▽チャプター3 公務員+合気道家+小説家


 それより少し前、神田ニコライ堂の近くの路地にて。

「でえいっ!」

「がっ……!」

 湯ノ山礼音が投げ落とした暴漢が、短い悲鳴をあげて気絶した。


[※湯ノ山礼音(ゆのやまあやね):メディアワークス文庫刊『絶対城先輩の妖怪学講座』に登場。経済学部二年の女子大生。原因不明の頭痛を治すために絶対城のところを訪ね、なんだかんだで今に至る。背の高さと女子力の低さが悩みの種だったがもう諦めつつある。タンクトップとショートパンツ姿がデフォルト。ニックネームはユーレイで、趣味と特技は合気道。最近彼氏ができました]


 男が気を失う刹那、その体から黒い獣のような影がするりと抜け出して中空に消えたように見えたが、それよりも襲われていた二人連れだ。男が目を覚まさないこと、息があることを確認した上で、礼音は身を寄せ合って震えていた二人に向き直った。

「大丈夫でした?」

「は、はいっ! 危ないところをありがとうございました……!」

「いやあ本当に助かりました。こっちには何の覚えもないのに、急に喧嘩を吹っかけられてどうしようかと思ったんですが、地獄に仏とはこのことでございます。いや、女の子に仏ってのはまずいかしら? ともあれ感謝感激雨あられ、いやあそれにしてもお強いお強い」

 ブレザーにハンチングの小柄な少女がぺこぺこ頭を下げ、藍色の着物に女物の帽子を被った青年がにまにま笑って揉み手をする。男の方は放っておくとずっとしゃべり続けていそうだったので、礼音は「どういたしまして、気を付けて」とだけ告げて二人に背を向け、通りで待っていた祈里と琮馬のところに戻った。

「祈里さん、六道先生、お待たせしました」

「お見事でした」

「お見事でした」

 ビジネススーツ姿の眼鏡の女子と、小袖姿のおっとりした男子が感服の笑顔で出迎える。京都市役所の火乃宮祈里と、妖怪にして小説家の六道琮馬である。


[※火乃宮祈里(ひのみやいのり):メディアワークス文庫刊『お世話になっております。陰陽課です』に登場。京都の街で人間に交じって生きる妖怪達のための部署、通称「陰陽課」の新人職員(配属二年目)。頭が硬く真面目で元気で順法精神が強い。好きな言葉は「全体の奉仕者」]


[※六道琮馬(ろくどうそうま):富士見L文庫刊『六道先生の原稿は順調に遅れています』に登場。見た目は若い着物男子だが、デビュー四十年のベテラン庶民派作家であり、不老の妖怪。人々の鬱屈した思いが生む怪物「物ノ気(もののけ)」を食らい、そこに込められた念を物語へと変えて小説を書いている。性格は穏やかで人当たりも良いが、原稿は遅い]


