでございます」

 振り向くと、そこにはすらりと背の高いスーツ姿の男が立っていた。見たことのない顔である。もちろんマリアフォレストのスタッフではない。出入りの業者だろうかと、挨拶をするため男に向き直った愛子ははっと息を飲んだ。

 ――えっ……王子さま?

 思わず口を両手で覆う。その男はまるで絵本に出てくる王子さまのように整った容姿をしていた。プリンセスオタクの愛子がプリンスにも夢を抱いていないわけがない。

 ――これはもしかして運命の出会い?

 プリンセスメーターがぎゅんと上がり、頬が薔薇色に染まる。するとまるでその心の声に応えるかのように男がにっこりと優しく微笑んだのである。そしてこう言った。

「ゲートまで、ご案内しますね」

「……へっ?」

「どうぞ。こちらでございます。段差がありますので、足元お気をつけくださいね」

「ちょっと待って! 私、お客さまじゃないです!」

 つい大声を出してしまう。男がその長い脚をぴたりと止めた。

「えっ?」

「私、ここの従業員ですから!」

「従業員……?」

「はいっ! よろしくお願いします。どちらの業者さんですか?」

 そう尋ねると、さっきまで微笑んでいた男の顔が、みるみるうちに険しくなった。

「私は業者ではない」

「えっ、そうなんですか? 失礼しました。あの……ではどちらの……」

 男は愛子の頭からつま先までをじろじろと見て言った。

「おまえ、本当にここの従業員なのか?」

「えっ? は、はい……」

 ていうか、いまおまえって言った? しかもタメ口?

 あまりのことに思考停止し固まってしまう。男は眉間に皺を寄せると、話を続けた。

「……大丈夫なのか?」

「えっ、なにがですか?」

 と、愛子が問い返したとき。記念すべき初めての、氷のレーザービームが放たれたのである。

「そんなおかしな恰好をした女に、仕事が務まるのか?」

「はっ?」

 なにを言っているのか、意味がわからなかった。

「だからその、フリフリしたおかしな恰好をしているような女に、仕事が務まるのかと聞いているんだ」

 そして、おかしな恰好と二度も言われた。

 百歩譲ってこの姫系の服装がお気に召さなかったことは仕方がない。でも服装は仕事の出来には関係ないことで……いや、やっぱり無理。一歩も譲れない。だって私は初対面のおまえに気に入られるためにこの服装をしているんじゃない。

 ――好きだから、この恰好をしているのだ!

「務まりますよ! ていうか、服装は関係なくないですか!?」

「……今日は仕事終わりにパーティーでも?」

「普段着ですけど?」

 再び男の眉間に皺が寄る。そしてわざとらしく大きなため息をついて言った。

「俺はこんな女のいる職場で働くのか……」

 えっ……? どういうこと? ていうか、おまえ誰だよ?

 愛子が困惑していると、男が吐き捨てた。

「最悪だ」

「えっ、ちょっと! なにそれ!? 私のこと?」

「ああ、そうだ。こんな浮かれたメルヘン女と一緒に働かなければならないなんて悪夢だよ。ただでさえ……」

「メルヘン女ってどういうことよ!?」

「見るからにメルヘンだろう! ふりふりのレース! わざとらしく大きなリボン! ふわっと広がるスカート! どこのプリンセス気取りだ! こんな女に、まともな仕事ができるとは思えない」

 プリンセス気取りという痛いところをつかれて、ぐっと押し黙る。悔しいがそれは的確だ。しかし最後の言葉だけは納得ができなかった。

 どうしてあんたにそこまで言われなくちゃいけないの!?

