▽チャプター6 ひとり妖怪大戦争


「え」

「嘘」

「そんな」

「数が……」

「……多い!」

 何の前触れもなく現出した妖怪の群れを前に、一同は揃って息を呑んだ。

 荒れ地を踏みしめてずらりと並ぶ面々の容姿は様々だ。巨大なヒト型のものが何体もいるかと思えば子供のようなものもおり、河童や狐のようによく知られた姿のものもいれば、犬や鳥のような動物型も混じっている。さらには、地面から生えた手としか言いようののないもの、器物とも動物とも呼び難い奇妙な姿の怪物も――。その異様さと数に一同は絶句し、お互いの顔を見合わせた。

「この数が一気に市街に攻め込んだら、大変なことになりますよ……! 陰陽課の責任問題じゃ済みません! 主任、どうしましょう」

「くそったれ! 陰陽術がフルに使えれば、こんな連中……! 鬼神退治の霊符はあるにはあるが、どれだけ効くか怪しいしな……。おい、作家先生! あんた一応同族だろう、説得できねえのか?」

「無理です。彼らには心がない。あれは、枕返しが無理矢理呼び出した、特性と姿だけを備えたコピーなんです」

「礼音ちゃんの合気道でどうにかするのは……無理だよねえ」

「え? いや淡游さん、頼ってくださるのはありがたいですけど……人数はともかく、関節もない相手が多いとなるとちょっと」

「淡游、何を腑抜けたことを! この時代の街を守るのは、この時代の人間の責任だろうが! せめて俺一人だけでも――!」

 短銃を抜いた射理也が引き金を引く。放たれた銃弾は、過たず、一番手前にいた巨大なヒト型妖怪に炸裂したが、その妖怪は何ら苦痛を感じた様子もなく、ゆっくりと射理也達に向かって前進を始めた。銃を握ったままの射理也の顔が青白く染まる。

「馬鹿な! 全く効かない……?」

「ずるいじゃねえの、そんなの! この際駄目元で軍隊でも呼んでこようか」

「やめておけ」

 慌てる淡游を制したのは、ずっと黙っていた阿頼耶であった。なぜか一人だけ動じていなかった黒衣の妖怪学徒は、前髪に隠れた双眸で居並んだ妖怪を見やり、言葉を続ける。

「近代兵器は人間を大量に殺す場合にのみその威力を発揮する。妖怪向きの道具ではないし……何より、あそこに並んでいる連中は、いずれも物理的な攻撃が効かないものばかりだ」

「何だと? そうなのか妖怪学? いやお前に聞くより枕返しに聞いた方が早いか! そうなのか枕返し!」

「ご名答! 邪魅のように人に憑依する妖怪は印象を残すのが難しく、比々のごとく物理的に撃退できてしまう妖怪は完璧な脅威にはなり得んからのう。ここに揃った我が先兵は、選び抜かれた精鋭達よ! さあ、邪魔ものどもを踏みにじり、帝都を火の海に変えるのだ!」

 枕返しの号令を受け、妖怪の群れが静かに前進を開始した。その異様さと威圧感に思わず一同は後ずさったが――一人、阿頼耶だけはその場を動こうとしなかった。

「先輩! 何してるんですか、逃げないと!」

「ほう、足がすくんで動けぬか? よかろう! まずはそいつを捻りつぶせ!」

 枕返しの指示が飛び、先頭の巨人が巨大な腕を振り上げる。

 飛び出そうとした礼音、それを押さえる春明、そしてその他の面々が見守る中、阿頼耶の体は無残に殴り潰される……と、誰もがそう思った、その矢先。

「――『見越した』ッ!」

 バリトンの効いた一声が、新宿の荒野に轟いた。

 瞬間、巨人の姿が激しく揺らぎ、蜃気楼のように掻き消える。

 何だと、と息を呑む枕返しを、阿頼耶は不敵に見返し――軽く肩をすくめて嗤った。

「そう驚くことはあるまい? 雲をつくような巨大な入道――見越し入道は、『見越した』と言えば撃退できる。基本的な知識だ」

「な……何?」

「物理的に撃退できない妖怪だけを選んだと言ったな、枕返し? その目の付け所は悪くはないが……だが妖怪には、対策が決まっているものも数多い。そして俺はその全てを――少なくとも、俺の時代までに記録され、公開されていたもの全てを――記憶している。残念だったな」

