これは、再会の物語。

 再会であり、エピローグでもある、終わってしまった後の物語だ。



 できるだけ目立たないで日々を過ごしていこうと思っていた。

 どうせだれかと関わりを持ったって、いずれは忘れられる。どれだけ親密な関係を築いたって、『忘却』される。時とともに、思い出の中から消え去ってしまう。

 それだったら、最初からそんな希望は持たない方がいい。

 なくしてしまうことが定められている望みなんて、抱かない方がいい。

 ――喪うことの辛さは、よく知っているから。

 だから、それは偶然だった。

 仕事のためにたまたま訪れた水族館。

 その中で、あの人と出会ってしまったのは。



 そこで――わたしは二度目の初恋をした。


プロローグ『再会の花』



 目の前に、死神が立っていた。

 比喩表現ではない。本物の――死神だ。

 死神……物語や神話なんかに出てくる、死を司る不吉な存在。

 大抵は、黒衣を着た骸骨で、手に鎌を持った不気味な姿で描かれている。

 なるほど、元々どちらかといえば地味な色合いの制服姿は、夜の闇に紛れて黒衣に見えなくもないかもしれない。手にしている真っ赤な傘は、鎌とは言い難いが、手に持つ長物という意味では近いものだと言えなくもないのではと思う。

 だけど、その持ち主が放つ圧倒的な明るさとエネルギーとが、致命的に目の前の存在を不吉で不気味という形容からは縁遠いものとしている。さらに言えば、ここがある意味で和を象徴する寺院である長谷寺というロケーションも、死神という西洋風の存在をこの上なく浮いたものとしていた。

「今日は来てくれてありがとう、望月くん!」

 死神はこの上なくフレンドリーな口調でそう僕の名前を呼んだ。

「こうしてちゃんとお喋りするのは……もしかしたら、はじめて……かも、だよね? 挨拶とかはしたことがあったと思うけど」

「うん、そうだね」

「うーん、それにしては感動がないなあ。美少女とのはじめての会話なんだから、もっとハグとかして喜んでくれてもいいんだよ?」

 そう言って笑う。向日葵のような笑顔とはこういうことを言うんだろう。それだけで、辺りに落ちる影がワントーン明るくなったようにも思えた。言っている内容は若干アレだったけれども。

「ま、それは後々の楽しみにとっておくとして……さてさて、さっき話した通りわたしは死神なんだけど」

 まるで自分の部活を紹介するみたいに彼女は言った。

「今日こうして望月くんを呼び出したのには、理由があるのです」

「理由?」

「うん」

 死神からの呼び出しなんて、普通に考えれば死の告知やそれに類すること以外に考えられない。だけど当の死神が見知った相手であるということから、そうではない可能性もあり得る話だった。

 そしてその予想通り、彼女が口にした言葉は、僕に対する死の告知ではなかった。

 ただし、その内容も極めて想像外のものだったけれど。

 こほんと小さく咳払いをすると、死神は少しだけ芝居がかった様子でこう言った。


「望月くん。――キミを、死神にスカウトしに来たよ」


 目の前にいたのは、身長百五十二センチの死神。

 これが僕と茅野花織の――出会いだった。








 ――それが大きな間違いだったということに、僕はずっとずっと後になって、大きな後悔とともに気付くことになる。


第一話『鎌倉の死神』



 たとえば、大切なものというのは喪ってはじめてその価値に気付くのだろう。

 無くしてしまった思い出のように。

 幻のようにたゆたう、春の夜の匂いのように。



 その日は、確か何の変哲もない一日だったと思う。

 いつも通りに朝起きて学校に行き、退屈な授業を受けて、昼休みには校舎を抜け出して校外へと向かう。その合間に適当に友だちと他愛のない会話を交わす。それ自体は、一年三百六十五日の中で二百日は繰り返されるのではないかというありふれた日常だ。

