「やっぱり、“絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)”に指定されると思うか?」

 突然声を掛けてきたのは、短髪で目がぱっちりとした男、幼馴染の山吹(やまぶき)だった。

 羽をしまい、人間に化けて秋葉神社(あきはじんじゃ)の本殿の傍にあるベンチに腰かけていた私を、山吹は不安そうな顔をして覗き込む。山吹も私と同じく、人間と同じ姿に化けて世界に溶け込んでいた。

「……さあ、どうだろうな」

 言葉少なに答えると、山吹は唇を尖らせて私の隣にドカッと腰かける。そうして私を見ながら嘆息(たんそく)する。

「お前が一番心配だよ」

「ちょっと待て、どうして私が一番心配なんだ」

「お前は長の息子だから、ゆくゆくは里の長になるんだぞ? それなのに適齢期になっても浮いた噂の一つもないし、ここでぼんやり人間たちを眺めているのが好きだなんて、天狗としてどうなんだよ。なあ、朱門(しゅもん)」

 その時、きゃははは、と遠くから若い人間の女性たちの笑い声が響いて来る。目を向けると、金色の鳥居の前で弾けるような笑顔を振りまいて写真を撮っていた。

「……結婚しないといけないのは、わかっているんだがなあ」

 彼女たちに視線を預けたまま呟くと、山吹は苦笑いする。

「お前、人間を嫁にしたいとか言うなよ。俺たちとは寿命が違いすぎるから。あいつらはすぐに死ぬぜ。寂しくなるだけだからやめておけ」

 その言葉に、思わず吹き出す。

「何を馬鹿なことを言うんだ。そんなこと微塵(みじん)も考えたことなどない。ただ、人間も我らと同じように悩むんだなと考えていただけだ」

「は?」

 彼女たちは金の鳥居から移動して、秋葉神社の本殿の前で手を合わせた後、お守りを眺めながら、鳥が騒ぐように忙しなく喋っている。

 ――素敵な人と出会えますように。

 ――彼氏と長続きして、結婚できますように。

 そんな願いが口々に飛び出して来て、妙な親近感を覚えてしまう。

 人間も我々も叶えてほしい願い事は同じなんだ。

「……絶滅危惧種に指定されるだろうな」

 おもむろに呟くと、山吹は「だよなあ」と項垂(うなだ)れる。

 我らは、天狗。秋葉山(あきはさん)の天狗だ。

 静岡県浜松市にある、秋葉山本宮秋葉神社の上社のほど近く、秋葉寺(しゅうようじ)という寺の近辺に、何百年も前から里を作って一族で棲んでいる。

 天狗といっても、我ら秋葉山の天狗は、鼻が高い風貌ではなく、鳥のような嘴(くちばし)を持つ烏天狗(からすてんぐ)だ。

 近年、人間の台頭(たいとう)によって活動範囲が狭まり、秋葉山の天狗の数は五十年前に比べたら半分以下の百ほどになってしまった。

 時代の流れという言葉は肌で感じているが、こうも急激に数を減らすと、里の中で伴侶(はんりょ)を探すのも難しくなる。

「あー……。女天狗なんてどこにいるんだよ……」

 山吹が人間の女性たちを眺めながら、やるせなく呟く。

 元々天狗は徒党を組み、里を守り戦う妖怪。そのせいか、女性よりも戦闘に特化した男性のほうが多く生まれる。

 しかも昔は棲家である山が女人禁制の場所が多かったため、女の天狗が生まれると、里を出て暮らすことになっていた。今は時代が変わり、女人禁制が解かれたことで、里で暮らす女性の天狗も増えたが、昔の掟を守る天狗が多いのも事実で、里を出て自然と共に生きる女天狗のほうが多い。

 そんな女天狗を求めて各地から男天狗が訪ねて行くそうだ。女天狗は引く手あまただが、一方の男天狗は、と言うと……。

 ちらりと山吹を盗み見ると、山吹はまだ人間の女性たちを目で追っている。

「出会いすらねえのに、どうやって結婚しろって言うんだよ……。いいなあ、人間たちは男女比が同じくらいで。必死に探さなくても出会いなんてそこら辺に転がってるんだろうなあ。生涯孤独に生きる男天狗のほうが多いってのに、人間が羨(うらや)ましいぜ。ああ、里に帰りたくねえ……」

