序章 現実と夢の狭間


「おばあちゃん。その箱なあに?」

 後ろから覗き込むと、おばあちゃんは手の中に握り込むように小箱を隠した。

 一瞬、小箱の隙間から金色の尻尾のようなものが見えたけれど、おばあちゃんはすぐにエプロンのポケットに小箱を入れてしまった。リスのようなふさふさした尻尾だった。でもあの小箱の中に入ることができる大きさのリスなんていない。

「何でもないのよ。さあ、お父さんとお母さんはお仕事だから、今日もおばあちゃんと一緒に寝ようね」

 うん、と頷いて、それ以上何も聞かずに布団に潜り込む。

 あの寄せ木細工の小箱、たまにおばあちゃんは開いて中を眺めている。そして箱の中に向かって、語り掛けているのだ。

 ――今日も変わりないのね。よかった。安心したわ。こちらは大丈夫よ。

 安心した? おばあちゃんがどんな変化を心配しているのか、私にはわからない。あの中に何が棲んでいたのか、もう私には確認することもできない。

 手の中に握り込めば、隠れてしまうほどの小箱。おばあちゃんのお葬式が終わったあとに探してみたのに、どこにもなかった。

「何をしているんだ」

 咎める声が、私を追い掛けてくる。顔を上げると父親が私を見下ろしていた。

「いいか? 一切妖怪の話はするな。誰の前でもだ。お前が興味を持っているのは知っているが、そんな話をしたら誰も寄りつかなくなる。後ろ指をさされるだけだ」

「もうすでにそんな状態だけど」

「口答えをするな! 世間体があるだろ! お前は黙って勉強してろ!」

 目の前で打ちつけるように閉められるドアに、耳を塞いで目を閉じる。

 ――ああ、ようやく真っ暗になった。

 すると、絞まっていた喉が開いて息が吸えるようになる。ぺちゃんこになった肺が膨らんで、肋骨がぎしぎしと痛む。

 光の満ちた白い世界にいるよりも、目を閉じて真っ暗な世界にいるほうが好き。

 明るい世界は一人きりの現実を炙り出す。暗い世界にいれば、もしかしたら何かが傍に寄り添ってくれているかもしれない。

 そう、あの時のように、おばあちゃんの持っていた小箱が開いて、中から金色の尻尾が出てきてゆらゆらと揺れるかもしれない。

 そっと瞼を開く。おばあちゃんの部屋はいつの間にか薄暗くなっていた。

 日が落ちて、逢魔が時が――妖怪たちの時間が、やってくる。

 ――寂しいの?

「寂しいよ、おばあちゃん」

 ――大丈夫よ。この世界にはね、沢山の妖怪たちが人間から隠れるように棲んでいるわ。あなたを陰から見守ってくれているの。だから寂しくないわ。

 嘘よ。この世界のどこに、妖怪たちが棲んでいるの。

 おばあちゃんは布団の中や遊びの中で沢山の妖怪を教えてくれた。知識と興味ばかりが自分の頭の中に詰め込まれる日々は、すごく充実していた。でもおばあちゃんは、妖怪嫌いの父のせいで私から遠ざけられて、疎遠になったまま亡くなってしまった。本当はもっともっと妖怪のことを沢山教えてもらいたかったのに。

 あの小箱の中身も、知りたかった。

 どうして父親が、妖怪に過剰に反応するのかわからない。散々怒鳴られて、父親に対する怒りもある。直視できない複雑な感情から目を背けて、もう一度瞼を閉じる。

「――シロ、見て。寝ちゃったよ。疲れていたのかな」

「本当ですね。ワタシも眠いですよ」

「僕も眠い。ちょっと休憩しよう」

 どこかの世界から、囁き声が降ってくる。

 周りでうろうろしていた淡い熱が、私に寄り掛かってすとんと腰を下ろす。柔らかい毛が手に当たり、小さく呼吸を繰り返している。どっちが現実で、どっちが夢?

「――おやすみ、小町さん」

 誰かが私にタオルケットを掛けてくれた。その瞬間、こっちが現実だと確信する。

「おやすみ……。恵留くん」

 呟くと、一気に世界が黒く塗りつぶされていく。

 夢の中であの小箱を見た。覗き込むと蓋が開いていて、中から声がした。

 ――こちらは何も変わりない。気をつけろ。人間は妖怪よりも恐ろしいイキモノだからな。そちらはどうだ。

「こちらは大丈夫よ」

 いつか聞いたように答えると、小箱の中で双眸がにいと歪む。そして何事もなかったように蓋が閉まり、私はさらに深い眠りの底に落ちていった。



第一縁 縁結び再開 運命の相手と大事な人を天秤に掛けて



「――それで、結婚相手に望むことは何でしょうか?」

 蝉の声がわんわんと響いていた。

 降り注ぐ太陽が庭の緑をギラギラと乱暴に輝かせている。濡れ縁のガラス窓を開けた瞬間、茹るほどの熱い空気が部屋の中に雪崩れ込んでくるだろう。

 絶対に開けたくないけれど、さっきからガラス窓の向こうでは、猫背の女の人が縁側に腰掛けて、順番を待っている。

 彼女からは尻尾が生えていて、ゆらりゆらりと陽炎のように揺れている。それを視界の端に捉えながら、目の前の相談者の言葉をパソコンに打ち込んでいく。

 盛況。そんな言葉が脳裏に浮かんで、勝手に頬が上がった。

 八月初旬の今日、朝から新規の登録者が三人も訪れたし、このあとも縁側に腰掛けている妖狐の女性や、肌が燃えるように赤い鬼の男性の相談が待っている。

「――はい、黒羽縁組天泣堂です。登録ですか?」

 えんじの座布団の上で、ふわふわした白い毛の子犬が、額の第三の目を開いて、てきぱきと受け答えをしていた。部屋の片隅では長い黒髪の女性が、僕の前に座る異形のモノをまじまじと眺めて、熱心にメモを取っている。

