(これまでのあらすじ……夢を通じて異世界に渡る妖怪「枕返し」により、『絶対城先輩の妖怪学講座』、『六道先生の原稿は順調に遅れています』、『お世話になっております。陰陽課です』の世界が重なった。さらに『帝都フォークロア・コレクターズ』の舞台である大正時代へと飛んだ枕返しは、無数の妖怪を実体化させ暴れさせようとしたが、絶対城らに阻止される。元の時代に帰る術を失った一同の前に、『ほうかご百物語』の主人公・白塚真一が現れ、救いの手を差し伸べるのだった)


 夜更けの文学部四号館四十四番資料室の応接スペース。部屋の主の留守を預かった杵松明人がコーヒーカップを片手に読書していると、連なった本棚の向こうからドアの開く音が響いた。


[※杵松明人(きねまつあきと)……メディアワークス文庫刊『絶対城先輩の妖怪学講座』(既刊十一巻)に登場。資料室に住み着く妖怪学徒・絶対城の親友である男子学生。温和で知的でよく気が利き、手先が器用で心優しく、たまに腹黒い。眼鏡と白衣がトレードマーク]


「灯りが点いているということは、明人がいるのか?」

「みたいですねー」

 バリトンの効いた低い声と、はきはきとよく通る明るい声が明人の耳に届く。間違いなく絶対城阿頼耶と湯ノ山礼音だ。よく聞き慣れた二つの声に、明人はカップを持ったまま振り返り、入室してきた二人に向かって愛想の良い笑みを浮かべた。

「おかえり、阿頼耶に湯ノ山さん」

「ああ」

「ただいま帰りました」

 ワイシャツに黒い羽織を重ねた仏頂面の青年がぶっきらぼうに相槌を打ち、その隣のタンクトップ姿のスレンダーな女子学生がにっこりと笑みを返す。


[※絶対城阿頼耶(ぜったいじょうあらや)……メディアワークス文庫刊『絶対城先輩の妖怪学講座』(既刊十一巻)に登場。文学部四号館四十四番資料室に住み着いている妖怪学徒の青年。怪奇事件の相談に応じたり事件をでっちあげたりしながら、様々な妖怪の伝承の成立過程を探っている。博識。ぶっきらぼうで偏屈だが知人には優しい。少し前に彼女ができました]


[※湯ノ山礼音(ゆのやまあやね)……メディアワークス文庫刊『絶対城先輩の妖怪学講座』(既刊十一巻)に登場。経済学部二年の女子大生。入学当初、原因不明の頭痛を治すために絶対城のところを訪ね、なんだかんだで今に至る。背の高さと女子力の低さが悩みの種だったがもう諦めつつある。タンクトップとショートパンツ姿がデフォルト。ニックネームはユーレイで、趣味と特技は合気道。少し前に彼氏ができました]


 明人は「お帰りなさい」とにこやかにうなずき、そしてふと怪訝な顔になった。阿頼耶と礼音の二人は先日から東京旅行に出かけており、帰りは明日の夕方のはずだ。何かあったのだろうかと眉をひそめる明人だったが、その疑問を先読みした阿頼耶は「説明は後だ」と肩をすくめ、振り返って呼びかけた。

「おい、入っていいぞ」

「やっとか? ったく、無駄に待たせやがって。邪魔するぞ」

「駄目ですよ主任、市民の方に向かってそんな乱暴な物言い! あっ、失礼します」

「では滝川さん、僕達もお邪魔しましょうか。失礼します」

「ですね……。お、お邪魔いたします」

 阿頼耶の呼びかけに応じてぞろぞろ入ってきたのは、明人にとってはいずれも見覚えのない四人の男女だった。

 いかにもガラの悪そうなストライプ柄スーツの銀髪青年に、見るからに生真面目なスーツ姿で小柄な眼鏡の女子、穏やかで幼い顔立ちをした和装男子に、スラックスにブラウス姿でロングヘアの女性。

