濃淡様々な赤色の葉が水面を覆い尽くしている。さながら赤い絨毯が敷かれているようだった。
大学の正門を入ってすぐの所にある池はコンクリートで四角く固められた味気のない仕様だが、こうして一面を紅葉で埋め尽くされた様は秋の景色を切り取った画面のようで、なかなかに風流だ。
だが、何故だろう。どことなく違和感がある。間違い探しに挑んでいる時の感覚に似た、何かが違うのはわかっているのに、何が違うのかが明確にならないもどかしさ。いや、違う、というより、何かが足りない気がするのだ。
竹箒を持ったまま、そうして考え込んでいた実乃里(みのり)の足元を、柔らかくくすぐったい感触がするりと掠めた。
「ひゃっ!」
「よぅ」
「金華(きんか)さん」
すっかり見慣れた白猫が、相変わらず揶揄(からか)いの目で見上げてくる。
大学に住み着き、学生たちに餌を強請(ねだ)りながら構内を闊歩(かっぽ)する、一見普通の猫にしか見えない彼が、実は人語を話すアヤカシだということ。それを知っているのは学内では実乃里と、もう一人。
「一色(いっしき)さん。こんにちは」
こちらもこちらで相変わらず、汚れきったつなぎ姿と櫛の通っていない髪、悪目立ちする長身が特徴の男が、気怠げな足取りで金華の後からやってきた。右肩に大きな布の鞄を掛けて脇に木製のパネルを挟み、左手に取っ手の付いた木箱を下げた大荷物だ。
一色真澄(ますみ)。絵画学科の助手を勤める彼と出会い、もう一つの側面を知ったのは一ヶ月と少し前。友人である絵画学科生の美沙子から「一色さんは妖怪画家らしい」と聞いた時もその聞きなれない響きに首を傾げたものだが、実際にはもっと奇妙な話だった。
一色は描いたアヤカシの姿を人間から見えなくする、消師という絵師なのだそうだ。
俄(にわ)かには信じがたい話も、実際彼の仕事を目の当たりにすれは信じざるを得なかった。
アヤカシと一色の絵の腕前に惹かれ、やや強引にお近付きになり、今では彼がアトリエ兼根城としている、使われていない旧号館の一室に通うのが日常だ。
「どうしたんですか? こんなところで?」
助手の仕事がある時以外は大抵例の部屋に篭って絵を描くか寝るかしている一色を、それ以外の場所で見かけるのは珍しい。
「仕事」
大荷物を地面に下ろし、描き道具を広げ始める一色に、否応なく知り合った時のことを思い出す。あれは大学裏の山の中の、小さな池の畔(ほとり)でのことだった。あれから実乃里に見える世界はどれだけ変わったことだろう。
「仕事って……消師の、ですか?」
「他に何がある」
確かに、こんなところで助手の仕事もないだろう。
しかし、消師の仕事となれば当然アヤカシが絡んでいるはずだ。こんな、大学内でそちらの仕事がある方がおかしいではないか。とも言い切れないことは、先日あった蝶の一件で身に染みている。
「何かいるんですか?」
一色が向かう池に目を凝らしても、実乃里には何も見付けられない。こんな人工的な池ではあの裏山の池のように魚も棲めそうにないし、いるとすれば精々水棲の虫くらいだろう。それとも、あの時のように何処かから連れてきた鯉か、あるいは亀でも放してあるのだろうか。
「いや、これだよ」
「これ?」
金華が右前足でとんとん、と落ち葉が散った地面を叩く。その意図が伝わらず、実乃里は首を捻った。
「だから、この葉っぱがアヤカシなのさ」
「えぇ?」
目の前の池に、地面に、無数に敷き詰められた鮮やかな赤色を見て、思わず素っ頓狂な声を上げる。
これらが、全てアヤカシだというのか。
アヤカシに成り得るのは動物だけではない、と少し前に金華から教わってはいたが、植物のアヤカシを見るのは初めてのことだ。
しゃがみ込み、手近な一枚を拾い上げてみる。表、裏、と返してみても別段変わった様子はない。ただの紅葉にしか見えなかった。
金華はどこかの誰かの言葉を引用して、アヤカシを「なんらかの条件を満たしたことで、本来そのものが持たない性質を持つようになったもの」と定義付けていた。
では、この紅葉は?