 私も帰りたくない。

 きっと今頃秋葉山の天狗たちは、絶滅危惧種に指定されるかもしれないと、大騒ぎしているだろう。

 間違いなく、その矛先は長の一人息子でゆくゆくは長になる私に向くことも明らかだ。そして、山吹の父親の朽葉(くちば)も長の側近だから、山吹も煩(うるさ)く言われるだろうな。

 山吹は私の肩にぽんと手を置く。目が合って、お互いがっくりと肩を落とした。


 里の一大事、というのは、こういうことを言うのだろう。

「朱門! 山吹! お前たちはどこに行っておった! 早く上がって来い!」

 屋敷の奥からバタバタと足音を立てて駆け出してきたのは、山吹の父親の朽葉だった。慌てた様子から、やはり杞憂(きゆう)が現実になったなと察する。

 朽葉と山吹と一緒に長の部屋に向かうと、部屋の中には十人ほどの天狗たちが神妙な顔で車座になっていた。彼らは長の側近たちで、評定衆と呼ばれている。何かを話していたが、私と山吹が部屋に入ると、急に水を打ったようにしんと静まり返る。

「ようやく来たな。座れ」

 中央に座っていた、たっぷりと髭(ひげ)を蓄えた天狗が持っていた扇で手招きする。山吹と一緒に車座の中に混ざって座ると、対面にいた男と目が合って、にこりと微笑まれる。

 ぼさぼさ頭に、ボロボロの袈裟(けさ)を着ているが、相変わらず物腰の柔らかい男だな。

 そんなことを考えながら、小さく頭を下げる。

 烏丸五郎(からすま ごろう)。

 彼は、紛れもなく人間だ。いや、半分妖怪なのかもしれない。

 五郎殿は江戸時代の中期、元禄十三年に生まれたそうだ。時の将軍吉宗(よしむね)公に妖怪の調査を頼まれ、『妖怪調査人』となった。

 その後、妖怪の調査のためだけに、永遠の命と若さを望み、自ら進んで人魚の肉を食べて不老不死になったそうだ。五郎殿はすでに三百年以上妖怪の調査に明け暮れている。最早(もはや)人間とは呼べない、半妖怪だろう。

 妖怪たちのほとんどは、五郎殿の調査を受けているし、非常に友好的な人間として、妖怪たちの間で知らないものはいない。人間との間に何かトラブルが起きた時、五郎殿が力になってくれることもあり、妖怪たちから絶大な信頼を得ている。

 そして何よりも五郎殿は、不老不死を生かして、“妖怪の人口動態”についても調査を行っている。

 五十年前よりも半数以下になった妖怪に対して、“絶滅危惧種に指定”という重要な仕事を請け負っているのだ。

 我らのように徒党を組んで暮らす妖怪なら、数が減ってきたことを何となく察することができるが、一人で棲んでいる妖怪たちは、五郎殿のおかげで絶滅を免(まぬが)れることがよくあるらしい。

 絶滅危惧種に指定された妖怪たちは、種を残すために様々な努力をすることになる。

 手っ取り早い一番の手段が、結婚、なのだ。

「――五郎殿。いよいよ我らは“絶滅危惧種”に指定なのか?」

 しんと静まり返った部屋の中で、長が神妙に尋ねる。車座になっていた天狗たちは、固唾(かたず)を飲んで五郎殿を見守っていた。

 厳しい視線を一身に受ける五郎殿は一切怯(ひる)むこともなく、いつも通り猫背のまま胡坐(あぐら)をかいていた。さらには悠々と微笑を湛(たた)え、まるで今日の晩飯は何にしようかと言いそうなほど、ごく自然に「ええ、指定です」と口にした。

 その途端、口々に皆が「どうする?」「何てことだ……」などと騒ぎ出す。

「五郎殿、やはりまことなのか?」

 長が尋ねると、五郎殿はこの緊迫した場にそぐわない、明るい声を上げた。

「――はい! まことですよ。この秋葉山の天狗たちは、五十年前に比べたら大分数が減って半数以下になっています。これは最早、絶滅危惧種への指定は免れません。そろそろ数を増やすことを考えるべきです」

 やはり五郎殿が告げるとあまり説得力がない。弾んだ声で、尚且つ満面の笑みを浮かべながら言われても、危機感や緊迫感が逆に萎(な)えていく。

 皆呆然として言葉が出なくなっていると、長が五郎殿に向き直る。

「五郎殿のおっしゃることだ。まことなのだろう。確かに最近は少子高齢化の波が、この秋葉山の天狗たちにも押し寄せて来ているのは、肌で感じている。人間ばかりの問題ではなく、妖怪も同じ……。今ここで手を打っておかなければ、この先必ず後悔するということだな」