 ここは、妖怪の結婚相談所。黒羽縁組天泣堂。

 皆からは〝天泣堂〟と呼ばれることが多い。

 天泣堂は僕の実家である烏珠山黒羽寺の塔頭寺院の双宿院に事務所を構えている。黒羽寺は五百年続く臨済宗の古刹で、大小さまざまな五つの塔頭寺院に、修行僧である雲水の修行道場も抱えている。

 江戸時代初期に建てられた本堂や法堂、開山堂、庭の五重塔、大方丈や小方丈。観光の目玉である三門など、数々の建築物が国の重要文化財として指定され、黒羽寺の前には今でも門前町が栄えている。だだっ広い境内は、東京ドーム三個分ほどあり、その中には寺院の建築物の他に、音楽ホールや美術館などの文化的な施設を抱え、境内外では幼稚園も運営していたりする。

 双宿院自体は、境内から少し離れた山の麓にひっそりと建っているから、喧騒とは無縁だけれど、黒羽寺の境内はいつも観光客で溢れている。

 そして僕は、そんな黒羽寺の三男坊で、天泣堂の主。烏丸恵留。

 元々は父さんの烏丸真留が天泣堂の主だった。だが七月の頭に突然ぎっくり腰になり、僕が代わりに期間限定で運営を引き受けることになった。そのあといろいろあって、つい最近正式に運営を引き継いだ。だから主としてはまだまだだ。

 子犬にしか見えないが、犬のように扱うと本気で怒るのは、補佐役の妖怪・白澤の子、シロ。本当の名前は小白だけど、父さんが呼びにくいからとシロと呼んでいたそうだ。なので僕らもシロと呼んでいる。

 シロ曰く、白澤は唐の妖獣で、人間の言葉を話し、非常に博学だそうだ。でもシロは生まれてすぐに天泣堂に預けられたため、修行中で博学とは言えないらしい。

 それでも的確なアドバイスをしてくれるし、妖怪とのアポイントメントを取ったり、妖怪の棲家に僕らを瞬間移動で連れていってくれる。僕が天泣堂の存在を知る前から、父さんの弟子として運営に携わっていて、不慣れな僕といろいろと衝突したけれど、今は僕のよき相棒だ。

 そして長い黒髪の女性は軽井沢小町さん。僕と同じ大学の一年生。僕は工学部で彼女は民俗学部に通っている。

 圧倒的に美しい容姿と媚びない性格で、誰も寄せつけず孤高の存在だったが、無類の妖怪好きだと知った僕が苦労しながらも何とか声を掛けたことをきっかけに、天泣堂の運営を手伝ってくれている。

 無論僕とも初めは距離があった。でも妖怪たちの縁組みをする間に少しずつだけど、信頼関係を構築できてきたと思う。

 正直僕は妖怪にも縁組みにも新米でわからないことが多いけれど、小町さんとシロという強力なメンバーと一緒に、手探りながらも頑張っている。

 八月に入り数日が過ぎた。僕と小町さんはいよいよ夏休みが始まって、シロとともに連日天泣堂の運営に打ち込んでいる。

 妖怪たちの縁組み相談を聞き、仕事が一段落した頃にはもうすでに夜が訪れていた。僕はいつも通り、小町さんが一人暮らしをしているアパートの近くの公園まで彼女を送っていた。

「今日もありがとう。あのさ、明日――」

「行かない」

 ぴしゃりと拒否されて、唇を真一文字に引き結ぶ。うーん、やっぱり駄目か。

「明日は一人で行って。私は絶対に行かないから」

「たまには皆で遊ぼうよ。僕の友達の隼人が地元にしばらく帰るから、その前にバーベキューをやろうって誘ってくれたんだ。小町さんも一緒なら絶対に楽しいって思ったけど、やっぱり……」

「無理。何回誘われても同じ。私は絶対に行かない」

 断固拒否の姿勢に、これ以上ごねることはできないと問答無用で口を閉じる。

 小町さんは大学ではいつも一人だ。

 人と関わるのが苦手だと、僕にだけこっそりと打ち明けてくれた。

 妖怪が好きなことを両親に反対され続け、同級生からも変な子だとレッテルを貼られたと聞いた。彼女の心の傷は今も膿んでいて、孤独へと走らせている。

 僕も家族の中で感じていた疎外感や、ずっと父さんに反対されていたせいで、父さん以外に誰にも打ち明けられなかった、僧侶になりたいという夢を彼女に打ち明けた。その後、小町さんに背中を押してもらったおかげで、父さんにも出家したい気持ちを理解してもらうことができ、僕は大分楽に呼吸ができるようになった。

