夜道の向こう、皓皓と明るい電話ボックスに入ると、緑色の公衆電話が悲鳴を上げた。人っ子ひとり居ない山道の麓、真夜中の電話ボックスに鳴り響く着信音は、時代に忘れ去られた公衆電話の断末魔を思わせる。

 受話器を持ち上げる。噂になっている死に誘う幽霊の声とやらに耳を澄ます。


 こっちへおいで


 その声を聞いた者は直後に失踪し、数日後には山中で遺体となって発見されるという。誰が言い出したのか知らないが、実際に行方不明だった男の遺体がこの近所から出てきたというので、おそらく元ネタはそこからだろう。

「ま、僕に幽霊の声は聴こえないんだけれどね。代わりに、――視えているぞ」

 ガラスケースが背後を映す。

 女の霊が背中に密着する形で佇んでいた。

 古く、山中で殺された女の霊が化けて出たのだ。

 首に掛かる重苦しい『鎖』によってその場から動けずにいた。

 未練の『鎖』――彼女の魂を繋ぎ止める現世との絆だ。

「……聞こえはいいが、囚人にしか見えないんだよ。おまえらは」

 憐れむことはない。ろくな死に方ができなかったモノたちだ。

 どうせろくな生き様ではなかったはずだ。

 ようやく現世から解放されたのに、どうして未練がましくしがみつくのだろう。

 目障りだ。


 女の『鎖』を引き千切る。

 他人の因縁を断つ行為はひどく疲れるものだった。


 皓皓と明るい電話ボックスの中に座り込む。

 さっさと消えていなくなればいいものを、女の幽霊は途方に暮れたまま立ち尽くしていた。縁を失い、心細そうにこちらを見下ろしている。

 泣いていた。

 嬉しいのか哀しいのか、よくわからないし興味もないが。

「感謝してほしいね。枷を無くしたおまえはもうここに留まる必要がないんだから」

 どこにも行けない僕とは違う。


 この世からすべての幽霊を排除する。

 それを果たすまで、『鎖』は僕を放さない。





 アタッシュケースの中には数々の煌びやかなジュエリーが並んでいた。

「如何ですか? これらはすべてイギリスのオークションに出品されたアンティークです。ある筋から出回りまして、つい先日私どもの許へ」

「アンティークって中古品のこと?」

「ええ。ですが、これらはむしろ価値が上がっておりまして。時代に左右されない美しさが人気なんですよ。こちらの指輪や、このイヤリングなども」

 宝石商が満を持してとばかりに取り出す品々に、南町隆は頬が吊りあがるのを抑えきれなかった。その目は爛々として無邪気な子供のようである。

「すごい……! どれもこれも意匠が凝っていて目移りするな!」

「特にこちらなどは如何でしょう。『エメラルドの首飾り』でございます。3カラット以上のエメラルドカットでこれほど良質のものは滅多にお目に掛かれません」

 かつては海底に沈んでいた鉱山から採掘されるエメラルドは、海の輝きそのものを内包していた。加えて、そのエメラルドからは三相のインクルージョンがえもいわれぬ煌めきを放ち、たちまち魅せられた。見つめているだけで海風が香り、漣の音が聴こえてくるようではないか。

 心奪われるとはこういうことを言うのだろうか。

「エメラルドは愛の石とも呼ばれ、『夫婦円満』の運気をもたらしてくれると云います。今回の贈り物にはピッタリかと」

 彼女に婚約指輪を贈るつもりでいたのだが、何も指輪に拘る必要はないと宝石商は諭す。人生でたった一回きりなのだから自分が良いと思った物を贈る方が相手に喜ばれるはずだと。

『エメラルドの首飾り』に引き込まれる。

 これ以外ありえないと思えるほどに。

「……これにします」

「ありがとうございます。お客様のご多幸をお祈りしております」


 南町家は二百年もの歴史がある老舗の漬物屋であった。

 地域に根差し、藩政時代には御用商人として召し抱えられた記録があり、定評あるその味を代々守り通してきたという自負があった。しかし、近代化に伴い、低コスト・大量生産が当たり前になってくると小さい工場一つだけで賄うにはコストカットも生産量も競合他社には追いつかず、狭い地域で細々とやっていくのが精々であった。常連に愛されるだけの寂れた暖簾。先行きはとうの昔に見えていた。