 そう思ったときには、もう大声が出ていた。

「こんな女だからこそ、できる仕事があるんだよっ!」

 その迫力に男は怯んだ。

「結婚式は一生に一度の晴れ舞台なの! 女の人がプリンセスになれる日なの! 私は、誰よりも花嫁さまの気持ちに寄り添える自信あるから! この仕事はね、気持ちが大事なの! あんたが誰だか知らないけどさぁ! そんなこともわからないようじゃ、この業界ではやっていけないから!」

 見上げるほど背の高い男を、下から指差しビシッと決める。すると男は、はっとした顔をして「もしかしておまえが……」と言った。

 しかしその先は言わず、こめかみを押さえる。そして、

「……最悪だ」

 男は再びそう吐き捨てると、下等生物を見るような眼差しで愛子を一瞥し、もう話すことはないといったふうに従業員入口へと向かった。愛子は慌てた。

「行かせないわよ! まだ話は終わってないんだからね!」

 男を追い抜き、立ちふさがろうとターンを決めた、そのときだ。あの「見た目はかわいいのに中身は勇ましい、まさにプリンセスのよう」なバッグが彼の膝を直撃してしまった。

「っ……!」

 男の声にならない声。よほど痛かったのだろう。その端整な顔が歪んでいた。そういえばバッグには資料がたっぷりと入っていたことを思い出す。

 ま、まずい……。

 愛子は慌てて謝ると、逃げるようにして現場を去った。

 彼が新しい上司だと知って青ざめるのは、そのすぐあとのことである。


「待って、なにそれ超ウケるんだけど!」

 話を聞き終わると、蘭は手を叩いて爆笑した。

「笑いごとじゃないですよ。自己紹介のときすごい顔で私を睨んでいたんですから」

「罰が当たったのよ。人のファッションにケチつけるなんて男の風上にもおけないわ」

「私、愛子ちゃんの姫系ファッション好きだよ?」

「わーん、ありがとうございます!」

「でもさ、だからってあの態度なわけ? 子どもじゃあるまいし」

「言えてますぅ~よっぽど痛かったのかな」

「さすがにバッグの件は謝りましたよ! たぶん、ただ単に嫌われているんです」

 蘭が「なるほどねぇ~」と空を仰ぐ。

「まっ、どうしても合わない人っているからね」

「ていうかぁ、あの冷徹にんげ……氷の王子と合う人なんていないですよう」

 百発百中を誇るピンクの銃から発射される、ゆるふわの弾丸を無効化されたことを根に持つなな子が(しかしそれは恋の未練ではなくあくまで記録への未練である)唇を尖らせた。

「そんなレアキャラだからさ。愛子ちゃんは気にすることないよ~。ねっ?」

「そうよ。どうせあいつにとってうちは、出世のための通過点なんだから。あと何年かしたらいなくなるでしょ。それまで適当にうまくやんなさい」

「はい、もちろんです。そんなことより、今日ひとつ残念なことがあって……」

 愛子がそう言うと、どうしたの? と、二人が身を乗り出した。

「本日挙式の佐藤さまと塩川さま、バルーンリリースをする予定だったんです」

 バルーンリリースとは、挙式のあとに新郎新婦とゲスト全員が、一斉に風船を飛ばす演出のことだ。マリアフォレストでは、チャペル前にある中庭でそれを行う。

 青空に広がるカラフルな風船は写真映えをするし、ゲストも盛り上がるということで、不動の人気を誇る演出である。

 しかし今日は、朝からしとしとと雨が降っていた。

「そっかぁ……愛子ちゃん、だからそれ」

 なな子が胸元を指す。さっき進藤に怒られたプリンセス人形がまた飛び出していた。

「はい。花嫁の千紗美さまはバルーンリリースを楽しみにされていましたから」

 自作の人形は、てるてる坊主ならぬてるてるプリンセスだった。ピンクのドレスを着た金髪の小さなプリンセス人形。それは、すべての結婚式が晴れますようにという愛子の願いが込められたお守りだ。