「オマエ、おかしいと思わないのか?」
「何がですか?」
「これだけ大量の葉っぱが、一体どこから流れてきたと思う?」
「言われてみれば」
ようやく合点がいった。
五メートル四方はある池の水面のほとんど、更にその周辺の地面までを覆い尽くすほどの落ち葉があるというのに。
ここには木がない。
丁度吹き溜まりで近場から飛ばされてきたのなら、他の木の葉やゴミも混ざっているはずだ。だがここには選別されたかのように、赤く色付いた紅葉の葉しかない。偶然にしては整い過ぎた景色なのだ。
先程覚えた違和感の正体はそれか。しかし、まだすっきりしない。
「ちょっと前までな、ここに一本、紅葉の木が生えてたんだが。夏前くらいにばっさり切られちまった」
「あ!」
続いた金華の話で、実乃里は今度こそ自分が何に引っ掛かっていたのかに思い至った。
「そうだ。ありましたよね、ここに。結構大きな木が」
「覚えてるのか」
「思い出しました」
四方を山に囲まれた、というより山の中に無理やり建てたような形で存在するこの大学は、辺りを見回せば都内とは思えないほどの木々に溢れている。そのため構内に植えられた草木に目新しさは感じられず、いちいち気に留めたことはなかった。こうしていざなくなっていることを指摘されるまでは。
工事が始まって更地になった空間を見て初めて、そこには何があったのか、と首を捻るあの感じ。
「その木がアヤカシだったってことですか?」
「アヤカシになった、という方が正しいな。切り倒される前までは何の変哲もない、ただの紅葉の木さ。少なくとも、オレやマスミが把握している限りでは」
「切られたことでアヤカシになった、と?」
「おそらく」
理不尽に人に切り倒された恨みが、一本の木をアヤカシにした。
実乃里は改めて辺りを見渡した。知ってしまった後では見え方も変わってくる。
水面を、地面を覆う赤色は鮮烈で、近寄りがたいような、触れてはいけないような、畏怖の念を掻き立てる色だった。
「まるで血の海だな」
「怖いこと言わないでくださいよ……」
若干身を引きながら言う実乃里を、金華がくつくつと笑った。
「依頼主がいる案件でもないから放っておいても良かったんだが。マスミが声を掛けたら本人が『描いて欲しい』と言ってきたらしい」
「え。一色さん、植物の言いたいことがわかるんですか?」
「ただの植物なら当然無理だろうが、相手がアヤカシならある程度の意思疎通は出来るらしい。そのあたりは流石専門家と言ったところか」
「はぁ」
自分が話題に挙げられていることも全く意に介さず黙々と荷解きを進めている一色に、実乃里は改めて底知れぬものを感じた。
「元になる存在自体がなくなっちまってるからな。こいつのアヤカシとしての寿命ももうそんなに長くない。ならせめて絵に遺して欲しい、ってのがこいつの意思なんだとさ」
「なるほど」
実乃里と金華がそんな会話を交わしている間に、一色は運んで来た絵描き道具を並べ切っていた。
陶器の絵の具皿。色鮮やかな粉の入った数々の瓶。琥珀色のどろりとした液体。
実乃里には馴染みのないそれらだが、知識だけはある。美術大学に通いながら、実物を見るのは初めてだ。
「日本画、ですか?」
「うん」
最後に既に下絵が描かれたパネルを地面に置いて、一色が頷いた。
日本画の画材は扱いが難しいと聞く。それを屋外で描くつもりなのか。実乃里は一瞬浮かんだ懸念を、一色には愚問だった、と頭の中で取り消した。
実物を見ながら描いた方が良い絵になるのはわかりきっていることだ。手間や面倒よりも絵の完成度を取る。一色のそんな性格も、わかりきっていることだ。
実乃里が畏怖した景色に対し、一色は平然と、それでいてはっとするほどの真摯さで目を向ける。