 それでも南町春子には希望があった。還暦を迎え、十二代目当主の夫も去年心筋梗塞で他界して、いよいよ廃業もやむなしかと思われた矢先のこと、一人息子の隆が家業を継ぐと宣言してくれたのだった。夫は南町漬物店を自分の代で終わらせるつもりでいたので隆を一般企業へ就職させたが、隆は昔から後継になることを心に決めていたようで、東京で知り合った彼女との結婚を機に脱サラを決意した。

「親父の保険金を使ってお店を立て直そう。親父は喜ばないかもしれないけれど、このまま店閉めるのやだよ、俺。なあ、お袋、もう一回頑張ってみようよ」

 嬉しかった。南町家の血統が生きている証に触れられて感動した。

 夫は婿養子であるから実際に南町家の血統を受け継いでいるわけではない。だから簡単に潰そうなどと言えたのだ。息子の将来はもちろん大切だが、同じくらい伝統の味も大切だ。なぜ両者を生かそうと考えなかったのか。時代のせいにするばかりで経営戦略を練れなかった夫に今さらながら憤慨する。もし隆を余所に就職させず早い段階から後継に据えていたなら、今頃ネット販路の拡充やブランド力の強化など時代に見合った経営方針に舵を切れていただろうに。隆を余所にやっていた時間があまりにも惜しい。

「そんなことないよ。十年以上も外に居られたのはいい経験になった。常識が身に付いたし、人脈も増えた。何より、希美という嫁さんを連れて帰ってこられたんだ。無駄なことなんて何もないよ。一番勿体なかったのは親父から何も学べなかったことかな。でも、それはお袋が何とかしてくれるんだろ?」

「おまえはいい子だね。もちろんだよ。びしびししごいてやるから覚悟しとき」

 幸せだった。今後商売が成り立つかすらあやふやではあるが、廃業の危機を免れた上に将来に希望が持てるだけでも恵まれている。

 これから先も、きっと苦労の分だけ幸せだろうと思った。

 その日を迎えるまでは。

「は、春子さんっ、大変です! 隆君が!」

 一時的に停めている工場内を掃除していると、勤続十年を越えるベテラン従業員の前野広海が血相を変えてやってきた。隆とさほど歳が離れていないにも係わらず、老舗漬物屋で常にエプロンを身に着けているせいかどことなく所帯じみて見えた。まだ独身のはずなのに。

「隆がどうかしたの?」

 今度嫁に来る希美のために、婚約指輪を買いに朝から東京まで出掛けていたはずだ。確かにもう帰ってきていてもおかしくない時間ではあるが、広海の慌てぶりに事故にでも遭ったのかと一瞬不安になる。

「隆君、さっき帰ってきて、今は母屋のリビングに居るんですけど……」

 付き合いの長い広海とは家族同然であり、普段から南町家の自宅に上がることもあった。きっと帰ってきた隆を母屋で出迎えたのだろう。

「あら、よかったわ。明日、希美さんが家に来るって言っていたからなんとか間に合ったわね。買ってきたんでしょ、婚約指輪?」

 動揺していてなかなか次の言葉が出てこない広海に、春子は焦れた。

「どうしたというの? 隆に何かあったの?」

「それがその、これ……」

 泣きそうな顔で差し出してきたのは一枚の領収書だった。A4サイズ程の大きさの白紙で、余白を大きく残したその中央には、印刷された文言の中に支払い代金がボールペンで書き加えられていた。

 ――金壱千萬円也。

「い、一千万……!? な、なに、何なのよこれっ!?」

「隆君が結婚指輪の代わりに買ってきたって! 大きな宝石が付いたネックレスで、いいだろうって自慢げに見せてきてっ! それからずっとそのネックレスを食い入るように眺めてて、なんだか急に恐くなって、一緒の包みに入っていたこの領収書を見つけてそれで!」