「ええ。長のおっしゃる通りです。早急に手を打てば、今ならまだ間に合う、ということです」

「なるほど。よくわかりました。――これはまずいな」

 まずいと言ったきり、長は押し黙る。

 まずいのは里の皆全員が、以前から何となく感じていたことだろう。だが、今までは何とかなるとか、まだまだ大丈夫だろうという甘えが蔓延(はびこ)っていたのは事実。

 何せ天狗の寿命はとても長い。人間の寿命の百倍ほどある。そのため、不老不死だといわれることも多いが、実際には寿命は存在する。だが長すぎる寿命が危機感を奪い、いつでも結婚して子を成すことができるだろう、だなんて悠長に構えている者がほとんどだ。生まれてくる天狗よりも、寿命や人間との確執で、命を落としていく天狗のほうが多かったのに、見て見ぬふりをしてきたのは全員の罪だ。

「まずい」

 長が、一言放った。顔を上げると、鬼の形相。

「まずい、まずいまずいまずい! 未婚の天狗は一刻も早く結婚しろ! これは里の一大事だ!」

 突然長が立ち上がって叫んだ。驚いて目を瞬いていると、傍にいた朽葉が落ち着かせようと長の肩を掴んで座らせる。

 それを見ていた山吹が、困ったように口を開いた。

「長、里の一大事だということはよくわかりますが、なかなか出会いもないもので、明日明後日で結婚できるとは思いません、長い目で見ていただければ……」

「長い目で、なんて、そんなことを言っている間に女天狗は他の山の天狗たちと結婚し、我らは絶滅することになるぞ! 今すぐ結婚しろ!」

 無理だって、と山吹が小声で呟いて頭を抱える。

「お待ちください。山吹の言うことは一理あります。何せ天狗は男女比が著しく違うものですし、簡単に結婚できるとは思えません」

「朱門! 貴様こそ早く結婚しろ! お前はいつもいつも木の上や秋葉神社のベンチで人間たちの営みをぼんやり見ているが、そんな暇があったら今すぐ結婚しろ!」

 しまった。火に油を注いでしまったか。

 長の怒りが爆発し、その矛先は一気に私に向く。

 人間たちの営みをぼんやり見ているのは最早私の趣味だ。他の天狗たちに理解してもらえるとは思っていない。だが誰かに迷惑をかけているわけでもない。なのにそれを評定衆の前で責められるのは筋違いのはず。だが、ここで反発しても、さらに長の怒りが増すだけだから苦い顔のまま押し黙る。

 すると朽葉が見かねたのか、まあまあと諭(さと)すように長に語り掛ける。

「長のおっしゃることもわかりますが、朱門や山吹たち若い天狗が結婚についてほとほと困り果てているのもわかります。かつて私も妻に出会うまで苦労しました。人間の台頭で、さらに今の若者たちが苦労しているのは想像に難くないでしょう」

 朽葉の援護もあって、長はようやく落ち着いてくる。「あ、そうだ」と言って、朽葉がぽんと手を打った。

「専門家がいるではないですか! 五郎殿、助言を頂戴(ちょうだい)できませんか? 貴方は絶滅危惧種に指定された妖怪たちの数を増やしてきた実績がある」

 のんびりと茶をすすっていた五郎殿は、我らの混乱なんてどこ吹く風というように、朗(ほが)らかな笑顔で頷く。

「もちろんですよ。わたしにできることなら手伝います。黒羽寺(くろはでら)の天泣堂(てんきゅうどう)への斡旋(あっせん)も承(うけたまわ)っていますから」

 その言葉に、長が瞳を輝かせる。

「……天泣堂。なるほどその手がありましたな。では天泣堂へ登録するか否か、もしくは他の策を取るか、とりあえず評定衆だけで話し合いたいと思います。五郎殿はしばらく秋葉山に滞在を。朱門、山吹、五郎殿を客間へ案内しろ」

「――承知」

 長に向かって頭を下げ、山吹と共に立ち上がり、五郎殿を連れて部屋を出る。その場には、長と長の側近たちの評定衆だけが残った。どうなるかは不安だが、長の決定に従うしかないのが我ら秋葉山の天狗の掟だ。