 やがて授業時間は終わり、放課後になる。

 部活にも委員会にも入っていないことから、僕はクラスメイトたちに挨拶をして、家路に就くべく教室を出た。

 ここまでは、ごくごく普通の一日だった。

 違ったのは、ここから。

 靴を取り出そうと下駄箱を開ける。

「……ん?」

 すると、下駄箱の中に何かが入っていることに気付いた。

 ピンク色の便せんに入れられた手紙。そこにはかわいらしい丸文字で、『十八時に、長谷寺の見晴台で待っています』と書かれていた。

 それだけを見たら、すわだれかからの告白かと思い、胸を躍らせる一大事でもあったのかもしれない。あるいは何かのイタズラかと思い、ため息とともにゴミ箱にそっと投げ入れるだけの出来事だっただろう。

 そのどちらとも思わなかったのは、差出人の欄に『茅野花織』と書かれていたからだ。

 茅野花織。

 クラスメイトの名前だった。

 明るく社交的で、いつだってクラスの中心にいる、名前の通り花のような存在。その人懐こい性格も、間違いなく美人と言っていい容姿も、そして制服のスカートの短さも相まって、男女問わず人気だった。同じクラスメイトとはいっても、僕は二言三言挨拶をしたことがあるくらいで、特に親しくはない。その茅野さんがいったい何の用なのだろうか。

 たぶん無視することもできたと思う。というか普通に考えたらそうするのが自然なのかもしれない。だけどその短い手紙の中に込められた何かを感じて、学校を出た足は自然と長谷寺へと向かっていた。

 長谷寺は、通っている高校がある北鎌倉から四駅ほど離れた長谷駅にある。

 JR横須賀線で鎌倉に出て、そこから市街地を走ることで有名な江ノ島電鉄線、通称江ノ電に乗って五分ほどで到着する。

 長谷駅は小さな駅だけれど、昔ながらのレトロな駅舎には風情があって、観光客などで賑わうことが多かった。今日もこの時間にもかかわらず、老若男女たくさんの人たちの姿があった。

 人の波をかいくぐるようにして駅を出る。大通りを右手に進み、さらにその先の交差点を左に曲がれば、すぐに長谷寺が見えてくる。

 長谷寺は鎌倉周辺でも有名なお寺だ。

 上境内と下境内に分かれた広い敷地を有する古寺で、境内全域が四季折々の花々で彩られていることから、『鎌倉の西方極楽浄土』『花の寺』とも呼ばれている。地元の人ならばだれでも知っている観光名所で、ガイドブックなどに必ず取り上げられる場所の一つにもなっていた。

 拝観時間はすでに終わっているはずなのに、門は開かれていた。

 辺りには人気がなく、咎められる様子もなかったので、僕は「失礼します」と小さく口にして門をくぐった。

 境内にも人の気配はなかった。

 拝観時間外とはいえ、この時間なら関係者の一人ぐらいはいてもおかしくないのに、それすらも見当たらない。まるでここだけが世界から切り取られてしまったかのように、シンと静まり返っている。

『花の寺』と言われるだけあって、見回せば辺りには紫陽花や皐月などの季節の花が咲き誇っていた。昼過ぎまで雨が降っていたということもあってその大半は露に濡れてしまっていたけれど、葉を黒く染めたその様子は、それはそれでまた趣があって魅力的だった。

 手紙に書かれていた見晴台は、上境内にあるはずだ。

 勾配の急な石段を上って、その先を目指す。

 やがて指定された見晴台が近づいてくる。

 すると暗闇の中に、小さな人影が立っているのが見えた。

 遠目からでもすぐに分かった。夕闇に覆われた薄暗い風景には似つかわしくない、光のある華やかな存在。ただそこにいるだけで周りに光を与えるような、そんな印象を全身から放っている。