「あ、あのさ」

「え?」

 足を止めると、小町さんは眉を顰めていた。これ以上この話をするの? と、言いたげな瞳に、目を逸らして俯く。

 さっきからずっとジーンズのポケットに突っ込んでいた手を一気に引き出して、小町さんの前で拳を広げる。

 僕の手のひらに載っている小さな鍵から、小町さんは目を離そうとしない。

「これ、双宿院の鍵。僕やシロがいない時も自由に出入りしてくれて構わないから」

 まるで同棲を始めるカップルみたいで、ちょっと緊張していた。天泣堂がある双宿院にはキッチンも風呂もあるし、その気になれば住めるけど。

「あ、ありがと」

 小町さんの声が若干震えている。そして僕の手から、銀色の鍵を受け取った。

「本当はもっと早く渡すべきだったのに、合い鍵を作ったりしていたら、時間が掛かっちゃった。ごめん」

 僕がさっきまでポケットの中で握りしめていた鍵を、今度は小町さんが俯き加減で握りしめている。その姿を見て、何となく居心地が悪くなる。

 自分の鼓動の速さ、小町さんの頬を染める、街灯の橙。

 魔法が掛かったみたいに、全部いつもと違う。

 以前、小町さんが双宿院に住み着きそうだな、なんて思ったけれど、そこに僕も住んでいたりして、だなんて、この雰囲気のせいで真剣に考えてしまいそうになる。

「……明日誘ってくれたのに、行けなくてごめん。双宿院で留守番してる。恵留くんが帰ってくるの、待ってるから」

 小町さんが振り絞るように言葉を放って、まるで雲を蹴るように軽やかに暗闇に向かって駆けていく。

 留守番だとか、待ってる、だとか、他愛のない一言が僕の心に火を灯す。僕は呆けたように小町さんの後ろ姿を見ながら、夢見心地で「うん」と小さく呟いていた。



「恵留くーん! 楽しんでる?」

 はしゃいだ声を上げて、串に刺した肉を焼く僕の傍に来たのは、隼人の彼女の沙優ちゃんだった。僕は同じ学部の友人である隼人たちと、大学の近くの河原で開催されている、バーベキューに参加していた。隼人と沙優ちゃんの他にも、隼人が所属しているテニスサークルのメンバーたちがいて、総勢二十人ほどの大所帯になっていた。

「ありがとう。楽しんでるよ」

 沙優ちゃんは、川で泳いでいたのか、濡れた髪を乱雑にまとめて笑顔を振りまく。水着の上にTシャツを着ていたが、何とも目のやり場に困る。

 この間、僕らが初めて成婚させた秋葉山の天狗の朱門さんたちと一緒に泳ぎに行った時、小町さんは上下黒のTシャツと短パンだった。正直水着姿を見たかったな、なんて、今でもたまに惜しい気持ちになる。

「恵留、楽しんでるか? お、肉が美味そうだな!」

「今これ焼けたよ。隼人、よかったら食べなよ」

 隼人は焼けたばかりの肉にかぶりつき、美味い! と叫んでいる。

 正直ここに来てから泳ぐこともなく、ずっと肉を焼いたり、焼きそばを作ったりしていた。でも、目の前で美味いと言ってもらえるのはとても嬉しいことだから、料理担当に甘んじているのは僕自身。

 隼人と沙優ちゃんは、ぺろりと肉を平らげたあと、また泳ぎに行くと言って、川に向かう。入れ替わりにやってきたのは――。

「こんにちは。さっきから肉ばっかり焼いてるけど、君は泳がなくていいの?」

 背の高い男性が缶ビール片手に僕を見下ろしていた。

 金髪に近い、ウエーブの掛かった明るい茶色い髪に、耳にはピアスがいくつも開いている。垂れ目が笑うとさらに垂れて、どうにもチャラさばかりが印象に残る。

「君って、烏丸恵留くんでしょ?」

 泳がなくていいのか、という問いの答えを待たずにさらに問いを重ねてきて、目を瞬くが、彼は当たり障りのない笑みを浮かべていた。

「……そうですが、どうして僕の名前を?」

「あはは。そんなに警戒しなくても。君のことは、皆知ってるよ。だって君、軽井沢小町さんと付き合ってるんでしょ? 大学で猛烈に噂になってるし」

 その言葉に、心臓が止まりそうになる。

「つ、付き合ってないですよ! 小町さんは友達で!」

「え? そうなの? この間大学で偶然二人が一緒にいるところを見掛けて、すごくいい雰囲気だと思ったんだけどなあ」

 え、そ、そうだったのかな。そう見えていたなら嬉しいけど……。

「それより、恵留くんは隼人の友達なの?」

「そうです。隼人と同じ学部で、入学式で隣の席だったんで、それから仲良くさせてもらってます」

「へえ、なるほどね。ごめん、自己紹介がまだだった。俺は赤城志貴。同じ大学の経営学部の三年。隼人と同じテニスサークルなんだ。これからよろしく」

 見た目はチャラそうだとは思ったが、案外物腰が柔らかくて、話しやすい人だった。そのあとも、赤城さんは泳ぎに行くこともなく、僕と一緒に肉を焼いたり、料理を率先して手伝ってくれた。


「赤城志貴、ね」

「うん。すごくいい人だった。皆食べるもの食べたら遊びに行っちゃったんだけど、赤城さんはいろいろ手伝ってくれたんだ」

 ふうん、と呟いて、小町さんは不満げに唇を尖らせている。

「もしかして知ってる人?」

 尋ねると、小町さんはコンビニの冷凍庫から、ソーダ味のアイスを取り出して僕が持っていたカゴに放り込む。

 夏休み中だけど、以前勉強のために借りた妖怪図鑑を返しに大学の図書館に行った帰り、暑いから炭酸系のジュースが飲みたいと思い立ち、門前町にあるコンビニに寄ってから天泣堂に行こうとして、偶然小町さんに会った。だから昨日のバーベキューの話をしながら一緒にコンビニに寄ったけれど、小町さんはさっきから難しい顔をしている。

「知らない人だけど」

「だったら何で――」

「あれ? 恵留くん?」

 突然聞き覚えがある声が割り込んできた。笑顔を浮かべて佇んでいたのは、噂をしていた赤城さんだった。小町さんはさっと僕の後ろに隠れる。

「赤城さん? どうしてここに……」

「どうしてって、この近くに住んでいるんだけど。昨日はありがとう。楽しかった」

「こちらこそ。赤城さんが手伝ってくれたから、大分楽になりました」

 赤城さんは目尻をさらに垂らし、僕の背中に隠れている小町さんを覗き込む。

「こんにちは。軽井沢小町さんだよね。突然声を掛けてごめん。赤城志貴です。よろしく」

 小町さんはさらに僕の背後に隠れる。返事をしない小町さんだったけれど、赤城さんは気にならないのか「じゃあまたね」と朗らかに告げて、コンビニを出ていった。ドアが閉まるのを見届けて、小町さんが僕の後ろから姿を現す。