「相変わらず、この屋敷は趣向が凝(こ)らされていますね」

 急に背中から間の抜けた声が響いた。振り返ると五郎殿が縁側の向こうに広がる中庭を眺めている。

「人間界だと今は真夏なのに、これはまた見事な紅葉です」

 五郎殿の肩越しには、立ち並んだ真っ赤な楓が、ひらりひらりと葉を落としながら佇(たたず)んでいる。

「美しい。ここは人間界の季節に関係なく、年中秋なのですか?」

「そうだな。長の力で年中秋だ。長の自慢の庭だよ。ただたまに長の気分によって嵐になるんだ。この間、俺たちが問題を起こした時なんか、庭だけ大嵐だったぜ。お説教と嵐が連動してたよ。さっきももう少ししたら嵐になってただろうな」

 山吹が肩を竦(すく)めると、五郎殿は声を上げてけらけら笑う。

「それにしてもやっぱり絶滅危惧種に指定か。さっきの話にも出ていたが、女天狗の数が少なくて一人で死んでいく男天狗が多いのも五郎さんはわかってるだろ? 元々俺たちには出会いすらないんだから、絶滅危惧種に指定されるのも仕方ないよ」

「山吹くんの言うとおり、男女比がここまで極端な妖怪も珍しいですね。天狗に縛られず、異種族婚を考えたらいかがでしょうか」

 異種族婚、か。天狗は天狗。ではなく、たとえば天狗と、化け狐が結婚するのも珍しいことではない。

 異種族同士で結婚して子供ができた場合、どちらか一方の妖怪として生まれてくることが多く、天狗と化け狐の夫婦でも、天狗が生まれることもある。

「あまり抵抗がなければ、異種族同士もおすすめですよ。案外相性がいいこともありますから」

「異種族か……。まあ前向きに検討してみる。朱門は里のことを考えると同じ天狗のほうがいいかもな。お前は跡取りだし」

「まあ、そうだな。だが、最悪異種族でもいい。こだわらない。ただ問題なのは、異種族でも同族でも、出会いがないということだな」

「ならばやはり、天泣堂に登録することをおすすめしますけどね」

 天泣堂。正式名称は、“黒羽縁組天泣堂”。

 妖怪の結婚相談所だ。

 そこには、数えきれないほど膨大な数の妖怪たちが、自分の伴侶を求めて登録しているそうだ。

 結婚相談所に登録することに、抵抗はない。だが、天泣堂を運営しているのは、妖怪ではなく『人間』なのだ。

 人間こそ、不可解で、不思議すぎる存在。

 人間の営みは多岐(たき)に渡り、我ら妖怪とは全く違うことを楽しみ、全く違うことで悲しむ。自然を壊すことに抵抗はないし、神社にいるというのに、神を崇(あが)めるわけでもなく、小さな機械の箱を必死で覗き込んでいる輩(やから)もいる。

 謎な存在だからこそ、観察する目的で木の上や秋葉神社のベンチで人間たちを眺めているが、実際に交流したことはない。

 ――人間は我ら妖怪を迫害して追討する。

 幼い頃からそう教わって来た。人間に興味はあるが同時に畏怖(いふ)している。

 そんな人間が、我ら妖怪の縁組みをする? 本当に信用できるのだろうか。

「今の天泣堂の主は、烏丸真留(からすま まさる)くんですよ。彼は二十年以上天泣堂の主を務めておりますし、今まで数多くの妖怪の縁組みを成功させているので、畏(おそ)れることはありません」

 心を読まれた、か?

 そんな力はないとわかっているが、五郎殿は相変わらず朗らかに微笑んでいる。

「わたしの子孫ですから、妖怪に理解はありますし、大丈夫です」

 天泣堂は、黒羽寺の塔頭寺院である双宿院(そうしゅくいん)を事務所にしているそうだ。

 黒羽寺は五百年ほどの歴史を持つ古刹(こさつ)。とても大きな寺で、五郎殿は元々その寺の五男坊だったそうだ。五郎殿が妖怪調査人になり、妖怪たちの絶滅危惧を憂(うれ)いたことで、実家である黒羽寺に相談し、当時の住職が妖怪のための縁組み相談所、天泣堂を開いたと聞いている。それから代々黒羽寺の住職が天泣堂の主を務めているそうだ。