「……慌てて私のところに持ってきたのね」

 早口に捲くし立てる広海を見ているうちに、金額に驚いていた頭が幾らか落ち着いてきた。――一千万円の領収書なんてきっと何かの間違いだわ。

「一千万なんてお金、隆君持ってたんですか!?」

「結婚資金なら貯めてたけれど、でも、まだまだ足りてなかったはずよ。だって、挙式の日取を決めてないのはそれが理由なんだから。一千万なんて大金、逆立ちしたって出てきやしないわ。……まさか」

 瞬間、脳裏に浮かんだのは夫の死亡保険金である。すぐに母屋に戻ってリビングに入る。そこに隆の姿はなく、テーブルの上には預金通帳と印鑑が残されていた。

 通帳を開くと、一千万円が『モリホウセキ』という口座名義に振り込まれていた。

「なんてことなのっ。お父さんの保険金が……っ!?」

「で、でも、今日買ったばかりならまだ返品できます! すぐに連絡しましょう!」

「そ、そうね。広海ちゃん、お願いできるかしら。私は隆から品物を預かってくるわ」

 急いで隆の自室に向かう。婚約者へのプレゼントなのでどこかへ持ち出すことはないだろうが、念のためだ。理由も聞かなくてはならない。

 隆は自室に居た。春子の入室にも気づかずに机に座ってネックレスを眺めていた。

「隆、どういうことなの!? そのネックレスに一千万円も使ったって本当なの!? 答えなさいっ!」

「……あ? ああ、うん。見てみろよ。……綺麗だろ」

 顔をこちらには向けず、そこに居るのが誰であるか認識していないような上の空で呟いた。うっとりとしているが、その目は明らかに焦点が合っていない。

「付け値でいいって言うんだ。ツイてたよ。大金残してくれた親父に感謝だな」

「付け値って……。アンタが一千万円支払うって言ったの!?」

「当然だろ。こんなに美しいんだ。一千万でも安い方さ」

「何を言っているの? 気は確かなの? ちょっとアンタ、こっちを見なさい!」

 掴みかかる。すると、隆は猛然と春子の手を振り払った。

「うるせえな! 邪魔すんなよ!」

「そんな無駄遣い、私が許しませんよ! さあ、今すぐ返していらっしゃい!」

「何だとッ!? せっかく買ったんだぞ!」

「誰の、何のためのお金だと思っているの! アンタが返さないって言うなら私が返してきます! それを渡しなさい!」

「触るんじゃねえ! ぶっ殺すぞ!」

「きゃあ!」

 襟首を掴まれて背後のドアに思い切り突き飛ばされた。

 隆が殴りつけた壁には拳大の穴が空いた。

「ひいいいいっ!?」

「出てけッ!」

 乱暴な態度と据わった目つき。一度として見たことのない息子の姿に愕然となる。なかなか出て行こうとしない母に我慢ならなくなったのか、ついには椅子を投げつけようと持ち上げだしたので、春子は堪らず部屋から飛び出した。

 恐ろしい。震えが止まらない。アレは本当に息子の隆だったのか。

 まるで別人だ。

 広海と廊下でかち合った。携帯電話を手にした広海は顔を真っ青にしている。

「さっき宝石店の人と連絡がつきました。場合によっては返金させて頂きますと仰っていました」

「何よ、場合によってはって。まさか、詐欺……!?」

「わ、わかりません。それよりも、お店の人が妙なことを言っていたんです。あのネックレス――『エメラルドの首飾り』なんですけど、の、呪いが掛かっているって言うんです」

「……何を言っているの?」

「それがその、お店の人が言うには、あのネックレスには不思議な力があって所有者の家に不幸をもたらすのだそうです。前の所有者は中国の資産家で、購入した翌日に実の弟に刺殺され、その弟も宝石を持ち出してすぐに事故に遭われたとかで」

 話しながら、広海の表情がますます青白く染まっていく。

「ネックレスを購入したときの隆君の様子がおかしかったから、一応そのときも同じ説明をしたんだそうですけど。……も、もしものことがあるといけないので用心するようにと言われました」