 見慣れない四人組に明人はまず戸惑い、そして一番年上らしいロングの女性に視線を向けた。何となく、この人が一番話が通じそうな気がしたためだ。女性がぺこりと頭を下げる。

「初めまして。千鳥社という出版社で編集者をしています、滝川詠見と申します。夜分にお邪魔いたします」

「そして、その滝川さんに担当いただいている、小説家で妖怪の六道琮馬です。以後、お見知りおきを」

 社会人らしくそつのない詠見の挨拶に続き、着物姿の男子が上品な微笑を浮かべた。


[※滝川詠見(たきがわえみ)……富士見L文庫刊『六道先生の原稿は順調に遅れています』(全三巻)に登場。中堅文芸出版社「千鳥社」勤務の編集者で、六道琮馬の担当。社会の通念をわきまえた常識人だが、セクハラ大御所作家をうっかり殴ってしまう程度には気が強く正義感も強い。趣味はワイヤーアクセサリー作り]


[※六道琮馬(ろくどうそうま)……富士見L文庫刊『六道先生の原稿は順調に遅れています』(全三巻)に登場。小説家。見た目は若い着物男子だが、デビュー四十年のベテラン庶民派作家であり、妖怪。人々の鬱屈した思いが生む怪物「物ノ気(もののけ)」を食らい、そこに込められた念を物語へと変えて小説を書いている。性格は穏やかで人当たりも良いが、原稿は遅め]


 さらに、スーツ姿の眼鏡の女子が内ポケットから名札を取り出して口を開く。

「わたし、京都市役所いきいき生活安全課の火乃宮祈里です。それでこっちが、わたしの上司で先輩で……と言っても、契約的にはわたしが主人なんですが」

「全部説明しなくてもいいだろうが。初対面の挨拶なんて最低限の情報だけでいいんだよ。京都市公認陰陽師の五行春明だ」


[※火乃宮祈里(ひのみやいのり)……メディアワークス文庫刊『お世話になっております。陰陽課です』(全四巻)に登場。京都の街で人間に交じって生きる妖怪達のための部署、通称「陰陽課」の若手職員。頭が硬く真面目で元気で順法精神が強い。好きな言葉は「全体の奉仕者」]


[※五行春明(ごぎょうはるあき)……メディアワークス文庫刊『お世話になっております。陰陽課です』(全四巻)に登場。平安時代以来、名前や身分を変えながら京都の霊的治安を守り続けている、京都市唯一の公認陰陽師。人間ではない。京都の怪異や霊に詳しく、顔も広い。陰陽術の腕は良いがガラが悪い]


「初めまして……。理工学部四年の杵松明人です」

 初対面の四人を前に、明人はそう返すのがやっとだった。妖怪学徒の友人を四年もやっているので奇人変人にはそれなりに慣れているが、今回はさすがに面食らった。いや、出版社勤務の編集者や市役所の職員というのは理解できるが、さらっと妖怪だとか公認陰陽師だとか名乗られると対応に困る。明人は愛想の良い笑みを頑張って保ちつつ、助けを求めるように礼音と阿頼耶を見た。

「湯ノ山さん、この人達は? 東京で一体何があったんだい? と言うか、東京に行ったんだよね?」

「え? ええとですね……。行ったことは行ったんですが、東京は東京でも大正時代の東京で、その後にまた別の世界に……。先輩、どう説明しましょう?」

「そのまま話すしかないだろう。向こうで出会った絵描きの男……白塚と名乗っていたが、あいつが言うには、俺達をそれぞれ元居た場所と時間に送り返すのにはもう少し準備がいるそうでな」


[※白塚……電撃文庫刊『ほうかご百物語』(全十巻)の主人公、白塚真一(しらつかしんいち)のこと。惚れっぽくて前向きで浅はかな絵画修復業の青年。既婚者。愛妻家。高校時代以来何度も妖怪がらみの怪事件に巻き込まれているため、その手の知人が多く、とある妖怪の力を借りて時空を渡り歩くことができる。絵と娘と妻が好き]