「……天泣堂に行くことになったら、その時は頼む」

 呟くと、五郎殿は大きく頷いた。

 五郎殿のような人間が沢山いれば、もっと妖怪たちも生きやすくなるだろうと、その飄々とした佇まいを見て思った。


 その日の夜、里の天狗たち全員が、里の中心にある広場に集められた。赤い提灯(ちょうちん)が風に揺れ、天狗たちの羽を朱色に染め上げている。

 そんな中、若い天狗たちは窮屈そうに身を寄せ、囁(ささや)きあっている。

「おい、朱門。大変なことになったな。絶滅危惧種に指定だなんて、いよいよって感じだ」

「朱門、俺結婚できるとは思えない……。どうしよう」

「まだ結婚なんて考えてねえよ。まだまだ自由に遊んでたいのにさあ」

 私と同年代の天狗たちは、そうだそうだと口々に同調してはいるが、肩身の狭さに顔を上げられずに項垂れている。それもそのはず、老年の天狗たちが絶滅危惧種に指定されてしまったのは若者のせいだとわざと聞こえるように騒いでいるからだ。

「そんな簡単に結婚できるもんじゃねえのになあ。長や父さんたちの世代はまだ天狗自体が多かったから楽に出会えただろうけど」

 山吹の言うことには一理ある。長たちが若いころはまだ江戸時代とかだったはずだから、今よりも断然出会いがあっただろう。

 その時と比べられても困るというのが本音。

「――皆の者、静かにしろ!」

 よく通る声が響いて顔を上げると、長が広場の真ん中に立っていた。途端にあたりは静寂に飲み込まれた。

「この度、五郎殿の調査により、我ら秋葉山の天狗は絶滅危惧種に指定された。まずは評定衆で話し合いをしたところ、未婚の天狗は一刻も早く結婚する、と意見が上がったが、皆はどう思う」

 すると「賛成」という声が広場からいくつも沸き上がった。

「はー、やっぱりどう考えてもそうなるよなあ。このまま何もせずに絶滅するのは誰も賛成しないだろうし」

 山吹が当たり前だと呟いた。確かにこうなることは誰の目にも明らかなことだった。

 やはり、天泣堂に行くしかないのだろうか。

 そんなことを考えていると、長がこちらを睨(にら)みつける。

「決まり、だな。――朱門!」

 突然呼ばれて、思わず目を丸くする。

「な、何でしょうか」

「お主、誰かいないのか」

「はい?」

「誰か、嫁に来てくれるような女性はいないのか!」

 最悪だ。今すぐこの場から飛び立ってしまいたくなる。里の皆が全員集まっているところで、恋人の有無を訊かれるとは。

 いや、私にそういう相手がいないことは長もわかっているはず。一応父親だし、もしそんな相手がいたらさっさと紹介している。

 盛大な嫌がらせだ。

「ふん、お前にそんな女性がいないのは、いつもぼうっと人間ばかり見ているからだ。お前は儂(わし)の息子。ゆくゆくはこの里の長になるのだぞ? まずはお前から天泣堂へ行け!」

「――な、」

「未婚の天狗たちが一度に天泣堂に押しかけたら、真留殿も手一杯になるだろう。まずは朱門が先陣を切って天泣堂に行って来い!」

 なぜ、こんなことに。

 あまりの衝撃に反論もできないまま呆然としていると、皆は、やれ解決したとばかりに散会する。

 固まっていた私の肩に、ぽんと手が置かれた。

 体が跳ね上がり、慌てて振り返ると、あの朗らかな笑顔を湛えて、五郎殿が立っていた。

「じゃあ、早速天泣堂に行きましょうか、朱門くん」

「いや、ちょっと待っ……」

「朱門、頑張れよ! お前が上手くいったら、俺たちもやる気出すよ!」

「朱門は無口だし、女慣れしていないから結婚まで長くかかるだろうなあ。その間、長たちの目は朱門に向くだろうし、俺たちは羽を伸ばせるぜ」

 山吹や他の若い天狗たちが、まるでいけにえを差し出すように突き放す。

「ちょ、待っ……」

 やれやれ、と若い天狗たちは各々翼を広げて青い空に飛び立って行く。

 薄情者! と叫んでやりたかったが、声が出ない。

 後には胡散臭(うさんくさ)い笑顔の五郎殿と私だけが残されてしまった。


「そんなに落ち込まずに」

「こうなったら、一刻も早く結婚してみせます」

 くそ。長や山吹たちとのやり取りを思い出して、怒りが湧いてくる。

「その意気ですよ。では参りましょう。天泣堂にはもう連絡してありますから」

 五郎殿が持っていた錫杖(しゃくじょう)を高く掲げると、景色がぐにゃりと歪む。本当は天泣堂に行くのに躊躇(ためら)いを感じていたが、皆を見返してやりたいという気持ちのほうが勝(まさ)っていて、こうなったらもう、なるようになれと、やけくそになっていた。