 まさか先ほどの隆の異状が呪いに掛かっていたせいだとでも言うつもりか。

「ば、馬鹿馬鹿しい。呪いなんてあるわけないじゃないっ」

 だが、この足許から絡みついてくるような不穏な予感は何だろう。春子の強がりがますます広海を不安にさせた。

「と、とにかく、明日にも宝石店に返してしまいましょう。ネックレスはどこに?」

「……隆が離さないのよ。奪い取ろうとすると殴りかかってくるわ」

「そんな……」

 南町家はおろか工場の従業員にも男は隆一人しかおらず、隆を腕尽くで押さえられる人間がいなかった。暴力に訴えられたら抗しきれない。

 広海はしばらく考えた後、これしかない、とばかりに頷いた。

「隆君もずっと起きてはいられないでしょうから、寝るまで待ちましょう。寝ている隙にこっそり盗み出すんです。それ以外、他に手立てはありません」

「……そうね。それが一番いいわね。盗ったその足で宝石店に向かいましょう」

 翌朝、まだ日が昇りきらない時刻に広海はやって来て、率先して隆の部屋に侵入した。前日までの慌てふためきぶりが嘘のように落ち着いている。十年以上の付き合いだが、土壇場でこれほどの肝の据わり様は正直意外である。

 広海は難なくネックレスを取ってくることに成功した。

「隆君ならまだ寝ています」

「ついさっきまで明かりが点いていたもの。ご飯も食べずにずっとこれを眺めていたのね。まったく気味が悪いわ」

「私、今から東京に向かいます。私が宝石店と話を付けてきますね」

「え?」

 広海の提案に不自然なものを感じた。

 言っては悪いが広海は赤の他人である。ずっと工場に勤めてくれている近所に住むパートで、家族同然の付き合いはしているものの親戚でもなんでもないのだ。そんな子に一千万円もする(隆が勝手に支払っただけだが)ネックレスを預けるわけにいかないし、常識的に考えればこの場合広海の方から遠慮するものだろう。

 これは南町家の問題だ。宝石店と話を付けるのは春子にしか筋合いはないはずだ。

 広海の手からネックレスを掴み取り、目の前に翳した。

「いいえ。これは我が家の問題です。私が行くわ。すぐに支度をしてきますから、広海ちゃんはお留守番していてちょうだい」

「……」

「広海ちゃん?」

 広海の顔から感情が抜け落ちていた。真っ直ぐに見つめてくる瞳は乾燥し、まるで等身大の人形と対峙している気分になる。無機物めいた視線がネックレスだけを見つめ、抑揚のない声で言う。

「そうですか。じゃあ、お願いします」

「え、ええ。隆のこともよろしくね。……それじゃ」

 逃げるようにして二階の寝室に逃げ込む。春子はすぐに支度を整えると、隆と広海の異変を思い返した。

 ――ふたりとも似たような感じだった。あれが呪いのせいだっていうの? だとしたら、一刻も早く手放さなきゃ……!

 ネックレスと、付随してきた領収書と鑑別書も一つの箱の中に入れる。

 ふと思いつき、ネックレスだけを取り出した。

「……詐欺だったことも考えて別に鑑別書を作っておくべきかしらね。警察にも連絡して。あと、それから」

 あるところに電話を掛ける。相手の都合のいい日時に訪問を受けることを約束して受話器を置いた。南町家存亡の危機である、保険は幾らでも掛けておくべきだ。

「坊ちゃんは人気者だからいつになるかわからないけれど、頼んでおいて損はないわよね。それにしても、このネックレス……」

 本当に美しい。思わず吸い込まれそうになる。

 宝石だけではない、よく見れば、18金ゴールドのペンダントトップは王冠を模したような形で精密で細かな細線粒金細工を施し、深みのあるルビーが左右に象嵌されていた。それらはすべて中央に位置するエメラルドを引き立てるだけの脇役であるのに、エメラルドに負けぬ魅力を放ち、しかし主役の味わいを損なうことなく一層の輝きを際立たせるのだ。なんと完成された芸術品だろうか。