 もちろん、すべての日が晴れることはあり得ない。それでも愛子は、すべての新郎新婦のために願いをたくしたいと、雨の日はそれを持ち歩くことにしている。

「天気だけはどうすることもできないものね」

 蘭がため息をついて言った。

 バルーンリリースの演出は、雨が降ってしまえば当然中止だ。

 荒天でなければできないこともないが、せっかく来てくれたゲストに傘を持って外に出てもらうのは申し訳ないと、ほとんどの新郎新婦はあきらめる。天気予報で雨とわかった時点で、前日までにそれを決めてもらうのだ。

 ――明日になったら晴れるかもしれないから。

 愛子が確認の電話をすると、花嫁の千紗美はそう言った。友人の結婚式でバルーンリリースを見て、ずっと憧れていたのだという。当日に中止となっても料金は発生してしまうこと、中止となった場合はお見送りのときにその風船をゲストに手渡すという演出に変更をすることを了承してもらい電話を切る。それからずっと天気予報を気にして見ていたのだが、やはり当日は雨となってしまった。

「奇跡が起こって晴れるかなーなんて思ったんですけど……こればっかりは仕方ないですね。演出は変更です。手配をしないと」

 するとなな子が言った。

「待って! 奇跡、起こるかも!」

 見ると彼女は、スマートフォンとにらめっこしていた。

「ちょっと! 勤務中に彼氏と連絡とるの禁止よ!」

「違いますよう! それに今、彼氏はいません! 募集中です♡」

 なな子はそう言いながら、引き続き真剣な表情で画面を操作する。

「うんっ、やっぱり! 愛子ちゃん担当のお客さまが挙式する時間、もしかしたら晴れるかもしれないよ!」

「えっ、どうしてわかるんですか?」

「お天気アプリを見たんだぁ」

「お天気アプリなら、私も持ってるわよ」

「チッチッチッ! そういう普通のやつじゃだめなんですよねぇ。これ雨雲レーダーが見られるアプリなんです~十分ごとに雨雲の動きがわかるんですよっ。見たら雨雲の動きがけっこう速かったんで~この勢いなら挙式の時間には晴れるって推測したんですぅ。この業界って~天気が大事じゃないですかぁ。だから私~いつもこのアプリでお天気チェックしてるんですよっ♪」