「今のが、さっき話していた赤城さん。いい人だよ?」

 窺うように声を掛けると、小町さんは僕に鋭い視線を向ける。

「何か嫌な気配があの人からする。私は関わらないから」

 小町さんは、ぴしゃりと言い切って、取り合おうとしない。

 こうなったらもう何を言っても無駄だというのは理解していたから、僕もそれ以上赤城さんの話題を出すのはやめた。代わりに他愛のない話をしながら小町さんと一緒に双宿院に向かう。玄関の戸を開くと、中から話し声が聞こえた。

「――お願いします! あとはもう天泣堂さんしか頼れねえんだっ!」

 切羽詰まった声が事務所から響いてきて、小町さんと目を見合わせる。慌てて靴を脱いで廊下の突き当たりまで駆けていき、左手側の襖を乱暴に開く。

 すると、中にいた人が驚いたように振り返った。

 ――緑だ。

 ぽかんと口を開けたまま見下ろしていると、小町さんが僕に向かって溜息を吐く。

「さすがの恵留くんでも、彼が何の妖怪かはわかるでしょ」

 妖怪のことを全然知らない僕でも、彼はよく知っている。

 緑の肌に、黄色の嘴。甲羅を背負い、頭には皿。

「河童、だ」

 呟くと、彼は跳ねるように立ち上がり、僕に向かって片手を差し出した。

 反射的に握り返すと、ひんやりと湿っている。人の肌とは違った、つるんとした感触に驚いていると、河童は僕に向かって弾んだ声を上げた。

「あんたが天泣堂の主の恵留だろ? オレは河童の常盤。よろしくな!」

 親しみやすい笑顔に釣られて、僕も笑顔になる。

「初めまして。烏丸恵留です。彼女は天泣堂を手伝ってくれている、軽井沢小町さん」

「あんたが恵留の相棒の小町か! 妖怪たちの間で噂になってるよ。初めまして!」

 常盤さんが片手を差し出すと、小町さんは臆したように身を引いた。でも結局、好奇心が勝ったのか常盤さんの手を握った。そしてすぐに手を離して、小町さんは一気にメモを取り出す。こっそり覗き込むと、そこには常盤さんの手の感触がどうだったか、事細かに綴られていた。

「アナタたちが来る前に、常盤殿に身上書を書いていただいておきましたよ」

 シロはやれやれと、ぐっと伸びをしたあとに、座布団の上で丸くなって目を閉じる。

「ありがとうシロ。じゃあ常盤さん、一緒に身上書の読み合わせを……」

「〝常盤さん〟だなんて、呼び捨てでいいよ。かしこまられると変な気分だ。オレは敬語苦手だし、お前らも普通に友達口調にしてくれ」

「……わかった。じゃあ、そうさせてもらうよ。よろしく常盤」

「ああ。よろしくな、恵留」

 にかっと人懐っこい笑顔を振りまいた常盤は、雰囲気も友好的で親しみやすい。こんな妖怪もいるんだな。

「じゃあ読み合わせを始めるよ。――名前は常盤。種族は河童で、家族構成は妹が二人。両親は幼い頃に他界……。人間社会との関わりは無しで、住んでいる場所は九州」

「そうだ。オレは九州の九千坊親分の右腕なんだ」

「九千坊?」

 尋ねると、小町さんがメモを取るのをやめて口を開く。

「九千坊は西の河童の親分。元々は中国に棲んでいたけれど、仁徳天皇の時代に海を渡って熊本県の八代に辿り着き、筑後川を棲家にしたの。そこから九州一帯に勢力を広げたわ。全盛期には手下の河童が九千人もいたから、『九千坊』って呼ばれているの」

「手下が九千人? それはすごいね!」

「親分は本当にすげえ河童なんだよ! だが今は河童の数も減っちまって、九千人もいねえけどな。一族郎党合わせても百人ほどになっちまった。それより小町は人間なのに河童のこと詳しいんだな。すごいなあ」

 常盤に褒められた小町さんは、恥ずかしそうに俯いた。常盤の言う通り、小町さんはすごい。九千坊と耳にしただけですらすらと知識が出てきて、必要な時には適切なアドバイスをくれる。彼女の妖怪の知識には何度も助けられてきたし、小町さんがいなかったら本気で天泣堂は立ち行かなくなるだろう。

「九千坊さんの右腕って、常盤は優秀なんだな」

「ははっ。腕っぷしには自信があるんだ」

 それに常盤の人柄もいいのだろう。朗らかで親しみやすい常盤がいろんな河童から慕われているのが目に浮かぶ。そんな常盤が結婚相手に求めるものは――。

 身上書に目を落とすと、意外な言葉が書かれていて、思わず書類を顔に近づける。

「結婚相手に求めるもの――、〝ひとめぼれした相手を捜してほしい〟?」

 え、それって……。

 戸惑いながら顔を上げると同時に、常盤は僕たちに向かって土下座した。

「――頼むっ! あとはもう天泣堂さんしか頼れねえんだっ!」

 玄関を開けた時に飛び出してきた言葉と同じ言葉に、思わず小町さんと顔を見合わせる。小町さんは、その大きな両目をさらに大きく見開いていた。

「あの、天泣堂は妖怪の結婚相談所だよ? ひとめぼれした相手を捜すというよりは、新しく出会いを求めている妖怪を引き合わせることが目的で……」

「そんなのわかってるさ! でも、ここが最後の頼みの綱なんだ!」

 畳に額をつけて懇願する常盤に、戸惑いばかりが膨らんでいく。天泣堂は結婚相談所であって、探偵事務所ではない。

「恵留くん、事情だけでも訊いてみたら?」

 断ることばかり考えていたけれど、小町さんに促されて思い直す。

「ひとめぼれした相手を捜してほしいって、一体どういうこと?」

 尋ねると、常盤は今にも泣き出しそうな顔で語り出した。

「相手はオレが幼い頃、一度だけ会った女河童なんだ。当時オレは身体も小さくて気も弱くて、いつも周りの河童たちにいじめられていた。その日もオレは一人、仲間と離れて泣いていたら、突然彼女が現れたんだ。それでオレの隣に座って話を聞いて、なぐさめてくれた。彼女は同い年くらいの河童だったから、オレは自分を恥じた。彼女に比べてオレは何て弱いんだ。弱い自分が嫌だ、って。それから死ぬほど努力したんだ。オレが九千坊親分の右腕になれたのも、もう一度彼女に再会した時に強い男になっていたいって思って」

