『アリクイさんがいる風景 フォトコンテスト』応募者のみなさまへ
吾輩は果報者である。SNSに文字を打つだけでも相当な労力であるのに、写真を撮影してアップロードまでしてくれる読者がこれほどいようとは。吾輩は感動に鳩胸を震わせ、東の空に感謝をさえずる日々である。
まあ有久井氏のポップがそれだけ魅力的であるということであろう。となればそこへ悪筆(サイン)を加えるのはどうにもはばかられる。しかし編集氏に豆を与えられている以上、吾輩はペンを咥えないわけにはいかない。
ならばせめてものお詫びにと、帰国する前に見かけた印房の日常を掌編として書き下ろした。ミミズ字とともに受け取っていただければ幸いである。
ジョナサン・ハートミンスター
『アリクイのいんぼう掌編 ロボとカフェラテと印稿アート』
『宮崎(みやざき)ムロはロボットだ』
昔から周囲の人間にそう言われていた。小学生の頃にクラス中が笑った先生の冗談で私だけが無表情だったし、高校生のときに『絶対泣けるから』と誘われた映画ではまばたきすらしなかった。大人になって夜のひとり歩きで背中をたたかれても驚かなかったし、振り返って誰もいなくても悲鳴も上げなかった。
なにごとにも動じない性格と、少々奇妙な『ムロ』という名前から、人は私が機械であるようなイメージを抱くらしい。もちろんそれで悲しくなったりもしない。
ただ私は間違いなく人間であるし、心がないわけではなかった。
「予定通り、アリクイさんと宇佐さん、二名の受講ということでよろしいですか?」
純喫茶の雰囲気が漂うカウンター席で、私は向こう側のふたりに尋ねた。
「はい。よろしくお願いします」
カウンターの中でぺこりと頭を下げたのは一匹のアリクイ。彼はハンコ屋と喫茶店を兼ねるこの店――『有久井印房』の店長だ。私と違って本当に人間ではないらしい。
「こちらこそよろしくお願いします。本日講師を務めさせていただく宮崎ムロです。隣で泡を食っている彼女が、講師見習いの新町咲良(しんまちさくら)です」
「だだだ、だって先輩、しゃべっ、しゃべっ、アリクイがしゃべっ……」
ひたすらに狼狽する私の後輩を見て、アルバイト店員の宇佐さんが苦笑する。
「まあこうなるのが普通ですよ。先生みたいに落ち着いた女性のほうが珍しいです」
「コーヒーの入れ方を教えるのが私の仕事ですから。それは相手が人間であっても動物であっても変わりません。では早速ですが講習を始めます。まずはアリクイさん、エスプレッソの抽出とスチームミルクをお願いします」
はいと穏やかな声でうなずき、アリクイさんがエスプレッソマシンを操作した。
最高級品ではないけれど、きちんとパワーがある業務用のマシン。抽出したエスプレッソのクレマにも十分な厚みがある。いまのところ、ハンコ店と兼業であることも、アリクイであることにも問題はない。
「ありがとうございます。まずは手本として、基礎のハートを作ります」
私はエスプレッソのカップを斜めに構え、ポットからゆっくりとミルクを注いだ。
「ここまでが下地作りです。ここからアートを描き始めます。ハートを作る場合は、ゆっくりと押しこむようにミルクを注ぐのがコツです」
言いながらカップを水平に戻し、ポットの注ぎ口をコーヒーに近づける。波を描くような動作でミルクの流れをコントロールしつつ、最後にわざとカップからこぼしてハートのしっぽを描いた。
「完成です。これができれば、あとはミルクをスプーンで足したりピックで線を引くだけで、表の黒板にあるようなイラストも描けます。あのウサギはとてもかわいらしいですね」
宇佐さんが誇らしげに微笑んだ。絵心がある人は飲みこみも早い。
「それではどうぞ。おふたりもやってみてください」
カフェの開業希望者にコーヒーの入れ方を教えるのが私の仕事だ。最近はすでに開業しているお店からも、「ラテアート」の講師として招かれることも多い。
後輩の新町さんもようやく落ち着いたので、その後の講習は滞りなく進んだ。途中で描き損じのカフェラテを二杯飲むと、やけにほっとする味わいで、自分が仕事をしていることを忘れてしまいそうになったりもしつつ。
やがてふたりともがハートをきれいに描けるようになったので、最後にオリジナルアートに挑戦してもらった。
「宇佐さんはウサギですね。とても上手に描けています。アリクイさんのは……すみません。なにを描かれたんですか?」
「ぼくは絵が下手なので印稿を書いてみました。ハンコの下書きです。カフェラテに自分の名前が書いてあったら、お客さまが喜ぶんじゃないかなと……」
アリクイさんが恥ずかしそうに、カウンターの隅を爪で引っ掻く。
「文字とはまた難しいものに挑戦しましたね……あ」
絵だと思って見ていると気づかなかったけれど、カフェラテの表面には円の中にミルクで「宮崎ムロ」とあった。
「もう、なにやってるんですか店長! うちのお客さんが喜びそうなものといったら、店長自身に決まってるじゃないですか。せっかくカフェラテと同じ色してるんだから、死ぬほど努力して自分のアートを描いてください!」
宇佐さんが上司を叱りながら、「はい見本」と文庫本を三冊手渡した。その表紙には、なぜかアリクイさんそっくりのイラストが描かれている。
「そ、そんなこと言われても……」
「さしでがましいかもしれませんが、私が手本を描いてみましょうか?」
提案が受け入れられたので、見本を忠実に模写してみる。宇佐さんも満足する出来だったようで、私たちはお土産にケーキをもらって店を後にした。
「やー、今日の講習はほんとびっくりしましたよー」
駅までの道すがら、新町さんが弾んだ声を出す。
「まあしゃべるアリクイの存在が一番の驚きですけど、『鉄でできている』と言われているムロ先輩が笑ったことも、同じくらいの仰天案件です」
「私、笑ってた……?」
「はい。アリクイさんのラテアートができたときに、ふふって。それ以外にも宇佐さんのイラストをほめたり、なんとなく今日は浮かれた感じでしたね」
自覚すらないのに、笑っていたことを人に指摘されたなんて初めてだ。
「気持ちはわかります。アリクイさんがミルクポットを両手で持ってスチームしているところとか、コーヒーの粉をぽふぽふとタンピングしている光景を見たら、誰だって和むっていうか、自然と笑顔になりますもん」
私はロボットのような人間だから、動物がしゃべってもなにも思わない。
けれど心は持っているから、好きなものができることはある。いくつも。
「今度プライベートで、一緒に有久井印房へ行ってみる?」
新町さんが泡を食った顔をして、その後に満面の笑みでぶんぶんうなずいた。