「三、四時間ほどで待っていろと言われ、全員そろってここに下ろされたというわけだ。この場所で過ごした時間は『なかったこと』になり、記憶からも消えるはずだ、とも言っていたな」

「大正時代? 絵描き? 元の場所と時間に戻す……? つまり、この人達は、別の世界線の存在ってこと?」

「さすが杵松さん話が早い!」

「まあ、SFではよくある設定だからね。と言うか、ほんとにそうなの? 正直、何が何だかさっぱりだけど……とりあえず」

「『とりあえず』何でしょう」

「こちらの人達は、信用していいんだよね」

「それは大丈夫です! みんなすっごくいい人ですから」

 明人の問いかけに礼音がきっぱり即答し、それを聞いた琮馬や詠見が面映ゆそうに視線を交わす。「もっとも」と小声を発したのは阿頼耶である。

「この銀髪の陰陽師についてだけは、やや不安が残るがな」

「ああん? あのな妖怪学、なんでお前俺にだけそういう態度なんだよ」

「決まっているだろう。お前は出会い頭にユーレイを攻撃したからだ」

「まだそれ蒸し返すかお前。仕掛けてきたのはそっちだろうが!」

「ま、まあまあ主任! それで、杵松さん……でしたっけ? 一休みするならここがいいですよ、って、礼音さんに連れてきていただいたんですが、お邪魔しちゃって大丈夫でしたでしょうか」

「それはもう」

 春明を制しながら問いかけた祈里に、明人が優しく切り返す。阿頼耶の貴重な友人である理工学部生は、立ったままの一同をソファーに座るよう促し、改めて穏やかな笑みを浮かべた。

「阿頼耶と湯ノ山さんのお友達なら、歓迎しないわけにはいきません。今、コーヒーを淹れますね」


          ***


「いいなあ、この大学の資料室の雰囲気……。すごく懐かしい」

「そっか。滝川さんは四大を出てらっしゃるんですよね」

「ええ。祈里さんは短大卒って言ってたっけ」

「そうなんです。だから研究室とかゼミとかって憧れでした。六道先生は大学って」

「僕は妖怪ですからね」

「え。どういう意味です?」

「古人曰く、お化けには学校も試験もない、ですよ。なので通学の経験はありませんが……でも、大学やその周りの空気はよく知っていますよ」

 祈里の問いかけに琮馬はにこやかに応じ、湯気を立てるコーヒーカップを両手で持ったまま、資料室をしみじみと見回した。そうか、と相槌を打ったのはそのすぐ隣に座った詠見だ。向かい合わせのソファに七人で腰かけているため、どうしても密着することになる。

「先生、上野の学生街にお住まいでしたよね」

「ええ。あの頃は学生運動が盛んでね。エアコンなんか勿論ありませんでしたから、窓も扉も開けっ放しで……。フォークギターの音、四畳半、裸電球に共同の炊事場……。今でもよく覚えていますよ」

 コーヒーの香りを味わいながらしみじみと語る琮馬である。一同はなるほどとうなずいたが、唯一、明人だけは眉をひそめ、隣の阿頼耶に小声で尋ねた。

「阿頼耶、この人何歳なの? 見た目僕より若いんだけど……」

「だから六道先生は不老の妖怪だと言ったろう。俺達の尺度で測るな」

「いや、実は、今はもうそうでもないんですけど」

「え。そうだったんですか?」

「はい、火乃宮さん。ただ、そのあたりをしっかり説明すると、結構長くなってしまうので。だいたい文庫で三冊分くらいになります」

「えらく具体的な数字だな……」

「となるとわたし達の場合は文庫で四冊分くらいですかね、主任」

「知らねえよ。あと、言っとくけど俺はガチの人外でガチの不老長寿だからな」

 祈里の問いを突っぱねながら、春明が念を押すように言う。本人が「体質的にアルコールしか飲めない」と主張したため、手元にあるのはコーヒーカップではなくショットグラスだ。資料室秘蔵のウイスキーにちびりと口を付け「お、悪くない趣味だな」と漏らす春明に、阿頼耶は前髪越しの冷ややかな目を向けた。