「あんたって……やっぱりすごいわね」

「えへへー。昔、気象予報士と付き合ってたことあるんで」

「確実に男からなにかを得ていくその姿勢もすごいと思うわ」

 なな子は「ありがとうございますぅ」と笑った。

「じゃあ、もしかしたらバルーンリリースできるかもしれないってことですか?」

「タイミングだけどね! できる可能性あると思う!」

「私、お客さまに確認してみます。花嫁さまは、きっとやりたいっておっしゃるはず。もし晴れたらいつでもできるように挙式中は待機してもいいですか?」

「次に入っている打ち合わせの準備は大丈夫ね?」

 蘭が聞く。愛子は「ばっちりです!」と返した。

「それならいいわ。早くお客さまのところへ行ってあげなさい」

「ありがとうございます! なな子ちゃんも本当にありがとう!」

「ううん。私は天気を読んだだけ。奇跡が起こったのは愛子ちゃんのおかげだよっ」

「えっ、私ですか?」

 愛子が驚いていると、なな子がポケットを指して言った。

「ほら、それ! てるてるプリンセスちゃんの想いが通じたんだよ」

「そうかもしれないわ。この仕事って、実際そういうことバカにできないのよね。奇跡ってさ、信じれば起こるものなのよ。その想いが強ければ強いほど……ね?」

 愛子は「はいっ」と大きく頷いて、お客さまのもとへと向かった。



 なな子の言う通り、佐藤さま・塩川さまの挙式は奇跡的に晴れた。

 水色のキャンバス……とまではいかなかったが、空に広がった色とりどりの風船は本当にきれいで、まるで二人の門出を祝福しているようだった。

 なによりも、花嫁さまの笑顔がうれしい。幸せのおすそ分けをもらい、愛子の心はぽかぽかとあたたかくなった。

 しかし今、打ち合わせ用のサロンにいる愛子の眉間には皺が寄っていた。進藤のせいである。朝、中止にすると報告した演出を勝手に行ったことで、叱責を受けたのだ。

「くっそー……なにが氷の王子よ! あんなやつに王子の資格なんかないっつーの!」

「……それって、誰のこと?」

「決まってるでしょう! あの冷徹人間のマネー……」

 愛子の言葉を、目の前に飛び込んできた色とりどりの花たちが制した。目の前にあるのは小さな花束。ふわりといい香りが鼻孔をくすぐる。

「えっ?」

 いつの間にか、目の前に背の高い男性が立っていた。頭上から甘い声が降る。

「おつかれさま、姫川さん。そんな険しい顔をして、どうしたの?」

 ゆるりとカールした栗色の髪をひとつに結んだヘアスタイル、髪と同じ色をした人懐っこい垂れ目。男は後れ毛を耳に掛ける動作をしながらにっこりと笑った。

 リアル王子キタ―――――!

 愛子は心の中で悶えた。彼はマリアフォレストが提携している花屋、八王子フルールのオーナーである八王子ゆらだ。

「はい、これ。プチブーケ。余ったお花で作ったんだ」

「あ、ありがとうございます! 事務所に飾ります!」

「ううん、これは姫川さんにあげる」

「えっ、ど、どうしてですか?」

「気持ちが荒れたときは、きれいなお花を見るのがいちばんだから。さっきのは……聞かなかったことにしてあげるね!」

 八王子はそう言うと、人差し指を唇の前に立てて「しーっ!」とウインクをした。

「彼、仕事に関しては完璧主義だからね。ドライなビジネス感覚は、仕事相手としてはとても助かってるよ。でも仕事仲間としては……ちょっとやりづらいのかな」

 八王子はそう言って、ふふっと笑った。相手を悪く言うことなく、愛子の気持ちにも共感してくれる。なんてできた人なのだろうと、胸がときめいた。

 やはり彼のような人物こそが、王子さまと呼ばれるにふさわしい。

 手にしたブーケを見ながら、うっとりとそう思った。愛子にとって彼は、絵本に出てくる理想の王子さまそのものだった。

「そうそう! この前に打ち合わせをした砂田さまのブーケの件だけど、資料を集めてきたよ」

 八王子は愛子の横に腰掛けると、タブレット端末を取り出して見せた。表示された画面には、華やかなブーケの写真がずらりと並んでいる。思わず「かわいいー!」と歓声を上げると、八王子がうれしそうにふっと笑った。

「ありがと。これ、全部僕が制作したブーケなんだ。見せてもらったカラードレスにはこういうイメージが合うと思うんだけど、どうかな?」

「素敵です! ご新婦の麗美さまの好みにも合いそう」

「よかった。じゃあ僕はこのイメージでいくつか提案をするから、フォローをお願いするね」

 はいっ、と大きく頷くと、ふいに顔を覗き込まれた。

「もしかして緊張してる?」

「え、ど、どうしてですか?」

「なんだかそわそわしてるから」

「す、すみません!」

 八王子は「謝ることなんてないよ」と言ったが、愛子は首を振った。

「だって、ダメですよね。そんなふうに表に出ていたら」

 実は緊張をしているというのはその通りだった。

「感情的にならないように、しっかりしないと!」

 つい進藤に言われた言葉を思い出してしまい、両方の頬をピチリと叩く。すると微笑みながら一連の言動を見ていた八王子が出し抜けに言った。

「特別なお客さまなんでしょう」

 愛子は「えっ」と驚いた。

「どうして……わかったんですか?」

「わかるよ。一生懸命な姫川さんを見ていたら」

 八王子は、子どもをからかうように笑った。思わず赤くなる。

 そう、砂田夫婦は愛子にとって特別なお客さまだった。