 最後は消え入りそうな声で呟いて、恥ずかしそうに頭を掻いた。あまりにも真剣な常盤に、言葉が出なくなる。

 すごいな。それほど常盤にとって彼女の存在は鮮烈なものだったんだ。

「それで、常盤は彼女に再会できたの?」

 小町さんが尋ねると、常盤は神妙な顔で俯く。

「いいや。オレは九千坊の親分の右腕で、全国を回って彼女を捜しに行くだなんて勝手な行動は許されない。それでもいろんな伝手を頼って捜してはみたが、手掛かりすら得られなかった」

「常盤は勝手に棲家を出ることはできないんだね。でもそのひとめぼれの相手は常盤の棲家にはいなかったんだよね。河童によっては全国を渡り歩くの?」

 尋ねると、常盤が首を横に振る。

「普通はない。旅に出ることも少ないかな。だからどうして彼女がオレの里に現れたかは幼い頃のことでよくわからない。でも出会ったことは事実だ」

 何か事情があって、常盤の里に彼女が訪れた、ということか。

「男の河童は人間たちと同じく、二十年生きると大人として扱われて、結婚適齢期になる。オレは今二十一歳で、彼女もオレと年が変わらないくらいに見えた。女の河童の適齢期は十七歳からだから、彼女が天泣堂に登録しているかもって考えたんだ」

「今、河童自体も数を減らしているの? もしかして絶滅危惧種指定された?」

 尋ねると、常盤が神妙な顔で頷いた。

「まだ絶滅危惧種指定は受けていないが、数が減っているのは自分たちでも嫌になるほどわかってるよ。しかも人間たちが夜も活動するようになって、気軽に行動できなくなった。だから天泣堂がオレたち未婚の妖怪たちの救済場所として存在するのは妖怪たちの中では周知の事実。そうなると適齢期になった彼女が、天泣堂に登録していてもおかしくはないだろ?」

「でももしかしたらもう結婚しているかもしれないじゃない」

 小町さんが鋭い突っ込みを口にすると、常盤はがっくりと項垂れた。

「そ、それはそうなんだけど……。もし結婚していたとしても、彼女が幸せならいいんだ。オレだって九千坊の親分から身を固めろってずっと言われているし、もちろんオレもそろそろ結婚したいなって思ってるんだ。結婚が現実味を帯びてくれば来るほど、彼女のことを思い出してしまって……。もし彼女が未婚ならって思ったら、後悔したくないし、やれることはやろうって決めたんだ。だから天泣堂に来た。オレの頼みが天泣堂にとって変則的なのはわかってる。でもどうか力になってほしい」

 常盤はもう一度僕らに向かって頭を深々と下げた。こんなに真摯な姿を見たら、何とか常盤の力になりたくなる。

「わかった。女性の河童の登録者を調べてみるよ。いいよね? 小町さん」

 小町さんはやれやれと溜息交じりに頷く。

「貴方がいいなら、私は反対しないわ」

 常盤は、僕と小町さんに何度も何度もありがとうと頭を下げた。

 常盤の想い人が天泣堂に登録しているといいな。

「じゃあ、名前とかわかる?」

「……実はお互い名乗ってない」

「そうか。だったら、彼女について知っていることとか、見た目の特徴とかある?」

「少し吊り目の、整った顔立ちの女だった。九州の河童は大体調べたから、別の場所の河童だとオレは踏んでる」

「ねえ。河童には、常盤のように一般的に知られている頭にお皿、背中に甲羅、手には水かきを持つものと、全身が毛に覆われていて牙があるものがいるけど、彼女はどっちなの?」

 小町さんが興味深げに常盤に尋ねる。河童って種類があるんだ。知らなかった。

「オレと同じ、甲羅があるほうだよ。やっぱり小町は詳しいなあ」

 常盤が感心したように唸ると、小町さんは少し恥ずかしそうに俯く。

 なるほど。常盤と同じ姿で、九州以外に棲む、吊り目の整った顔立ちの女の人、か。河童の美的感覚がよくわからないけれど、とりあえず常盤に一緒に見てもらって、それっぽい人を捜してみるしかない。

 ちゃぶ台の上に置いてあった、ノートパソコンを開く。僕が天泣堂の主になって真っ先にやったのは、大量の身上書をデータベース化したこと。おかげで今はスムーズに天泣堂に登録している妖怪を検索できる。

 データベースを開き、地域を九州以外、種族を河童、性別を女性、として検索してみたら、パッと一瞬で結果が出てくる。

 今まで紙の身上書を一枚一枚読み込んで、いちいち大量の身上書の中から合いそうな妖怪を探していた。今では初めこそ紙で身上書を書いてもらうが、そのあとは全部データベース化して管理している。

 シロはパソコンとか近代的なものは好きじゃないようだけど、今では理解してくれている。効率化は大事だし、時間を短縮することで一人でも多くの縁組みをしたい。

「……いる?」

 食い入るように画面を見つめる常盤は、ページが変わるたびに首を横に振る。

 元々河童の登録者数は五十人ほどだったため、あっという間に現時点で天泣堂に登録している女性の河童を全て確認してしまった。

「残念だけど、これで全部だよ」

 がっくりと肩を落とす常盤に、申し訳なくなる。何とかしてひとめぼれの相手を見つけたかったのに、どうやら天泣堂の登録者の中にはいないみたいだ。

「ありがとう……。ごめんな、変な頼み事して。恵留と小町には感謝してるぜ」

「全然構わないよ。こちらこそ力になれなくてごめん」

 謝ると、常盤は何度も首を横に振って、力なく双宿院から帰っていった。


「まだ常盤のことを考えてるの?」

 尋ねられて顔を向けると、小町さんが呆れ顔で僕を見ていた。僕は彼女をアパートの近くの公園まで送るために、夜の闇の中をふらふらと歩いていた。

「だって、どうにかしてあげたくて。力になりたいんだ」

「そう思う気持ちはわかるわ。常盤は真剣だったし、私たちに好意的な妖怪だったから。でも、天泣堂のデータベースは常盤自身が確認したし、もう私たちにできることはやったでしょ。これ以上は天泣堂の――結婚相談所の仕事を逸脱しているわ。それに元々常盤のようなケースは結婚相談所じゃなくて探偵の仕事でしょ」