 それはまるで生きているかのような――。

 無意識のうちにネックレスを身に着けていた。女王陛下にでもなった心持ち。視線は望洋として夢心地。ふらふらと廊下に出て光射す方向へと歩きだす。

 目が眩む。眩しいとは思わない。白き光が天上へと誘っているようではないか。

 足許から唐突に床がなくなっても、悲鳴を上げることはない。階段から転がり落ちたことにさえ気づかずに、最後まで心を飛ばしていた。

 そうして、春子が起き上がることは二度となかった。


*   *   *


 南町春子の葬儀はしめやかに行われた。

 喪主を務めるはずの隆が急病で臥せってしまったので、急遽、前野広海が葬儀を取り仕切った。訃報は従業員や隣近所など普段付き合いのある人にだけ報せ、葬儀自体も通夜・告別式を省略した直葬にして事を収めた。

 春子が死んだその日から、隆の体は急速に衰えていった。原因不明の病。医者にも掛かったが栄養失調とだけ診断され、精神疾患が大元だろうと精神科を勧められたが、きっとこれもネックレスの呪いによる影響に違いなかった。

 手や腕は骨に皮を被せたみたいに細くなり、顔色は常に青白い。すでに死期を悟った表情はむしろ長年の眠りから覚めたような清々しささえ感じさせた。

 隆がベッドの上で喘ぐように口にする。

「俺があんなものを買ってこなければこんなことにはならなかったのに」

 母の死がきっかけで正気を取り戻していた。おかしくなっていた間のことはしっかり覚えていて、壁に空けた穴を見つけるたびに胸が締め付けられた。

「あのネックレスは呪われているんだ。すぐに手放さないといけない」

「隆君。……でも、あれ以来宝石店の人と連絡がつかないのよ」

 傍らで看病していた広海が溜め息とともに吐き出した。四方八方手を尽くして探したのに、と疲れを滲ませている。

『エメラルドの首飾り』は返すべき相手が見つからないのでいまだ隆が保管していた。

「もうその辺に捨てちゃいましょうよ」

「そういうわけにもいかないよ。もし誰かが拾ったら、今度はその人が不幸な目に遭うかもしれないんだから。責任持ってお店に返品しなくちゃ。お金のこともあるし」

「そうだけどっ。そうかもしれないけれど……私、気味が悪いっ」

「大丈夫。実物を見ていなければ正気を保てるってわかったから。前野さんにもこれ以上迷惑は掛けられない。後のことは俺に任せて」

 無理して起き上がろうとする。しかし、関節は軋み、内臓が激痛を走らせた。脱力に引き摺られるようにして背中から布団に倒れ込む。無理をすれば歩けなくもないが、どこに居るとも知れない宝石商を探して回るには厳しい状態だ。

 宝石商は前の会社で付き合いのあった人から紹介された。その人とは脱サラした今となってはほとんど接点がなく、一応三日前にもメールをしてみたが一向に音沙汰がなかった。

「やっぱり詐欺だったんだわ。領収書にあった住所に行ってみたら宝石店なんてなかったもの」

 改めて口にされるとつらいものがある。宝石商とはホテルのラウンジで待ち合わせ、その場で商談したのである。人からの紹介ということもあって端から疑っていなかった。自分のお人好し加減に嫌気が差す。

 人と違うことがしたい、なんて思ったのがそもそも間違いだったのだ。婚約の贈答品は、サプライズなんて考えずに、彼女と話し合って決めるべきだった。彼女が欲しい物を一緒に選ぶべきだった。

「希美のやつ、無事でいたらいいんだけど」

 ネックレスを買った翌日に南町家にやって来る予定だった婚約者はついに現れず、その日以来連絡までつかなくなっていた。彼女の身に何か起きてやしないかと気が気でなくなる。購入者の縁者が次々に死んでいくような呪いなのだとしたら……。いけない。そんな不幸があって堪るか。

