メディアワークス文庫『西由比ヶ浜駅の神様』
本編15秒後の物語
村瀬 健

「希望のバトン」

<br/>  星空を走り抜ける半透明の電車が、ゆっくりと姿を消していった。<br/>  電車が見えなくなっても、私は夜空から目を離せなかった。夫がまだ、そこにいるような気がしたから。<br/>  去り際に見せた、はにかんで敬礼をする夫の姿が、ずっと瞼の裏に焼きついている。夫は、向こうの世界まで乗客を連れていく大役を無事果たした。彼は人一倍、責任感が強い。今頃、向こうの世界で胸を撫で下ろしているだろう。妻として、最後の見送りができたことをうれしく思う。<br/>  頬に流れ落ちる涙が、自分が生きていることを伝えてくれるかのように温かい。<br/>  私は、大勢の人たちに感謝しなければならない。<br/>  長年連れ添ってくれた、最愛の夫に。<br/>  私が前を向くきっかけを作ってくださった、根本さんご一家に。<br/>  ハナを預かってくださり、心配していつも電話をくださる石田さんに。<br/>  幽霊電車のことを教えてくださった、雄一さんに。<br/>  なにより、<br/>  幽霊の彼女に。<br/>  彼女が作り上げた、幽霊電車に乗るための四つのルール。<br/>  そのルールは、私たち脱線事故の遺族に、希望という名の光を与えてくれた。<br/>  彼女は、言った。<br/>  亡くなった被害者に会っても、現実は何ひとつ変わらない、と。<br/>  過去は変えられない。<br/>  現実も変えられない。<br/>  でも、未来は変わった。<br/>  彼女のおかげで。<br/>  そう。<br/>  雪穂さんのおかげで――。<br/>  最後に言葉を交わしながら、彼女が時折浮かべる悲しげな表情に、私が知っている人の面影があった。宇治木さんだ。<br/>  宇治木さんは、孫を亡くした、とおっしゃっていた。そのお孫さんが雪穂さんなのだ。<br/>  宇治木さんは以前、こうおっしゃっていた。<br/> 「あの子には、もっと人間というものを信じてほしかった。そして、出会ってほしかった。悪意と表裏をなす、すべてを覆い尽くせるほどの人の良心に」<br/>  私には、まだやるべき仕事が残っている。<br/>  雪穂さんが、最後に何をして、何を語ったのか。その一部始終を、宇治木さんに伝える使命が私にはある。<br/>  彼女が私たちに与えてくれた、希望。その希望のバトンを、今度は私が彼女の最愛の人に渡さなければならない。認知症の彼がいつか雪穂さんのことを忘れてしまっても、私は何度でも彼女のことを伝えにいこうと思う。<br/>  涙で濡れた頬を掌で拭い、私はゆっくりとホームを出ていった。<br/>  西由比ヶ浜駅には、神様がいる。<br/>  遠目に星の光で輝く由比ヶ浜を見ながら、私はそう思った。<br/><br/>



『西由比ヶ浜駅の神様』
著者:村瀬 健 
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