普段は焦点の定まらないぼんやりとした両目が実は深い色をしていることを、彼が絵を描く姿を見る度思い出す。
「あの、一色さん」
返事はない。そうだ。一色は作業に入ってしまったが最後、周囲のことなど一切目にも耳にも入らなくなることなど、改めて思い出すまでもなく思い知っている。
冷徹に感じられるほどの素っ気なさにも慣れてはきたが、やはり時々は寂しくなるし、心配にもなるのだ。
自分は嫌われているのではないだろうか。こうして馴れ馴れしく話し掛けたり押し掛けたりすることを鬱陶しく思われているのではないか。
最近は随分ましになってきたものの、元来の自信の無さが顔を出すと、そんな風に考えてしまう。
浮かんだ暗い気持ちを頭を振って追い出すと、やれやれ、と実乃里は別の意味を込めた溜息を吐いた。
「当分、掃除は出来そうにありませんね」
「そういや、シラカワはなんでこんな所にいたんだ?」
「お掃除の手伝いです。校務員さんが大変そうだったんで」
「オマエは本当に、なんというか……お人好しだな」
呆れた様子の金華に、わけがわからず実乃里は首を傾げた。
竹箒と塵取りを返しに行くと、ゴミ置場で大きなビニール袋の口を縛っていた男が顔を上げた。
彼は佐々木という、この大学に数人いる中でもっとも勤務歴の長い校務員だ。構内のあちこちで何度もその姿を見掛けてはいたが、会話らしい会話をしたことはなかった。今日、いつも手際良く仕事をしている彼が、あの池を遠目に見ながら立ち竦んでいる姿がどうにも気に掛かり、実乃里から声を掛けるまでは。
「おや、もう終わったのかい?」
「いえ、それが」
まさかアヤカシ云々の話をするわけにはいかないので、実乃里は「絵画学科の助手である一色があの景色を描きたがっているらしい」ということだけを伝え、掃除を待ってくれるよう頼んだ。
「へぇ。あの一色くんがね」
「知り合いなんですか?」
「向こうは私のことなんか顔も覚えてないだろうけど、彼は目を引く人間だからね。学生の時からそうだったよ」
「一色さんが学生の頃もご存知なんですね」
「もう十年も前からここで働いているからね」
一色がこの大学の卒業生であることは話に聞いている。今の彼しか知らない実乃里には、学生時代の一色というのはどうにも想像出来ない姿だった。
「飲むかい?」
「あ、すみません……ってこれ、お酒じゃないですか」
実乃里は受け取りかけたワンカップを慌てて押し返した。
「ん? ああ、君はまだ未成年か」
「それ以前に、こんな時間に大学内でお酒はちょっと……」
「冗談だよ。こっちならいいだろう?」
代わって差し出された缶コーヒーをありがたく受け取る。最初からそちらをくれるつもりで買っておいたのだろう、まだ少し温かい。そろそろ温かい飲み物が美味しいと感じる季節になってきた。
佐々木は大きな息を吐きながら、ゴミを纏めて仕舞っておく大きな金属製の箱に腰を下ろした。
「もう歳でね。外仕事は堪えるよ」
言って苦笑するその人は、実乃里の祖父でもおかしくないような年齢だ。
「佐々木さんは、あの池の所に植えられていた紅葉(もみじ)の木をご存知ですか?」
「勿論」
実乃里がそれを話題に挙げたことを喜ぶように表情を明るくした佐々木だったが、すぐにその様子が寂しげなものに変わった。
「ああ、君は一回生だから見たことがないのか。あれが紅葉(こうよう)する様はね、本当に綺麗だったんだよ」
実乃里は言葉に詰まった。今しがた見てきた光景について、佐々木はどう思うのだろう。尋ねてみたかったが、下手に突っ込んだ話をすればアヤカシの存在についても触れなければならなくなる。
人間とアヤカシは相容れないものだ。
頑なにそう主張する一色の仕事の邪魔をしたくない。
「どうして切ってしまったんですか?」