「時に陰陽師。お前は大学や大学生というものを知っているのか? 知らないならよく見学して帰るといい」

「お前やっぱり俺馬鹿にしてるだろ? こっちは京都の市役所職員だぞ。あの街にどれだけ大学があって、どれだけ学生がいると思ってるんだ。夜中に鴨川に行ってみろ、川べりにいくらでも等間隔に座ってる」

「川べりに座ってるんですか? 一人で?」

「どんな奇習だよ! あのな湯ノ山、妖怪じゃねえんだから、二人でだよ」

「二人で川べりに座っている妖怪もいるぞ。『川男(かわおとこ)』という妖怪は、夜半、川の近くに二人で腰かけ、ぼそぼそと会話をするという」

「へー。そんな妖怪もいるんですね。つまり京都にはその川男がいっぱい」

「いねえしあれは普通の学生だ」

 阿頼耶の解説に礼音がうなずき、春明が呆れた顔で切り返す。気のおけないやりとりを明人は微笑ましそうに眺めていたが、コーヒーカップとグラスしかないテーブルをふと見やり、口を開いた。

「何か、つまめるもの買ってきましょうか。何ならお酒も一緒に。皆さん、飲める年齢ですよね。一番お若そうな六道先生も大丈夫ですよね」

「え? はい、お酒は好きですが……でも、そこまでしていただくのは申し訳ない」

「お気遣いなく。阿頼耶が友人を連れてくるなんてめったにないことですし、おもてなしさせてください」

 琮馬に苦笑を向けながら、明人が腰を上げた。と、阿頼耶は「お前は俺の母親か」と小声を漏らし、肩をすくめて立ち上がった。

「一人では手が足りないだろう。俺も行く」

「先輩も? じゃああたしも」

「ユーレイはここにいろ。あれだけ体を使ったんだ、休んでいた方がいい」

「体を使った? そうなのかい、湯ノ山さん」

「ま、まあ……。実は、ここに来る前に、絵描きさんのお友達の方達と組み手をひとしきり、ふたしきり……。ですが、合気道はそもそも体に負担を掛けずに戦える技術ですから疲れては」

「俺が休んでいてほしいんだ。それに、俺も明人と話して事情を整理したい」

 食い下がる礼音にきっぱりと告げると、阿頼耶は明人と連れ立って資料室を後にした。その後ろ姿を見送った後、詠見は一同を代表するように礼音に向き直り、温かい笑みを浮かべた。

