――拷問師は、紳士的でなければならない。

 俺がまだメキシコにいた頃、ボスに言われた言葉だ。



 その男――ラミロ・サンチェスは、メキシコのベラクルス市では知らない者はいないというほどの大悪党だったが、メジャーリーグでプレーする夢を諦めて自暴自棄になり、ただのストリートギャングと化していた俺を拾ってくれた恩人でもあった。

 彼はなぜか、俺のことを買ってくれていた。まだ十代半ばのクソガキで、麻薬カルテルの世界に身を置いて一年も経っていなかった俺に、麻薬王ドン・ラミロはある日、あろうことか突然、『拷問役をやってみろ』と命じたのだ。

 どうやら、カルテルにいた拷問の専門家が抗争で命を落としたばかりで、ちょうど後任を探していたらしい。とはいえ、俺にとってみれば、まったく予想もしない命令だった。

 逮捕と出所を繰り返しながら、このまま反社会的組織の末端としてぐだついた日々を送り、最終的には敵対グループか警察に射殺されて野垂れ死ぬ運命――漠然とだが、俺はそんな風に自分の人生を思い描いていた。

 だから、ボスの言葉には心底驚いた。

 拷問師というのは、組織の様々な秘密を握る重要な役目だ。当然、忠義心の厚い、信頼の置ける人物が務めなければならない。

 そんな大それたポジションを、この俺に、だって?

 この業界じゃ、俺はまだ新米だ。荷が重すぎる。

『……俺に、できるでしょうか』

 気付けば俺は腑抜けた本音を口にしていた。それも、ベラクルスの麻薬王に向かって。

 なにを弱気なことを言ってるんだ、と罵られ、数発殴られてもおかしくはなかったが、我がボスは懐の深いお方だった。

『お前は賢い。他の連中と違って、頭があるから、力を振りかざすことがない』

 ボスは目尻に皺を寄せて笑った。

『だからこそ、この仕事に向いてるんだ』

 ――拷問は、暴力ではない。

 麻薬王は俺にそう説いた。

 拷問師は、ただのサディスト気取りには務まらない。高尚かつ芸術的で、繊細な仕事なのだ、と。

 ――いいか、殺すなよ。

 彼は念を押した。

 ――絶対に、息の根を止めてはいけない。

 拷問における最大のタブーは、相手を簡単に殺してしまうことだ。



 若かりし俺はその頃、拷問なんてただ単に痛めつければいいものだと思い込んでいる節があった。殴って切りつけて、痛みを与え続ければ、そのうち相手の心が折れてくれる、と。

 だが、そうではないのだと麻薬王は俺に教えた。女を愛するときのように――といっても、俺は女を愛したことがないが――優しく体に触れながら、心に傷をつけていく。それが拷問というものだそうだ。

 拷問の仕事は、大まかに分けて二つ。

 ひとつは、相手から情報を訊き出すこと。

 もうひとつは、相手を思う存分懲らしめて罰を与えること。

 いずれの目的にせよ、手段は同じである。長く生かし、恐怖と苦痛を与え続ける。愛をもって。拷問の本質は、相手に精神的なダメージを与えるということだ。肉体的なダメージではなく。

 つまり、拷問というのは、生かすための作業だ。できるだけ、命を長びかせる。殺さないように、気絶させないようにと、相手の体を気遣う必要がある。だから、拷問師は心優しく、愛情深く、紳士的でなければならない。

 そんなボスの言葉の数々に、俺は妙に納得してしまった。人を痛めつけるのも殺すのも好きではないが、そういうことならば自分にもできるかもしれないな、なんて乗せられてしまい、その大役を務めることにした。

 結果としてみれば、その仕事は天職だった。

 それがきっかけでドン・ラミロに目をかけられ、俺はあっという間に出世し、カルテルにおいてボスの右腕という確固たる地位を築いていったのだが、それはまた別の話だ。

 今はもう、俺はカルテルの人間ではない。


   *


 ドン・ラミロの教えは、俺の名前がアレックスからマルティネスに変わった今でもなお、十分に役に立っている。

 懐かしい昔の日々を思い返しながら、俺は目の前に座っている男の体にそっとメスを入れた。

 皮膚が裂け、傷口からじんわりと血が滲み出す。

「頼むよ、もう、お願いだから……っ!」

 やめてくれ、頼むから。息も絶え絶えに、男は懇願する。手足は縛られていて、身動きが取れないでいる。哀れな姿だ。

 俺は構うことなく作業を続けた。

 二十代半ばという年齢にしては艶もハリもない肌に、じっくりと傷を刻みつけていく。男は体を捩り、ささやかな抵抗を見せた。

「俺は、なにも知らないんだよ、本当だ、俺じゃないんだ」

 なあ、信じてくれよ。頼むよ。痛みに顔をしかめながら、男は同じ言葉を何度も何度も繰り返す。

 残念だが、見ず知らずの男のそんな戯言を信じてやれるほど、俺はお人好しじゃない。



 二十歳を過ぎた頃、俺はわけあってメキシコから日本へと渡ったが、そこでもまた同じような生活を送ることになった。根無し草のように転がっているうちに、福岡に本拠地を置く犯罪集団に目をつけられ、連中のお抱えの拷問師となった。