余計なことは話さないように気を付けつつ、一歩踏み込んでみる。すると佐々木は寂しげなままで微笑んだ。
「落ち葉が溜まったり詰まったりして大変なんだそうだ」
「そんな理由で……」
「仕方のないことだけどね。実際、あそこの掃除には毎年手を焼かされたよ。掃いても掃いても、きりがなく落ち葉が積もるものだから」
肩を竦めて見せながら、それでも佐々木の口ぶりからはどことなくそれを楽しんでいたのであろうと察することが出来た。
「でも流石に、あの木を切るところを見ているのはつらかったな」
「好きだったんですね。あの木が」
「それもあるけれどね。ひどかったんだよ、あの木を切った植木屋は。普通木を切ったり、移植したりする時は、酒や塩を撒いてお清めをするものだろう? そんなことも一切せず、挨拶もなく、いきなりチェーンソーでばっさりだよ。見ていてぞっとしたね」
不意に、金華の言った血の海という言葉が思い出された。あれはあながち的外れな表現でもなかったのかもしれない。
理不尽に切り倒された木から溢れた血が、今もあの場を赤く染めている。
「あれ以来、どうにもあそこに近付くのを躊躇してしまうんだ」
「それでなかなかあそこの掃除が進まなかったんですね」
歳のせいで動けない、というだけではなかったのだ。
佐々木は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「校務員として仕事を貰っているのに、そんなことを言ったらいけないのだけれど。あの時木を切ることを止めなかった私を、紅葉が恨んでいるんじゃなかって気がしてしまって」
「佐々木さんのせいじゃないでしょう」
そう言いながら、実乃里は内心ぎくりとしていた。
あの紅葉は人間に切られたがためにアヤカシになった。
その恨みの矛先は佐々木ではないと思いたいが、実乃里には一色のように、アヤカシの意図を読み切ることは出来なかった。
せめて、紅葉の恨みを鎮めることは出来ないだろうか?
そう考えて、閃いた。
「あの、佐々木さん。やっぱりそのお酒、頂いてもいいですか?」
「構わないけれど。なんだい、君は真面目そうに見えて意外と呑兵衛(のんべえ)なのか?」
「未成年ですってば! だから、その、私が飲むんじゃなくて……」
わけを説明すると、佐々木は微笑んでワンカップを譲ってくれた。
池の所まで戻ると、一色は先程までと同じ姿勢で地面に置いたパネルに覆い被さるようにして絵を描いていた。
転寝(うたたね)をしていた金華が実乃里に気付いて目を覚まし、実乃里が手にしている物に目を丸くする。
「なんだ、シラカワは見た目に拠らず呑兵衛なのか?」
「違います!」
ついさっき言われたのと同じ言葉に、やはり同じ言葉を返す。
「お清め……というか、お供えですね。この紅葉の木が切られる時にされなかったこと、今更ですけどしておいた方がいい気がして」
「ほぅ。なかなか殊勝な心掛けだ」
「ついさっき、校務員の佐々木さんから聞いたんです。これも佐々木さんから頂いてきました」
清めの酒がこれでいいのかはわからないし、その程度でアヤカシに変わるほどの恨みが消えるとは思わない。でも、ほんの少しでも、人間からの謝罪の気持ちを示しておくべきだと思ったのだ。
金華が軽く頷く。
「ならその辺に撒いてやれ。もう木そのものは残ってないからな。葉っぱにかけてやるだけで十分だろう」
実乃里はカップの蓋を開け、地面に積もった紅葉の葉の上に中の酒を注いだ。実乃里にはあまり馴染みのないアルコールの匂いが漂う。
途端。
ぶわっ、と辺り一帯の紅葉の葉たちが舞い上がった。
「わぁ……」
突風に煽られたかのように高く持ち上げられた紅葉たちが、一瞬空中で静止し、今度はゆっくりと、踊るようにくるくると回りながら落ちてくる。