「ぶっきらぼうだけどいい彼氏さんね」

「かっ、彼氏さんって……!」

「あれ。違ったっけ? お付き合いしてるのよね」

「へっ? は、はい……。いや、そうなんですけども、でも」

 真っ赤になって剥き出しの肩を縮める礼音。詠見と琮馬は微笑ましげに視線を交わしたが、春明はこれ見よがしに肩をすくめ、ショットグラスをテーブルに置いた。

「だからなんでそう一々照れるんだよ。やりづらくて仕方ねえ」

「主任、そんな言い方駄目ですよ! ごめんなさい礼音さん」

「い、いえ、五行さんの言う通りです……」

 はふー、と重たい溜息が資料室に響く。長い長い溜息の後、礼音は決然と顔を上げ、応接スペースに集まった面々を見回した。

「あの。ちょっといいですか。確か、ここで過ごした時間はなかったことになり、記憶もはっきりとは残らないんですよね?」

「らしいですね。僕ら、それぞれの本来の世界で起きた出来事を『本編』とするなら、いわば『番外編』のような位置づけになるとのことでしたが」

「ですよね? だったら、あれですよね? 『番外編の恥はかき捨て』ですよね」

「そんなことわざはねえが、だったらどうしたってんだよ」

「……はい、この際、そ、相談したいんですけど、先輩とのことで……。あたし、どうしたらいいんでしょうね?」

 春明に怪訝な視線を向けられ、礼音は困った顔で応じた。「どうしたら、というのは?」と祈里が首を傾げる。

「絶対城さんのことがお嫌いなわけではないんですよね」

「そ、そんなことないです! そんなことはないですし、下手に飾らずやっていこうって決めて気が楽になったのも確かなんですが、それでもやっぱり、慣れないんですよ。その話題になると今みたいにしどろもどろになっちゃって……。先輩と一緒にいる時も、もどかしいと言うか、何をしていいか、何を話していいのか、分からない時も多くって」

 顔を赤く染めながら、ぼそぼそと礼音が言葉を重ねる。気恥ずかしい空気が資料室に満ちる中、口火を切ったのは琮馬だった。童顔に似合わない落ち着きを湛えた和装の作家は、困ったような笑みを浮かべ、穏やかな声を発した。

「考えすぎない方がいいんじゃないでしょうか。普段通りの過ごし方をしているうちに、距離が縮まるものじゃないかな」

「普段通り、ですか?」

「はい。そこで交わした言葉が積み重なって、丁度いい距離感に導いてくれますよ、きっと。お二人は空いた時間をどうやって過ごされていますか?」

「んー。先輩は読書で、あたしは外で合気道の鍛錬ですね」

「接点ゼロじゃねえか! ……なんで付き合ってるんだ、お前ら」

「こら主任! すみません祈里さん、うちの主任口が悪くて……。と言うか主任、仮にもこの場で最年長でしょう。平安時代から生きてるんだから、体験に基づいたアドバイスとかできないんですか?」

「占いならともかく、人生経験を踏まえたアドバイスなんてのは陰陽師の専門外だ。それに、俺の場合、誰とも深い関係にならないようにしてきたからなあ……。つうか現代の娘の色恋沙汰なら現役の若者の出番だろ。どうなんだ火乃宮」

「わたし? そ、そういう経験は今のところないですし……。ええと、法的な手段に訴えるなら相談窓口を紹介するなど多少のお手伝いはできるかと存じますが」

 慌てて背筋を伸ばした祈里が真面目な顔を礼音に向ける。「別に訴えたり訴えられたりするわけじゃないですから」とやんわり断る礼音を前に、琮馬は隣の担当編集者に話を振った。

「ここはやはり、大人代表ということで滝川さんの出番では」

「そう言う六道先生は私より年上ですよね?」

「でも見た目も肉体年齢も僕の方が下ですよ」

「ずるい……!」

 そう言いつつも真剣に考えてしまう詠見である。眉根を寄せてしばし思案した後、詠見は「ええと」と前置きして口を開いた。

「私も大した恋愛経験はないから、立派なアドバイスはできないけど」

「大丈夫です。お願いします!」

「期待の圧が強いって……! だから、ええと……。話題が見つからないなら、二人の共通の思い出の話とかはどう?」

「共通の思い出ですか?」

「うん。礼音さんと絶対城君が知り合ってから今まで色々あって、絶対城君のことをいいなって思ったこともあるわけでしょう。そういうの聞かせてあげたり、聞いたり」

「そうですね……。だったら、去年の夏に海の近くの神社に行って」

「そうそう、そういうの」

「危うく生贄にされかけたところを先輩に助けられた時は心が動きました」

 懐かしそうに嬉しそうに恥ずかしそうに、礼音が顔を赤らめる。一方、それを聞いた一同は、反応に困った顔を見合わせた。

「それ、照れる話なの……?」

「むしろ引くぞ。なんでそんなニコニコした顔で話せるんだ」

「え? でも、神社に行くと生贄にされるのは、あるあるでしょう。静ちゃんも体験したって言ってましたよ、和歌山の島で」


[※静ちゃん……メディアワークス文庫刊『帝都フォークロア・コレクターズ』に登場する白木静(しらきしずか)のこと。住み込み先である文芸カフェの改装工事中の勤め先を探していて私設民俗調査隊「彼誰会(かわたれかい)」に採用された十五歳の少女。受け身がちで振り回されやすいものの、性根は強く、生贄事件の際には彼誰会の仲間を体を張って救った。趣味は読書で、好きな作家は泉鏡花]