 景色の歪(ゆが)みが消えると、私と五郎殿は小ぶりの三門の前に立っていた。看板には立派な字で『双宿院』と書いてある。

 それを見た途端、さっきの威勢はどこへやら、早々に帰りたくなった。ちょっと待ってくれ、と言おうとした時にはすでに、五郎殿は三門をくぐって双宿院の玄関に手を掛けていた。

「こんにちはー。朱門くんを連れてきましたよー」

 五郎殿が双宿院の中に向かって声を掛けると、キャンキャンと鳴きながら、ふわふわした真っ白い毛の犬が飛び出して来て、私の前で立ち止まる。

「アナタが朱門殿ですか。初めまして、ワタシは白澤(はくたく)のシロです。真留様の弟子として修行させていただいております。どうぞよろしく」

 私に向かって頭を下げたのは、礼儀正しい妖怪の子だった。真留殿の弟子、ということは、妖怪なのに人間の下で生活しているのだろうか。

「初めまして、私は秋葉山の天狗の朱門です。真留殿は――」

「おお、早かったですな、五郎殿」

 そんな声がシロの背後から響き、目を向けると、恰幅(かっぷく)のいいタヌキ顔の中年男性が佇んでいた。

「君が秋葉山の天狗の朱門殿、か。五郎殿から聞いている。初めまして、私は天泣堂の主の、烏丸真留だ。どうぞ上がってくれ」

 真留と名乗った人間は、ごく普通に私に向かって笑顔を見せる。

 私は今、人の姿に化けていない。烏天狗そのものだ。それなのにその瞳に畏れを滲(にじ)ませることも、嫌悪(けんお)を浮かべることもない。

 それだけで彼が今まで多くの妖怪たちと関わってきたことがわかった。

「ではわたしは仕事に戻りますね。真留くん、朱門くんをよろしく」

 待ってくれと伝える間もなく、さっさと五郎殿は藪(やぶ)の中に姿を消し、私は一人ぽつりと取り残されていた。

 急激に不安が襲ってくるが、帰ろうか悩む前に真留殿とシロに案内され、双宿院の一室に足を踏み入れる。壁際にいくつも冊子が積まれていた。

「これは天泣堂に登録されている妖怪たちの身上書が入ったファイルだ」

 呆然と見ていた私に、真留殿は一冊冊子を引き抜いて私に向かって広げる。

 そこに挟まれていた紙には、妖怪の名前、住んでいる場所に種族。寿命に、家族構成。日々の過ごし方。趣味。同居か別居か。人間社会との関わりの有無に結婚相手に求めるものなどの項目が並んでいた。

 思わずごくりと唾を飲み込む。

 正直、臆していた。これ一枚につき一人、妖怪が登録している。その冊子が壁際にいくつも乱雑に積みあがっている。

「こんなに多くの相談者が天泣堂に登録しているんですね……」

 積みあがった冊子を見上げながら呟くと、真留殿は冊子を閉じ、ちゃぶ台の上にまっさらな身上書を置いた。

「それだけ妖怪たちの出会いがないということだな。自然と増えていってしまう」

 なるほど、どの妖怪も悩みは同じということか。

「まずは朱門殿の身上書を作ろう。優先的に縁組みしてくれと、長から頼まれているから、なるべく早く動こうと思う」

 何がなんでも長が私を結婚させようと思っているのが伝わってきて辟易(へきえき)する。

 まあ私が一番腰が重いとわかっているから、わざと退路を無くして、いろいろせっついているのは理解している。

「申し訳ないが、よろしく頼みます」

 深々と頭を下げると、真留殿はペンを渡してくる。

「頑張ろう。その意気ならすぐに縁組みできるぞ」

 はい、と頷いて、身上書を埋めていく。

「あの、一体どんな風に縁組みをしているんですか?」

 ふと気になって、真留殿に尋ねると、真留殿はうーんと唸って自分の顎(あご)をさする。

「どんな風に、か。一言で言うと、勘、かな」

「え? 勘……?」

「ああ、例えば朱門殿と話した雰囲気で、合いそうか考えたり、妖怪の特性を考えて、よき妖怪を選んで縁組みするとかかな。まあ、適当にちょちょいと冊子から選んで、が多いかな」

 悪びれる様子もなく、がははと笑う真留殿に、何となく胸に不穏なものが芽生える。まあでも、この身上書の量を見たら、一人にそう時間を掛けていられないのだろう。そういうものだと自分に言い聞かせて、余計なことを深く考えないように身上書を埋めていく。

