[前編のあらすじ……編集者の滝川詠見(たきがわえみ)と、実は妖怪である小説家・六道琮馬(ろくどうそうま)の前に、京都から来た公認陰陽師・五行春明(ごぎょうはるあき)、その同僚の火乃宮祈里(ひのみやいのり)が現れた。

 春明らは、伝説の呪具「役小角(えんのおづぬ)の天球儀」を盗んだ妖怪「枕返し」を追っていた。春明は琮馬の協力を得て枕返しを見つけるが、枕返しは、妖怪学徒・絶対城阿頼耶(ぜったいじょうあらや)とその相棒、湯ノ山礼音(ゆのやまあやね)の正義感を利用して難を逃れ、一九六十年代の妖怪ブームを回顧した琮馬のエッセイ原稿を奪って姿を消してしまう。春明の陰陽術で判明した枕返しの行先は、百年前の大正時代であった]


[前編からここに至るまでのあらすじ……春明は自身の陰陽術と琮馬の妖力を合わせて大正時代への道を開き、一同は過去へ飛ぶ。だが過去と未来を繋ぐ橋の途中で待ち受けていた枕返しの妨害を受け、六人は二組に分かれて大正時代の東京に辿り着いてしまったのだった]


▽チャプター1 妖怪学徒VS陰陽師VS編集者


「信じがたいが……やはりここは間違いなく帝都・東京の銀座らしいな」

 ハイカラな煉瓦造りの並ぶ昼下がりの目抜き通り。その、いかにもモダンな街並みを再度見回し、黒衣の妖怪学徒はバリトンの効いた声を漏らした。白のワイシャツに黒の羽織、青白い肌に黒い髪。いつも通りの陰気なムードを漂わせた絶対城阿頼耶である。


[※絶対城阿頼耶(ぜったいじょうあらや):メディアワークス文庫刊『絶対城先輩の妖怪学講座』に登場。文学部四号館四十四番資料室に住み着いている妖怪学徒の青年。怪奇事件の相談に応じたり事件をでっちあげたりしながら、様々な妖怪の伝承の成立過程を探っている。ぶっきらぼうで偏屈だが知人には優しく、博識。最近彼女ができました]


 落ち着き払った阿頼耶の言葉に、傍らの青年が、だな、とぶっきらぼうに相槌を打つ。赤いシャツにストライプ柄のスーツを重ね、髪の色は鮮やかな白銀で、円盤と台紙を重ねた占いの道具――六壬式盤(りくじんちょくばん)――を手にしている。京都市公認陰陽師の五行春明は、「しかも大正時代のな」と付け足し、依然呆けているもう一人の同行者を見た。


[※五行春明(ごぎょうはるあき):メディアワークス文庫刊『お世話になっております。陰陽課です』に登場。平安時代以来、名前や身分を変えながら京都の霊的治安を守り続けている、京都唯一の公認陰陽師。人間ではない。京都の怪異や霊に詳しく、顔も広い。陰陽術の腕は良いがガラが悪い]


「しっかりしろよ、滝川。あんたは俺やこの妖怪学と違って元々東京の人間だろうが。勝手知ったる場所のはずだろ?」

「無茶言わないでよ五行君。確かに私は東京に住んでるし、働いてもいるけれど……でも、それはあくまで『二十一世紀の東京に』で、百年前の東京に馴染みなんかないからね?」

 文芸編集者の滝川詠見は疲れた声とともに肩をすくめ、はあ、と大きな溜息を吐いた。


[※滝川詠見(たきがわえみ):富士見L文庫刊『六道先生の原稿は順調に遅れています』に登場。二十六歳。中堅文芸出版社「千鳥社」勤務の編集者で、六道琮馬の担当。社会の通念をわきまえた常識人だが、セクハラ大御所作家をうっかり殴ってしまう程度には気が強く正義感も強い。趣味はアクセサリー作り]


 同行者の阿頼耶と春明はこういうSFめいた異常事態にも慣れているのかあまり動じていないが、自分はそっちの世界の人間ではない。琮馬の担当になってからは妖怪に出会ったり襲われたりもしたが、自分が巻き込まれた事件は比較的ささやかな規模のものばかりで、「平行世界を逃げ回る悪行妖怪を追ってタイムトラベル」なんてのはどう考えても許容範囲外の出来事だ。