 小町さんの言っていることは正しい。それはわかっているけれど、自分の中で納得ができずに、もやもやしたものを腹に抱える。

 どうにかしてあげたいのに、どうにもできない。もどかしさに心がささくれ立つ。

 常盤の他にも相談者は山ほどいる。わかっているけれど、頭が切り替わらない。

「……貴方がどうしてもって言うなら、私は反対しない」

 闇の中から響いてくる凜とした声に、一瞬で引き込まれる。放心している僕を一瞥したあと、小町さんは人気のない公園に向かって歩みを進める。

「天泣堂には天泣堂のやり方があるでしょ?」

 その言葉が僕の頬を叩く。天泣堂には天泣堂のやり方、か。確かにそうだな。

「小町さん、ありがとう。考えてみるよ。また話を聞いてほしい。おやすみ」

 その背中に向かって呼び掛けても、彼女は振り返りもせずに僕から離れていく。

 彼女の背中が公園を通り過ぎて見えなくなるまで、僕はその場に佇んでいた。



「恵留くん! 聞いて聞いて! 今度ね、金森さんと一緒に旅行行くの!」

 ハートマークを飛ばしながらのろけ話をするのは、OLのマイコさん。

「旅行ですか? 羨ましいなあ。じゃあ今いろいろと予定を立てているんですか?」

「うん、そうなのーっ。熱海にしようかなって。近いからのんびりできそうだし」

 マイコさんはビール片手に旅行雑誌をペラペラ上機嫌でめくっている。

 僕は今日、天泣堂の仕事が終わったあとに、黒羽寺の門前町にある、小ぢんまりとした居酒屋《隠れ里》でバイトをしていた。以前は週に五日から六日くらいのハードスケジュールでバイトに入っていたが、体調を崩していた大将の奥さんが元気になって復帰したのと、天泣堂の仕事が忙しくなったことで、今は週に一回か二回のペースでバイトに入っている。マイコさんとその彼氏である金森さんはこの店の常連客で、二人の交際のきっかけを僭越ながら僕が作った。そのせいかマイコさんは僕がいる日に合わせて来店してくれて、愚痴やのろけ話をめいっぱい語っていく。

「マイコちゃんは毎日幸せだよねーっ。羨ましいよ。はい、焼き鳥!」

 大将がマイコさんの前にドカッと焼き鳥の盛り合わせを置く。

「もうすごく幸せーっ。それもこれも恵留くんのおかげ。もしあの時引き合わせてくれなかったら、今頃婚活パーティーばっかり行って、焦っていたかもしれないし」

 婚活パーティー、か。

 マイコさんの何気ない言葉が、胸に引っ掛かる。

「それにしても、恵留くんも彼女ができたんでしょ? しかもものすごく美人な子!」

 ん? 顔を上げると、マイコさんは僕を追い詰めるようににやにやしている。美人な子で彼女と誤解されるのは、小町さんしかいない。

「ええ? 違いますよ! 友達です」

「そうなの? 最近よく恵留くんと一緒に隠れ里にご飯食べに来るって噂を聞いてるよ」

「そうそう。隠さなくていいのにねえ。でも驚いたよ。恵留くんみたいなぼけっとした男が、あんな美人さんを射止めちゃうなんてねえ」

「ぼけっとって……。大将それ褒めてます?」

 狭い店内に笑い声が満ちる。本当に付き合ってはいないのに、茶化されてくすぐったい。最近バイトの回数は減ってしまったが、大将やお客様たちとの繋がりがより深まったような気がする。充実しているのは、マイコさんだけではなく僕も同じ。ここでバイトできることに感謝しよう。


「え? 婚活パーティー?」

 翌日、朝起きて一番に父さんに会いに行った。

「うん。やってみたいんだ。ノウハウを教えてよ」

「やり方は教えられるが、これは主催者のサポート力が大きい。どんな風にサポートするか、限られた時間でどう立ち回ればいいか、口頭で伝えるだけでは足りないところがある。実際に見せることができればいいが、父さんはしばらく自己啓発本の執筆で忙しいんだ。三日後に締め切りがあるんだが、まだ一行も書いていない」

「え、それはまずくない?」

「まずい」

 父さんは短く告げて、渋い顔のまま黙り込む。こういう顔をする父さんは、本気でまずい時だ。天泣堂には構っていられないことが言葉にしなくても伝わってくる。

「わかった。父さんは執筆を頑張ってよ。手が空いたらもっと詳しく教えて」

 諦めて、父さんの部屋を出る。締め切りは三日後か。父さんの手が空くまで、とりあえず小町さんとシロに相談してみよう。

 僕は庫裡を出て、双宿院へと足を向けた。


「おや、恵留くん」

 双宿院の三門をくぐろうとした僕の背に、ゆるい声が掛かる。振り返ると、ぼさぼさ頭に、ボロボロの袈裟を着けた五郎さんが立っていた。

 五郎さんは僕のご先祖様に当たる人で、元禄十三年――西暦だと千七百年生まれの御年三百十七歳。時の将軍、吉宗公に〝妖怪調査人〟として妖怪の人口動態や調査を任され、あまりの妖怪好きゆえに人魚の肉を食べて不老不死になり、それからずっと妖怪と人間のために日本各地を奔走している。