「あらゆる妖怪への対策を……覚えている? な、馬鹿な、そんな酔狂な人間がいるはずが……ええい、一気にかかれええええッッ」

「無駄だと言ったろう! ――『大鐘(おおがね)さん近い近い』! 『怪物を仕留めた』! 『正月まではまだ遠い』! 『今度は俺が悪かった』! 『イワシをやるぞ』!」

 枕返しは次々へと妖怪をけしかけるが、その爪や牙や拳が阿頼耶に届くことはなかった。

「――『みちかだぞう』! 『與惣平(あたえそうべい)はまだ生きているぞ』! 『古(いにしえ)に約束せしを忘るなよ、川立男(かわたちおとこ)、我も菅原』! 『カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ』! 『山の小父さん、お前さんの上に木が倒れていくよ』! 『大シラガ、小シラガ、峠を通れども神の子でなけりゃあ通らんぞよ、あとへ榊を立てておくぞよ、あびらうんけんそわか』!」

 阿頼耶の瞳が妖怪の姿を捉え、特定のフレーズを叫んだ次の瞬間、どんな凶暴そうな妖怪もふわりと溶けて霧消する。礼音達は手助けするのも忘れ、その様をただ呆気に取られて眺めていた。

「……すげえな、あいつ」

 ぽつりと声を漏らしたのは春明だ。と、それを聞き留めたのか、阿頼耶は妖怪軍団の相手を止め、ふと振り返って肩をすくめ、首を左右に振ってみせた。

「いやいや、俺の妖怪学など、お前の陰陽術に比べればまだまだだ。何せ妖怪学は役に立たない学問だからな」

「嫌味か! お前、相当根に持ってやがったな! ……おい湯ノ山、もしかしてあいつかなり性格悪いだろ」

「え? それは、えーと、あ、あたしは好きですよ、先輩のこと?」

「そんなことは聞いてねえ」

 礼音の的外れな返答に春明が呆れ、礼音が「何を言ってしまったんだ」と顔を覆い、祈里が慰め、詠見は「若いっていいなあ」とつぶやき、琮馬が「滝川さんもお若いですよ」とフォローする。そんな気の抜けたやりとりを繰り広げているうちに、阿頼耶は妖怪軍団をあらかた倒し終え、ついに残るは一匹だけとなっていた。

「お前で最後か。名残惜しくはあるが……」

「キシャアアアアアアアアッ」

「――『そういう者こそちんちろり』!」

「グワアアアアアアッ! さ、さても強き者よ……!」

 最後の一体が苦悶し、爆ぜるように消失する。その光景をじっくり目に焼き付けた後、阿頼耶は軽く肩をすくめ、射理也や淡游、静らへと歩み寄って言った。

「ひとまずこれで君達の街は救われたようだな」

「あ、ああ……。感謝する……! だが、貴方は――一体どうやって、それほどの知識を……?」

「言うまでもない。君達のおかげだ」

「俺達……?」

「ってことは、あたしと射理也の旦那、それに」

「わたし……?」

「そうだ。俺の知識は所詮、文献や記録から得たものに過ぎない。伝承が消える前に実際に現地に赴き、聞き取り調査に従事した者がいるからこそ、俺は妖怪達に対応することができたんだ。調査の意義が分からないと思うこともあるだろうが、君達の仕事は決して――絶対に、無駄ではないのだ」

 そのよく響くバリトンボイスに、射理也と淡游と静の三人は思わず顔を見合わせていた。

 一方、自慢の先兵をすべて倒された枕返しは原稿の封筒を持ったままそっと逃げようとしたが、そこに春明が立ち塞がった。

「もう逃がすわけねえだろう! てめえの処分についての議決はとっくに下りてる、覚悟しろ!」

「くっ! だが、陰陽術の効き目が弱いこの世界では、お前の術は――グワアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」