破滅の刑死者 内閣情報調査室「特務捜査」部門CIRO-S

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プロローグ

 「賭けでもしない?」――少年がそう提案した後の周囲の反応は一様だった。
 まず己の聞き間違いではないかと困惑し、次にその顔を見て本気の発言だと理解し、やがて彼の愚かさを嘲笑した。声を上げて笑う者もいれば、俯き、呆れたように口の端を歪める者もいた。だが、誰もが皆、笑みを浮かべていた。
 笑っていないのは、発言者ただ一人。
 やけに広い応接室の中央に腰掛けた少年、ただ一人だった。
 目を隠すほど長い前髪が特徴的なその少年はゆっくりと周囲を見回す。龍や虎が描かれたインテリア、もとい、威圧的な骨董品の数々。威圧的なのは物だけではなく人も同じだった。少年以外の人間は全員、何処かしらに刺青を入れている。人相はお世辞にも良いとは言えず、一目で「その筋の人々」だと分かる出で立ちをしていた。
 その筋、つまりは、暴力を生業とする人間である、と。
「賭けっつったか? お兄ちゃん」
 正面のソファーに腰掛ける中年の男が訊くと、少年は「うん」と頷き、続けた。
「死んだ両親があなた達からお金を借りてて、それがいつの間にか結構な額に……。約五百万、だっけ? に、膨れ上がってて、両親の代わりに息子が返さなきゃいけない……。それはよく分かったよ。借りたものは返さないと」
「物分かりいいなあ、お兄ちゃん。普通の奴はこういうこと言われると、無様に言い訳するか、泣き叫んで許しを請うか、どっちかなんだが。お兄ちゃんみたいな場合なら余計にな」
「さっき言ったように、借りたものは返さないとね。その両親の代わりに謝罪するよ。この世はお金が全て、とは僕は思わないし、大して価値も見出してないけれど……。それでも、絶対的な力の一つだしね」
 室内の人間は五人。少年、その目の前の男、そして男の部下が三人。うち、二人は唯一の出入り口である扉を防ぐようにして立っていた。
 あるビルの三階にある応接室だ。表には「篤実ファイナンス」と掲げられているが、この看板には二つ偽りがあった。一つ目がそこが会社などではなく、小規模ながら、ある暴力団の事務所であるということ。二つ目がビルの中にいる人間は“篤実”から程遠い人々であることだ。
 金にしか興味のない男達は少年を見る。値踏みする。
「馬鹿が、ギャンブル漫画の主人公気取りか?」。そんな率直な感想を抱く者もあれば、「凄腕の弁護士や別の組の幹部に知り合いがいるのかもしれない」と、深刻な状況と反比例するような軽い調子に猜疑する者もあった。
「両親に借金があって、それを息子に返して欲しいのは分かったけど、五百万なんて大金、息子は持ってない。ていうかお金持ってること、期待してなかったでしょ?」
「まあ期待はしていなかったわな。『今から働いて返せ』って話だ」
「それは僕として望ましくない。だから、賭けをしましょう、って提案をしてるんだ。何か勝負をして、僕が勝ったら借金、チャラにしてよ。代わりに負けたら倍の一千万返すから。ゲームは頭を使うものがいいな。そうだ、麻雀とかどう? その筋の人ならできるでしょ?」
「お兄ちゃん、そんな要求が通ると思ってるのかい?」
 男の言葉に少年は平然と頷き、いっそ気味が悪いほど明るい笑みを湛えて言った。
「うん。頷いてくれると思ってるけど」
 腕を組み、時折剃り残された髭を撫ぜてみたりして、さも悩んでいるという態度を取ってみせるが、実のところ中年の男の答えは最初から決まっていた。当然だ。どんな勝負をするにせよ、男の側にデメリットはないのだから。
 自分が勝てば五百万のカモが一千万に化ける。仮に負けたとしても、力にものを言わせて「そんな約束をした覚えはない」「契約書もない取り決めを守る義理はない」と突っ撥ねてしまえばいいだけの話。男にはそれだけの力があった。金と暴力というこれ以上ない力が。
 現実は漫画とは違う。
 何かを賭けて勝負に臨み、命懸けで勝利を掴み取ったとしても、相手が約束を守ってくれる保証など何処にもない。
 元より男達は反社会的な集団。法律という社会の約束事すら守っていない人間が、どうして個人の、しかも明らかに格下の相手との取り決めを遵守すると思うのか。そう少年に訊ねてみたかったが、男はあえて問わない。一千万になることが決定しているカモを逃がすのは、それこそ馬鹿らしい。
 故に男は笑みを作り、こう答えた。
「……分かったよ。勝負をしよう。お兄ちゃんが勝てば例の借金はチャラにしよう」
「言ったね、おじさん。本当にいいの?」
「ああ、いいよ。ただし、お兄ちゃんが負ければ借金は倍だ。借金はお前が払うんだぜ、お兄ちゃん? 一切マケないし、逃げようとしたら、心苦しいけれどそれ相応の対応をすることになると思うが……」
 ―――男は、男達は気が付かなかった。
 篤実などという言葉からは程遠く、金を集め、浪費することにしか興味がなかったが故に気付かなかった。気が回らなかったし、気にも留めようともしなかった。
「……それは良かったなあ。本当に嬉しいよ」
 俯き、そう口にした少年が――今は、笑っていたことに。