 原稿を取り戻すためとは言え、付いてくるんじゃなかったかも。実際、自分がいたところで妖怪退治の役に立つわけでもないのだし。せめて編集部に連絡を入れておきたいのだが、と詠見は思い、肩を落とした。

「……携帯は圏外よね、やっぱり……」

「繋がったらそっちの方が怖いぞ」

「だよね……」

 春明の真っ当なコメントにうなずき返し、スマホをバッグに片づけた後、詠見は顔を上げて周囲を眺めた。

 天気のいい午後の大通りだけあって、行き交う人の数は多い。ちょうど洋服が定着し始めた時代なのだろう、通行人の服装は和装と洋装が四対六くらいだが、その全員が自分達を遠巻きに避け、そして珍奇な目を向けてくるのだ。

「私達、なんだかすごくじろじろ見られてない……?」

「そりゃそうだろ。この時代にストッキングなんかないからな」

「え。私のせい?」

「いや、滝川さんではなくお前だろう陰陽師。髪を染めるという風習がない時代に銀髪の男が目立たないはずがない」

「うるせえぞ妖怪学。こっちは平安時代からこの色でやってるんだよ」

 詠見に賛同した阿頼耶を春明がじろりと見据えた。少し前、まだ二十一世紀の東京にいた頃のやりとりでも分かっていたが、どうもこの二人はそりが合わないようだと詠見は思った。

 春明にしてみれば、阿頼耶は枕返しに利用されて邪魔をしてきた相手であり、一方、阿頼耶にしてみれば、誤解であったとは言え、春明は自身の彼女を陰陽術で退治しようとした相手である。出会い方が最悪だったのだから仲良くするのが難しいのは分かるし、そもそも性格が合わないのだろうけど、こんな状況なのだからいちいちいがみ合うのはやめてほしい。それぞれのパートナーがいれば落ち着かせるなり叱るなりしてくれるのだろうが、どこにいるのかも分からない。

「ともかく、六道先生達を探さない? 分かれちゃった人達も、この時代に来てるはずなのよね」

「俺も同感だ。ユーレイのことは気になるからな。陰陽師、お前も――」

「はあ? 何で俺が火乃宮の心配しなきゃいけねえんだ。俺は火乃宮と主従契約を結んでるから、あいつに何かあればすぐ分かるし、今は何も起きてない。だから枕返しを追うのが先だ。枕返しが何のために作家先生の原稿を盗んだのか、あいつの言ってた『千年王国』ってのが何で、この時代で何を企んでるのか、分かんねえことだらけなんだぞ」

 詠見と阿頼耶の提案を、春明がきっぱりはね付けた。詠見は反論しようとしたが、阿頼耶は何かを思い出したようで「分からないと言えば」と春明を見返した。

「俺も気になっていることが一つある。枕返しはそもそもお前達の管轄している街――京都から逃げてきたのだな? そしてお前は幕末にも一度、奴と戦って退治している。そうだな?」

「それがどうかしたかよ」

「どうかしているから言っている。枕返しはそもそも京都の妖怪ではないだろう? 確かに、類似の怪異や言い伝えは各地に伝わっているし、京都関連なら『大鏡』には死後に枕を返されたことで蘇生を妨げられた貴人の話もあるが……だが、『枕返し』という名と、俺達が見たあの小さな仁王像のような姿を持つ妖怪は、江戸時代の妖怪絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)が創作したものだ。なぜそれが京都に現れた?」

「知らねえよ」

「あの……枕返しは夢を介して世界を渡るのよね? だったらもしかして、元々別の世界から来たんじゃない?」

「一理あるな。俺達の知っている――所属している世界とは別に、もっと妖怪の出やすい世界があるということか。そうなのか陰陽師?」

「だから知らねえし興味もねえよ! もめ事が起きたらどうにかして、危ないのが出たら退治する。俺の仕事はそれだけだ」

「何という短絡的な……! 実際に妖怪が出るメカニズムに興味がないのか?」

「ねえ! こっちはその世界に千年以上生きてるんだぞ、今さら珍しがれるわけがねえだろ。お前こそ全然役に立たねえくせに偉そうに……。何が妖怪学だ」

「学術知識に即物的な意味を求めるのか。絵に描いたような愚者だな」

「ああん? てめえ、いい加減にしねえと今度こそ呪うぞ」

「やれるものならやってみろと先刻から言っているが」

「てめえ、本場の陰陽師舐めんなよ」

「お前こそ妖怪学を」

「二人ともやめなさい!」

 エスカレートする男同士の口論を、詠見の一声が遮った。

 睨み合っていた阿頼耶と春明が同時にびくっと震えて黙り込み、ついでに遠巻きに眺めていた通行人たちもびくっと震えた。そんなに怖がらなくてもいいでしょうに。詠見は内心でぼやき、まず春明を、次いで阿頼耶を見据えて口を開いた。