「あるあるじゃねえよ」

「まあまあ主任。と言いつつ私も同感です」

 春明が呆れ、祈里がそれをなだめつつ同意を示す。息の合ったやりとりを横目で見ながら、詠見は少し口をつぐみ、ややあって声を発した。

「あのね、礼音さん。あなたの不安は分かるけど……でも、焦らなくてもいいんじゃない? と言うか、学生時代って、そういう時間じゃないかな」

「え? えーと、つまり」

「ごめん、分かりにくいよね。私も上手くまとめられないんだけど……社会人になってしばらく経って、編集者として色んな人に会って、色んな物語を読んできた上で、そう思うのよ。無理して変えようとしなくてもいいって。時間に任せることができるのも、学生の特権でしょう?」

「そんなもの……ですかね?」

「そこは間違いないと僕も思います。僕はほら、鬱屈や怒りが生んだ物ノ怪を食らう妖怪ですから、色んな心を見てきました。焦りは視野を狭くして、せっかく楽しめるはずの時間を暗いものにしてしまう。それはもったいないですよ」

「だから下手に考えすぎるな、ってことですか?」

「端的に言ってしまえばそうなりますね。絶対城さんへの気持ちが揺らいでいるなら別ですが、そんなことはないんでしょう?」

「それは……はい」

 琮馬の問いかけに、礼音はきっぱりうなずいた。良かった、と微笑む琮馬。礼音は「好きです」と念を押し、さらに言葉を重ねていった。

「大好きです。先輩のぶっきらぼうなのに優しくて照れ屋なところも、すぐに思いつめちゃうところも……それに、あたしよりさらさらした長い髪も、性格の割にすっごく綺麗な黒い目も、長い睫も、瀬戸物みたいに青白い肌も、よく響くハスキーな低い声も、血管の浮いた細い腕に細い指も、ぺらっぺらの胸板も――」

 礼音の熱っぽい語りが徐々にペースを上げていく。あまりに率直な吐露に、祈里は顔を赤く染め、詠見は思わず素直な感想を口にしていた。

「だ、大胆ね」

「だってあたし――って、あれ? あたし、どうしてこんなことを……?」

 詠見の指摘に、礼音がきょとんと目を丸くする。次の瞬間、居心地悪そうにウイスキーを啜っていた春明と、にこにこと笑みを湛えていた琮馬が同時にハッと息を呑んだ。

「おい! この気配――!」

「――ええ。僕に任せてください」

 春明がスーツの内ポケットから呪符を取り出すより早く、琮馬の両目が黄色く光った。人ならざるモノの姿を露わにする眼光が礼音をまっすぐ照らす。え、と戸惑いおののく礼音。その背中から、一メートルほどの何かがずるりと這い出し、浮き上がった。

「え。え? え? 何です、これ? 何であたしの中から?」

「お前に取り憑いてやがったんだ!」

 真っ先に立ち上がった春明が、祈里達を庇いながら叫んだ。その険しい両眼は、天井近くにふわふわと浮かぶものを――白一色の不気味な妖怪を――見据えたままだ。

 三角形に尖った顔に、黄色く大きな二つの目。細い両腕は骨が入っていないのか、ぐにゃりと曲がって揺れており、腰から下は幽霊のように薄れている。

 春明は陰陽術でその動きを封じようとしたが、白い妖怪は全身をぶるりと震わせ、空気に溶けるように消えてしまった。全員が息を呑む中、琮馬は念入りに周囲を見回し、軽く肩をすくめて口を開いた。