 妖怪たちが天泣堂で成婚した時に現れ、妖怪からの報酬を現金に替えてくれるため最近は頻繁に顔を合わせるようになった。

「天泣堂、かなり順調のようですね。今日は妖怪から梨を大量にもらったので、おすそ分けに来ました」

 五郎さんが持っていた藍染めの風呂敷包みを自慢げに掲げると、中に大振りの梨がいくつも入っているのがわかった。

「いただいたのは妖怪からですが、人魚の肉などの妖怪の食べ物ではないので、恵留くんたちが召し上がっても大丈夫ですよ」

「梨大好きです。ありがとうございます! 早速剥くので、五郎さんもよかったらご一緒にいかがですか?」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……」

 五郎さんを双宿院に招き入れると、中にはすでに小町さんとシロがいた。

「五郎さんから梨もらったよ!」

 ちゃぶ台の上に風呂敷包みをどっかりと置くと、小町さんは瞳をキラキラさせて覗き込む。風呂敷を開くと、中には十個ほどの大振りの見事な梨が入っていた。

「おや、小町さんは梨がお好きですか?」

「……好き」

 小町さんは梨から目を離さない。五郎さんが思わず尋ねるのもわかるほど、小町さんのテンションが上がっているのが伝わってくる。

「すぐに剥くよ。ちょっと待ってて」

 双宿院のキッチンから包丁とまな板を持ってきて、手早く剥いていく。

「恵留くんは相変わらず料理上手ですね」

「ええ? 剥いただけですよ。これくらいなら小町さんだって……」

 小町さんは勢いよく顔を上げて僕を睨みつけ、これ以上何も言うなと圧力を掛けてくる。僕は思わず口を真一文字に引き結び、慌てて梨を剥いた。

「それでこの梨、誰からいただいたんですか?」

「これは禰々子河童の一族からいただいたんですよ。彼らは利根川に棲んでいるので、梨の産地である千葉や茨城と程近いらしいです。まあ恐らく人間からのお供え物をおすそ分けしてくれたんだと思いますが」

「……河童?」

 思わず尋ね返すと、五郎さんは剥いた梨を口に放り込んだ。

「美味しいですね! 河童がどうかしましたか? いよいよ彼らも数を減らしてきたので、先日まで大規模な調査をしていたところなのですよ。昨日絶滅危惧種指定をしてきましたから、そのうち天泣堂にも河童たちが押し寄せるかもしれませんね」

 河童もいよいよ絶滅危惧種指定か。五郎さんに常盤のことを話すと、梨を食べながら興味深く聞いてくれた。

「――ということで、小町さんの助言もあっていろいろ考えてみたんですが、婚活パーティーを開こうと思い立ったんです。様々な種族の妖怪を集めて、もちろん未婚の河童たちにも声を掛けたいなと。もしかしたらその中に常盤のひとめぼれの相手がいるかもしれないですし。もし彼女が既婚者で、婚活パーティーに参加しなくても、常盤にとってはいい出会いがあるかもしれないですよね」

「なるほど。それはとてもいい考えですね」

「ですが僕は婚活パーティーのノウハウもよくわからないので、父の手が空いたら開催方法などを勉強しようと考えています。ウチの寺、定期的に婚活パーティーを開催しているんですよ」

「そうですね、学ぶことは重要です。老婆心ながら申しますと、同じ種族で開催すれば成婚率は上がると思いますよ。なので今回は河童限定にしたらいかがでしょうか。ちょうど絶滅危惧種指定を受けて、婚活への意欲も高まっているでしょうし」

「私も婚活パーティーなら賛成。五郎さんと同意見」

「ワタシも賛成です。同族のほうが効率よく縁組みできそうですし」

 全員の了解を得ることができて、思わず胸を撫で下ろす。

「そうと決まれば、まずは河童の親分たちに会いに行くのがいいでしょう」

「河童の親分? 常盤だったら九千坊さんとかですか?」

 尋ねた僕に、小町さんが口を開く。

「九千坊の他にも日本には河童の親分と呼ばれる存在が何人かいるわ。特に有名なのは、さっき五郎さんの話に出てきた利根川に棲む禰々子河童ね」

「なるほど。全国の有名な河童の親分に会いに行って、婚活パーティーを開くから、未婚の河童でパートナーを探している人がいたら参加してみないか、配下の河童たちに声を掛けてほしいとお願いすればいいね」

「それならわたしが河童の親分たちを選んで、話を通しておきますよ。どなたに声を掛けたか後日改めて伝えますので、再度恵留くんと小町さんが出向いて、直接話をしてください」