 これ以上何か災いがあるとするなら、自分一人に降りかかってくれればいいのに。

「隆君! やっぱりネックレスを渡して! 私が処分してくるから!」

 内心を読まれたのか、突然広海に両手できつく掌を握られた。

 隆はもう片方の掌をそっと上に重ね、広海の手を解いた。

「いけない。前野さんまで不幸になる。俺ひとりで何とかするから」

 これ以上広海の厚意に甘えるわけにいかなかった。


 呼び鈴が鳴った。はっとしたのは広海だけで、隆は何も聞こえなかったのかくたびれた表情で天井を見上げていた。

「出てくるね」

 きっとこれも聞こえていない。隆は体だけでなく精神までもが病んでいた。広海の言葉を半分も理解できていないはずだ。返事を待たずに部屋を出た。

 春子を失い寒々しくなった家の廊下を歩きながら、思う。この先どうなるんだろう。ただ一つはっきりしていることは南町漬物店はもうお終いだということだ。春子を亡くし、唯一の後継である隆があんな状態では再起はもはや絶望的である。

 身の振り方を早急に決める必要がある。結婚相手も見つからず、実家暮らしで只でさえ肩身が狭いのに、この上職まで失ってしまったら――そう考えるとぞっとした。

 再び呼び鈴が鳴る。インターホンのあるリビングより玄関に直接向かう方が早い。エプロンの裾を延ばして身形を整えてから玄関扉を開けた。

 来客は、門扉からアプローチを抜けてすでに目の前まで来ていた。

「あ、わ、わ! ええっと、――こ、こんにちは! 南町さんですよね!?」

 なぜか出てきた広海に驚いていた。

「え? ええ、そうですけど……」

 頷くと、今度は安堵したようにホッと息を吐いた。

「あー、よかった。南町春子さんが都合のいいときにいつでも来ていいと仰っていたので、きっと普段からお家にいらっしゃるんだろうなって思ってたんですけど。いざ来てみたらそこの工場も家の中もあちこち電気が消えていたから留守なのかなって一瞬焦っちゃいました。あっ、ごめんなさい! もしかして、春子さんですか?」

「い、いいえ」

「じゃあ春子さんに取次いでもらってもいいですか?」

 その来客はにこにこと楽しそうに広海を見つめている。反対に、広海は来客を疑わしげに観察した。――春子さんにお客? どういうこと? 私と春子さんを間違えるなんて。春子さんの年齢をご存じないのかしら?

 春子が死んだことを知らずに訪ねてきたのだろうけれど、何より広海を不審がらせたのはその容姿である。来客は、どこからどう見ても中学生の女の子にしか見えなかった。背が低くて幼い顔立ち。ただ、身の丈に合っていない黒のスーツを着ていて、かつ淡く化粧を施していることで、若干年の頃を判然とさせてくれなかった。

 ――子供の悪戯か何かかしら。まさかとは思うけど、弔問客ごっこのつもりとか?

 動かずに黙っていると、来客は自分のしでかした失敗に気づいたというふうに「あっ」と声を上げて、慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんなさい! 名乗りもせずに不躾なことを言って! 実はこういうことにあまり慣れていなくてっ!」