 ベラクルス市から福岡市に場所を移しただけで、やっていることはたいして変わらない。結局は、犯罪だ。人を拷問して金をいただく。俺はこの街でも法を犯した。組織に楯突く奴を痛めつけて懲らしめたり、なにかを知ってる奴から情報を訊き出したりするために。

 今回の仕事は、その両方だった。

 依頼人の話では、この男は組織の金を持ち逃げし、どこかに隠してしまったらしい。メンバー全員で男が住んでいるアパートをくまなく探し回ったが、金は見つからなかったという。

 その在処を訊き出すために、俺にお声がかかった、というわけだ。よくある、いつも通りの依頼だった。

「――おいおい、堪え性がねえ奴だなぁ」

 俺は陳腐な軽口を叩きながらも、手を動かし続けた。

 殺さないよう、長く、長く。

 男は全身の傷から血を流していた。だが、その呼吸はまだ力強い。傷の深さを調整し、出血の量をコントロールしているからだ。簡単に死んでしまわないようにと。

「お楽しみはこれからだぜ」

 そう言いながら俺が取り出したのは、大げさなまでに凶暴な見てくれをした工具だった。

 それを見た男が、ひっ、と声をあげる。顔は青ざめ、怯えている。いったいその道具でなにをするつもりなんだ、と奴の目が俺に訴えてきた。

 恐怖は、拷問の最大のスパイス。最も効率よく精神にダメージを与えられる。だから、見た目は大事だ。

 そういう意味では、俺はこの仕事に向いているのかもしれない。顔は強面で体はごつく、身長は2メートル近くある。素手で人間を引き千切れるのではないかというほど、両腕の筋肉も凶暴なまでに発達している。ただでさえ、人に恐怖を抱かせる容姿だ。

 そんな俺が拷問を始めようとすれば、たいていの奴が怯える。いくら俺の根が優しくとも。俺はゲイで、性的にはマイノリティだが、性癖はいたって普通だ。相手を痛めつけることに興奮したり、快楽を感じたりすることはない。むしろ、早く楽にしてやりたい、といつも思う。首を切り落として、心臓をぶち抜いて、この苦痛から解放してやりたい、と。