「助かります。五郎さんに話を通しておいてもらえたら、僕らもやりやすいです」

 その時シロが伸びをして、僕らに向き直る。

「すでに天泣堂に登録している河童たちを誘うのを忘れてはいけませんよ」

「確かにご新規さんも大事だけど、縁組みを待っている河童たちにも声を掛けないとね。シロ、お願いできる?」

 尋ねると、シロは溜息を吐いて丸くなる。そして僕を横目でちらりと見た。

「……わかってるよ。一砂福店の大福だろ?」

「いちご大福、クリーム大福、よもぎ大福で手を打ちます」

 シロの大好物は大福だ。一砂福店は黒羽寺の門前町にある和菓子屋さん。そこの大福は遠方から買いに来る人がいるほど人気があり、シロ御用達のお店でもある。

 そしてシロに大福をちらつかせれば、大抵のことを引き受けてくれるのは、すでに僕も小町さんも学習済みだ。

「了解。豆大福も追加する。じゃあシロに連絡を任せるよ」

 一人で悩んでいたのが嘘のように方向性が決まっていく。喋るのに夢中になっていたせいで、折角いただいた梨はほとんど小町さんに食べられてしまった。



「す、すごい……。可愛い……」

 小町さんが目をキラキラ輝かせて、隅から隅まで余すことなく眺めている。

 彼女の視線の先には、でーんと鎮座する河童の顔の駅舎。確かに小町さんの言う通り、可愛らしい駅舎だ。

 福岡県久留米市田主丸町にある、JR田主丸駅。僕らはその駅舎の前に佇んでいた。

「相変わらず小町殿は妖怪に目がないですねえ」

 僕が抱きかかえていたシロが、はしゃいでいる小町さんに唖然としている。

「小町さんのおかげで天泣堂は運営できているも同然だからね」

 妖怪のことを全く知らなかった僕にとって、小町さんの存在は最早神だ。

「小町さん、よかったら駅舎と一緒に写真を撮ろうか? きっといい思い出になる」

 尋ねると、小町さんはスカートの裾を軽快に翻しながら振り向いた。

「で、でも私、スマホ持ってない」

 今時、スマホを持っていないことに驚く。でも思い返してみれば、小町さんは大学では誰も寄せつけず孤高の存在だし、僕とも天泣堂や大学でほぼ毎日頻繁に会っている。そこで話せば事足りるから必要ないのかもしれない。

 実家とはどんな風に連絡を取っているのだろうか。小町さんのことだから手紙かな。

「じゃあ僕のスマホで写真を撮って、家でプリントアウトして渡すよ」

 小町さんは、困ったように目を泳がせた。

「そこまでしてもらうなんて、悪いし……。で、でも」

 でも、の続きが落ちてこない。小町さんは基本的にはっきり言う。特に拒絶する時は、容赦がない。言葉を濁す時は大抵照れくさくて本音を言えない時なのだ。

「もしかしたらしばらく訪れることができないかもしれないし。ほら、撮るよー」

「えっ、ええっ。ちょっと待ってシロ、一緒に入って」

「おっす! 時間通りだな!」

 スマホを構えた僕のすぐ背後から、聞き覚えのある朗らかな声が響き渡る。驚いて顔を向けると、僕や小町さんと年が変わらないくらいの、短髪の男性が立っていた。

「常盤?」

「そうだよ! 人間の姿に化けてると気づかないよなー、って、写真撮るのか? よかったらオレが撮ってやるよ」

「え、ちょ」

 待ってくれと口に出す前に、常盤は僕からスマホを奪った。

「撮るぞー、笑ってー」

 戸惑いながらもシロを抱きかかえた小町さんの横に立つ。するとカシャッとシャッター音が鳴った。微妙な笑顔になってしまったと、写真を見なくてもわかる。

「スマホとかカメラとか使えるの?」

 小町さんが興味深げに常盤に尋ねる。

「そりゃあ一通りな。今は二十一世紀だぜ? スマホなんて、特に操作が楽だからな。オレは持ってないけど、人間社会に興味がある仲間は、パソコンだって扱えるぞ」

 妖怪にも文明社会の波が押し寄せているんだ。以前縁組みした猫行者のカスミさんだって高級マンションに住んでいたし、各々うまく人間社会に順応しているのか。

 感心している僕に、常盤は大きな口をガパッと開けて、満面の笑みになる。

「五郎さんから聞いたけど、婚活パーティーを開いてくれるって? 本当にありがとな! これでオレもひとめぼれのあの子を捜せるかもしれないよ。今日来たのも婚活パーティーの件でわざわざ親分に話をつけるためなんだろ? 親分はそういう律儀なヤツが好きなんだ。気に入られれば、天泣堂もやりやすくなる」

「五郎さんの助言だよ。でもやっぱり河童の親分に協力してもらわないと、河童たちを集められないかなとは思う。九千坊さんが力になってくれるといいけど……」

「大丈夫だよ! 親分、顔は怖いけど義理堅いし、もちろんオレも全面的に手伝うよ」

 常盤の浮かれた口調に、親分に会う前で緊張していた心が解きほぐれていく。常盤は笑顔を振りまきながら、田主丸駅舎の二階に足を踏み入れる。誰もいないそこには、河童の資料が山のようにあって、小町さんの目が輝いた。

「小町は本当に妖怪が好きなんだなあ。思う存分見ていけばいいって言いたいところだけど、親分を待たせてるから、ごめんな」

 常盤が資料室にあった一冊の本を手に取る。そしてその本を開いた瞬間――。

「えっ」

 思わず周囲を見回す。小町さんも突然のことに何が何だかわからず呆然としていた。

 いつの間にか僕らは川幅の広い川のほとりに立っていた。今確かに田主丸駅の二階にいたのに本を開いた瞬間、移動した。妖怪の里に入る時はいつも唐突だ。本が里の入口になっているとは思わなかった。

 うろたえる僕らの目の前には、中華風の寺院のような立派な建物が佇んでいる。

 うちの寺は臨済宗だから華美な建築ではない。でもここは朱色の中華風楼門に川や海の生き物の色鮮やかな彫刻が彩られていた。

「こ、ここが河童の里……?」

「そうだぜ。正確に言えば、九千坊親分の河童の里、だな。親分は元々中国出身なんだ。だから屋敷も中華風なんだよ。他の河童の里は各々全然違うぜ」

 千差万別なんだな。というか、九千坊さんは中国の出身だったな。以前小町さんがそんな話をしてくれたのを思い出した。

 常盤と一緒に楼門をくぐり、玄関に上がる。縁側に出ると脇に幅の広い川がゆったりと流れていた。

「これは田丸主駅の近くを流れる巨瀬川だ。オレたちの里は巨瀬川の傍にあるんだ。さっきは駅舎の二階から入ったが、入口は沢山あって、全部この里に通じてる」

 以前天狗の里に行った時も、道の脇のこんもりとした茂みに入ったら、その先に異空間が広がっていた。この河童の里も同じように異空間にあるんだろう。

 その証拠に、川の対岸は靄で霞んでよく見えない。

「よお。そいつらが天泣堂のヤツらか?」

 目を凝らして対岸を見ていた僕の背後から、ドスの利いた低い声が響く。振り返ると、そこには背の高い深紫の着流し姿の河童が佇んでいた。