 わたわたと忙しない様子で肩掛けしたバッグから名刺を取り出し、差し出した。

 名刺にはこうあった。

『初ノ宮霊能相談士事務所』

 ――初ノ宮? あれ? どこかで聞いたような……。

「霊能相談士事務所所員の小路美雨と申します。本日は、呪われた宝石の霊視と心霊相談をしに参りました。よろしくお願いします!」

 名刺と来客を交互に見比べる。にっこりと微笑む美雨は、やはりただの子供にしか見えなかった。



 来客の素性はわかった。しかし、この名刺自体本物かどうか疑わしく、怪しいことに変わりはない。何と言っても小路美雨と名乗る少女が子供にしか見えないのだ。

「お引取りください」

「え!? で、でも、南町春子さんのご依頼でお伺いしたんですけれど……」

「何かの間違いじゃないの? 生憎、春子さんはいらっしゃいません。ご依頼の件はキャンセルということにしてもらって構わないから、二度と来ないで」

 まったく悪趣味な悪戯である。扉を閉めようとした瞬間、隙間に小さな足が差し込まれ、子供とは思えない力でこじ開けようとしてきた。

「あああああの、せ、せめて取次だけでもお願いできないでしょうか! 私もこのまま帰るわけにいかないんです! 春子さんにご確認だけでも! お願いしますう!」

 今にも泣きそうな顔で迫ってきた。まるでこちらが意地悪をしているかのような気分になったが、こんな如何にも怪しい人物を家の中に入れるわけにいかなかった。

「いい加減にしなさい! 警察を呼ぶわよ!」

「それも勘弁してくださいいいい!」

 玄関扉を挟んでしばらく悶着していると、美雨の背後に背の高い男が現れた。

 美雨の頭を乱暴に撫でつけて、面白がるように口にした。

「また泣かされているのかい? しょうがない子だな」

「泣いてませんってば!」

「やっぱりミウッチが相手だと悪戯に間違えられるようだね。こんなにちっこいんだ、どこそこの事務所の者です~、なんて言ったところで冗談にしか聞こえないよ。僕が家人だったら扉すら開けないね」

「ひ、酷いです! だったら行幸さんがお願いしてくださいよ! 何も言わずにピンポン鳴らすし、私を置いて敷地内にどんどん入っていくし! 不審者に間違えられたらどうするんですか!?」

 それを止めるために美雨まで門扉を越えて入ってきたらしい。玄関先で出くわした広海に動転していたのはそういうことだったのか。

「留守かもしれないってさっき話したじゃないか。だから、表にある商店の方から中を覗いてみようと思ったんだ。ほら、どきなよ。ミウッチじゃ話にならないだろ」

「むう。いいですけど、……ミウッチって呼ばないでください」

 美雨が大人しく引き下がる。広海もなんとなく引っ込むタイミングを逃してしまい、その上自ら扉を開けていた。

「やあ、初めまして。霊能相談士事務所の所長で、この子の上司です」

 美雨が呼ぶ名前といい、嫌みったらしい口調といい、男の特徴は広海のよく知る人物と多くが被っていた。そして、正面から見たその顔はやはりあの有名人と瓜二つであった。

 それとも、と男はにやりと笑い、スーツの裾を翻して言った。

「国民的スーパーアイドル初ノ宮行幸と名乗った方がわかりやすいかな! もちろん知っているよね、この僕のことは!」

「は、はい! よく存じ上げております……!」

 目の前に居たのは紛れもなく本物の芸能人・初ノ宮行幸だった。歌にドラマにバラエティにと、あらゆるジャンルで活躍している現役トップアイドルである。毎日のようにテレビで観ているアイドルがこんな至近距離に居るなんて。もしやこれは夢なんじゃないかと目蓋をこすり上げた。

「で、あっちが僕の仕事の助手をしてくれているミウッチ」

「改めまして、小路美雨です! ミウッチとは呼ばないでください!」

「そしてお宅は南町春子さんの娘さんか何かかな?」

「……あ、いえ、ここの工場で働いてる従業員です。みゃえっ、……失礼しました。前野広海と申します」

 緊張と混乱で思わず声が裏返ってしまった。

 改めて行幸を見上げる。背が高いのに顔は小さくて、男性なのに綺麗という表現がピッタリくるくらい端整で艶のある顔立ち。――手足長っ。腰の位置高っ! 正直、同じ人間とは思えない。

 にこりと微笑まれて、どきりとした。なんて綺麗な顔をしているのだろう。

「ど、どうして、初ノ宮……さんがこんなところに?」

 それに、霊能相談士って……。

 すると、行幸ははっとして目を見開き、数歩後ろに下がって家全体を見渡した。凝視するかのように細くなった目許はどこか哀しげで、再び向けられた表情は悲痛ささえ滲ませていた。