 こう見えて、俺は紳士的な拷問師なのだ。

 だから、さっさと吐きやがれ、などと怒鳴りつけるようなことはしない。その代わり、甘く囁いてやる。

「……なあ、逃がしてやろうか?」

 声色を変え、真剣な表情でそう言うと、男ははっと顔を上げた。縋るような目で俺を見つめている。「な、なんだって?」

「正直に喋ってくれたら、俺がなんとかしてやるぜ」

「なんとか、って」

「殺したことにしてやるよ、お前のこと。組織の連中には、『死体は俺が片付けとく』って言っときゃ、深くは追及されねえ。その間、お前はずっと死んだフリをしてればいい」

 相手との信頼関係を築くことも、口を割らせる手段のひとつだ。

「本当は俺だって、こんなことはしたくねえんだぜ?」俺は真顔で言った。

 まあ、実際、その言葉は本心だった。

「お前を殺すことには、何のメリットもない。金の場所さえ訊き出せれば、成功報酬がもらえるんだから。お前だって、金より命の方が大事だろ?」

 すると、

「……本当に、逃がしてくれるのか?」

 男の瞳に光が宿った。

 奴の中に芽生えた一筋の希望を、俺は大事に育ててやる。「ああ、そうだ。逃がしてやるよ」

「そんなこと言って、俺を騙すつもりじゃ――」

「俺の目的は報酬だ。情報さえ訊き出せば、それでいいんだ。お前を殺して、無駄に罪を重ねたくはねえ」

 俺は「で、どうすんだ?」と男の目を見据え、尋ねた。相手に選択権を与えることも、信頼を築くひとつの手だ。

 しばらく黙り込んでいた男が、

「……上手くいくんだろうな?」

 と、囁くような声で訊いた。

「心配いらねえよ。こういうのは、今回が初めてじゃない」

 相手を安心させるために言った言葉ではあるが、あながち間違いじゃなかった。拷問した相手を逃がしたことなら、過去に一度だけある。

「大丈夫だ、上手くいくさ」

 ここで、さらにダメ押しだ。

「その代わり」と、俺はわざと口の端を上げ、下衆な表情をつくってみせた。「手数料はいただくぜ」

 男は一瞬、眉間に皺を寄せたが、すぐに頷いた。「……ああ、わかってる。いくら欲しいんだ?」

「心配すんな、チップみてえなもんだ。ほんの気持ちばかりもらえればいい。お前、今いくら持ってんだ?」

「財布の中に、十万ある」

「んじゃ、その半分くれよ」

「……よし、わかった」

 たった五万で命が助かるんだ。割のいい取引だろう。男は素直に了承した。

 一笑し、俺は顎で男を指す。「ほら、今度はお前が喋る番だぜ」

 言われた通り、男が口を開いた。

「しょうがなかったんだ……借金があって……」

 俯き、言い訳がましい口調で続ける。

「ギャンブルで大負けしちまって、金を借りたんだよ。玄海ファイナンスっていう、闇金にな。早く金返さねえと命はないぞ、って連中に脅されて……だから、しょうがなく……」