空気さえ赤く染めるその光景は、壮絶で、美しかった。
見ると、流石の一色も手を止めていた。言葉はないまま、目の前に広がる光景に見入っている。
間も無く全ての葉が再び地面の上に収まると、それきり紅葉たちは沈黙した。
「今の、は?」
「こいつなりの訴えってとこだろうな」
金華が言う。
「『後悔しろ』だと」
胸が痛む。
やはりそう簡単には許してもらえないか。
「『私、綺麗でしょ?』ってさ」
だが、金華が続けた言葉は思いもよらないものだった。
「はい?」
「『こんな綺麗な自分を切ったことを後悔すればいい』ってことらしい」
わけがわからず首を傾げる実乃里を、一色が指差した。正確には、実乃里の手元を。
「それ、佐々木さんから貰ったんだろう?」
「は、はい」
空になったカップを握り締める。
「だから、佐々木さんに向けたメッセージだろう」
「でも、木を切ったのは佐々木さんじゃないのに……」
「いつもここの掃除をしていたのは佐々木さんだったからな」
一色の話にますます混乱する。
自分を切った植木屋より、いつも掃除にきていただけの校務員への恨みの方が強いだなんて。
「こいつは常日頃思ってたんだとさ。『折角綺麗に敷き詰めた紅葉の葉を掃いて捨てるなんて』ってな」
「……えぇ?」
金華の補足にようやく理解した実乃里だが、どう反応したらいいか難しい。
仕方のないことなのではないだろうか。たかだか落ち葉を掃除するくらい。それはなんというかあまりにも、自己主張が強過ぎはしないだろうか。
と言っては人間側の都合でしかなく、紅葉の木にとっては重要なことなのだと言われてしまえば、返す言葉もないが。
やはり一色の言うように、アヤカシの考えは人間には理解しがたいものなのかもしれない。
「……嫌いじゃなかったんだろう」
一瞬聞き逃してしまうそうになるほど小さな声で一色が呟く。
「え?」
「この紅葉も、そうやって佐々木さんとあれこれするのが」
「……あ」
佐々木が億劫だと言いながら落ち葉掃除を楽しんでいたようだったことを思い出す。同じように、掃かれても掃かれても落ち葉を散らす悪戯(いたずら)染みた行為を、この紅葉も楽しんでいたのだとすれば。
結局のところ、この紅葉も寂しかっただけなのかもしれない。
「ねぇ、一色さん。この絵が完成するまで、あとどれくらい掛かりますか?」
「まだ描き始めだから、数日は」
「明日、ここに佐々木さんを連れて来てもいいですか?」
一色は答えず、肩を竦めた。きっと内心では「また余計なことを」と思っているのだろうが、否定しないということは、構わないということだろう。
本当に消えて無くなってしまう前に、佐々木にこの景色を見せておきたいと思った。アヤカシを知らない彼に、これがあの木の起こす現象だと説明するのは難しいだろうが、きっと彼なら何かを感じ取ってくれるはずだ。
季節が移りゆくように、時間は流れ、自分たちを取り巻く世界は変わっていく。
一期一会、とまではいかなくても、その中で折角出会えた縁なのだ。チェーンソーでばっさりと、たったそれだけのことで切り離されてしまったのではあまりにも寂しいではないか。
隣で既に絵の制作に意識を戻してしまった人を見る。
折角出会えた縁なのだ。遠慮して、躊躇って、二度と会えなくなってから後悔するよりは、一つ二つの恨み言を覚悟で、今は近くで見詰めさせていて欲しい。
そろそろ夕焼けの時間だ。束の間、空も、水面も、地面も、全てが赤く染まった世界を、その中で熱心に絵を描くその人を、実乃里は飽きもせず眺めていた。
「なぁ、マスミよ。さっきの、自分とシラカワとのことじゃないのか?」
「何が?」
「嫌いじゃないんだろう? シラカワとあれこれするのが」
一色は答えずに肩を竦めた。