 種族は天狗で、棲家は秋葉山。趣味は……人間観察。同居か別居かは、秋葉山に嫁(とつ)いでくれる妖怪を希望。

 そして、結婚相手に求めるものは――。そうだな。

 ――里のことを一緒に考えてくれる女性。

 全てを答え終わって、身上書を返すと、真留殿はふむと頷いた。

「二日ほど時間をくれ。その間に朱門殿に合いそうな妖怪を何人か探しておこう。準備ができたら、シロから朱門殿に連絡を入れるから」

「よろしくお願いします」

「こちらこそ成婚まで誠心誠意サポートしていくから、困ったことがあればいつでも頼ってくれ」

 真留殿はあっさりしていた。いや、これが人間と妖怪の距離感なのだろう。

 身上書、少し照れくささがあって正直に書けなかった部分もある。どうしようか、このまま進んでしまうのだろうか。悩んでいると、シロが俯いた私を覗き込んできた。

「朱門殿? どうかされましたか?」

「い、いやなんでもない。それではよろしく頼む」

 結局本音を告げることができないまま、秋葉山に帰ることになった。


「どうだったんだよ、天泣堂は」

 秋葉神社の本殿の前に置かれたベンチに座っていた私に声を掛けてきたのは山吹だった。無論のこと、二人とも人間に化けて周囲に溶け込んでいる。

「どうって、ただ登録してきただけだ。身上書を書いて、あとは真留殿が適当に合いそうな女性を何人か探してくれることになっている」

 自分に悪気はなかった。ただポロっと『適当に』だなんて言ってしまった。

 いや、所詮勘で探すのだから、適当と同じなのかもしれないが。

「ふうん、そうかよ。案外簡単なんだな」

「そうだな。とりあえず今のところは身上書を書いただけだ。真留殿は成婚の実績がかなりあると聞いた。きっと我ら妖怪には理解できない方法があるんだろう」

 きっと人間には人間のやり方が――、ある、のか?

 一度不安になると一気に胸の中で増殖していく。

「とりあえず私が言えるのは、身上書には嘘を書くなということだ。照れくさいからと本音を言わないのもまずい」

「あ、ああ。もし天泣堂に頼む時が来たら、そうするよ」

 山吹とそんな話をしていたら、急に誰かが私たちの前に立った。

 驚いて顔を上げると、ボロボロの袈裟を付けて、ぼさぼさの髪、そして猫背。五郎殿だった。だがいつものあの朗らかすぎる笑顔がない。

「朱門くん。大変なことになりました」

「どうしたんだ?」

 笑顔も浮かべず、非常に神妙な顔をしていた五郎殿に戸惑いが増す。

「とにかく一緒に来てください」

「ええっ」

 困惑する私の腕を五郎殿が掴む。すると景色が歪み、一気に移動する。気づけば見たことのない日本家屋の一室に佇んでいた。

 呆然としていると、足元から声が掛かる。

「しゅ、朱門殿、か?」

 驚いて下を向くと、そこには真留殿が布団の上で横になっていた。庭から吹き込む風が、身上書をバサバサと舞い上げていた。

「真留殿? 一体どうなされたんです!」

「いや……、ちょっとぎっくり腰で……」

 ぎっくり腰、とは何だ?