 俺はため息をついた。「んなことはどうでもいい。それで? 盗んだ金はどこにあるんだ?」

「金なら、レンタルスペースの中に隠してある。箱崎にある、三号線沿いの店だ」

 三号線沿い――あそこだな、とすぐに見当がついた。その店なら前に見かけたことがある。

 だが、そのドアを開けるには、鍵が必要だ。

「鍵はどこだ?」

「俺の部屋にあるよ。風呂場の、シャンプーの容器の中だ」

「よし」

 男から情報を訊き出すことに成功した俺は、

「待ってろ、すぐにここから連れ出してやる」

 にやりと笑い、すぐに電話をかけた。

「――もしもし? 俺だ」

『吐いたか?』

 しわがれた声が返ってきた。電話の相手は、俺の今のボスだ。

「ああ」頷き、説明する。「金はレンタルスペースに隠してるってよ。ドアの鍵は、奴の家の風呂場にあるシャンプーの中」

『そんなとこに隠してやがったのか。道理で見つからないわけだ』

「こいつ、念のため、まだ生かしとくけど」

『またあとで連絡する』ボスが言った。『金さえ見つかれば、そいつは用無しだ。痛めつけて殺してくれ』

「オーケイ。死体は俺が片付けとくよ」俺は電話を切った。それから、男に声をかける。「金が見つかったら、お前を殺すように言われた」

「……本当に、うまくいくんだろうな?」男は不安そうだ。

「任せとけ」

 それから、俺は男の手当てを始めた。傷口に強く包帯を巻き、止血する。

「これ、飲んどけ」

 白い錠剤を口に含ませると、男は顔をしかめた。毒ではないかと疑っているのだろう。

「安心しろ、ただの睡眠薬だ。少し眠って、体力を回復しといた方がいい。血も足りねえだろうし」

 ペットボトルを傾け、男の喉に無理やり水を注ぎ込む。奴は薬をごくりと飲み込んでから、「ありがとな。あんた、結構いい奴だ」と言った。

「気にすんな。んなことより、これからのこと考えとけよ」

 これからのこと、と男は呟いた。なにかを思い出し、苦笑している。「……あいつに謝んなきゃな」

「あいつ?」俺はわざと、世間話をするような軽い調子で訊いた。「なんだ、女でもいるのか?」

「ああ、まあな」

 男は笑みを浮かべた。すっかり俺に心を許しているようだ。まあ、こいつにとってみれば、俺は共犯だからな。

「週末、一緒に野球を観に行く予定だったんだ。交流戦のチケットを取ってたんだけどさ」

「……野球、ねえ」

「でも、まさか、こんなことになっちまうなんて……行けそうにねえなぁ、これじゃあ」

 俺は、逃げなきゃいけないから。あいつらから。早く、この街を出なきゃ。そんな言葉を、男はうわ言のように呟いている。薬が効いてきたようだ。

「……ああ、眠くなってきた」

「おやすみ」子どもを寝かしつけるような優しい声色で、俺は告げた。「目が覚めたときには、お前は自由だ」

 そうだな、と男は呟いた。安心しきった表情だった。両目を閉じた男に、それでいい、と俺は心の中で頷く。

 男はそのまま深い眠りについてしまった。

 ボスから連絡があったのは、その三十分後だ。

『金が見つかった』

 どうやら、盗まれていた金を無事に取り戻すことができたらしい。俺が男から訊き出した情報は、正しかったというわけだ。

 ボスが低い声で命じる。『――殺せ』

 痛めつけて、散々苦しませて、自分のしたことを後悔させろ。ボスの声色から憤りが伝わってくる。

「オーケイ」と小さく答えて、俺は電話を切った。

 睡眠薬を飲ませたのは、俺の優しさだ。せめて苦しまずに、恐怖を抱かず、安らかに逝けるようにと。

 眠りこけている男を前に、俺は懐から拳銃を取り出した。

 垂れた男の頭に銃口を向ける。

 いい夢を――小さく呟くと、俺はトリガーを引き、男を永遠の眠りへと誘った。

 嘘は言ってねえ。

 お前はもう、自由だ。


   *


 ボスは今回の俺の仕事ぶりに満足してくれているようだった。回収した金の5パーセントを、成功報酬として俺にくれた。

 次の仕事までの間、俺はその金で毎晩ショットバーやブリティッシュパブに入り浸り、怠惰な日々を過ごしていた。拷問したい相手なんて、そう頻繁に湧いて出てくるものではない。依頼はいつも、一か月に一度あるかどうかのペースだ。ボスから電話がかかってくるのを、俺はのんびり待っていた。

 ところが、珍しいことに、前回の依頼からあまり間を空けずに連絡が入った。

『また、仕事を頼みたい』

 電話越しに聞こえてきたボスの声は、どこか不機嫌そうだった。金を取り戻して満足していたはずだが、どうやらまた新たな問題が生じたらしい。

 一週間の間に二件もの仕事を頼まれるなんて、今までにはなかったことだ。いつもと違うこの事態に、俺は妙な胸騒ぎを覚えた。

 だが、俺がボスの命令に「no」と答えることはない。

「相手は誰なんだ?」

『よくわからん』

 と、ボスは曖昧なことを言った。

「……は?」

『どうやら、ハッカーらしいんだが、何者かわからないんだ』

「ハッカー?」

 縁遠い存在だ。どんな奴なのか、想像もつかない。

『俺たちのことを嗅ぎ回ってやがった』と、ボスは忌々しげに言った。『なにが目的なのか、誰に頼まれたのか、どこまで知っているのか――すべて、吐かせろ』



 俺はボスの命令を受け、いつもの仕事場へ向かった。春吉にある雑居ビル――その地下の一室。空きテナントのようにも見える、がらんとしたこの小さなフロアは、組織が倉庫代わりにしている部屋で、俺の仕事場でもある。

 そこに、奴はいた。

 薄暗い部屋の片隅に、件のハッカーが椅子に縛り付けられ、ぐったりと首を垂れている。

 そいつの髪の毛を掴み、無理やり上を向かせたところで、

「……おいおい、まだガキじゃねえか」

 と、俺は思わず呟いてしまった。

 囚われていたのは、子どもだ。髪型は黒いマッシュボブで、肌の色は白く、いかにも貧弱で根暗そうな痩身の少年。拘束された際に組織の連中に散々痛めつけられたのだろう、体中に痣や傷が見られる。口の端は切れ、唇には血が滲んでいた。

 長い前髪から覗く三白眼が、じっと俺を見つめている。目つきが悪く、可愛げのない顔だった。

「お前、いくつだ?」

 俺は訊いた。これは尋問ではなく、ただの質問だ。

 一応、確認しておきたかった。日系人は実年齢よりも若く見られがちだ。こう見えてこいつも実は大人だったりして、と思ったのだが、

「じゅうろく」

 返ってきた言葉に、俺は頭を抱えた。

 やっぱりガキかよ。やりづれえな。

 それにしても、たった十六歳の子どもが、どうして組織のことを探ってやがったんだ? パソコン弄りばかりでネットの中に閉じこもっているような奴が、なぜこうして捕まってる? どんな火遊びをすれば、こんな結果になるのだろうか。疑問ばかりが頭に浮かぶ。

「馬鹿だな。ガキのくせに妙なことに首突っ込むから、痛い目みるんだぜ」俺は肩をすくめて言った。

 報酬は珍しく前払いで、アタッシュケースに入れて部屋の隅に置かれていた。俺はまず中身の札の枚数を確認した。十分すぎるほどの額だった。

 それから、壁に立てかけてあったパイプ椅子を持ち寄り、少年の向かい側に腰を下ろした。

「名前は?」

 という俺の質問に、

「さあね」

 奴は一笑し、首を捻った。

 ……なにが「さあね」だ。生意気な奴め。

「じゃあ、なんて呼べばいい? 偽名で構わねえぜ」

「拷問する相手の名前なんか、別にどうでもいいじゃん」ガキが笑った。皮肉っぽい言い方だった。

「それが俺のやり方なんだよ」

「へえ、まるで交渉人みたいだ」

 そいつの大人びた反応に、俺は内心驚いていた。

 なんだ、このガキは。子どものくせに、どうしてそんなに平然としていられる? 今からなにをされるのかわからないほど、こいつも馬鹿ではないだろう。

 俺が――拷問が、怖くないのか?

「名前を呼ぶことで相手との距離を縮めて、心を開かせようって魂胆でしょ。よくある手だよね」

 俺は舌打ちした。

「……可愛くねえガキだぜ」