「南町さんはご逝去されたんだね。いつだ?」

「え? あ、あの、五日前に」

「死因は?」

「……階段から落ちたとき打ち所が悪かったらしく、そのまま」

「五日前、か。電話を受けてすぐだったんだな。それは残念なことだ」

 そのまま手を合わせて黙祷を始めた。広海は今の会話の中にどこか違和感を覚えたものの、その正体には気づくことなく黙って行幸を見つめた。

 黙祷を終えた行幸に、背後から美雨が不思議そうに口にした。

「あの……、春子さんって亡くなられたんですか?」

「彼女もそう言っただろ。階段から落ちたって」

「どうしてわかったんです!? だって、広海さんは一言もそんなこと言いませんでした。私てっきり、今は家を空けているのかなって、そんなふうに思ってました」

 そうだ。違和感の正体はそれだったのだ。行幸も美雨も春子の死をいま初めて耳にしたという反応を示した。にも係わらず、春子の急逝を問いかけてきたのは行幸の方だった。なぜ気づけたのだろう。葬儀は直葬で亡くなった翌日にはすべてを終えている。いま喪服は着ていないし、もちろん焼香の匂いも漂わせていないはずだ。春子の部屋に遺骨を安置する中陰壇を設置しているが、外からは見えないし、家や工場の内外の変化といえばそれくらいしかなかった。気づけるはずがない。

「視えているんですか? その……春子さんが」

 美雨が遠慮がちに問うと、行幸は「いいや」と首を横に振った。

「家全体から死臭がする。言い方を換えれば穢れが視えた。仏教では死は穢れと見做されていないが、ケガレが『気枯れ』を語源としていることからもわかるとおり、死者が出た家に漂う空気というのは余所に比べて独特の淀みがある。それに、春子さんは夫を亡くされて今は一人のはずだ。ご高齢だったし、順番的に一番確率が高かったからそうじゃないかと思っただけさ」

 広海は、宗教的なことを饒舌に話す行幸に唖然となった。テレビで観る行幸はこんな小難しい話を真面目に語るキャラではなかったはずだ。

 ――そういえばこの人、元は霊能力者アイドルって肩書きでデビューしたんじゃなかったっけ。

 数年前までは、僧侶の格好をした行幸が幽霊が出ると評判の心霊スポットで除霊を行う心霊特番が、毎年夏の風物詩であった。てっきりヤラセだと思っていたのだが。

 名刺に目を落とす。――『初ノ宮心霊相談士事務所』……本物なのかしら。

 少なくとも悪戯や冗談の類ではないだろう。テレビ局のドッキリ企画だとしたら趣味もタイミングも悪すぎるし、行幸にとってもイメージダウンになりかねない。

「春子さんがお仕事のご依頼をなさったんですか? 初ノ宮さんに?」

「南町家はウチのお寺の檀家でね、春子さんとは子供の頃に一度お会いしたことがある。僕が心霊相談の仕事をしていることも知っていた」

「何を依頼なさったんですか?」

 しかし、行幸はそれには答えず、顎で玄関の中を示した。

「そういうことは中に入って話さないか? いい加減、立ち話は疲れてきた。遠いところわざわざ訪ねてきたんだ、線香もあげたいし。当然、お茶くらい出してくれるんだろう? お茶請けに自慢の漬物も出してくれるとありがたい」

 この図々しさは間違いなくテレビでよく観る初ノ宮行幸そのものであった。テレビで観慣れていたからか、そう言われても特に嫌な気はしなかった。

 しかし、困った。応対はしたものの、広海は南町家とは他人であるし隆は病床にあって起きられないしで、勝手に客を上げてもよいものか。とはいえ、線香をあげると言っている以上春子の弔問客でもあるし、無下に追い返すのも憚られた。

 迷っていると、背後から声が掛かった。

「前野さん、どうかした?」

 隆である。寝間着のまま、広海越しに扉の外を窺っている。

 目が合った行幸が軽く頭を下げると、隆は、へえ、と感心したように嘆息した。

「上がってもらってよ。俺が話を聞くから」

「隆君、寝てなきゃ駄目よ!」

「ずっとベッドに居たら本当に寝たきりになってしまいそうだよ。少しは体を動かさないと。何より珍しいお客さんだ。寝ているよりこっちの方が楽しそう」

 家人の許可を得て玄関を上がる行幸と美雨。すれ違いざま、行幸が「お茶、人数分頼むね」とまるで自分こそが家人であるかのような言い草で命じ、後に続く美雨が泣きそうな顔ですみませんすみませんと平謝りを繰り返した。

 確かに珍客だ。こんな二人組が訪ねてくることは人生においてもきっと今回限りに違いない――広海はそんなことを思った。