 賞賛されるのは恥ずかしいし、そもそも別に褒められるようなことをしたわけでもない。礼音は「やめてくださいよ」と苦笑し、二人に歩み寄って眉をひそめた。

「それより、今投げ落とした時、動物みたいなのがスッと出たように見えたんですが……見間違いでしょうか」

「いえ、わたしにもはっきり見えましたから! 京都では見たことのない異人さん――妖怪だったので、正体までは分かりませんけど」

「ああ、あれは邪魅(じゃみ)ですよ。人の心を荒立てる妖怪です」

 祈里の言葉を琮馬が受ける。へえ、と女子二人に感心の眼差しを向けられた童顔のベテラン作家は、面映ゆそうな顔で頬を掻き、眉根を寄せた。

「僕らのいた時代に比べて過去は妖怪が多かったとは言え、大正時代の東京の町中にあんなものがいるはずはありません。おそらくは枕返しの仕業です」

「ですよね……。早く止めないと! それに、絶対城さんや滝川さんの無事を確認して、主任とも合流しないと……とは思うんですが……連絡手段がないんですよね……」

「火乃宮さんと五行さんは、確か主従契約を結んでおられるのですよね? 居場所がわかったりはしないんですか」

「う。す、すみません。陰陽術をマスターしてるとできるんでしょうけど、わたし、新人の主(あるじ)なので」

「じゃあ、普段の連絡はどうやって?」

「携帯です……。湯ノ山さん、何か不思議な力持ってらっしゃったりしませんか?」

「あたし? まあ……力と言うか能力的なのは、なくはないんですけど」

 語尾を濁した礼音が困った顔で苦笑する。礼音は胸元に提げた円形のペンダントを一瞥し、「今ここで使ったところで何の意味もないです」と言い足した後、琮馬を見た。

「六道先生って、妖怪だから見た目以上に長生きで、東京にずっと住んでらっしゃったんですよね。この時代にお知り合いとか」

「いないんですよね、それが。僕、人間基準ならともかく妖怪としてはかなり若い方ですし、同族の知り合いもいない……わけでもないですが少ないので」

「なるほど……」

 どうしたもんか、という空気が三人を包む。と、そこに「もしもーし?」と馴れ馴れしい声が投げかけられた。先ほど礼音が助けた着物の男性である。にやついた顔の若者は、隣の少女の呆れた視線をきっぱり無視し、礼音と祈里を交互に見た。

「あの、かっこいいお姉さんと眼鏡の子、ついでに着物のお兄さん? お困りでしたら、あたし達がお力にならせていただきましょうか?」

「え? まだいたんですか」

「そりゃいますとも。知り合った女の子の名前も聞かず姿を消すのは男の名折れ……じゃない、恩を返さないとって思ってね」

「お申し出はありがたいですが、どちら様でしょうか?」

 進み出た琮馬がきっぱりと問う。着物の男は面食らったように細い目を瞬いたが、すぐに笑顔に戻って胸を張った。

「よくぞ聞いてくれました! あたしらは『帝都フォークロア・コレクターズ』の」

「それは淡游さんが勝手に名乗ってる名前じゃないですか」

 小さな少女が着物の男の挨拶を遮り、礼音たちの前に進み出る。十二、三歳くらいに見えるが、堂々とした態度からするともしかしてもう少し上なのかな。そんなことを思う礼音の前で、少女はハンチングを被った頭を深く下げ、言った。

「あたし達は、私設の妖怪調査隊『彼誰会(かわたれかい)』の者です。あたしは白木静(しらきしずか)で」

「同じく、多津宮淡游(たつみやたんゆう)というケチな噺家くずれでございます。最近都内にお化けがよく出るんで調べて来いって言われてうろついてたところですが、よろしければお力になりますよ、えへへへへ」


[※白木静(しらきしずか):メディアワークス文庫刊『帝都フォークロア・コレクターズ』に登場。住み込み先である文芸カフェの改装工事中の勤め先を探していて「彼誰会」に採用された。童顔で小柄なので子供扱いされやすいが、十五歳。受け身がちで振り回されやすいものの、たまに行動力を発揮する。趣味は読書で、好きな作家は泉鏡花]


[※多津宮淡游(たつみやたんゆう):メディアワークス文庫刊『帝都フォークロア・コレクターズ』に登場。「彼誰会」の調査員の一人で、噺家くずれの十九歳。不真面目で自堕落な女好き。饒舌で調子がよく、他人と打ち解けるのが上手い。声帯模写も得意。楽観的な性格だがどこか冷めた面もある]


 淡游と名乗った男が、締まりのない割に妙に愛嬌だけはある笑みを浮かべ、その隣では静という少女が「こんな連れですみません」と言いたげな顔をしている。

とりあえず悪人ではなさそうだし、何にせよこの時代の現地人の協力が得られるのはありがたいと礼音は思ったし、祈里と琮馬も同感だった。というわけで一同は自己紹介を交わし、ついでに情報を交換した。