「……妖気が薄れました、逃げたようですね」

「とりあえず安心ってことですか? で、今のは一体」

「枕返しが呼び出した妖怪軍団の残党だろうな。湯ノ山に取り憑いて生き延びてやがったんだ。見たことのないやつだったから、名前までは分かんねえが」

 霊符をポケットに片づけながら春明がつぶやき、礼音は詠見と不安な顔を見合わせる。と、そこにバリトンの効いた声が響いた。

「騒がしいな。何の騒ぎだ」


          ***


「おそらく『白うかり』だな」

 礼音達から妖怪の容姿の説明を聞き、阿頼耶はあっさり即答した。聞き慣れない名称に春明が「シロウカリ?」と眉根を寄せると、この部屋の主である妖怪学徒はこともなげに首肯した。

「熊本の某家に伝わる百鬼夜行絵巻に描かれている妖怪だ。絵と名前しか残っていないので、どういう性質の妖怪かは不明だが、この絵巻に描かれた妖怪は、『いそがし』や『馬鹿(むましか)』、『どうもこうも』、『にがわらい』など、人間の状態や感情を戯画化したものが多い。おそらく白うかりもその同類だ。うかり、即ち、浮かれたり浮ついたりした心に取り憑いて、本音を白状させてしまう妖怪なのだろう」

「なっ……なるほど……!」

「ん。どうしたユーレイ?」

「何でもないです! ただめちゃくちゃ恥ずかしくて居づらいだけで……そうだ、杵松さん! 買い出しの用事とかないですか?」

「え? いや、今買い出しから帰ってきたところだけど」

「そこを何とか!」

「じゃあえーと……紙ざ」

「紙皿ですね、了解です! ひとっ走り買ってきますね! じゃあ!」

 勢いよく立ち上がった礼音が資料室から走り去る。おかしなやつだな、と首を傾げる阿頼耶を前に、琮馬達はただ気まずい顔で視線を交わした。明人はコンビニの袋から取り出した缶やつまみをテーブルに並べ、祈里や詠見に問いかける。

「ビールで良かったですか?」

「え? う、うん、ありがとう」

「それより礼音さん迎えに行かなくていいんですか……?」

「心配しなくても、すぐに帰ってくるはずだ。あいつは確かに浅はかだが、自分で勝手に立ち直る強さを持っているし、第一、立ち直りがおそろしく早い」

 祈里のおずおずとした問いかけに、阿頼耶が応じる。「礼音さんのこと信じてるのね」と詠見がコメントすると、阿頼耶は無言で蒼白い頬を薄赤く染めた。んなことよりも、と話を変えたのは、勝手に缶ビールを開けていた春明である。

「あの白うかりだったか。あいつ放っておいてもいいのか?」

「放置しても大した害はなさそうでしたけどね。気配が消えてしまったということは、どこか遠くへ転移したか、あるいは、また誰かに取り憑いたのか……」

「え。私じゃないですよね、六道先生?」

「僕にも分かりません」

「ここは本来、妖怪はいない世界なんですよね? 野放しにするのは危険な気がします。やはりちゃんと探した方が……」

 不安な顔になる詠見に琮馬が申し訳なさそうな苦笑を向け、祈里が眉根を寄せる。だがそこに、バリトンの効きまくった深刻な声が割り込んだ。

「――それよりも、だ」

 声を発したのは、赤い顔のままの阿頼耶である。やたら深刻な声と表情でその場の全員の注目を集めながら、黒衣の妖怪学徒は言葉を重ねた。

「ユーレイが席を外しているなら、丁度いい。実は皆に相談したいことがある」

「……一体、何です?」

「ああ。俺はあいつと……その、しばらく前から……つっ、つ、、付き合っているのだが……どうもぎこちないと言うか、距離感が定まらないのだが……」

 眉間にしわを寄せながら、赤白まだらの顔で苦渋の声を発する阿頼耶。その大真面目な相談に、その場に居合わせた全員はきょとんと目を丸くし、ややあって視線を交わしたのだった。

「なあなあ。俺、白うかりがどこにいるか分かったぞ」

「みんな分かってますから、主任」