「ここで喧嘩しても仕方ないでしょう。まず落ち着きなさい、二人とも。それから整理しよう」

「整理?」

「そう。私達の目的は何? 私は六道先生のエッセイの原稿を取り戻して、編集部に帰って入校する。五行君は枕返しをやっつけて、京都から奪われた役小角の天球儀を取り返す。絶対城君は――えーと、君は何のために来たんだっけ?」

「興味本位だが?」

「言い切ったわね……」

「まったく学生さんは気楽でいいなあ」

「探究活動を軽んじるとは全く愚かしい」

「だからやめなさい! 大人げない! 中学生なの君達は? ともかく、最終的にみんなで元の時代に帰るという目的は一致してるわけだから……。って、今急に不安になってきたんだけど、帰れるのよね、五行君?」

「そこは安心しろ。来た時と同じように、俺の術と作家先生の力の合わせ技で、枕返しの航跡を遡る。役小角の天球儀を取り返せば道しるべになるから、行きより簡単に帰れるはずだ」

「ってことは、やっぱり六道先生と合流しなくちゃいけないのよね。だったら――」

「う、うわあああっ! 化物だあああ!」

 話を続けようとした詠見だったが、そこに誰かの悲鳴が被さった。え、と三人が振り向いた先、煉瓦造りのビルの陰から、三メートルはあろうかという巨体の獣人がのっそりと現れる。全身に剛毛を生やして長い髪を振り乱し、鋭い牙に鋭い爪。敵意を剥き出しにして低く唸る獣人を前に、詠見達は揃って絶句し、そして顔を見合わせた。

「え。な、何……何、これ? 大正時代の東京ってこんな動物がいたの?」

「アホか滝川! いるわけねえし――気配で分かる! こいつは真っ当な生き物じゃねえ」

「『比々(ひひ)』か! 『山中にすむ獣にして、猛獣をとりくらふ事、鷹の小鳥をとるがごとし』……! 枕返し同様、江戸時代の絵本に描かれた妖怪の一体、しかも相当危険な奴だ……! しかし、本来は山の中にいるはずの妖怪がなぜ町中に……?」

「ガアアアアアアッ!」

「答えるつもりはなさそうだぞ妖怪学。下がってろ二人とも、ここは俺がやる! 東海の神、名は阿明(あめい)、西海の神、名は祝良(しゅくりょう)、南海の神、名は巨乗(きょじょう)、北海の神、名は禺強(ぐきょう)、四海の大神の御名の下に、百鬼を退け、凶災を蕩(はら)え! 急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)――って、あれ? 何で術が出ねえんだ?」

「そうか……! ここはおそらく、俺が元居た世界同様に『陰陽術が実際に使えない』世界なのだ!」

「なぬ?」

「ガアアアアアアアアアアアッ!」

「危ない五行君!」

「しまっ――」

 バアン!

 印を組んだままたじろぐ春明に比々が襲い掛かった一瞬後、乾いた銃声が響き渡った。

 比々の眉間に穴が穿たれ、生気を失った巨体が路面へ崩れ落ちる。

「――危ないところだったな」

 静かな声が三人の後方から響く。詠見達が振り返ると、そこに立っていたのは、少年とも青年ともつかない年頃の若者だった。痩身に詰襟の学生服とマントを纏い、手には硝煙をたなびかせる回転式拳銃。短い銀髪の上に制帽を被り、鋭い視線を詠見達へと向けている。若者は手慣れた様子で銃を腰の後ろのホルスターへ納めると、三人に向き直り、よく通る声で名乗った。

「石神射理也(いしがみいりや)だ。この近隣の方ではないとお見受けするが……良ければ、話を聞かせていただきたい」


[※石神射理也(いしがみいりや):メディアワークス文庫刊『帝都フォークロア・コレクターズ』に登場。私設妖怪調査隊「彼誰会」に所属する日露ハーフの十八歳の書生。士官学校中退。生真面目な性格で、妖怪調査の重要性がなかなか理解されないことが悩みの種]