 その華やかな存在が、まさか自分のことを死神だと名乗るなんて、この時点では想像もしていなかった。

 茅野さんは僕に気が付くと、傘を持った手を大きく振った。

「あ、こっちこっち!」

 静寂に響く大きな声で呼びかけてくる。

 あまりにもよく通る声だったため、だれかお寺の人に気付かれるんじゃないかと気が気じゃなかったので、慌てて彼女のもとへと駆け寄った。

「ええと……」

「とりあえず来てくれてありがとう、望月くん!」

 そう言ってぎゅっと手を握ってくる。柔らかい。名前の通り、どこか懐かしい花のようないい匂いがする。僕はというと、突然の過剰なスキンシップにどう反応していいか分からずに固まってしまう。

 内心の焦りを誤魔化すように、明後日の方向を見ながら僕は言った。

「それで、何の用?」

「ん?」

「何か用事があるから、僕をここまで呼び出したんじゃないの?」

「あ、そうそう! あのね」

 そこで彼女は小さくこほんと咳払いをすると、少しだけ改まってこう口にした。

「あのね、実はわたし、死神なの」

「……。……は?」

 しに……何て言った?

 あまりに普段使わない単語に、頭が漢字に変換してくれない。

 訝しげな表情になる僕に、茅野さんは苦笑いを浮かべた。

「あー、うん、それはそういう反応になるよね。でもね、これが本当のことなのです。わたしは死神で、人の『死』と『忘却』に携わる仕事をしているのです」

「……」

 どうしよう、本気でどういう反応を返せば正解なのかが分からない。

 死神なんて、そんな単語を聞くのは漫画や小説の中か、せいぜい冗談で使われるのがいいところだ。

 だけど茅野さんはそんな質の悪い冗談を言うような人ではない……と思う。

 真っ直ぐで、感情表現が豊かで、よく笑って、まるで夏に咲く大輪の向日葵のような存在で。もっとも、それはあくまで数少ない彼女に対する記憶から推測した印象でしかないけれど。

 しかも話はこれで終わらなかった。

 彼女は、あろうことか僕を死神にスカウトしにきたと言い放ったのだ。

「スカウトって……?」

「言葉通りの意味だよ。君に、死神の見習いになってもらいたいの。わたしの助手として」

「なるとどうなるの?」

「わたしといっしょに仕事をしてもらいます。残業なし有給完備のホワイト企業で、ちゃんと福利厚生もあるから安心だよ」

「賃金とかは?」

「賃金はないよ! ほら、そこはやりがいが何よりの報酬ってことなんじゃないのかな?」

「それ完全にブラック企業じゃ」

 ブラックどころか真っ黒だ。

「いいのいいの、そういう細かいところは気にしない。それでどうするの? やるの? 働くの? 雇われるの?」

「それ全部同じだって」

「ん、そうかな? ま、いいからいいから。やるよね?」

 その口調から、彼女は僕が断ることはまるで想定していないようだった。

「……」

 茅野さんの言うところの死神が何を意味しているのかは分からない。

 何かの比喩なのか、あるいは象徴的なものなのか。だけどそれが何であれ、そこには少なくとも僕に対して害を与える意図はないように思えた。悪いことには巻き込まれないだろう。……たぶん。

 なのでとりあえず、彼女の話に付き合おうと決めた。

「……分かったよ。やる」

 僕がそう答えると、茅野さんは跳び上がって喜んだ。

「さすが望月くん! そう言ってくれるとわたしは五年前から知ってたよ!」

 そんな適当なことを言ってピョンピョンと飛び跳ねる。その度にスカートの裾がヒラヒラとめくれるのが危なっかしくて仕方がなかった。

 ひとしきり飛び跳ねた後、茅野さんはにっこりと笑って口にした。

「じゃあさっそく行こうか」

「え?」

 行く?

 って、どこに?

 怪訝な表情になる僕に、彼女は眉をハの字にした顔で、こう言ったのだった。

「え、じゃないよ。死神、やってくれるんでしょ? ――だったら、初仕事にだよ」



 こうして僕は――死神見習いとなった。