 頭の中に疑問符が浮かんだ私に、五郎殿が懇切(こんせつ)丁寧に教えてくれた。

 とにかく腰が痛くて微動だにできない状態のことだそうだ。

 立ち上がるのも歩くのも大変と聞いて、人間は案外不便なものだなと同情する。

「大変申し訳ないですが、この通り真留くんはしばらく動けないので、ぎっくり腰が良くなって復帰するまで、縁組みを中断させてもらえると助かるのですが……」

「それはもちろん構わないが」

「すまない、朱門殿。優先的にということだったが、結果的に待たせてしまって申し訳ない。何とか寝たまま身上書を読んで探そうと思ったが、やはり辛くてな」

 額に脂汗を浮かせて、悲痛な表情を浮かべる真留殿に、縁組みの中断はむしろ好都合だなんて言えやしない。

「いえ。今はゆっくり休んで――」

 言葉を切る。障子の向こうへ耳をすますと、パタパタと誰かがこちらに向かって歩いてくる音が聞こえた。

 五郎殿が急に私の腕を掴み、錫杖を振る。その途端に障子が開き、身上書が舞い上がって誰かの足に引っかかってはためいていた。

「ぎっくり腰って聞いたけど、仕事したら駄目だよ。安静にしてなよ」

 不服そうな顔をして入ってきたのは、真留殿によく似た、タヌキ顔の青年だった。

 私たちが同じ部屋の中にいるのに、全く気付いていない。

 恐らくさっき五郎殿が錫杖を振った時に、我らの姿を消す術でも使ったのだろう。

「あ、ああ……。ちょっとな。それ、そのままでいいから」

 真留殿が慌てたように触るなと制すると、彼は苛立ちを表に出した。

「そのままでいいって、動けないんじゃないの?」

 遠慮なく怒りをぶつけているところを見ると、真留殿に近しい関係なのだろうか。

「恐らく、真留殿の息子ですね。確か三人兄弟で上二人は今僧侶になるべく修行に出ているので、三男ですかね」

 五郎殿は彼をしげしげと眺めている。なるほど。真留殿の息子ならば、このような反応をするのも頷けるな。私ももっと若い頃、長とよく喧嘩をした。いつから自分の気持ちを表に出すこともなく、言いたいことがあっても飲み込み続けてきたのだろうか。

 遠慮なしに自分の父親に向かっていく彼が羨ましくなる。そんなことを考えていると、真留殿の困惑した声が響いてきて耳を傾ける。

「――だがな、この仕事は特殊な仕事で……」

「寺の仕事は全部特殊な仕事だよ。僧侶の資格がないと難しい仕事なら、誰か別の人たちに振り分けるようにして、それ以外の仕事を手伝うよ。やらせてよ」

「まっ、待て待て……。恵留(めぐる)に任せるわけには……」

 渋り続ける真留殿に、彼の苛立ちが増幅し、ついに決壊する。

「僕にやらせてよ! こっちが心配してること、何でわかんないんだよ!」

 まるで心の底からの叫びのように聞こえて、圧倒される。

「朱門くん。彼にやらせてみましょうか」

「え?」

「彼に、真留くんが動けない間、天泣堂の主代理を任せてみたいなと」

「なぜ急に」

「聞いたでしょう? 今の彼の叫び。きっと彼も何かを変えたいんですよ。例えば自分の立場とか、何かもっと根本的なものを」

「でも、あの子は我ら妖怪のことを知っているのか?」

「――恐らく。彼はきっと妖怪に友好的な人間です」

 推論にすぎないことは、五郎殿の言葉から伝わってきた。でもどうやら五郎殿はもう決めているようだ。

 真留殿が悪いわけではないが、何となく手ごたえのなさを感じて不安になっていたのも事実。

 担当してくれる人間が変われば、もしかしたらもっとしっくりくるのかもしれない。

「わかった。別に私は真留殿でなくてもいい」

「ならば、ちょっとやらせてみましょうか。吉と出るか凶と出るかはわからないですが」

 そう言って、五郎殿は楽しそうに錫杖を振る。五郎殿も人が悪いな。この人は人畜無害に振舞ってはいるものの、案外意地が悪いんだ。

「――やらせてみたらいいではないですか」

 五郎殿の落ち着き払った声が響くと、彼は勢いよく振り返り、悲鳴を上げることもできないのか、顔を青くして、ただただ真留殿の方へ後ずさっていく。

「なるほど、君が真留くんの三番目の息子ですか?」

 五郎殿が尋ねると、彼は怯えた表情のまま口を開いた。

「は、はい。烏丸恵留です」

 恵留、か。

 さて、恵留とやらは、どんな風に縁組みをしてくれるのだろうか。

 真留殿のように、あっさりとした関わり方なのか、それとも?

 じっと恵留を観察する。彼は、五郎殿の話を聞き、そして私に目を向ける。

「私は秋葉山の天狗の朱門。よろしく頼む」

 そういえば、秋葉神社から急に連れて来られたから、人間に化けたままだったな。

 人間の姿から元々の烏天狗へと姿を変えて、恵留に向かって深々と頭を下げる。

 顔を上げると、彼はなぜか私に向かって、床に額を付けるほど深く頭を下げた。

 人間が、我ら妖怪に、敬意を表しているのか?

 その瞳に怖れを滲ませてはいたが、逃げることなく私の両目を見据え、真剣に向かい合おうとしている。

 なるほど。恐らく恵留は人間と妖怪を対等に見ている。

 恵留にとって我らは決して駆逐対象ではないのだ。

 とりあえず私の縁組みを恵留に任せてみよう。

 何かを変えたいのは恵留だけではなく、私も同じなのだ。

 これは吉と出るのかもしれない。自然とそう思っていた。